第8話 半魚人の女神

 わたしは、ゆめの中で勇者ゆうしゃばれていた。

 かがみに映る自分は、金色の長いかみで、美少女で、華奢きゃしゃだった。身のたけほどある大剣を背負せおい、ビキニみたいなふくを着て、防御ぼうぎょ力に不安をかんじる露出度ろしゅつどの高い赤いよろいまとっていた。

 日々は、大剣をるい、モンスター退治たいじれていた。

 人間の生活圏付近せいかつけんふきんにも、危険きけんなモンスターの生息域せいそくいきおおかった。毎日のように、退治を依頼いらいする書簡しょかんとどいた。

 仲間なかまは、人間の戦士、エルフの魔法まほう使い、人間の僧侶そうりょだ。だったと思う。

 華奢きゃしゃな美少女が大剣を軽軽かるがると振りまわす。それはとてもアンバランスな状況で、だからゆめなのだと認識にんしきできた。

 現実げんじつの自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長いかみの美少女だった。

 わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。


   ◇


 勇者は大剣のつかを両手でにぎり、頭上ずじょう高くりあげた。

 足元が大きくれる。大粒おおつぶの雨がほおを打つ。暗いくもが天にうずき、かみなりが光る。

 海がうねる。はげしい波が海面からふくらんで、海へともどる。波にふねしあげられ、海面に引っられる。

 金色の長いかみが、強風になびき、あばれる。足場の、軍船の舳先へさきはげしくうごく。波をかぶって、海水がつめたい。

 眼前がんぜんには、巨大な海蛇うみへび型のモンスターが暴れる。背中が青、腹部ふくぶが白の、シーサーペントとばれるモンスターである。多数たすうの半魚人をしたがえ、あらしの海で船舶せんぱくおそしずめる、凶暴きょうぼうなやつらしい。

 勇者は、チラッ、と後方を確認かくにんする。

 勇者には、三人の仲間なかまがいる。男の屈強くっきょうな戦士、高慢こうまんな女エルフの魔法まほう使い、小柄こがらむねの大きい天然少女僧侶てんねんしょうじょそうりょである。

 僧侶は、船出ふなで直後ちょくごには船酔ふなよいでダウンした。エルフは、御嬢様で基礎体力がないから、れる船上ではまともに立っていられない。僧侶とエルフの面倒めんどうは、たよりになる戦士に一任いちにんした。

