第15話 邪教の祭壇

 私は、僧侶そうりょです。

 今は、勇者ゆうしゃさんと、戦士せんしさんと、エルフさんとパーティーをんでます。いたらぬ点も多多たたありますが、それなりにおやくに立てているつもりです。

 以前は、小さな教会で見習みなら僧兵そうへいをしていました。正義せいぎ信仰しんこう心にえる先輩せんぱい僧兵のもとで、修行しゅぎょう頑張がんばりました。

 回復魔法かいふくまほうとか、おじいちゃんおばあちゃんの話し相手とか、得意とくいです。先輩僧兵が、ちょっとだけ苦手にがてです。

 今日も、明るく元気に、任務にんむはげみたいと思います。世界には、勇者さんのたすけを必要ひつようとする人たちが、たくさんいらっしゃるのですから。


   ◇


「この中を調しらべれば、いいんですか?」

 勇者が、地下へとくだる階段かいだんのぞき込んだ。

 おかしな階段だった。古いながらも管理かんりの行きとどいた、国教会の広い墓地ぼちの中にあった。ありふれた墓石はかいしの一つの下に、かくされていた。

「昔の話だが、ここの教会の信者の中に、邪教じゃきょう信徒しんとまぎれ込んでいたそうだ。邪教徒じゃきょうとどもは正体をあばかれて処罰しょばつされ、とっくに解決かいけつした事件だな」

 戦士が、勇者のよこから階段をのぞき込んだ。

 暗い夜の墓地を、戦士と僧侶のランタンが小さくらす。階段のおくは、暗くて見えない。恐怖きょうふ心のきあがる、不気味ぶきみ雰囲気ふんいきちる。

「今回の失踪しっそう事件の調査ちょうさ中に、偶然ぐうぜん発見されましたのよね? 邪教徒のかくだったのではないかと、曖昧あいまい情報じょうほう資料しりょうにありましたわ」

 エルフが、羽扇はねおうぎ欠伸あくびを隠しながら、周囲を見まわした。

「エルフさん。お茶はいかがですか? 教会のお茶なので、お口に合うか分かりませんけど」

 僧侶は能天気のうてんき笑顔えがおで、エルフに竹の水筒すいとうを差し出した。

 僧侶には三人の仲間なかまがいる。男の屈強くっきょうな戦士、高慢こうまんな女エルフの魔法まほう使い、華奢きゃしゃ露出度ろしゅつどの高い金髪きんぱつ美少女勇者である。

 戦士は青い短髪たんぱつの、二十歳を過ぎたくらいの若い男である。背の高いマッチョで、被覆率ひふくりつの高い青黒い金属鎧きんぞくよろい装備そうびしている。背中に大きなタワーシールドを背負せおい、こし戦斧せんぷをさげる。

 エルフは、エルフ特有の長くとがった耳の、ゆかとどくほど長くやわらかい緑髪みどりがみの、つめたい印象いんしょうの美女である。しゅ色の長いローブをまとい、赤い水晶球のまった魔法杖まほうづえを手につ。人間よりも寿命じゅみょうがかなり長い種族しゅぞくで、外見的には大人の女で、女としては背の高い、高慢こうまん御嬢様おじょうさまである。

 勇者は、金色の長いかみで、美少女で、華奢きゃしゃである。身のたけほどある大剣を背負せおい、ビキニみたいなふくを着て、かくすべき場所をぎりぎり隠すくらいしかない露出度ろしゅつどの高い赤いよろいまとう。

 僧侶は、村の教会でも見かけるような国教こっきょうの一般的な僧服姿そうふくすがたで、こし鎖鉄球フレイルをさげた、モンスターとたたかう僧兵である。天然てんねんっぽい少女である。小柄こがらで、むねが大きくて、ピンク色のかみで、子供っぽさののこる十代なかばくらいのかおで、年齢ねんれい的に勇者にちかい。

「軍の調査隊が中に入って、一人もかえってこないそうだ。幽霊ゆうれいが出るか、邪教徒じゃきょうとどもの信仰しんこうした悪魔あくまが出るか、はたまたえん所縁ゆかりもないモンスターでも出てくるのか、入ってみるまで分からないぜ」

