第9話 山盛りのスライム

 わたしは、ゆめの中で勇者ゆうしゃばれていた。

 かがみに映る自分は、金色の長いかみで、美少女で、華奢きゃしゃだった。身のたけほどある大剣を背負せおい、ビキニみたいなふくを着て、防御ぼうぎょ力に不安をかんじる露出度ろしゅつどの高い赤いよろいまとっていた。

 日々は、大剣をるい、モンスター退治たいじれていた。

 人間の生活圏付近せいかつけんふきんにも、危険きけんなモンスターの生息域せいそくいきおおかった。毎日のように、退治を依頼いらいする書簡しょかんとどいた。

 仲間なかまは、人間の戦士、エルフの魔法まほう使い、人間の僧侶そうりょだ。だったと思う。

 華奢きゃしゃな美少女が大剣を軽軽かるがると振りまわす。それはとてもアンバランスな状況で、だからゆめなのだと認識にんしきできた。

 現実げんじつの自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長いかみの美少女だった。

 わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。


   ◇


「あっ! あっちにもいます! やぶのところです!」

 勇者は、木々の間のひくやぶゆびさした。そこに、みどり色のスライムがいた。

 スライムとは、ゲル状の不定形モンスターである。さわるものをさんかしてしまう、厄介やっかいな相手である。

「ファイアボルト!」

 エルフが、火の玉をばす攻撃こうげき魔法をとなえた。スライムに命中めいちゅうした。スライムは、ジュッ、とげる音を出して霧散むさんした。

「ゲホッ、ゴホッ」

 勇者が咳込せきこむ。霧散したスライムの緑色のけむりを、左手ではらう。

みどり色のスライムって、どくがあったりするんですか?」

「緑色だから毒がある、ってわけじゃないな。スライムは、何色でも多少たしょうは毒をってる。体色の緑は、この山の草葉くさはを食べたからだろう」

 戦士が律儀りちぎに答えた。

 勇者たちは、山の中にいる。森におおわれた山で、頂上ちょうじょうには大きくき出た岩がそびえる。王国からの任務にんむで、山に出現しゅつげんしたスライムを退治たいじに来ている。

 朝にふもとから山に入って、もう夕方が近い。かなりのかずを退治したと思う。近隣きんりんの村の人も入らないような鬱蒼うっそうとした森のある山で、見通しがわるくて、あちこちにいて、わりそうにない。

「あっ! 今度は、あっちです! 太い木のかげのところです!」

 勇者は、太い木の根元ねもとを指さした。戦士がけ込み、火のえる松明たいまつなぐりつけた。スライムは、ジュッ、と焦げる音を出して霧散むさんした。

 戦士は山に入った直後ちょくごから、ハンカチみたいな布を口元にいていて、咳込せきこまない。けむりわない。

「勇者さん! 足元です! 大きな石のところです!」

 あわてる僧侶に足元を示され、勇者は身のたけほどある大剣をる。足元近くにいずっていたスライムを引っけ、き、はじばす。

 スライは飛ばされて木のみきにぶつかって、ベチャッと気持きもわるい音を出した。まだ生きていた。

 勇者には三人の仲間なかまがいる。男の屈強くっきょうな戦士、高慢こうまんな女エルフの魔法まほう使い、小柄こがらむねの大きい天然少女僧侶てんねんしょうじょそうりょである。

 戦士は青い短髪たんぱつの、二十歳を過ぎたくらいの若い男である。背の高いマッチョで、被覆率ひふくりつの高い青黒い金属鎧きんぞくよろい装備そうびしている。背中に大きなタワーシールドを背負せおい、こし戦斧せんぷをさげる。

 エルフは、エルフ特有の長くとがった耳の、ゆかとどくほど長くやわらかい緑髪みどりがみの、つめたい印象いんしょうの美女である。しゅ色の長いローブをまとい、赤い水晶球のまった魔法杖まほうづえを手につ。人間よりも寿命じゅみょうがかなり長い種族しゅぞくで、外見的には大人の女で、女としては背の高い、高慢こうまん御嬢様おじょうさまである。