 軍船ぐんせんの海兵たちは、嵐に船がしずまないように、必死に操船そうせんしている。船のあちこちで、危険をかえりみず、力をくしてくれている。

 時間はかけられない。なるべく一撃いちげきで決着させたい。全力でむしかない。

「たぁっ!」

 勇者はシーサーペントを目掛めがけて、舳先へさきから跳躍ちょうやくした。

 半魚人がげたもりはだかすめる。肌にほそく赤いきずがつく。かまわず、大剣をりおろす。

「ゴポッ!」

 シーサーペントのどうななめに斬りいた。水の中でいきくような音が、シーサーペントの、こまかいきばならぶ大きな口かられた。

「まだ、あさいです」

 勇者はつぶやいた。

 シーサーペントが、青い体液たいえききながらあばれる。いたみにのたうつように、あらしの海で、へび状の巨体きょたいを振りまわす。

 りおろした大剣の、さきを返す。空中で上体をひねって、大剣を振りあげる。暴れるシーサーペントの巨体を、ふと胴体どうたいを、ぷたつに両断りょうだんする。

「ゴポポポポッ!!!」

 シーサーペントの断末魔だんまつまだった。輪切わぎりとなった胴から青い体液をながし、数回のたうって、渦巻うずまれる海へとしずんでいった。

 しかし、おそかった。

 軍船も中央からへしれて、嵐の海に沈む。海は荒れ、のこる半魚人におそわれる状況で、生きてりくもどれるとはかんがえにくい。

 勇者は失意しついで海へとちる。守れなかった、とやむ。

 落水する。流れが速く、冷たく、息がくるしく、意識いしきがぼやける。ふかく暗い海の中へと、華奢きゃしゃ肢体したいが沈んでいく。


   ◇


 勇者は目をました。

「……え? あれ?」

 湿しめっぽい布団ふとんの中だった。

 掛布かけふをめくってみた。はだかだ。全裸ぜんらだ。

「きゃっ?!」

 華奢きゃしゃうでで、思わずむねかくした。だれかに見られていないかたしかめた。ビキニみたいなふくも赤いよろいも着ていないが、どこにあるだろうか。

 いや、その前に、状況じょうきょうを思い出すべきだと思う。何がどうしてどうなったのか、これからどうすべきか、かんがえるべきだと思う。

 シーサーペントをたおした。あらしの海に落ちて気をうしなった。以上だ。

 周囲しゅういを見まわす。いわ洞窟どうくつのようである。岩肌いわはだのあちこちに水がれて、湿しめっぽい。

 布団ふとんは、うすれた石の地面の、高くりあがった石の台みたいなところにいてある。洞窟の行き止まりの、広くなった部屋へやみたいな場所で、個室こしつくらいの広さで、岩肌には光るこけみたいなものがえていて、ちかくが見えるくらいには薄明うすあかるい。

 大剣が、かべに立てかけられている。服とよろい一緒いっしょいてある。雑品ざっぴんを入れた革袋かわぶくろは軍船と一緒にしずんだだろうから、勇者個人の荷物にもつはこれで全部である。

 現状を分析ぶんせきする。何がどうしてこうなったのか、かんがえる。

 まったく分からない。考えるのを一瞬いっしゅんあきらめる。考えるのは苦手にがてである。

「おお。お目覚めざめになられましたか、女神様めがみさま

 声が聞こえた。部屋の入り口に気配けはいがあった。勇者は思わず、掛布ではだかかくした。

 何者かが入ってくる。ベシャッ、ベシャッ、と水をむ足音が、洞窟にひびく。苔の薄明うすあかりに、魚類ぎょるいのような頭部とうぶらされる。

「っ?!」

 勇者は悲鳴ひめいをあげそうになった。ビックリしすぎて悲鳴が出なかった。気絶きぜつしそうになって、ギリギリでえた。

きず具合ぐあいはいかがでしょうか? いたみなどはありませんか? 人間の体は、分からないことがおおいので、問題もんだいがあれば遠慮えんりょなくおっしゃってください」

 半魚人はんぎょじんだ。流暢りゅうちょうな、人間の言葉だ。王国の公用語だ。

 半魚人とは、魚類に人間っぽい手足がえたかんじの見た目のモンスターだ。人間と同程度どうていどの大きさだったり、手足にひれがあったり、金属きんぞくを加工した武器ぶきを使ったり、勇者のっていたイメージとはちょっとちがう感じだ。

おどろくのも無理はありません。危害きがいくわえるつもりはありませんので、ご安心ください。我々は、あなたに感謝かんしゃしているのです」

 状況がまったみ込めずに硬直こうちょくする勇者を気にせず、半魚人が話をつづける。勇者にかたりかけているのは間違まちがいない。部屋には他にだれもいない。

「我々は、あのシーサーペントに服従ふくじゅうさせられていました。本意にはんして、人間の船の襲撃しゅうげき手伝てつだわされていました。そのシーサーペントを、あなたがたおして、我々を解放かいほうしてくださったのです」

 半魚人が勇者の前にひざまずいて、こうべれた。魚類っぽい、うろこおおわれて、ヌルヌルして、テカテカと光を反射はんしゃするあたまだ。

「ちょ、ちょっとってください」

 勇者は、ずり落ちそうだった掛布かけふを、むねの高さまで持ちあげた。初対面の瞬間しゅんかんよりは、ちょっとだけ落ちいた。半魚人の説明せつめい理路整然りろせいぜんとして、合理的ごうりてきだ。