 戦士が、情報を思考に循環じゅんかんさせるような、思慮深しりょぶかかおをした。くだる階段かいだんおく注視ちゅうしし、あごさすった。

「ワタクシ、帰ってもよろしいですかしら? 睡眠不足すいみんぶそくは、おはだ大敵たいてきでしてよ」

 エルフが、大きな欠伸あくび羽扇はねおうぎかくした。

「エルフ、さてはオマエ、こわいんだろ? 幽霊系には、神聖属性しんせいぞくせいじゃないと効果こうかうすいからな。そういうヤツらが出てきたら、オレもオマエも役立たずだぜ」

 戦士の茶化ちゃか口調くちょうに、エルフの顔がいかりで赤くなる。

「ん、ん、んまぁっ?! こここの、高貴こうきなるエルフの、ワタクシが?! 幽霊ごときを、怖がるわけがありませんわっ!!!」

 戦士とエルフは、性格が合わない。衝突しょうとつおおい。こんな一触即発いっしょくそくはつだって、日常茶飯事にちじょうさはんじだ。

「まぁまぁ。いてください。仲良くいきましょうよ」

 勇者が、嫌嫌いやいやながら仕方しかたなく、愛想笑あいそわらいでなだめに入った。

「分かりました! でしたら、神におつかえする私の出番ですね。私が、先頭せんとうを、つとめさせていただきます」

 僧侶は、ほこらしげに宣言せんげんした。右手につランタンをかざして、ご満悦まんえつで、くだる階段への先陣せんじんをきった。


   ◇


はぐれちゃいました……」

 僧侶は真顔まがおで、絶望ぜつぼうを口に出した。高くて可愛かわいらしい声だった。

 カラン、と小石のころがる音がする。びっくりして、かべに張りつく。周囲を見まわしても、だれもいない。

 暗い。こわい。泣きたい。

 先頭をあるいていたのに、いつのにかはぐれてしまった。せま通路つうろ階段かいだん複雑ふくざつ分岐ぶんきする地下を、何もかんがえずに歩いていたので、帰り道も分からない。

「勇者さーん! 戦士さーん! エルフさーん!」

 さけんでも、ここは声がひびかない。すぐに音が消えてしまって、とおくまでとどかない。構造こうぞう素材そざいで、意図いと的にそうしてあるのだろう。

 ランタンの明かりでらしたかんじでは、赤茶色のレンガの地下道だ。

 古く、ボロボロで、あちこちヒビれる。人が管理かんりしなくなってから、長い時間がっている。

 邪教徒じゃきょうとは地下にかくを作る、と教会でおそわった。人目をけ、音を隠し、においを隠すためだ。

 人が近寄ちかよらないように、通路は長く、複雑ふくざつ迷路めいろとなっている。それは同時に、侵入しんにゅう者をがさないためでもある。

 侵入者は、邪教徒につかまり命をうばわれる。おおくは、邪教の悪魔あくま生贄いけにえとされる。やすらかな最期さいごとは真逆まぎゃくの、恐怖きょうふ苦痛くつうまみれたむごたらしい死である。

「ひっ……」

 僧侶は、おそわった内容を思い出して、思わず悲鳴ひめいらした。目にはなみだにじんで、半泣きだ。

 ランタンで通路の先を照らす。かべに左手を当てて、おそる恐る前へと進む。

「どなたか、いらっしゃいませんかー……?」

 声は弱弱よわよわしく、暗い地下道へとい込まれて消えた。


 どのくらいあるいただろうか。

 暗い地下道をランタンでらしたせまい空間は、時間の経過けいかが分からない。数時間は彷徨さまよっているような気もするし、まだ数分しかまよっていないような気もする。

 こわすぎて、あらゆる音に反応はんのうしてしまう。うごくものすべてから逃げそうになる。

 レンガのかべに左手を当て、ランタンで先をらし、おそる恐る歩く。カツカツと、かたい道を靴音くつおとる。

 狭い地下道の通路や階段かいだんを、何のてもなく歩いてきたから、ここがどこかなんて分かるわけがない。仲間とはぐれた地点にすらもどれない。迷子まいごのまま、みじかい人生がわってしまうかも知れない。