 僧侶は、村の教会でも見かけるような国教こっきょう僧服姿そうふくすがたで、こし鎖鉄球フレイルをさげた、モンスターとたたかう僧兵である。天然てんねんっぽい少女である。小柄こがらで、むねが大きくて、ピンク色のかみで、子供っぽさののこ十代半じゅうだいなかばくらいのかおで、年齢ねんれい的に勇者にちかい。

「スライムに物理攻撃ぶつりこうげき効果薄こうかうすだぜ。火とかねつよわい。聖水せいすいも効果があるから、松明たいまつとか、武器にほのお魔力付与まりょくふよとか、聖水をかけてもらった方がいい」

 戦士のアドバイスをいて、僧侶がフレイルに聖水をかける。れたフレイルを両手でにぎって、斬り裂かれたスライムになぐりかかる。スライムが、ジュッ、とげる音を出して霧散むさんする。

「やりましたっ! 私でもたおせましたっ!」

 僧侶が、大はしゃぎで、ぴょんぴょんとねながら報告ほうこくした。直後に、けむりを吸って咳込せきこんだ。

「次は、斜面しゃめんのぼったところに見えますわね。ワタクシ、山登りは、もう、遠慮えんりょさせていただきたいのですけれど」

 御嬢様のエルフが、つかてた表情で申告しんこくした。

 たしかに、今日は朝から山を登っている。山にいるスライムを退治に来て、見かけたスライムを退治しながら、もう山頂近くまで登っている。基礎きそ体力のないエルフでなくても、疲れは否定ひていできない。

「じゃあ、山頂さんちょうまで登って、今日はそこで野宿のじゅくにするか。山頂のあたりは森が途切とぎれて岩場になってるらしいから、周囲の警戒けいかいもしやすいだろう」

 戦士の提案ていあんに、勇者と僧侶は同意する。足元の視界しかいが悪い森の中よりは安全だと思う。プロの冒険者の戦士の提案なら間違まちがいないだろう、とも思う。

「野宿なんて、いやですわ! シャワーをびて、ふかふかのベッドでねむりたいですわ! 朝食は、やわらかいパンと紅茶をたのしみたいですわ!」

 エルフが願望がんぼう絶叫ぜっきょうした。今回の依頼主いらいぬしまずしい村で、宿泊環境しゅくはくかんきょうに満足できなかったのだろう。

「分かった分かった。ここから山頂に登って、日が落ちる前に下山して村に戻る、ならいいだろ?」

 戦士があきらがおいきをついた。

「それなら、妥協だきょうしてさしあげないこともありませんわ」

 エルフは渋渋しぶしぶと同意した。

 勇者と僧侶は、戦士さんは大変だな、と他人のかお同情どうじょうした。


   ◇


 勇者たちは、山頂に辿たどいた。

 森が途切れて、岩場になっている。一際ひときわ高い岩がそびえる。山をおおう森が一望いちぼうできる。

「あっ! あそこ! 木々の隙間すきまに、スライムが見えます」

 勇者は、目の上に左手をかざして、山の中腹ちゅうふく辺りをゆびさした。

「あちらにも、見えましてよ。小川沿おがわぞいにいますわね」

 エルフが、魔法杖で別の方向を示した。

「あっちにも! あっちにもいますよ! 草むらみたいになってるところです!」

 僧侶が、背伸せのびしながら、別の場所を指さした。

 それだけではない。あちこちに見える。色々な場所に、みどり色のスライムがいずりまくっている。

「まずいな。スライムだらけじゃねぇか」

 戦士が蒼褪あおざめた。

 たぶん、山の中腹を、くすくらいのスライムがいる。かずとかりょうとかをかんがえるだけ無駄むだ、みたいな大量のスライムがいる。山をおりる道をすべふさいで、勇者たちを取りかこんでいる。

「どこか、スライムのすくない箇所かしょ強行突破きょうこうとっぱ、でいいよな? スライムに囲まれてかす、なんてオレはいやだぜ」

 戦士は所持品しょじひん確認かくにんを始めた。戦斧せんぷたて状態じょうたいを目視点検し、大きな革袋かわぶくろから油の入ったビンを取り出し、数をかぞえ、革袋にもどした。松明たいまつを何本か作り、一本に火をつけ、のこりをこしのベルトにした。