 掛布を頭からかぶる。半魚人にはだかを見られないようにして、とりあえず、ビキニみたいな服をる。服だけではずかしいので、赤いよろいも身にける。

 掛布からあたまを出す。鎧を着ても、露出過多ろしゅつかたで恥ずかしいので、掛布を胸の高さにキープする。大剣を背負せおうと、魔法まほう式の自動じどう固定こていする。

「あ、あの、人間の言葉が、お上手じょうずなんですね」

 勇者は、おそる恐る半魚人に話しかけた。

必要ひつようだったので、おぼえました。以前、人間の集落しゅうらくと、交易こうえきをしていたことがあります。海で手に入るものと、りくで手に入るものの、物物交換ぶつぶつこうかんです」

 半魚人が流暢りゅうちょうに答えた。もしかしたら、人間の勇者よりも流暢かも知れない。

「えっと、わたしが、あなたに助けていただいたのは、何となく分かりました。あの船には、わたし以外にも人間がいました。仲間や、海兵の皆さんなのですが、どうなったか、ご存知ぞんじありませんか?」

 勇者は、ぎこちない公用語で質問しつもんした。もしかしたら、半魚人よりぎこちないかも知れない。

「我々、あの場にいた同胞どうほう全員で、救助活動きゅうじょかつどうはしました。可能な限り助け、近くの浜辺はまべはこびました。あらしの海で混乱こんらんしていましたので、おぼれ死んだ人間がいたかどうかまでは、分かりかねます」

「あっ、ありがとうございます! おかげで、心が少しかるくなりました。みんなの安否あんぴ確認かくにんしたいので、わたしもその浜辺まで、案内あんないしていただいてもいいですか?」

 勇者は、いきおいよく、思いっきり頭をさげた。感謝かんしゃ気持きもちでいっぱいだった。目の前にひざまずく半魚人が、キラキラとかがやく天使に見えた。

「おおっ! すくいの女神様。お目覚めざめ」

 部屋へやの入り口から、複数ふくすう気配けはいが入ってきた。ベシャッ、ベシャッ、と水をむ足音が、洞窟どうくつにたくさんひびいた。こけ薄明うすあかりに、魚類ぎょるいのような頭部とうぶが、これでもかとならんでらされた。

「っ?!」

 勇者は悲鳴ひめいをあげそうになった。ビックリしすぎて悲鳴が出なかった。はだかくしていた掛布かけふを、思わずとしてしまったのだった。


   ◇


「女神様。魚。食べる」

「あ、ありがとうございます」

 半魚人がし出したき魚を、勇者は受け取った。

「女神様。怪我けがなおるまで安静あんせい

 半魚人が部屋へやから出る。一人になって、勇者は焼き魚を見つめ、かんがえる。

 いたさかなである。海藻かいそうさらっている。塩味しおあじで、人間の勇者でも問題もんだいなく食べられる、というか美味おいしい。

 半魚人たちは、勇者を『女神様めがみさま』とぶ。シーサーペントの支配しはいから、半魚人たちを解放かいほうしたかららしい。

 たしかに、任務にんむで、シーサーペントを退治たいじした。でも、半魚人たちも退治する対象たいしょうだった。シーサーペントと半魚人が結託けったくして船舶せんぱくおそっている、という情報じょうほうだったからだ。

 半魚人がもう人間を襲わないのなら、半魚人を退治する必要はない。ない気がする。実際じっさいにどうなのかは、戦士か、上司じょうしの女役人にかないと分からない。

 退治しろと命令されても、説得せっとくする気もある。知能ちのうが高くて、言葉がつうじるなら、話し合えるはずである。問答無用もんどうむようてるのは、勇者の考える勇者像ゆうしゃぞうとはちがう。