「それはいやですぅ……」

 僧侶はひとごとつぶやいた。強くあたまって、怖い想像そうぞうを振りはらった。

「……えっ?!」

 だれかの声がこえた気がして、足をとめた。耳をました。

 前方の通路の、途中とちゅうで左に分岐ぶんきする道のおくから、小さく声が聞こえる。人の言葉に聞こえる。

「あっ、あのっ」

 りそうになって、あわててみとどまった。声を出しかけた口を、左手でふさいだ。

 よくよくかんがえると、人がいるとして、友好的とはかぎらない。邪教徒じゃきょうと可能性かのうせいがある。人の言葉にた音をはっするモンスターの可能性すらある。

 足音をたてないように、分岐に近づく。おそる恐る、分岐路ぶんきろのぞく。

 ぼんやりと、白っぽい光が見える。奥に何かいる。

 何かある。古い石像せきぞうである。ゴツゴツとして邪悪じゃあくかおの、細身ほそみ悪魔あくまの像である。

 悪魔を信仰しんこうする邪教の一つの、信仰対象の悪魔だ。細身の悪魔だから、暴力ぼうりょくとか破壊はかいではなく、ゆがんだ思想しそう超常ちょうじょう的な現象げんしょう象徴しょうちょうだ。

 石像の足元には、古い石の椅子いすがある。ボロボロになってはいるが、生贄いけにえ拘束こうそくするための拘束具が付属ふぞくする。手枷てかせ、足枷、首枷、各部を拘束するかわのベルトも見える。

 その椅子に、石像の姿すがたによくた、悪魔がすわっている。手をみ、あしを組み、うつむき気味にふかく座る。

「ひっ?!」

 僧侶は思わず、悲鳴ひめいらした。

 悪魔と目が合った。うす色一色の、ほそりあがった目だった。よこに大きくけた口のはしが、同様どうように吊りあがって、わらった。

 その悪魔は、人間に近い形状をしている。細身で、逆立さかだかみ連想れんそうさせる出っ張りがあたまにあって、全身が石片せきへんみたいなうろこおおわれる。口にははい色のきばが、手足には灰色の長いつめがある。

 恐怖きょうふ身動みうごきできず、僧侶は悪魔を凝視ぎょうしする。思考しこうしろで、今何をすれば良いのかすらかんがえられない。

 僧侶を見つめて、悪魔が右手をげた。

 僧侶は、ビクッ、と背筋せすじふるわせた。

 悪魔のそばに、灰色のもやみたいなものがあらわれる。人の形をしている。足がなくて、いていて、半透明はんとうめいで、向こうがけて見えて、がた苦痛くつう苦悶くもんの表情が張りついたかおをしている。

 一体二体ではない。何体も現れる。空洞くうどうひとみを、そろって僧侶へと向ける。

「ひっ……」

 僧侶は後退あとずさった。恐怖に顔が引きつった。

 あのもやみたいな人形ひとがたは、悪霊あくりょうたぐいだ。悪魔へのささげものとなり、命をとした犠牲ぎせい者たちの、れのてだ。命を落としてなお、悪魔の奴隷どれいとしてしばられているのだ。