「ワタクシ、つかれましたわ。スライム地帯ちたいを突っ切って下山する体力も魔力も、残っていませんわ」

 エルフが疲れた目をして申告しんこくした。御嬢様おじょうさまなので、ままなのだ。

「じゃあ、わたしがエルフさんを背負せおいます。戦士さんは、僧侶さんを守りつつたたかってください」

おう。助かる。たのむ」

 勇者は、背負う大剣を、右手で華奢きゃしゃ肩越かたごしにつかみ、いた。わりに、エルフを背負った。左手はエルフの太腿ふとももささえるから、大剣をる右手しか自由には使えない。

「ファイアウェポン!」

 背負われたエルフが、勇者の大剣にほのおの魔力を付与ふよした。身のたけほどある大剣に、赤い魔力が宿やどった。

「あっつっ。その剣、あついですわ。ワタクシに近づけないでいただけますかしら?」

 自分で魔力付与エンチャントしておいて、エルフが文句もんくを口にした。つめたくんだ声だった。

準備じゅんびはいいな? オレと僧侶が前と右、勇者とエルフが前と左、スライムをきながら山をくだるぞ」

「はいっ!」

「いつでも行けます」

「早くシャワーが浴びたいですわ」

 三人の返答へんとうって、戦士が出発しゅっぱつした。三人も、つづいて出発した。空は、夕焼ゆうやけに赤くなり始めていた。


 遭遇そうぐうは、すぐだった。

 地面がみどり色のスライム、みたいなかんじで、森の地面をスライムがおおっている。あちこちに白煙はくえんただよい、草木をかすさんの音がちる。酸っぽいにおいがする。

間違まちがっても、スライムにつかまるようなドジはむなよ」

 戦士の声が、めずらしく緊張きんちょうしていた。いつもは余裕よゆうのあるたよれる感じのしゃべりなのに、今はちがった。

「今さらなのですが、スライムに捕まると、どうなるのでしょうか?」

 勇者は、農村出のうそんでけ出し冒険者みたいな質問しつもんをした。

「スライムに捕まると、酸でふくだけかされて、エッ、エッ、エエエッチなことをされちゃうと、かれた本をんだことがあります。キャーッ、これ以上はっ、私の口からはっ」

 僧侶がかおで、モジモジしながらこたえた。答えたと思ったら、赤い顔を両手でさえて、さらにモジモジした。

「エ、エッ?! ……それは、危険きけんですね」

 勇者もな顔で、相槌あいづちを打った。そういうことに興味きょうみがないこともない年頃としごろだ。

「ねえよ! 窒息ちっそくして消化されるぞ!」

 戦士がツッコミを入れた。スライムの地面の直前でとまって、松明たいまつを振りおろした。松明の火にれたスライムが、ジュッ、とげる音を出して霧散むさんした。

 僧侶がつづく。聖水をかけたフレイルを振りおろす。フレイルでなぐったスライムが、ジュッ、と焦げる音を出して霧散する。霧散したスライムの緑色のけむりを吸って、咳込せきこむ。