「……という感じで、まあ、いいですよね」

 勇者は考えるのをやめた。焼き魚を一切れ、口にはこんだ。程良ほどよ塩加減しおかげんで美味しかった。

 半魚人たちは、勇者によくしてくれる。食べものをくれるし、漂着物ひょうちゃくぶつってきてくれたりもする。挨拶あいさつしたり、感謝かんしゃしたりもしてくれる。

 だれかれも感謝してくれる、という状況ははじめてだ。新鮮しんせんな感覚だ。

 モンスター退治のときは、依頼主いらいぬし側の代表者としか会わないから、代表者一人に感謝されることがおおい。たくさんの人に感謝されていると想像そうぞうはできても、意外なことに、たくさんの人に直接的に感謝されることはない。

 相手あいてが半魚人でも、たくさんの人に直接ちょくせつ的に感謝される感覚は、うれしいのだ。相手は半魚人だけど。あたまが魚類はれないけど。

 また、部屋の入り口に気配けはいが近づく。ベシャッ、ベシャッ、と水をむ足音がひびく。

 今度はあまいものだといいな、と思いながら、勇者は入り口のほうを見る。こけ薄明うすあかりに、魚類のような頭部がかぶ。ひれのある手には、キラキラとしたうすい布をかけている。

「女神様。これ、流れてきた。あげる」

「わぁっ! 綺麗きれいですね。ありがとうございます」

 勇者は、キラキラとした薄い布を受け取った。かたにかけ、華奢きゃしゃ肢体したいまとった。貴族きぞくのオシャレなケープとか、おどり子のけ透けの衣装いしょうとか、そんな感じのぬのだ。

「女神様。綺麗きれいうれしい」

 半魚人にめられて、れる。かおが赤くなる。半魚人に、という点だけは、ちょっと気になる。

 半魚人が部屋を出ていった。勇者は、また一人になった。

 うすい布をまとい、おどりの真似まねごとをしてみる。くるりとまわる。布をなびかせ、ステップをむ。

 だれかに見られたらずかしい、と気づいてとまる。赤いかおで、水たまりをのぞき込む。金色の長いかみの美少女が、華奢きゃしゃな肢体にける薄い布をまとって、赤面せきめんしている。

 布団ふとんすわる。かたい石に湿しめっぽい布団で、ふかふかではない。座り心地は硬い。

 きゅうに、仲間たちの安否あんぴが気になった。キラキラとした薄布うすぬのを見て、エルフが普段ふだん使ってそう、と思いかんだからだろう。

 流暢りゅうちょうな半魚人に浜辺はまべへの案内あんないたのんだとき、大勢おおぜいの半魚人がやってきて、有耶無耶うやむやになってしまった。その後は、流暢な半魚人とは会えていない。浜辺への案内の件は、流暢な半魚人にしか頼めない気がして、言い出せずにいた。

 もうどの半魚人でもいいから、次に会った半魚人に頼んでしまおうか、と考える。次いつ会えるか分からない流暢な半魚人を待つよりは早い。

 こんなことでなやむ理由は、片言かたことにある。

 流暢りゅうちょうな半魚人以外の半魚人たちは、王国の公用語をしゃべれるが、片言だ。だいたいが、みじかい言葉をならべて、情報をつたえてくるのだ。

 勇者は、片言でこそないが、片言とたいして変わらないコミュニケーションしかできていない。たして、勇者の片言と半魚人の片言で、正確せいかくな情報の交換こうかんが可能なのか、との不安がある。

「まあ、上手うまくいかなかったら、上手くいくまで、やればいいですよね……」

 勇者は、ざつ結論けつろんつぶやいて、布団ふとんから立ちあがった。


   ◇


 勇者は、湿しめっぽい洞窟どうくつあるく。

 この洞窟は、岩がけずれたかけてできている。かべゆか天井てんじょうも岩で、なめらかでツルツルしている。どこもかしこも水がれて、うすれている。

 いそかおりがする。半魚人の住処すみかだし、海岸の洞窟とかだろうな、と思う。

 あちこちに、光るこけえている。天然てんねん照明しょうめいになっていて、薄明うすあかるい。

 なかなか半魚人に会えない。けっこう広い。構造こうぞう複雑ふくざつで、まよった可能性もある。

「すみませーん! どなたかいませんかー?」

 勇者はやむをず、大声で半魚人をんだ。呼んだ理由を聞かれて迷ったからと答えるのは恥ずかしいな、と思った。はらえられない。

 ベシャッ、ベシャッ、と水をむ足音が、たくさん近づいてくる。複数ふくすうの気配を感じる。苔の薄明うすあかりに、魚類ぎょるいのような頭部とうぶが、これでもかとならんでらされる。

