第11話 魔法使いの弟子

 ワタクシは、高貴こうきなるエルフですわ。偉大いだいなる魔法まほう使いですわ。

 他に、何の説明せつめい必要ひつようですかしら?


   ◇


つかれました……」

 勇者は木の椅子いすすわって、木のつくえした。王城内にある、勇者の拠点きょてん石造いしづくりの建物たてものの、突っ伏しれたいつもの机だ。

 雪原せつげんの白い女みたいなモンスターは、あれ以降いこう被害報告ひがいほうこく目撃情報もくげきじょうほう皆無かいむだった。勇者たちが雪原の探索たんさくおこなっても、二度とあらわれなかった。

 結局けっきょく、勇者のつけたきずが原因で絶命したのではないか、との結論けつろんいたって、退治たいじが完了したことになった。完了となったのはうれしいのだが、女役人が結果報告するたびに、えらい人たちは本当に退治したのかいぶかしむような反応はんのうをして、勇者は精神せいしん的につかれてしまった。

 机には、次の任務にんむ資料しりょう四人分置よにんぶんおいてある。今は見る気になれない。

 エルフが、資料の一つを手に取る。かみ数枚分のうすい資料を、両手で引きき、机にもどす。

「っ?!」

 勇者はビックリして体をこした。

 勇者には三人の仲間なかまがいる。男の屈強くっきょうな戦士、高慢こうまんな女エルフの魔法まほう使い、小柄こがらむねの大きい天然少女僧侶てんねんしょうじょそうりょである。

 エルフは、エルフ特有の長くとがった耳の、ゆかとどくほど長くやわらかい緑髪みどりがみの、つめたい印象いんしょうの美女である。しゅ色の長いローブをまとい、赤い水晶球のまった魔法杖まほうづえを手につ。人間よりも寿命じゅみょうがかなり長い種族しゅぞくで、外見的には大人の女で、女としては背の高い、高慢こうまん御嬢様おじょうさまである。