 勇者は、炎の魔力の付与された大剣で、スライムを斬った。ジュッ、と焦げる音を出して霧散した。霧散したスライムの緑色の煙を吸って、咳込んだ。

 いくらか道がびた。伸びた道をすすみ、行きどまったら道をふさぐスライムをたおす、とり返せばいい。地道じみちではあるが、どうにかできそうな作戦だ。

 道を塞ぐスライムを倒す。傾斜けいしゃを下へと進む。道を塞ぐスライムを倒し、下へと進む。

「ゲホッ、ゴホッ」

 勇者が咳込む。霧散むさんしたスライムの緑色のけむりから、かおそむける。

 あつい。けむい。はだがピリピリする。

 肌のピリピリは、スライムのさん原因げんいんだと思う。スライムが焼けて霧散するときに、酸がったりしていそうな気がする。

 勇者自身は、まだうごける自信がある。美少女の華奢きゃしゃ肢体したいは、見た目にはんして強い。

 戦士は、まだ大丈夫だいじょうぶそうだ。プロの冒険者ぼうけんしゃだけあって、タフだ。

 僧侶は、動きがあやしい。ふらふらだし、ひざふるえているし、フレイルをにぎうでをあげなくなっている。たぶん、腕があがらなくなっている。

 となると、基礎きそ体力のないエルフが心配しんぱいになる。勇者に背負せおわれているだけなのに、四人の中で最初さいしょたおれそうな予感がする。

「エルフさん。大丈夫ですか?」

 勇者はエルフを気遣きづかって、チラとり返った。

 エルフが、ぐったりしている。かおを勇者の首筋くびすじめ、目をじ、あせだくで、呼吸こきゅうあさあらい。意識いしきがあるのかないのかも分からず、返事がない。

「戦士さん、僧侶さん、すみません! エルフさんがあぶないです!」

 勇者は、二人のほうを見て、んだ。

 スライムの一体が、飛びかかってきた。

 勇者はエルフを背負ったまま、かるいステップでける。けざまに大剣でる。スライムが、ジュッ、とげる音を出して霧散むさんする。

 けむりけるために、大きく後退こうたいする。ぐったりしたエルフに煙をわせたくない。

 戦士と僧侶の方も、活発かっぱつねるスライムにおそわれている。戦士が僧侶のたてになって奮闘ふんとうする。エルフの状態じょうたいてもらえる状況ではない。

 危険だ。駆け出し冒険者の勇者でも、危険と分かるくらいに、危険だ。

 飛びかかってきたスライムを、大剣で焼き斬る。エルフが煙を吸わないように大きく後退する。戦士と僧侶がさらにとおくなり、木々にかくれて見えなくなる。

 二人とのあいだには、いつのにかスライムがめられた。合流する道がなくなった。エルフを背負ったままでは、突っ切れる道がなくなった。

「こっちはこっちで何とかする! オマエはエルフをれて安全な場所をさがせ!」

 戦士のさけぶ声がこえた。

「分かりました! 後で、合流しましょう!」

 勇者は大声でこたえて、その場を離脱りだつした。鬱蒼うっそうとした森は、緑色のスライムにたされつつあった。


   ◇


 山が、みどり色のスライムに満たされつつあった。そこらじゅうをいまわり、さわる草木をジワジワとかしていた。さんの白いけむりがあちこちからのぼっていた。

「ここって、本当に安全なのでしょうか?」

 勇者は小声で、となりうずくまるエルフにいた。

 勇者とエルフは、山の中の森の中の、地面に開いたせまあなの中にうずくまっている。入り口は、勇者の大剣でふたをしてある。ふたの大剣の上を、スライムがズルズルとう音が聞こえる。

