第30話 出汁

 人は麺をすすり、汁をすする。音を許容しない食事作法の中でも稀有な行動。諸説あるが、出汁の香りを楽しむため、どこぞの寺で許容されたなどあるが、南山之寿が真実を知ることは無い。


 南山之寿は、蕎麦をすする。勢い良くすすり、わさびに会心の一撃を食らうことも、しばしば。南山之寿は、カレーうどんをすすることもある。勢い良くすすり、白いワイシャツに痛恨の一撃を食らうことも、たびたび。学習をしないのが、南山之寿。


 今日の対戦ポイントは、出汁。出汁が勝負の決め手。面倒だからと、マグカップに味噌を入れてお湯を注ぐ南山之寿。味噌汁なんかには、なりはしない。味噌湯。なんだか、凄く残念な味であった。


 鰹節で出汁を取る。お湯が琥珀色に輝き、薫りが鼻を通り抜ける瞬間が好きだ。時間があると、意外と出汁を取る南山之寿。時間か無いときは、万能調味料をつかう。


 南山之寿のタッグパートナー、味覇。あのフタに描かれたおじさんは、最早、南山之寿のセコンド。彼の指示なしでは、台所での試合運びがままならない。ただ難点は、全ての味が中華の道を歩みだすこと。そこを我慢すれば、問題は無い。出汁で作る味噌汁も良いが、味覇で作る味噌汁も良い。


 ――味噌に見えるものは、味噌汁の隠し味になる。


 冷蔵庫を開けたとき、南山之寿の頭で悪魔が囁く。チョコレートクリームが赤味噌に見える。ピーナッツバターが白味噌に見える。


 ――結果は……自分の舌で確かめて欲しい。南山之寿の辞書に、『責任』という言葉は無いのであしからず。少量であれば、いけなくもない。


 とある居酒屋。シメにお茶漬けがだされた。五臓六腑に染み渡る優しさ。疲れた胃袋を、優しく抱擁してくれる味付け。日本人に産まれて良かった。


『いい出汁ですね』

『あ、それインスタント。お湯だよ!』


 ――出汁なんて、結局のところ分からない。


 静かにお茶漬けをすする音だけが、こだました。


 

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