 悪霊たちが、暗闇くらやみすべるように近づいてくる。

 僧侶はあわてふためいて、背中を向けてけ出す。ランタンがれて、光が安定しない。通路の凹凸おうとつつまずいて、ころぶ。

「あやややややや……」

 形振なりふかまわず立ちあがる。悪霊たちがせまる。いたがる余裕よゆうも取りみだす余裕もおびえる余裕もない。

 全力で走る。道順みちじゅんなんてどうでもいい。後ろでなければ、前でも上でも下でも右でも左でもどっちでもいい。

 僧侶はげた。こわすぎて、泣きながら逃げた。通路つうろはどこまでも暗く、湿しめって、いやにおいがしていた。


   ◇


まよっちゃいました……」

 僧侶は、暗い部屋へやすみすわり込んで、絶望ぜつぼうを口に出した。両ひざかかえ、うつむき、ひとみは光をうしなっていた。高くて可愛かわいらしい声だった。

 悪霊あくりょうたちからげるうちに、道が分からなくなった。もともと分からなかった気もした。

 仲間とはぐれて、道に迷って、道に迷って、さらに道に迷った。もう出口にもどれる気がしない。仲間と合流ごうりゅうできる気がしない。

 なみだが出る。そでぬぐう。泣いても解決かいけつはしない。

 悪霊はけたと思う。ドジでノロマでも僧兵のはしくれなので、邪悪じゃあく気配けはいには敏感びんかんなつもりである。近くにいれば気づくはずである。

 かりをしぼったランタンを見つめる。何をどうすれば解決に近づくのか、分からない。涙がにじんで、明かりがれる。

 そでで涙をぬぐう。もうかえりたい。帰り道が分からない。

 こういうときは、思慮深しりょぶかい戦士がたよりになる。はぐれたので、戦士はいない。

 僧侶自身は、かんがえるのが苦手にがてだ。何も考えずに、戦士の背中を追う冒険ぼうけんスタイルだ。

 勇者も同類どうるい認識にんしきしている。いつも何も考えずに、大剣をりまわし、すごく強い。

 エルフは、考えているのかいないのか、判然はんぜんとしない。思慮しりょのありそうな行動をしたと思ったら、突拍子とっぴょうしもない暴挙ぼうきょに出たりする。

 勇者も戦士もエルフも、ここにはいない。はぐれてしまった。

 さがしてくれていると確信かくしんはしている。仲間思いのやさしい人たちである。

 でも、捜しても発見できなければ結果けっかは同じだ。脱水症状だっすいしょうじょうか、餓死がしか、悪霊あくりょうに取り殺されるか、悪魔の生贄いけにえにされて終わりだ。

「あああぁ……。絶望しかないですぅ……」

 僧侶は両ひざかかえたまま、寝転ねころがった。目を閉じた。

 じつはこれはゆめで、目をましたら教会のベッドにいたりしないだろうか、と妄想もうそうする。このままねむったら二度と目を覚まさない、というのも、おびえる時間がみじかくなって良いかも知れない。

「……というわけにも、いきませんよね」

 億劫おっくうながら目を開ける。仲間がさがしてくれているだろうに、迷子まいごの本人があきらめるのも失礼な話である。それに、まだ死にたくないし、やりたいことだってたくさんある。

 視線しせんの先に、白いもやみたいなものがあった。半透明はんとうめいで向こうがけて、人の形をしていた。

「ひゃっ?!」

 僧侶は、あわてふためいてきあがろうとした。レンガのかべ後頭部こうとうぶを打ちつけた。いたみに後頭部をさえた。

 完全におくれた。

 寝転ねころがった僧侶の目の前にまで、人の形のもやが近づく。足がなく、いている。

「あやややややや……」

 ゆかに手をついて、体を押して、もやからはなれようとする。部屋へやすみに背中が当たって、それ以上はさがれない。恐怖きょうふ混乱こんらんで、何度も何度も壁に背中をぶつける。

「まままままだ死にたくないですぅーっ! ゆるしてほしいですぅーっ!」

 パニックのまま、僧侶はさけんだ。泣いて命乞いのちごいした。

 白いもやが、僧侶の前にかがむ。白くて小さな手を差しべる。

 そのもやは、小さな子供の姿すがたをしていた。おさなかおは、さびしそうではあったが、苦悶くもんはなかった。


   ◇


 子供の幽霊ゆうれいに手を引かれて、僧侶は悪魔あくまのいる祭壇さいだんもどってきた。

 かつて、邪教徒じゃきょうと信仰しんこうする悪魔に生贄いけにえささげた、まわしい場所だ。

「ありがとうございました」

 僧侶は子供の幽霊から手をはなして、あたまをさげ、感謝かんしゃした。

 手をつないでいる間、子供の幽霊の記憶きおくみたいなものをかんじていた。

 邪教徒に拉致らちされ、母親ははおや一緒いっしょ生贄いけにえにされそうになった。母親が、子供だけでもがそうと必死ひっし抵抗ていこうして、うんよく一人だけ逃げることができた。