「スライムは、振動しんどうを感知しておそってきますわ。しずかにかくれていれば、発見される可能性はひくいですわ。もし発見されても、勇者の大剣はかされませんわ」

 エルフは、うずくまってひざかおうずめたまま、弱弱よわよわしい声で答えた。

 エルフの疲労ひろうが、暗い穴の中で、よこから見て分かる。じっとうずくまったまま、ほとんどうごかない。

 勇者は自分の口を手でさえて、穴をふさぐ大剣を見あげる。

 勇者も、うでひざかかえて小さくなる。あなは、勇者とエルフでいっぱいいっぱいになるほどせまい。かたせ合って、なんとか穴におさまる。

「これから、どうしますか?」

 勇者はエルフに聞いた。主体性がないのではない。農村で村長の娘として生きてきたから、どうすれば良いのか本当に分からないのだ。

「魔力が回復かいふくしましたら、くしてやりますわ。回復するまでは、ここで休むしかありませんわ」

 エルフが、しゃべ余力よりょくもないみたいな小声で答えた。

「じゃあ、とりあえず朝まで休憩きゅうけいですね。わたしが見張みはるので、エルフさんはゆっくりねむってください」

 勇者は小声で、つとめて明るく提案ていあんした。

野宿のじゅくいやですわ。シャワーをびて、ふかふかのベッドで眠りたいですわ。でも、今夜こんやは、仕方しかたありませんわ」

 エルフは一頻ひとしき駄駄だだねて、あきらめた口調くちょうで同意した。まま御嬢様おじょうさまではあっても、悪いエルフではないのだ。道理をわきまえてはいるのだ。

 勇者は微笑びしょうして、寝息ねいきを立て始めたエルフの横顔よこがおを見つめた。ふたの大剣の上からは、スライムのズルズルとう音が聞こえ続けていた。


   ◇


 けた。

「こいつはまた、壮観そうかんだな」

 頂上のき出た岩の天辺てっぺんで、戦士がわらった。

 山の頂上は、森が途切とぎれて、岩場になっている。一際ひときわ高い岩がそびえ、山をおおう森が一望いちぼうできる。

 その一際高い岩の天辺に、戦士と僧侶はいた。天辺で、二人で、一夜いちやかした。

 高い岩の根元ねもとまで、みどり色のスライムにおおくされている。山が一つ、おおわれている。この突き出た岩だけが、きゅう傾斜けいしゃをスライムがのぼってこれずに、スライムにおおわれずにんでいる。

「これはもう絶望ぜつぼう的です。ふくかされて、エッ、エエッチなことをされていまいます」

 下方にうごめくスライムを見おろし、僧侶はかおでモジモジした。

「だから、窒息ちっそくして消化されるだけだって」

 戦士はツッコミをいれた。

 絶望との見解けんかいは正しい。山をおおうほどのスライムに、完全にかこまれた。げ道はない。

 戦士と僧侶だけなら、籠城ろうじょうして餓死がしするか、無謀むぼういどんで溶かされるか、の二択にたくだっただろう。

「おら、僧侶。オマエも手伝え」

 戦士は岩の天辺てっぺんすわる。大きな革袋かわぶくろから、いくつかの道具を取り出し、たいらな箇所かしょならべる。ばれた僧侶が、戦士のとなりに座る。

「はい! お手伝いします!」

 元気で明るい返事だ。自信か、楽観らっかんか、天然てんねんかは分かりかねた。

 戦士はぬのく。ほそまるめてしんにして、あぶらの入ったビンの口にす。芯の先に火をけて、下にとす。

 投げ落としたビンがれて、火がえあがった。火にさわったスライムが、ジュッ、とげる音を出して霧散むさんした。

「わぁ! もしかして、それで、スライムをたおせるんですか?」

 僧侶がうれしそうに、けた質問しつもんをした。

「これっぽっちの油で、あの量のスライムを倒せるわけないだろ。せいぜい、ヤツらに敵の存在をおしえて、ここにあつまるように誘導ゆうどうするだけだ」

 燃える火には、スライムが次々にび込む。ジュッ、と焦げる音を出して霧散する。そのうちに、火が消える。

「あああああ……。消えてしまいました……」

 僧侶が、四つんいで下方をのぞき込んだまま、落胆らくたんの声を出した。

「それでいいんだよ。どうせ、オレとオマエだけで倒せる相手じゃあないからな」

 戦士は、次のビンを投げ落とした。戦士の声は楽観らっかん的で、失意しついかんじられなかった。


   ◇


 地面のあなから、大きなほのおきあがった。

「オーッホッホッホッホッ! 全快ぜんかいいたしましたわ! 高貴こうきなワタクシが、下等かとうなスライムどもを、くしてさしあげましてよ!」

 穴から、背の高い女エルフが登場とうじょうした。穴のふちに片足をかけ、り返り、高くわらい、つめたくんだ声でたからかに宣言せんげんした。

「エルフさん。このあたりには、もう、スライムはいないみたいですよ」

 勇者も穴から出て、身のたけほどある大剣を手に、周囲を警戒けいかいした。草木がさんげたあとはあった。スライムは、姿すがたも音も気配けはいもなかった。

 エルフが山頂さんちょうの方を見あげている。地面にとどくほど長くやわらかいみどり色のかみが、あつい風になびく。しゅ色の長いローブが土にまみれても、冷たい印象の美女は変わらない。