「勇者。ワタクシ、別の要件がありますので、次の任務は欠席させていただきますわ」

 エルフは勇者を見おろし、従者じゅうしゃ言伝ことづてる主人のかおをした。

「……えぇ? あ、はい。上司じょうしさんには、そう、つたえておきます」

 勇者はエルフを見あげて、困惑こんわくしつつうけたまわった。何が何だか分からなかった。

「要件がむまで、数日は戻りませんことよ。その間は、ワタクシがいなくとも、立派りっぱに任務をたしますように」

 勇者に背を向け、エルフが拠点を出ていく。魔法杖と羽扇はねおうぎ以外の荷物にもつはない。御嬢様おじょうさまなので、自分で荷物はたない。

「はーい。いってらっしゃい」

 勇者は困惑しながら見送った。やっぱり、何が何だか分からなかった。エルフさんはまま御嬢様おじょうさまだから、とざつに自分を納得なっとくさせていた。


   ◇


 エルフは、あやしい森の中にいる。

 何が怪しいかというと、森のところどころに、人間より大きな、毒毒どくどくしい色の花弁かべんに牙のえた、大型の植物しょくぶつが生えている。

「ファイアボルト!」

 エルフは火のたまばす攻撃こうげき魔法をとなえた。

 火の球が、牙の生えた大型の植物に命中する。えあがる。ジャッ、みたいな音でき、黒くげてたおれる。

 食人植物系統のモンスターだ。人間をふくむ肉食の、非常に危険きけんなやつだ。

位置いち種類しゅるいとサイズが分かれば、ワタクシのてきではありませんことよ」

 エルフは、自慢じまんげに独り言をつぶやき、上品にわらった。

 よこしげみに、液体えきたいが落ちる。むらさき色をした液体で、草がけるようないやにおいがする。

 液体をき飛ばしたモンスターも、もちろん把握はあくしている。木々の向こう、二十メートルほどはなれたところにいる、別の食人植物である。

 紫色で、ウツボカズラにた形状をしている。ふくろ状の部位から、毒液どくえきを飛ばす。

知識ちしきとは、武器ですわ。射程しゃていが分かっていませば、遠距離えんきょり攻撃の対処たいしょ容易よういですのよ」

 大半たいはん移動いどう能力をたない植物系モンスターであれば、尚更なおさらだ。先に発見はっけんして、相手の射程外から一方的に攻撃魔法をてば、ける要素ようそがない。

 エルフは魔法杖まほうづえむねの前にかまえる。魔法を詠唱えいしょうする。

「ファイアボルト!」

 魔法の火の球が、ウツボカズラに似た大型植物に命中した。ふくろ状の部位が破裂はれつして、紫色の毒液をあふれさせながら絶命した。

「おーっほっほっほっほっ! 当然とうぜん結果けっかですわ!」

 エルフはほこり、羽扇はねおうぎを口元に当てて高笑たかわらいした。一頻ひとしきり笑うと、上機嫌じょうきげん微笑びしょうで、怪しい森の中をあるき出した。

 この森に入った目的は、こんなザコ退治ではない。しんの目的は、もっとおくにあるのだ。


「ゼェ……ゼェ……。ようやく、見つけましたわ」

 エルフは、森のおく一軒家いっけんや辿たどいた。森のあちこちをやしながら歩き通したので、のどかわき、足がぼうだ。

 今回は、従者じゅうしゃがいない。少量しょうりょうだけ持参じさんした食料と水は、とっくにない。一人で野宿のじゅくなんて、冗談じょうだんじゃない。

 やむをない事情じじょうがあるとはいえ、単独行動はくるしい。やむを得ない事情があるから、仕方しかたない。いつもの従者三人がいないのが、いたい。

 まずは、周囲を警戒けいかいする。

 いえは、大きくてボロボロの平屋ひらやである。森の中にあって木々にかこまれ、まわりはひらけた草むらになっている。畑もある。

 青い空が見え、まぶしい陽光が差し、明るい。植物モンスターはいない。森の鬱蒼うっそうさも、湿気しっけも、この場所にはない。

 家に近づく。人の気配けはいはない。ボロボロの木のとびらの前に立ち、いきおいよくる。

 バンッ、と乱暴らんぼうに開いた。蹴った足が痛かった。しゃがんで、蹴った足をさすった。

「……いませんわね」

 家の中は薄暗うすぐらい。壁板かべいた隙間すきまから、ほそい光が差す。光の中に、ほこりう。

 エルフはレースのハンカチを口元に当てた。慎重しんちょうに家に入った。空気がいくらかすずしかった。

 警戒をおこたらず、奥にすすむ。広い一部屋に、ボロボロの木の机がならぶ。机には、試験管しけんかんとかばちとか、実験器具がっている。

 試験管の一つをのぞく。薄暗くて見づらい。

 透明とうめいな液体に、植物のたねらしき物体がしずむ。かたそうで、刺刺とげとげしい。

「……食人植物ですかしら?」

 研究書で見た記憶きおくがある。特徴とくちょう的な形状で、素人目しろうとめにも分かりやすい部類ぶるいである。

 一番奥のつくえには、書物しょもつ書類しょるいまれている。ボロボロの木の椅子いすもある。近くにボロボロのベッドもある。

 書類を手に取る。かべかられる細い光を当て、中身を読む。

「ここで間違まちがいないですわね」

 エルフは確信かくしんした。見慣みなれた、かつて魔法の師匠ししょうだったエルフの筆跡ひっせきだ。

「こんな場所に盗人ぬすっとなんて、めずらしいね。ちょうどいいから、あたらしいくすりの実験台にでも、なってもらおうかねえ」

 ボロ家の入り口から、女のハスキーな声がこえた。

 エルフには、聞きおぼえのある声だ。かつて魔法の師匠だったエルフの声だ。何度怒なんどおこられたかも覚えていない、いやになるほど聞いた声だ。

 逆光でかおは見えない。シルエットで分かる。エルフ特有の長くとがった耳と、エルフにはまれ巨乳きょにゅうをしている。

「ご無沙汰ぶさたしておりますわ、もと、師匠。ワタクシ、魔法協会会長の直直じきじきのおねがいで、元師匠を捕縛ほばくにまいりましたの。生死不問とのことでしたので、魔法協会に連行れんこうされましたら極刑きょっけいかとは存じますが、大人しく同行いただけますかしら?」