 でも、子供の体力では、地下迷路めいろみたいなかくから脱出だっしゅつできなかった。邪教徒たちに見つからないように隠れて、そのまま、力きた。

 子供の幽霊に、一人じゃこわいから一緒に来てほしい、とたのまれた気がする。言葉はこえなくても、心がつうじた気がする。

 僧侶自身も怖いけれど、子供に頼まれては、いやと言えない。道にまよって死ぬよりも、邪悪じゃあくたたかって死ぬ方が格好かっこいい。

 だから、僧侶は、ここに戻ってきた。不安が増長ぞうちょうさせた恐怖きょうふに打ちち、自分のよわい心に打ち勝った。

「あとは、大丈夫だいじょうぶです。安心してください」

 祭壇さいだんに、古い石像せきぞうがある。ゴツゴツとして邪悪じゃあくかおの、細身ほそみの悪魔のぞうである。

 悪魔を信仰する邪教の一つの、信仰対象の悪魔だ。細身の悪魔だから、暴力ぼうりょくとか破壊はかいではなく、ゆがんだ思想しそう超常ちょうじょう的な現象げんしょう象徴しょうちょうだ。

 石像の足元には、古い石の椅子いすがある。ボロボロになってはいるが、生贄いけにえ拘束こうそくするための拘束具が付属ふぞくする。手枷てかせ、足枷、首枷、各部を拘束するかわのベルトも見える。

 その椅子に、石像の姿すがたによくた、悪魔がすわっている。人間に近い形状をして、細身で、逆立さかだかみ連想れんそうさせる出っ張りがあたまにあって、全身が石片せきへんみたいなうろこおおわれる。口にははい色のきばが、手足には灰色の長いつめがある。

 悪魔がわらう。うす色一色の細い目をりあげ、よこに大きくけた口のはしを、同様どうように吊りあげる。

 みずかもどった間抜まぬけな生贄いけにえ嘲笑あざわらうのか。追う手間てまはぶけたとよろこぶのか。単純たんじゅんに、生贄いけにえわかい女でうれしいのか。

 背筋せすじを走る怖気おぞけに、僧侶は思わず、大きなむねうでかくす。内股うちまたで、両ひざをぴったりと閉じる。強い意志いしちるひとみで、悪魔をぐに見据みすえる。

 僧侶を見つめて、悪魔が右手をげた。顔は変わらずわらって、余裕よゆうに満ちていた。

 悪魔のそばに、灰色のもやみたいなものがあらわれる。人の形をしている。足がなくて、いていて、半透明はんとうめいで、向こうがけて見えて、がた苦痛くつう苦悶くもんの表情が張りついた顔をしている。

 あのもやみたいな人形ひとがたは、悪霊あくりょうたぐいだ。悪魔へのささげものとなり、命を落とした犠牲ぎせい者たちの、れのてだ。命を落としてなお、悪魔の奴隷どれいとしてしばられているのだ。