 エルフの白く長く美しいゆびが、山頂をし示す。

 勇者も山頂の方を見あげる。

 朝日がひくく差す山頂に、スライムの大きなかたまりみたいなものが見える。嫌悪けんお感と悪寒おかんが、全力疾走ぜんりょくしっそう背筋せすじける。光がけて半端はんぱにテカテカして、気持きもわるい、以外の感想かんそうがでない。

 山頂にき出た岩の上には、人影ひとかげも見える。二人いる。

「あれ、戦士さんと僧侶さんですよね? 二人があぶないですよ!」

 勇者はあわてた。エルフのローブのそでまんで引っった。

「落ちきなさい、勇者。スライムの体組織たいそしき密度みつどでは、急傾斜きゅうけいしゃの岩はのぼれませんわ。登れませんから、岩の上に高さをとどかせますために、あの場所にスライムどもが集まっていますのよ」

「えっ? それってどういう意味でしょうか?」

「つまり、戦士が、計画けいかく的に、あの場所にスライムをあつめましたのでしょうね。ワタクシと勇者がかならず合流します前提ぜんていで、ですわ。人間なんて短命な種族しゅぞくですのに、知識ちしき経験けいけん豊富ほうふさには、感心せざるを得ませんことよ」

 エルフは、自分だけ理解りかいした顔でうなずいた。

 勇者は真似まねて、理解した顔で頷いた。理解はしていなかった。

「じゃあ、いそいで登りましょう。ちょっとよく分かりませんけど、わたしたちがに合わないと、まずいですよね?」

 頂上を目指して走り出そうとする勇者の左手首を、エルフがつかむ。

「勇者。ワタクシ、魔力まりょく温存おんぞんしたいから、頂上まで背負せおっていただけますかしら?」

「ええ……?」

 勇者は困惑顔こんわくがおで、エルフをり返った。エルフは、従者じゅうしゃ主人しゅじんたのみを聞くのは当然、みたいなまし顔で、快諾かいだくの返答をっていた。


 勇者は山をけ登る。エルフを背負い、身の丈ほどある大剣を片手に、立ちならぶ木々の間をい、しげみをえる。

 勇者の足取あしどりは、背負うエルフの体重を感じさせない。速度は、傾斜けいしゃを登っていると感じさせない。単身で障害しょうがいのない平地を走るのと、何の遜色そんしょくもない。

 みどり色のスライムを、ほのおの魔力の付与ふよされた大剣で、追いきざまにる。後方で、ジュッと音がする。振り返りもせず、前へと走る。

 森がわる。森から岩場へと駆け出る。びかかってきたスライムを、通りすぎ、焼き斬る。

 後方で、ジュッと焼ける音がした。頂上に辿たどいた。大きなスライムのかたまりが、山のようにそびえていた。

「戦士さんも僧侶さんも、無事みたいですね。間に合って良かったです」

 勇者は、スライムの塊の向こう、突き出た岩の天辺てっぺんにいる二人を見あげた。ピンクがみの僧侶が、とてもうれしそうにねながら、両手を高くかかげて、思いっきり手をっていた。

 スライムの塊に視線をもどす。緑色で、ゲル状で、ブヨンブヨンとれる。ジリジリといずり、勇者たちにせまる。

 気持きもわるい。生理せいり的に受けつけない。さんにおいがはなにつく。

「エルフさん。ここからどうすればいいですか?」

 勇者は、背負うエルフに質問した。

 勇者は駆け出し冒険者だ。強くても、スライムみたいな特殊とくしゅなモンスターのたおし方を知らない。こんな巨大きょだいな相手の倒し方も知らない。

 目の前のスライムのかたまりを見あげる。高さだけで二十メートルとか三十メートルとかある。山頂の岩場いっぱいに広がっている。

 エルフは、色々と知っているふうな発言がおおい。寿命じゅみょうの長い種族しゅぞくだけあって、経験豊富けいけんほうふなのだろう。魔法使いだけあって、知識ちしきも豊富なのだろう。

