第18話 沼の女王

 わたしは、ゆめの中で勇者ゆうしゃばれていた。

 かがみに映る自分は、金色の長いかみで、美少女で、華奢きゃしゃだった。身のたけほどある大剣を背負せおい、ビキニみたいなふくを着て、防御ぼうぎょ力に不安をかんじる露出度ろしゅつどの高い赤いよろいまとっていた。

 日々は、大剣をるい、モンスター退治たいじれていた。

 人間の生活圏付近せいかつけんふきんにも、危険きけんなモンスターの生息域せいそくいきおおかった。毎日のように、退治を依頼いらいする書簡しょかんとどいた。

 仲間なかまは、人間の戦士、エルフの魔法まほう使い、人間の僧侶そうりょだ。だったと思う。

 華奢きゃしゃな美少女が大剣を軽軽かるがると振りまわす。それはとてもアンバランスな状況で、だからゆめなのだと認識にんしきできた。

 現実げんじつの自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長いかみの美少女だった。

 わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。


   ◇


 ここは、『常雨とこあめもり』と呼ばれる森である。『ぬま女王じょうおう』とおそれられる凶悪きょうあくなモンスターがみ、つねに雨がつづく。

 ゆがんだ木々が鬱蒼うっそうしげる。れて瑞々みずみずしい草が、みどり一色に地面をおおう。

 木の葉からは、水のしずくが降り続く。雨は木々にさえぎられ、わずかの隙間すきまって落ちる。

 樹上じゅじょうには、人間の大人並おとななみのサイズにも成長せいちょうする、吸血きゅうけつヒルが棲息せいそくする。唐突とうとつに落ちてきて、人間のあたまくわえ、首にし、血をう危険なモンスターである。

「上も警戒けいかいせよ! 人食いヒルにおそわれてもだれかが助けてくれる、などとかんがえるなよ! まれた直後には、首とどうはなれるぞ!」

 先頭せんとうある指揮官しきかん騎士きしが、ガサツな中年男の野太のぶとい声で、兵士たちに忠告ちゅうこくした。

『はっ!』

 兵士たちが、声をそろえて答えた。

 百人の部隊が、常雨の森をすすむ。

 鉄色の金属鎧きんぞくよろいでほぼ全身をおおった徒歩とほの騎士が、先頭に立って指揮官をつとめる。革鎧かわよろいに金属のむね当てをけた兵士たち約百人が、正方形に近い陣形じんけいで後に続く。

 騎士は、長剣をび、王国の紋章もんしょうの入ったカイトシールドをつ。兵士たちは、剣、やり、弓と様々さまざま武装ぶそうする。大きなふくろいくつもかつ輸送ゆそう兵もいる。

「今作戦の討伐とうばつ対象は、沼の女王である! 作戦の成功のためにも、人食いヒルごときで戦力をらすわけにはいかぬ! その命は、最後の一欠片ひとかけらまで、国王陛下へいかえきとなるように使うのだ!」

 指揮官は、ガハハわらいで声をりあげた。

 木の葉がれて、水滴すいてきはげしく落ちた。兵士たちはおどろき、おびえ、あわてて頭上を見あげた。

 モンスターらしきかげはない。

 見あげていた兵士たちが、安堵あんど非難ひなんじる目で、先頭の指揮官の背中へと視線しせんもどす。兵士の命を消耗しょうもうあつかいするような、貴族きぞく思考丸出しの指揮官の理論りろんには、誰もが意気消沈いきしょうちんする。ヒソヒソと小声で悪口をらすものもいる。

 指揮官が足をとめた。兵士たちもならって停止した。悪口がこえてしまったのだろうか、と気まずい空気がながれた。

「む! 前方にいずみが見えるぞ! 可能かのうであれば、あの場所で休憩きゅうけいとしよう!」

 指揮官が、前方の木々の間を指さす。ゆがんだ木々の隙間すきまの先に、草の地面に水のまった泉とおぼしきものが見える。

 悪口を聞かれたのではなかったと、兵士たちはむねでおろした。

 泉を目指し、部隊がふたたを進める。

 ズルリ、ズルリ、と引きるような音がついてくる。

 全員がおどろき、動揺どうようして、周囲を見まわした。みじか悲鳴ひめいを出すものも、あわててかまえた武器が他の兵士に当たってしまうものもいた。

 周囲には、歪んだ木々が鬱蒼うっそうしげる。れて瑞々みずみずしい草が、みどり一色に地面をおおう。

 木の葉からは、水のしずくつづく。雨は木々にさえぎられ、わずかの隙間すきまって落ちる。

 水の音だけがこえる。水滴すいてきが草木を打つ音だけが、ある。

「……お、おい、あれ」

 兵士の一人が、泉の方を指さした。顔面蒼白がんめんそうはくで、指も手もふるえていた。

 全員が注目する。全員が、意味不明な光景に、思考を停止させる。

「ゴポゴポゴポゴポ」

 少女が、水の中であわはじけるような、くぐもる音をはっした。少女だった。少女のような姿すがただった。

 金色の長いかみの美少女で、華奢きゃしゃで、水草を水着のようにまとっていた。身のたけほどある大剣を背負せおい、全身が、泥水のような、赤茶色ににごったスライムのようなものにつつまれていた。