 一体二体ではない。何体も現れる。空洞くうどうひとみを、そろって僧侶へと向ける。

「ひっ……」

 僧侶は、ビクッ、と背筋せすじふるわせた。こうなると分かっていたのに、悲鳴ひめいらさずにいられなかった。表情を、かなしみにくもらせた。

 おかまいなしに、悪霊たちが、暗闇くらやみすべるように近づいてくる。

 小さなくちびるを引きめ、気持きもちをふるい立たせる。悪霊にされた人々を、悪魔の呪縛じゅばくからすくえるのは、今この場で、自分以外にいない。

「神の御名みなにおいて、救済きゅうさいを代行させていただきます!」

 僧侶は気合を入れて、神の象徴しょうちょうたるくびれのある円柱を手ににぎり、頭上高くかかげた。

「われにかごぉを!」

 神にいのった。円柱は光りかがやかなかった。悪霊をめっする神の奇跡きせきが、起きなかった。

 悪魔が、僧侶を見てわらっている。右手で虚空こくうを握っている。

 神の奇跡を妨害ぼうがいされた。僧侶の祈りの力は、悪魔ののろいにけた。実力の差がモロに出た。

 僧侶は蒼褪あおざめる。半泣きで、足がふるえる。近づく悪霊あくりょう牽制けんせいするように、神の象徴しょうちょうりまわす。

 無駄むだだった。効果こうかなんてなかった。すぐに、逃げる隙間すきまなく、悪霊たちに包囲ほういされてしまった。

 絶体絶命である。このままでは、悪霊たちに取りさえられて、悪魔へのささげものにされてしまう。肉体を食われ、たましい奴隷どれいとされてしまう。

「あやややややや……」

 正面しょうめんの、女の悪霊が、僧侶の目前にせまる。苦悶くもんゆがんだかおせ、はな先のれ合いそうな間近まぢかで、空洞くうどうひとみで、僧侶の顔をのぞき込む。

 僧侶は、こわすぎて、顔をそむけて、目を閉じた。無意味と分かっていても、にぎる神の象徴しょうちょうを、女の悪霊との間にかざさずにいられなかった。

「くぅ~~~~~っ」

 すべなくつかまるのをつ待ち時間に、高く可愛かわいらしい声でうめく。なかなか捕まえてこない。悪霊にさわられる感覚かんかくを、どこにも感じない。

 恐怖きょうふふるえるだけの待ち時間が長すぎる。いっそとっとと捕まえてほしい。おびえるだけの時間なんて、みじかい方がいいに決まっている。

 それでも、いつまでもさわられる気配けはいがないので、僧侶はおそる恐る目を開けた。

 女の悪霊あくりょうに、子供の幽霊ゆうれいきついている。

 ……いや、灰色のもやみたいだった女の悪霊が、白いもやみたいな女の幽霊に変わっている。苦悶くもんの表情が消えて、子供の幽霊をやさしく見つめて、うれなみだながしているようにも見える。

 女の幽霊が、僧侶の前にひざまずいた。ならぶ子供の幽霊をめて、僧侶にあたまをさげた。

「あっ、い、いいえ。神につかえるものとして、当然とうぜんのことをしたまでです」

 僧侶は、何が何だか分からないまま、恐縮きょうしゅくして頭をさげ返した。

 別の悪霊が、僧侶に近づく。白い幽霊に変わって、ひざまずき、手を合わせ、僧侶にいのる。

 また別の悪霊が、僧侶に近づく。同様に白い幽霊に変わって、跪き、手を合わせ、僧侶に祈る。

 悪霊たちが、次々と僧侶に近づく。次々と白い幽霊に変わって、僧侶をかこみ、ひざまずき、手を合わせ、祈りをささげる。

 僧侶は、幽霊たちの祈りにこたえて、慈愛じあいみをかべる。何もかもをむかえ入れる聖女せいじょのように、両うでを広げる。祈りの言葉を、しずかにつむぐ。

 消えていく。幽霊たちが、消えていく。白いもや霧散むさんして、上へとのぼって、虚空こくうへと消える。

 母と子なのだろう、最後さいごのこった女の幽霊と子供の幽霊が、微笑ほほえんで、そろって消える。

 すべての悪霊あくりょうは、苦悶くもんから解放かいほうされ、幽霊ゆうれいとなって、天へとされた。天に召された幽霊たちへと、僧侶は手を合わせ、目を閉じ、いのりをささげた。