 答えはない。勇者のかおの右側に、ほそうつくしい右手が突き出される。顔の左側に、赤い水晶球のまった魔法杖まほうづえにぎる、細く美しい左手が突き出される。

 魔法の詠唱えいしょうが始まる。二種類にしゅるいの詠唱が同時に、あたまうしろからひびく。つめたくんだ、美しい声である。

 こういう、何の説明せつめいもなく唐突とうとつに実行にうつすところは、あらためた方が良いように思う。周囲の人が困惑こんわくすると思う。勇者としても、自分が何をすれば良いのか分からず、困惑している。

 スライムのかたまりから、一切ひときれのスライムが飛んできた。塊が大きすぎて、一切れと感じてしまうが、サイズ的には勇者と同程度どうていどだ。

 勇者はよこへとステップをみつつ、一切れのスライムをる。さん霧散むさんする前に距離きょりを開ける。エルフの詠唱の邪魔じゃまになっては大変である。

 スライムの塊が、ジリジリといずってせまつづける。何切れかのスライムが射出しゃしゅつされ、勇者たちにおそいかかる。

 勇者は横にステップを踏みながら、スライムを次々と焼き斬る。

 大事なのは、エルフにけむりわせないことと、スライムの塊との距離きょりたもつことだ。

 エルフは今この距離で詠唱を開始した。スライムの塊に魔法を使うのに、この距離が最適だからだ。本人ほんエルフが何も言わなかったから断言だんげんはしかねるが、たぶんそうだ。

 スライムが次々と射出される。勇者は次々と焼き斬る。エルフを背負い、大剣を片手でるいながらも、かるいステップで、いき一つみださずに、斬り続ける。

「インフェルノ! ストーム!」

 唐突とうとつに、詠唱が完了した。つめたくんだ、うつくしい声だった。

 スライムの塊を、巨大な炎の竜巻たつまきみ込んだ。赤い炎がえあがり、うずき、朝の空へと高くのぼった。

 壮観そうかんだった。目の前に前触まえぶれなく巨大なほのおがあがったから、おどろいたしこわかった。それにあつい。

 エルフのこういうところが苦手にがてだ、と勇者は思った。

 スライムの塊が燃える。焼ける音と、霧散むさんする音と、きりが燃える破裂音はれつおんひびく。爆竹ばくちくみたいな、パンパンとかるい音である。

「オーッホッホッホッホッ! 高貴こうきなワタクシのマーベラスな魔法まほうの前に、スライムごときは相手にもなりませんことよ!」

 エルフは、勇者に背負われたまま、り返って高笑たかわらいした。

「ねぇ、勇者。アナタの実力も、ワタクシはみとめていますのよ。ワタクシとアナタと、素敵すてきなコンビだとは思いませんかしら?」

「えっ? えっと、あの、……わたしは、エルフさんのこと、ちょっと苦手です」

 勇者はつかれた愛想笑あいそわらいで、正直しょうじきな気持ちを口にした。

「ンマァ!? 何ですって?! 高貴なワタクシが、下等かとうな人間ごときを、認めてさしあげるともうしあげていますのに、何たるぐさでしょう!」

 エルフがかおにして逆上ぎゃくじょうした。呼応こおうするように、炎のうずれ、ふくらんだ。スライムのかたまりも揺れて、大爆発だいばくはつして、霧散むさんしたけむりが山頂に広がり、おおい尽くした。


 この後の惨状さんじょうは、正直、思い出したくもない。


   ◇


 わたしは、ゆめの中で勇者ゆうしゃばれていた。

 かがみに映る自分は、金色の長いかみで、美少女で、華奢きゃしゃだった。身のたけほどある大剣を背負せおい、ビキニみたいなふくを着て、防御ぼうぎょ力に不安をかんじる露出度ろしゅつどの高い赤いよろいまとっていた。

 華奢きゃしゃな美少女が大剣を軽軽かるがるりまわし、凶暴きょうぼうなモンスターを易易やすやす両断りょうだんする。それはとてもアンバランスな状況で、だからゆめなのだと認識にんしきできた。

 現実げんじつの自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長いかみの美少女だった。

 わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。



/わたしはゆめなか勇者ゆうしゃばれていた 第9話 山盛やまもりのスライム END

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