 エルフは、不躾ぶしつけ挨拶あいさつをした。入り口のエルフが、おどろいたみたいにうごいた気がした。

「これはこれは、ひさしいね、弟子でし。茶でも飲みながら思い出話、ってえ雰囲気ふんいきじゃあないか。中のものをこわされたくないから、とりあえず、おもてに出な」

 親指おやゆびを立てて外をす師匠の声は、したしい友人にかけるように、やさしい。昔から、口はわるい。言葉遣ことばづかいが悪いと、他の魔法使いたちにたしなめられていた日々が、かたわらで見ていただけのエルフにもなつかしい。

 ボロ机の間を通って、ボロとびらから外に出る。昼の日差しのまぶしさに、手をかざす。久しぶりに会った元師匠の姿すがたを、ぐに見据みすえる。

 元師匠は、背の高いエルフよりは背が低い。エルフだから、端正たんせい顔立かおだちの美女だ。エルフだから体のせんほそく、エルフとしては稀な巨乳だ。

 エルフはエルフなので、エルフ全般ぜんぱんがそうであるように、貧乳ひんにゅうと呼ばれる程度ていどにしかむねがない。エルフが胸がないのではなく、エルフ全般が一般的に胸がないのである。エルフが普通ふつうで、元師匠がまれなのである。

「そのおとしになりますと、見た目の変化はありませんのね」

 エルフは元師匠の巨乳きょにゅうを見ながら、皮肉ひにくを言った。

「弟子も変わりないみたいだね」

 元師匠はうれしげに微笑びしょうして、エルフのおもに貧乳を見た。

 エルフは視線しせんに反応してイラっとする。この貧乳がエルフという種族しゅぞくの普通なのである。比較ひかく的小さいと嘲笑あざわら態度たいど不快ふかいかんじる。

「大人しく連行されます気は、ございませんのよね?」

「そりゃまあ、ないけど、一応、罪状ざいじょうくらいはいてやろうか」

 元師匠が、太太ふてぶてしくはなで笑った。

「罪状は、王国の認可にんかの必要な薬品の無認可製造むにんかせいぞう販売はんばいならびに、特級とっきゅう危険植物の栽培さいばいでしてよ。お心当たりがないとは、おっしゃいませんわよね」

「ああ、ちょっと高価な触媒しょくばいを買うのに、まとまった金が必要だったんだ。でも、ハルちゃんは危険じゃないぞ」

「……ハルちゃん?」

 エルフは首をかしげる。ハルちゃんが何を意味いみするのか、昔にえんを切った元弟子もとでしのエルフには分からない。

 元師匠にわるびれた様子ようすがない理由は、分かる。研究者にたまにいる、研究のための行動に罪悪感ざいあくかんを感じないタイプなのである。

 エルフは、かんがえるだけ無駄むだ、とあきらめて、魔法杖を貧乳ひんにゅうの前にかまえた。

 元師匠もとししょうは、足を肩幅かたはばに開き、両手をこしに当て、背筋せすじり気味にばして、たのしげに口角こうかくりあげた。巨乳きょにゅうが、存在を誇示こじするように大きくれた。

 元師匠は、エルフ特有の長くとがった耳の、地面にとどくほど長くやわらかい茶色のかみの、がさつな印象いんしょうの美女である。薄緑うすみどり色の長いローブをまとい、外見的には元弟子のエルフよりも年上の、大人の女である。

