第21話 少年時代

『少年時代』


 井上陽水の名曲。夏の終わり、秋の始まり。儚さを感じさせてくれる。三十路街道を彷徨う南山之寿にも、可愛らしい少年時代があったのかもしれない。未知の道を歩むあの頃は、毎日が新鮮であった。南山之寿も今とは別人の様に、希望と無尽蔵のエネルギーに満ち溢れていた。


 今日の入場曲は、少年時代。You Tubeか何かでBGMにすると、より南山之寿に寄り添える。そんな必要は無いのかもしれないが。


 子供の頃に苦手だったものが、大人になると平気になる。良くあることかもしれない。南山之寿が苦手だった料理など、今では問題無く美味しく頂いている。車酔いが激しかったが、普通に運転できている。人前で歌うのが苦手だったが、平気で歌える。井上陽水のモノマネに手を付けたことがあるのは、また別の話。


 逆もまた然り。


 子供の頃に追いかけた昆虫。今ではあまり触れたくもない。昆虫食なるものがあるが、見たくも食べたくもない。イナゴの佃煮、蜂の子。信州旅行に行った際、手も足も出なかった。


 しかし、昆虫とは不思議な生物である。幼虫と成虫で形態が変化するところなんぞ、理解に苦しむ。理解に苦しむのだが、蛹から成虫に羽化する瞬間を目の当たりすると、生命の神秘に驚かされる。夏の明け方、羽化する蝉を見た時には魅入ってしまった。ほんの一時、南山之寿が少年時代に戻ったのかもしれない。


 季節というものはあっという間に過ぎ行く。冬となり、寒さが南山之寿を苦しめる。クローゼットからアウターを取り出し冬支度をする。


 ある日のこと。買物帰りの南山之寿。荷物を両手に帰宅していた。改札を抜けた後のことだ。ポケットに交通ICカードを入れようとしたが、通路に落とした。慌てて拾おうと、しゃがむ南山之寿。その時であった。


 ――ビリッ


 嫌な音が耳にこだました。南山之寿が着ていた、スキニータイプのチノパンが裂けた。裂け目を確認しようと、股下を確認するため背中を丸める南山之寿。


 ――ビリッ


 嫌な音が再び耳にこだました。南山之寿が着ていた、アウター背中側の縫い目が裂けた。羽毛が飛び出す。


 ――南山之寿は羽化した。


 股下を必死に隠しながら、電車に乗り込み帰路につく南山之寿。決して誰にも見せないように。


 ――南山之寿は、完全変態ではない。



 

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