 悪魔あくまだけがのこった。

 地下の、邪教徒じゃきょうとたちのかくの、どことも知れぬ祭壇さいだん部屋へやに、僧侶と悪魔だけがいる。おたがいにお互いを見据みすえ、にらみ合う。

 悪魔が苛立いらだち、かかとらした。石の椅子いすから立ちあがった。

 僧侶は、ビクッ、と背筋せすじふるわせて、後退あとずさった。

 こわい。見た目も雰囲気ふんいきも、ほそりあがったうす色一色の目も、怖すぎる。

 悪魔は人形ひとがたで、身長二メートル以上ある。細身ほそみでも、石片せきへんみたいなうろこおおわれ、ゴツゴツとしている。手にははい色の長いつめが、よこに大きくけた口には、灰色のきばがある。

 大抵たいていの場合、悪魔も幽霊ゆうれい系と同様どうように、神聖しんせい属性以外では効果こうかうすい。僧侶の手持てもちでかんがえると、いのりによる神の加護かごと、聖水せいすいが神聖属性である。

 神の加護は、悪魔ののろいにけた。僧侶の祈りの力がりなかった。僧侶は回復専門かいふくせんもんで、降魔ごうま得意とくいではないので、仕方しかたない。

 ならば、鎖鉄球フレイルに聖水をかけて、物理ぶつり的にたおすしかない。

 僧侶は、こしのホルダーから鎖鉄球フレイルいた。ランタンをゆかき、いた左手に聖水のビンをにぎった。

 ちょっとだけ考える。鎖鉄球フレイルに聖水をかけたとして、なぐり合いでてる気がしない。

 いつのにか、悪魔の手には、短剣が握られている。やいば湾曲わんきょくし、髑髏どくろのデザインされたほねつかの、不気味ぶきみな、邪教の儀式ぎしき用の短剣である。

 いよいよ勝てる気がしない。絶対に負ける自信がある。

 自慢じまんではないが、見習みならい僧兵時代に、武器戦闘せんとうのセンスがない、と言われた。戦闘は護身程度ごしんていどにして、治癒ちゆ方面に専念せんねんするようにと、進路相談しんろそうだんすすめられた。

 聖水を僧服のふところになおす。鎖鉄球フレイルをホルダーに戻す。

 結局けっきょく、自分にできるのはこれだけだと、自分自身が一番良く理解りかいしている。

 僧侶は、その場にひざまずいた。両手を合わせ、目を閉じて、悪魔へと向けて、祈りをささげた。


   ◇


 悪魔あくまわらった。嘲笑あざわらった。

 人間は非力ひりきだ。取るにりない、脆弱ぜいじゃくなる存在だ。

 ひざまずいた人間に、一歩近づく。

 強きものを神とあがめ、へつらう。神にたより、神を心のささえとし、神にすがる。最後さいごには、神に見捨みすてられたとののしり、絶望ぜつぼうする。

 ひざまずいた人間の前に立つ。

 この人間とて、どうだ。力の差をさっし、おのれの無力を理解りかいし、神にいのることをえらんだ。活路かつろさぐるでもなく、苦境くきょう足掻あがくでもなく、あきらめたのだ。

 人間は変わらず、ひざまずき、両手を合わせ、目を閉じ、神に祈る。げも、抵抗ていこうも、目の前の絶望を見ようとすら、しない。

 奴隷どれいたましいすべうしなってしまったが、たいした問題もんだいではない。またやせばいい。手始めに、この人間の魂を、奴隷とすればいい。

 悪魔は、手にした短剣をりあげた。

 祈るしかできない心のよわさ、苦難くなんに立ち向かおうとしない卑劣ひれつさ、きらいではない。つけ込み、利用するに容易よういで、むしろよろこばしい。

 悪魔は、嘲笑わらって、跪く人間のあたまへと、短剣を振りおろす。

「……?」

 なぜか、振りおろせなかった。

 悪魔は、不可思議ふかしぎと首をかしげ、短剣をつ手を見あげる。

 悪魔のゴツゴツとした手を、虚空こくうからびる白いもやみたいな手が、つかんでいた。子供の小さな手と、女のほそい手だった。

 ……いや、一本や二本ではない。追従ついじゅうし、虚空から伸び、掴むのは、十数本の、白いもやみたいな手だ。

 ほどこうと、うでに力を入れる。引きこうと、かたに力を込める。

 振りほどけない。引き抜けない。

 虚空に、さらに、白いもやみたいな手があらわれる。それもまた、一本や二本ではない。次々と、何十本も、何百本も現れる。

 虚空こくうから何百本も伸びる手が、悪魔をつかんだ。うでを掴み、あしを掴み、脇腹わきばらを掴み、かたを掴み、こしを掴み、首を掴んだ。石片せきへんみたいなうろこおおわれゴツゴツとした体を、あますところなく掴んだ。