 魔法まほうは、左手薬指にめた指輪ゆびわ行使こうしする。地味じみげ茶色の、コートのボタンほどの大きさの水晶の指輪である。

「じごくのごうかよ」

 エルフは詠唱えいしょうを開始した。

「そんなに詠唱時間の長い魔法で、どうするつもりだい?」

 元師匠がはなで笑った。直後ちょくごに、詠唱を開始した。圧縮あっしゅくされた言葉は、言葉として聞きとれなかった。

「ストーンスピット!」

 元師匠の正面に小石が出現し、エルフへと飛ぶ。

「ウインドブロック!」

 エルフは小石の軌道きどう上に風のかたまりを作り、せまる小石をはじき飛ばした。小石はいきおいよく草むらに飛び込み、草を千切ちぎって土にさった。

「おっ?! 二重にじゅう詠唱かい? すごいじゃないか!」

 元師匠が、感心したようにあごに手を当てる。余裕よゆうのアピールにも、弟子の成長をよろこんでいるようにも見える。

 エルフは、元師匠の巨乳がいちいちれるので、イラっとする。存在を誇示こじし、エルフの貧乳を嘲笑あざわらっているように感じる。

 長詠唱を維持いじしつつ、深呼吸しんこきゅうする。苛立いらだちをしずめて、戦闘せんとうに集中する。

 元師匠の特技とくぎは、高速詠唱である。エルフが二音をよこならべて並列へいれつ詠唱できるのに対して、元師匠は音をたてに圧縮して詠唱できる。詠唱が通常よりも短時間で成立し、圧縮した音からは何を詠唱しているのか判別はんべつされにくい、という特徴とくちょうがある。

 一定時間内で行使できる魔法のかずは、エルフも元師匠も大差たいさないはずだ。先の展開てんかいを読みつつ魔法をえらぶ必要がある分だけ、エルフが不利かも知れない。

 その程度ていどの不利はね返す自信が、エルフにはある。魔法協会の魔法使いの中でもトップクラスの実力との自負じふがある。

「ストーンスピット!」

「ウインドブロック!」

 小石が空を切り、土に刺さった。

「グラスバインド!」

 エルフの両足に、地面から急にえた草がからみついた。大きく長く丈夫じょうぶな草で、非力ひりきなエルフでは足をうごかせない。

 元師匠は、植物属性と土属性の魔法を得意とする。

 エルフは、火属性と風属性を得意とする。両属性ともに、植物属性には有利で、土属性には不利である。

「ファイアボルト!」

 エルフは、元師匠をねらって魔法の火球をばした。無防備むぼうびな生身のエルフに直撃ちょくげきすれば、け死ぬ威力いりょくだ。

「ソイルシールド!」

 元師匠は、土のたて射線しゃせん上に作り、火球をさえぎった。元々の詠唱がみじかい魔法であれば、状況に合わせて臨機応変りんきおうへんに使い分けられるのが、高速詠唱のつよみだ。

 元師匠ならば容易ようい対処たいしょするだろうと分かっていた。この程度でたおせるザコ魔法使いなら、魔法協会で弟子をてたわけがない。わざわざエルフに捕縛任務ほばくにんむ要請ようせいが来るはずがない。

 しかし、何の問題もんだいもない。時間がかせげた。強力な魔法の長い詠唱えいしょうが完了した。

「ごきげんよう、元師匠! ヘルズインフェルノ!」

 元師匠が、周囲の空間ごと、くるう炎にまれる。炎は大きく高くあばれる。草をやし、空気をき、空をがす。

 エルフは絶対の勝利しょうりを確信した。ほのおは十秒ほどでおさまった。強力な魔法とは、そういうものだ。

 十秒ほど前まで元師匠が立っていた場所には、黒く焦げた土のかまみたいなものがある。エルフの見る目の前で、土の窯みたいなものがくずれる。いや予感よかんがする。

「来ると分かっていれば、対処は簡単かんたんなんだよ、弟子。どうだい、アタシもまだまだ現役げんえきだろう? あ、ちなみに、えて土の密度みつどをさげることで、空気含有量くうきがんゆうりょうやして、熱伝導率ねつでんどうりつひくくしたんだ」

 崩れた土窯の中から、元師匠が無傷であらわれた。自慢じまんげなドヤがおで、丁寧ていねい解説かいせつ付きだ。

もと、弟子ですわ」

 エルフは動揺どうようしつつもイラっとして、元師匠の巨乳をにらんだ。

 かんがえる。あせる。勝つ方法を、何かさくを、しぼり出す。

 魔法まほうの草がからんで、足は動かせない。棒立ぼうだちで魔法のち合いをするしか、選択肢せんたくしがない。しかしながら、同じたたかい方では、同じ結果けっかにしかならない。