 異常いじょうな光景だった。日常にはり得ない光景だった。

 全員が、一瞬いっしゅんで、何の根拠こんきょもなく、根拠など必要ひつようなく、それが沼の女王なのだと、本能ほんのう的に理解りかいした。

 少女を包むスライムが、急激きゅうげき体積たいせきす。包むスライムごと上昇じょうしょうして、少女の姿が樹上じゅじょうに消える。地面にあるスライムのかたまりが、無数むすう枝分えだわかれして兵士たちをおそう。

 頭上ずじょうの木の葉がはげしくれて、大粒おおつぶの水滴がる。兵士たちは完全にパニックになって、闇雲やみくもに武器をる。たくさんの悲鳴が、森に木霊こだまする。

 そこは、『常雨とこあめもり』と呼ばれる森だった。『ぬま女王じょうおう』とおそれられる凶悪きょうあくなモンスターがみ、つねに雨が降りつづいていた。


   ◇


相席あいせきさせていただいても、よろしいでしょうか?」

 女に声をかけられて、戦士は声の方へ向いた。

 みじかいおかっぱがみの、三十さい手前くらいの、おかた印象いんしょうの女だ。戦士もよく知る、勇者のスケジュール管理かんり担当たんとうしていた女役人だ。

 魔法使いふうのタイトなローブを着て、みじかいマントを羽織はおっている。王都の高官こうかん制服せいふくである。色は青で、官位で色が決まっていたと思うが、自由気ままな冒険ぼうけん者の戦士は、こまかいことは知らないし興味きょうみもない。

「どうぞ」

 戦士はテーブルの上の食器を自分の方にせて、向かいのせきを左手で示した。

 戦士は、かつての勇者の仲間で、青い短髪たんぱつの、二十歳を過ぎたくらいの若い男である。背の高いマッチョで、被覆率ひふくりつの高い青黒い金属鎧きんぞくよろい装備そうびしている。背中に大きなタワーシールドを背負せおい、こし戦斧せんぷをさげる。

 今は、冒険者協会が経営けいえいする協会本部けん酒場の、すみにある四人けの丸い木のテーブルに、一人でく。日頃ひごろからあらくれ者に乱暴らんぼうあつかわれて、けたりれたりした木のテーブルを、同じく欠けたり割れたりした木の丸椅子いすが四きゃくかこむ。

「失礼いたします」

 女役人が、丸椅子の一つを戦士の席のとなりいて、かたれそうな近さですわった。

 不思議ふしぎな状況ではある。

 王都の役人が冒険者協会に来る理由が分からない。昼食時の、荒くれたちで混雑こんざつする騒々そうぞうしい時間帯となれば、多少でも地位のある連中れんちゅうは店の前を通ることすら敬遠けいえんする。

「おいおい女れかよおー! うらやましいねー!」

 無精髭ぶしょうひげで小太りのオッサンから野次やじんできた。昼間っからっぱらっていた。

 ここは、そういう場所だ。

 女役人が、ほそい目をさらにするどくして、周囲を警戒けいかいする。

「冒険者協会とは、繁盛はんじょうしているのですね」

「今日は特別だな。どこぞの森にモンスター討伐とうばつに向かった王国軍百人がもどってこない、って胡散臭うさんくさ情報じょうほうが入った。それ関連かんれんで大きな仕事にありつけるかも、ってひまな冒険者があつまってるのさ」

 戦士はなく答えた。

「戦士様も、仕事の依頼いらいもとめていらしたのですか?」

「いいや。オレは、情報収集に来ただけだ。別件でいそがしくてな」

 戦士の素っ気ない態度たいどに、女役人は周囲を警戒しながら、戦士にい、戦士のかたあたまもたれる。

 女役人の警戒心マックスの目を見れば、色恋いろこいではないと分かる。女役人の面白おもしろ皆無かいむの性格を知っていれば、目を見なくても分かる。

 戦士は平静へいせいよそおって、さりげなく周囲を警戒する。戦士同様どうよう冒険ぼうけん生業なりわいとするあらくれたちが、食って飲んでさわぐ。歴戦れきせん猛者もさも十五歳くらいの子供も、分けへだてなく一堂いちどうかいする、いつもの光景がある。