「女神様。部屋にいない。心配しんぱいした」

 半魚人の一人が、勇者の前に進み出た。

「あ、あの、すみません。ちょっと散策さんさくしたら、迷ってしまって」

 勇者は赤面せきめんして、あたまをさげた。

部屋へやまで、案内あんない。こっち」

「あ、ありがとうございます」

 半魚人たちのうしろについて、洞窟どうくつを進む。光る苔の薄明かりに、うろこおおわれた、ヌルヌルした半魚人の体が、テカテカと光を反射はんしゃする。

 半魚人たちは、いつのにか、勇者をかこむ。前も左右も後方も囲んで、ベシャベシャと足をらし、洞窟をすすむ。

 案内されながら迷うかも知れない、みたいに気遣きづかわれているのだろうか。恥ずかしい。

「だ、大丈夫だいじょうぶですよ。そこまで方向音痴ほうこうおんちじゃないですよ」

 勇者は赤い顔で弁明べんめいする。誰もこたえず、ふと、違和感いわかんに気づく。半魚人たちの様子ようすが、いつもとちがう気がする。

 何が違うかは、分からない。分からないが、何か違う気がする。

 部屋に辿たどいた。見慣みなれた台と布団ふとんのある、勇者の部屋だ。

「ありがとうございます。おかげで、無事にもどれました」

 勇者は半魚人たちに頭をさげた。

「女神様。話ある。いい話」

 半魚人の一人が話を切り出した。

 勇者は戸惑とまどった。話のながれが不自然ふしぜんだった。雰囲気ふんいきみょうだった。

「え? あの、いい話って、どんなお話でしょうか?」

 勇者の声は緊張きんちょうしていた。意図いとせず体をかたくする自覚もあった。

 おかしい。半魚人たちにかこまれている。げ道をふさがれている。

 おかしい。半魚人たちの目が赤い。たぶん、興奮こうふんしている。

「女神様。子作り、手伝ってほしい。我々の、子供、んでほしい」

「…………ええっ?!」

 勇者は赤面せきめんした。農村出のうそんで乙女おとめでも、妊娠出産にんしんしゅっさんの手順くらいは知っていた。興味きょうみのないこともない年頃としごろだった。

 同時に、蒼褪あおざめた。半魚人は、もしかしたら魚類で、もしかしたら卵生らんせいだ。同じ人間相手でも相手をえらびたいのに、人間ではないものを、想像そうぞうもできない手順で妊娠出産させられるなんて、それはきっと極悪ごくあく拷問ごうもんなのではないだろうか。