 エルフは素早すばやく、魔法杖を貧乳ひんにゅうの前にかまえなおす。詠唱えいしょうしようとして、言葉が出ない。どの魔法を詠唱するか決められず、思考がっ白になる。

「まだまだ未熟みじゅくだね! ロックシュート!」

 元師匠の前に、エルフと同サイズの岩が出現した。

「タッ、タッ、タッ、タイムですわ! 話せば分かりますわ!」

 エルフはあわてふためいた。あんな岩が直撃ちょくげきしたら、間違まちがいなく即死だ。みがきに磨いたうつくしいかおと体が、グチャグチャのミンチだ。

 出現しゅつげんした岩が、容赦ようしゃない速度でんでくる。足を動かせないから、けようがない。

「おちになって! おちになって!」

 半泣きで取りみだすエルフの手前で、岩が地面にちた。いきおいよく落ちて、石ころをはじばした。石ころが、エルフのひたいに直撃した。

「キャーーーーーッ?!」

 何がきたか理解りかいしていない悲鳴ひめいを出して、エルフは背中から地面へとたおれた。目をまわして、気絶きぜつしていた。


   ◇


 エルフは、おもまぶたを開く。世界は水の中みたいにぼやけて、あやふやにれる。

かる脳震盪のうしんとうだよ。もう少してな」

 だれかのやさしい声が聞こえる。誰かのあたたかい手が、優しくかみでる。

 音はぼやけて、誰の声か分からない。光景こうけいもぼやけて、誰の手か分からない。意識いしきはぼやけて、何が何かも分からない。

 自分がベッドに寝ていることだけは分かる。寝ていても良いことだけは分かる。

 エルフは、誰かの手のぬくもりを感じながら、重いまぶたを閉じた。


   ◇


 エルフは飛び起きた。あわてて周囲を見まわした。ビックリした宿屋やどやの女主人がいた。

「あ、あの、目がめて、良かったです。南門みなみもんの近くにたおれていらっしゃった、と聞いております。怪我けがいたみは、ございませんか?」

 女主人が、おどろきと安堵あんどじった表情ひょうじょうで、ベッドのよこ椅子いすすわった。

 森の近くの小都市の、エルフが出発前に宿泊しゅくはくした宿屋だ。部屋へやも食事もサービスも、ぎりぎりで合格だった。女主人はまだわかい人間で、見た目で善人ぜんにんだと判断はんだんできた。

 ひたいったれタオルをまみあげ、木桶きおけに入れる。ふかふかの白いベッドの手触てざわりを確認かくにんする。女主人の手首をつかみ、てのひらを頭に載せてみる。

「あ、あの、どうかいたしましたでしょうか?」

「……ちがいますわね」

 エルフは、女主人の狼狽ろうばい無視むしして、ベッドから立ちあがった。枕元まくらもとの魔法杖をにぎり、ふところへとおさめた。

「ご主人。食料と水を、いくらか用意していただけますかしら?」

「え? えぇ?」

 女主人は困惑こんわくしていた。

 エルフは、まったく気にもめなかった。


   ◇


 エルフは、ボロボロの木のとびらの前に立ち、いきおいよくった。

 バンッ、と乱暴らんぼうに開いた。蹴った足がいたかった。しゃがんで、蹴った足をさすった。

「ゼェ……ゼェ……。元師匠もとししょう! 今度はけませんことよ!」

 ボロ扉の開いたボロの前で、たからかにさけぶ。今回こそはって、とっととかえ覚悟かくごである。

 食人植物しょくじんしょくぶつだらけの森を一人であるいてきたから、のどかわき、足がぼうだ。少量しょうりょうだけ持参じさんした食料と水は、とっくにない。一人で野宿のじゅくなんて、冗談じょうだんじゃない。

「また来たのかい? りない弟子でしだねえ」

 暗い部屋のおくから、女のハスキーな声がこたえた。たのしそうにわらっていた。

 巨乳きょにゅうエルフのシルエットが、ボロづくえの間を通って、入り口へと近づいてくる。シルエットでも、一歩ごとに巨乳がれるのが分かる。

もと弟子でしですわ」

 エルフは不快ふかいを声にめて、ボロ家の周囲に広がる草むらの、かこむ木々の近くへと歩く。エルフはエルフには一般いっぱん的な貧乳ひんにゅうであり、揺れない。微動びどうだにしない。