「勇者様の足取りがつかめました」

 女役人が、抑揚よくようの少ない小声でげた。

 戦士はおどろいて、女役人の方を向いた。すように鋭い視線と目が合って、あわてて目をらした。

わるい。ちょっと驚いた。オマエさんに、そんなやさしさがあるなんてな」

 戦士は、王城を追い出されてから、単独たんどくで勇者の足取りを調しらべている。とはいえ、王城の地下牢ちかろう幽閉ゆうへいされた先なんて、ただの冒険者の戦士に調査ちょうさできるはずもない。

 単独行動する理由は、情報漏洩ろうえいのリスクが低く、国家に反逆する状況になっても、誰に気兼きがねする必要もないからだ。

 かつての仲間をたよることもかんがえたが、僧侶は、信頼しんらいできるが役に立たない。エルフは、貴族きぞくだから信用できない。女役人は、立場的にも性格的にも、信用する方がどうかしている。

 そう思っていた。だから、女役人の情報提供ていきょう意外いがいだった。

 女役人が、やさしい目で微笑びしょうする。目がほそくて、あまり似合にあわない。

「これでも、勇者様を尊敬そんけいし、サポートの立場をほこらしく思っておりました」

「オレもだよ」

 戦士も微笑して、テーブルの上のサンドイッチを手に取り、頬張ほおばる。

 女役人は、ふたたび周囲を警戒けいかいしながら、小声でつづける。

「王城の地下に、王侯貴族おうこうきぞく向けの、秘密ひみつもよおし場があるそうです。勇者様はそこで見世物みせものにされている、とのことでした」

「なっ?!」

 戦士は思わず、いかりの目で女役人をにらんだ。

「こちらに怒りを向けられましても、ご対応いたしかねます」

 女役人が、細い目で、するどく睨み返した。声には感情も、抑揚よくようもなかった。

「そうか、そうだな。悪い。続けてくれ」

 当然とうぜんの怒りだ。国のために命懸いのちがけでたたかった勇者に対して、あまりにもひど仕打しうちだ。役目がわればおはらばこ、どころか反逆者の汚名おめいを着せて見世物にするとは、信じがた裏切うらぎりだ。

 もちろん、この場合の女役人は、何の関係かんけいもない。戦士のたりのとばっちりを受けただけである。

 女役人は、一瞬いっしゅんだけ、もうわけなさげに言葉をよどませる。

「……いえ、つづきは、ございません。申し訳ありませんが、一介いっかいの役人に調しらべられるのは、そこまででした。それなりの地位の騎士を買収ばいしゅうして得た情報ですので、信憑性しんぴょうせいは高いと思います」

「そうか、十分じゅうぶんだ、ありがとな。あとは、オレの方で調べてみる。アンタは、このあと、どうするんだ?」

 戦士は微笑びしょうして、声をはずませた。落胆らくたんはなかった。

離官りかんして、姿をくらませるつもりです」

勿体もったいないな。王都の役人になるのは、大変だったんだろ?」

かねに目がくらんで機密きみつらすようなやからですから、いずれ機密を漏らしたこともだれかに話してしまうでしょう。機密を知った部外者として、いつかかならず命をねらわれる立場になるのでしたら、さきんじて身をかくすのが利口りこうです」

 女役人も微笑して、立ちあがる。

「それでは、戦士様。これにて、失礼させていただきます」

 深々ふかぶかあたまをさげる女役人のかおは、いつもの無表情にもどって、声にも抑揚よくようがなかった。

「じゃあな。えんがあったら、またおうぜ」

 戦士は笑顔えがおで、あらくれたちの間を立ち去る女役人の背中に、手をった。

「……よし。ようやく手に入った情報じょうほうだ。慎重しんちょうに調べないとな」

 酒場の喧騒けんそうに、つぶやく。さらのこるサンドイッチを、口にし込む。せきを立ち、酒場の出口へと向かう。

 真昼まひるの太陽が、大通りをまぶしくらしていた。人通りはおおく、沿道えんどうにぎやかで、いつもと何も変わらなかった。

 戦士は目の上に手をかざし、青い空を見あげた。

 勇者が消えて、戦士の生活は変わってしまった。たすけられなかった罪悪感ざいあくかんと、安穏あんのんと生きるうしろめたさに、良心が押しつぶされそうだった。

 勇者の消えた違和感いわかんが、たとえ戦士一人だけがかかえるものだとしても、放置ほうちなんてできなかった。


   ◇


 その少女は、勇者と呼ばれていた。

 金色の長いかみで、美少女で、華奢きゃしゃだった。身のたけほどある大剣を背負せおい、ビキニみたいなふくを着て、防御ぼうぎょ力に不安をかんじる露出度ろしゅつどの高い赤いよろいまとっていた。

 今はもう、勇者はいない。かつて、その少女は、勇者と呼ばれていた。



/わたしはゆめなか勇者ゆうしゃばれていた 第18話 ぬま女王じょうおう END

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