「女神様、我々の子供、む。崇拝すうはいする同胞増どうほうふえる。女神さまも我々もうれしい」

 半魚人の一人が、興奮こうふんした赤い目で、あらいき力説りきせつした。

 屁理屈へりくつとかではない。真面目まじめな話をしている。種族しゅぞくちがって価値観かちかんが違うに過ぎない。

 理屈りくつでは理解りかいできても、精神せいしん的に許容きょようできるわけがない。かこみに視線しせんを走らせ、包囲のうす箇所かしょさがす。

「あっ、あのっ、……ごめんなさい!」

 勇者はあやまると同時に、半魚人の包囲ほういっ切った。キラキラとしたうすい布をつかまれて、ぎとられた。気にする余裕よゆうもなく、部屋をび出した。

「女神様!」

 薄明うすあかるい洞窟どうくつを走る。後方から、ベシャベシャとれた足音が追ってくる。たくさん追ってくる。

 道が分からないまま、闇雲やみくもに走る。半泣はんなきで走る。背筋せすじに強い悪寒おかんがのたうつ。

 こわい。り得ない。一刻いっこくも早くげ出したい。

 勇者は走る。道も分からない薄明るい洞窟を、ゆかの水をみ、れたかべに手をついて、当てもなく逃げつづける。

 想像そうぞうもしたくない。下腹部かふくぶ違和感いわかんを想像しただけで、しゃがみ込みそうになる。足がうごかなくなりそうになる。

「女神様!」

 後方から半魚人の声がせまる。

 両手で耳をふさぐ。今は声すらきたくない。嫌悪けんおと、恐怖きょうふが、頭の中でじり合う。

 ザザーッと、波の音が聞こえた。

 勇者は、みだれた呼吸こきゅうで、洞窟どうくつの出口にいた。出口の外はすぐにがけで、海だった。

 絶望ぜつぼう的だ。海をおよいで逃げて、半魚人たちから逃げきれるはずがない。りくの逃げ道なんて、最初さいしょからない。

「女神様!」

 半魚人たちに追いつかれた。全員、目が赤く、いきあらく、興奮こうふんしていた。

 勇者は思わず、背中の大剣をにぎりそうになる。全員をり殺すか、大人しく半魚人の子供をむか、まよう。説得せっとくしてことなきを得る、という選択肢せんたくしは、半魚人たちの興奮具合からして、ない。

 半魚人に悪意や害意がないと、分かってはいる。本気で双方そうほうよろこびになると、半魚人の理論りろんで信じている。人間の勇者にとってはそうではないと、知らないだけである。

 だから、皆殺しにするほどのことではない気がする。しかし、乙女の勇者としては、当然の権利けんり自己弁護じこべんごしたいところもある。本気で迷う。

 背後の海から、ザバッ、と水音がした。

「しまった! 後ろを取られ」

 勇者はあわててり返った。

「おお、女神様、およろこびください! 浜辺はまべ救助きゅうじょした人間の方と、接触せっしょくに成功しました! 今から、その人間の方のところに、ご案内いたします!」

 人間の言葉を流暢りゅうちょうに話す半魚人だった。洞窟どうくつの外の海に、むねから上だけ海上に出して、大きく手をっていた。

同胞どうほうたちもよろこべ! 事情じじょうを説明して、我々と人間との話し合いを取りってもらえることになった! 女神様はりくでは勇者様とあがめられ、女神様が仲介ちゅうかいしてくださればかなら関係修復かんけいしゅうふくされるだろう、とのことだ!」

 流暢な半魚人の呼びかけに、他の半魚人たちはおどろいている。普通ふつうの魚の目の色にもどっている。おたがいにかおを見合わせ、うなずき合う。

「それたすかる。子供、んでもらうより有意義ゆういぎうれしい」

 呆気あっけないオチだった。本気で皆殺しをまよって、そんした気分だった。

 勇者は気がけて、その場にしゃがみ込んだ。つかれた。石の地面は水にうすれて、かたくて、つめたかった。


   ◇


 わたしは、ゆめの中で勇者ゆうしゃばれていた。

 かがみに映る自分は、金色の長いかみで、美少女で、華奢きゃしゃだった。身のたけほどある大剣を背負せおい、ビキニみたいなふくを着て、防御ぼうぎょ力に不安をかんじる露出度ろしゅつどの高い赤いよろいまとっていた。

 華奢きゃしゃな美少女が大剣を軽軽かるがるりまわし、凶暴きょうぼうなモンスターを易易やすやす両断りょうだんする。それはとてもアンバランスな状況で、だからゆめなのだと認識にんしきできた。

 現実げんじつの自分が何者なのか、男なのか女なのかさえ、夢の中では思い出せない。でも、夢の中で、わたしは金色の長いかみの美少女だった。

 わたしは、夢の中で、勇者と呼ばれていた。



/わたしはゆめなか勇者ゆうしゃばれていた 第8話 半魚人はんぎょじん女神めがみ END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る