 ボロ家から、元師匠が出てくる。草むらの中央に進み、立つ。

 元師匠は、エルフ特有の長くとがった耳の、地面にとどくほど長くやわらかい茶色のかみの、がさつな印象いんしょうの美女である。薄緑うすみどり色の長いローブをまとい、外見的には弟子のエルフよりも年上の、大人の女である。

 魔法は、左手薬指にめた指輪ゆびわ行使こうしする。地味じみげ茶色の、コートのボタンほどの大きさの水晶の指輪である。

 元師匠が、足を肩幅かたはばに開き、両手をこしに当て、背筋せすじり気味にばす。あたまを左右にって、首と肩をらす。巨乳が大きくれて、存在を誇示こじする。

「魔法協会のやつらは、本当に狡賢ずるがしこいさね。アタシが愛弟子まなでしを殺せないと知っていて、アンタを送り込んだんだ」

「元師匠は、そんなにやさしかったですかしら?」

 エルフは貧乳の前に、魔法杖をかまえる。魔法の詠唱えいしょうを開始する。声はつめたくむ。

 元師匠が、たのしげに口角こうかくりあげた。高速詠唱を開始した。

 詠唱のためのくちびるの動き始めに反応して、エルフはけ出した。元師匠にリベンジするために、かんがえに考えいた作戦さくせんだ。

「グラスバインド!」

 直前ちょくぜんまでエルフが立っていた地面から、きゅうに大きな草がえた。駆け出していたエルフの足は、からめ取られなかった。

「バーストフレア!」

 エルフは走りながら、魔法の火球を飛ばした。

「ソイルシールド!」

 元師匠は、土のたて射線しゃせん上に作り、火球をさえぎった。

 ここまでは、予想通りだ。

 火球が土の盾に当たって、破裂はれつする。火とけむりかべが広がって、おたがいの視線をふさぐ。

 エルフは森に駆け込んで、木のかげかくれた。太い木のみきに背中をし当て、体をほそく引きめた。さいわい、エルフの体は元から細かった。

「ハァ……ハァ……」

 呼吸こきゅうの半分で息をととのえる。のこりの半分は詠唱えいしょう維持いじする。

 棒立ぼうだちで詠唱すれば、植物魔法に動きをふうじられるに決まっている。魔法をけながら魔法を使う体力は、ない自信がある。かくれて、詠唱の時間を確保かくほする必要がある。

「ほぅ、隠れたか」

 元師匠の独り言が聞こえる。

 ガサリ、と近くのしげみから音がした。

「グラスバインド!」

 バチンッ、とかわのベルトでたたくような音がして、茂みにいた野ウサギがからめ取られた。大きな草に絡まれて、くるしげにあばれる様子ようす可愛かわいそうだ。

「ん? 残念ざんねん、ウサギかい」

 野ウサギが草から解放かいほうされて、森の中へとねてげる。

 見送るエルフは、心臓しんぞうがバクバクと跳ねる。迂闊うかつに音をたててしまったら、一発アウトとなりかねない。

 呼吸の半分で詠唱を維持する。残りの半分で深呼吸しんこきゅうして、早すぎる心拍しんぱくしずめる。

 チャンスは一回限りだ。あの元師匠に、同じ手は二度と通用しないのだ。

 元師匠の足音が草をむ。近づいてはこない。かくれたであろう範囲はんいを予想して、とおめからさぐっている。

 チャンスは一回限りだ。

 エルフは木のかげからび出した。貧乳ひんにゅうの前に魔法杖をかまえた。

 元師匠を視認しにんする必要があった。強力な魔法とはそういうものだ。無駄撃むだうちする魔力の余裕よゆうなんてありはしないのだ。

「ヘルズインフェルノ!」

 元師匠が、周囲の空間ごと、くるう炎にまれる。ほのおは大きく高くあばれる。草をやし、空気をき、空をがす。

「かぜのやいばよ」

 即座そくざに、エルフは二つの魔法の同時詠唱どうじえいしょうを開始した。

 炎は十秒ほどでおさまる。十秒ほど前まで元師匠が立っていた場所には、黒く焦げた土のかまみたいなものがある。エルフの見る目の前で、土の窯みたいなものがくずれる。

「それで不意討ふいうちのつもりかい? 魔法の才能さいのうはあっても、戦闘せんとうのセンスは相変あいかわらずからっきしだねえ。せめて、前回とはちがう魔法にしときなよ」