 かぞえきれない手に掴まれて、うごけない。動かない。指一本動かせない。

 白いもやみたいな手が、悪魔の体を掴んだまま、消える。虚空から伸びた手が、悪魔の体を千切ちぎり取り、虚空へともどり、ふたたび虚空へと消えていく。手にある悪魔の体も、ともに虚空へと引きり込まれる。

 白い手が消える。あわせて、つかんだ悪魔の体の一部も消える。次々と、次々と、消えてなくなる。

 最後さいごに、白いもやみたいな手はすべて消えて、悪魔の頭部とうぶだけがのこった。苦悶くもんの表情でゆかころがり、恐怖きょうふ絶望ぜつぼうに僧侶を見あげていた。


 僧侶は、ゆっくりと目を開けた。眼下に、悪魔の頭部だけがあった。

 いのりの手をく。いつくしむように悪魔のあたまで、祈りの言葉をつむぐ。

 悪魔の頭部が、ちりくずれた。砂粒すなつぶながれて、ゆか隙間すきまちて消えた。

 僧侶はやさしく微笑ほほえんで、一粒ひとつぶなみだを流した。


   ◇


「もう、ダメかも知れないですぅ……」

 僧侶は半泣きで、絶望を口に出した。

 あるけども歩けども、勇者たちを見つけられない。出口に辿たどけない。

 せまい通路や階段かいだん複雑ふくざつ分岐ぶんきする暗い地下道を、ランタンのかりだけをたよりに、なく彷徨さまよう。音がひびかない構造こうぞうらしく、んでさがすこともできない。

 のどかわいた。歩きつかれた。暗くてこわい。

「ひっ?!」

 僧侶は、ビクッ、と背筋せすじふるわせて、足をとめた。暗い通路の先に、何か光がうごいたような気がしたからだ。

 ランタンをかざして、おそる恐る様子ようすうかがう。向こうの光も、動いている。

 光の中にぼんやりと、人の形が見える。警戒けいかいする。

 華奢きゃしゃな少女に見える。金色のかみをしている。面積めんせきの少ない赤い服を、いや、赤いよろいを着ている。

「あーーーーーっ!」

 僧侶はさけんだ。音はひびかず、通路にい込まれて消えた。

 向こうも気づいて、両手を大きくる。

「勇者しゃーーーーーんっ!」

 僧侶は、つぶらなひとみからなみだあふれさせて、け出した。

「僧侶さん! 心配しんぱいしました!」

 勇者も、涙を溢れさせて駆けてきた。

 泣きながらき合う二人を、戦士とエルフが、安堵あんどの表情で見つめていた。


   ◇


 私は、僧侶そうりょです。

 今は、勇者ゆうしゃさんと、戦士せんしさんと、エルフさんとパーティーをんでます。いたらぬ点も多多たたありますが、それなりにおやくに立てているつもりです。

 以前は、小さな教会で見習みなら僧兵そうへいをしていました。正義せいぎ信仰しんこう心にえる先輩せんぱい僧兵のもとで、修行しゅぎょう頑張がんばりました。

 回復魔法かいふくまほうとか、おじいちゃんおばあちゃんの話し相手とか、得意とくいです。先輩僧兵が、ちょっとだけ苦手にがてです。

 明日も、明るく元気に、任務にんむはげみたいと思います。世界には、勇者さんのたすけを必要ひつようとする人たちが、まだまだたくさんいらっしゃるのですから。



/わたしはゆめなか勇者ゆうしゃばれていた 第15話 邪教じゃきょう祭壇さいだん END

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