 くずれた土窯つちがまの中から、元師匠が無傷であらわれた。あきがおで、丁寧ていねい指導しどう付きだ。

 ここまでは、エルフの予想通りだ。元師匠が呆れるのも、指導が入るのも予想通りだ。予想通りであって、かおが赤くても、ずかしくなんてないのだ。

 予想外があるとすれば、二重詠唱しながら走るといきくるしいことだろうか。息をはきつづけながら走る感覚かんかくがあるのは、気のせいだろうか。

 エルフの走りがおそくなる。走るのをあきらめて、あるく。足はふらつき、たおれそうになる。

「グラスバインド!」

 元師匠が魔法をとなえた。

 エルフは、きゅうえた大きな草に両足をからめ取られて、ころんだ。四つんいでみとどまった。草が絡まなくても転んでいたような気もした。

「グラスバインド!」

 元師匠が魔法を唱えた。

 追い打ちの大きな草が生えて、エルフの全身に絡みついた。

 草に引きたおされそうになって、エルフは四つんいの姿勢しせいえる。貧乳と地面の間に右腕みぎうでを差し込み、左腕は魔法杖をにぎって前へとき出す。

 くるしい。息をいたい。詠唱えいしょうをやめてしまいたい。

 しかし、それはできない。この二つの詠唱をやめてしまえば、敗北はいぼく確定かくていする。高貴こうきなエルフとして、たとえ命をとしても、家名にどろることだけはできない。

「まだ頑張がんばるのかい? けずぎらいも相変わらずだねえ」

 元師匠が、昔をなつかしむように微笑びしょうした。

 エルフも微笑し返した。めつけのいたみと、息苦いきぐるしさに、つめたいあせれた。

 ただし、微笑は我慢がまんではない。まさに今この瞬間しゅんかん、詠唱が完了したのだ。

「ブレイジングクロウ!」

 炎のつめが三本、エルフの上方にえあがった。空へとのぼって、赤くえがき、落下らっかを始めた。

あまい甘い! ソリッドシェイド!」

 元師匠を土のかべおおった。かまみたいな形状で、隙間すきまは見えない。

「今度こそ、ごきげんよう、元師匠! ウィンドファルシオン!」

 エルフの前方から、風のやいばが三本伸びた。土の壁に目掛めがけて疾走しっそうした。

 高速の風の刃は、自由落下でる炎の爪よりも早く到達とうたつする。

 風の刃が土のかべを切りいた。かまみたいな形状の土の壁に、三本の隙間すきまができた。

 目掛めがけて炎の爪が落ちる。隙間に炎の爪が入れば、中の巨乳きょにゅうエルフは丸焼まるやきになる。

 貧乳ひんにゅうエルフは勝利しょうり確信かくしんした。元師匠との永劫えいごうわかれだ。連行れんこうしても極刑きょっけいとなるのなら、元弟子の手でとどめをすのが、せめてものなさけだろう。

 ドスンドスンと、何か大きな足音が、地面をらした。

「……え、ええええぇ?」

 エルフは困惑こんわくして、変な声を出した。

 土の窯の上に、大きなっぱがかざされた。落ちるほのおが葉っぱにさえぎられ、にぎり消された。

 ……いや、あれは本当に葉っぱなのだろうか。

 葉っぱは、黄緑きみどり色の太いくきつながる。茎はさらに太い茎につながり、太い茎がなかばから枝分えだわかれしたものだと分かる。

 太い茎の上端じょうたんには、きばえた、大きな青い花がく。太い茎の下端かたんには、白いっこが、土の上にあって、足みたいな形状で土をむ。根っこの先から花の先まで、十メートルくらいある。

 この植物しょくぶつモンスター丸出まるだしの大きな物体は、あるいていた。むしろ走ってきた。元師匠の絶体絶命のピンチに颯爽さっそうと現れて、すくった。

 エルフは唖然あぜんとして、魔法まほうの植物にしばられたまま、見あげる。おどろきに声も出ない。

「今のは良かったよ。耐熱たいねつのためにかべの硬度を犠牲ぎせいにしてあるから、風のやいばで切れると見抜みぬいたんだね。アタシにおくの手を使わせたんだし、まだまだ粗削あらけずりだけど、ぎりぎり合格としてやろう」

 植物モンスターの後方から、元師匠の声が聞こえた。けをみとめるような内容で、声はほこっていた。

 エルフはあせる。あわてる。自身をしばる草をほどこうと、ほそい体を振りうごかす。

 ほどけない。千切ちぎれない。非力ひりきな魔法使いには、こくな状況だ。

 炎をにぎり消した植物モンスターが、エルフにせまる。白い根っこでゆっくりと歩く。大きな葉っぱを、十数メートルの高さに振りあげる。

「どうだい、可愛かわいいだろ? ハルちゃんはね、自分で歩くことができるんだよ」

 溺愛できあいのデレデレ声に反応する余裕よゆうはない。これがハルちゃんって見た目か、とツッコむ余力よりょくもない。

って待って待ってお待ちになって! ダメダメダメダメダメですわ!」

 エルフは形振なりふかまわずさけんだ。目からなみだあふれ、あたまの中では昔の記憶きおく走馬灯そうまとうのようにぎっていた。

 植物モンスターの大きな葉っぱが、エルフへと振りおろされた。ベチンッ、とギャグみたいな音がした。


   ◇


つかれました……」

 勇者は木の椅子いすすわって、木のつくえした。王城内にある、勇者の拠点きょてん石造いしづくりの建物たてものの、突っ伏しれたいつもの机だ。

 机には、次の任務にんむ資料しりょうが四人分置いてある。いつものことだが、一つの任務をえて疲れててかえってくると、すでに次の任務の資料がいてある。上司じょうしの女役人には、きっと血もなみだもない。

 勇者は資料から目をらす。今は見る気になれない。

 目を逸らした先の、拠点の出入り口が開いた。木のとびらきしむ音と一緒いっしょに、エルフが入ってきた。

 エルフがゆっくりと近づいて、机のかたわらに立つ。勇者を見おろす。

「エルフさんも、今、帰ってきたところですか? 用事は、終わったんですか?」

 勇者は突っ伏したまま、横目よこめにエルフを見あげた。目の合ったエルフは、不機嫌ふきげんな表情をしていた。

 いやな予感がして、勇者は愛想笑あいそわらいをかべる。目をらしたらおこられそうで、目を合わせた自分を後悔こうかいする。

「わたしたちのほうは、エルフさんがいなくて、大変だったんですよ。小型のモンスターがたくさんで、ブワーッておそってきて、僧侶さんがキャーキャーって」

 勇者の要領ようりょうを得ない説明せつめいに、エルフが眉間みけんしわせる。苦苦にがにがしげに歯噛はがみする。

「え、ええぇ……?」

 勇者は困惑こんわくした。

 エルフは資料をつかみ、勇者に背中を向ける。結局けっきょく一言もはっしないまま、拠点から出ていく。ただ背中から、不機嫌ふきげんのオーラだけを発している。

 勇者は困惑のまま、エルフを見送った。だまって見送る以外の行動こうどう危険きけんだと、本能ほんのう察知さっちした。

つかれました……」

 勇者は疲れてた声でつぶやいた。なんだかよく分からないけれど、エルフさんにはしばらくかかわらないようにしよう、と決めていた。


   ◇


 ワタクシは、高貴こうきなるエルフですわ。偉大いだいなる魔法まほう使いですわ。

 他に、何の説明せつめい必要ひつようですかしら?



/わたしはゆめなか勇者ゆうしゃばれていた 第11話 魔法使まほうつかいの弟子でし END

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