第2話 翼もつもの

 僕は十二歳になった。七歳から育て始めた相棒の名はアル。育て方にも慣れてきた。アルは何でも食べる。虫も動物も魚も鳥も。食べさせたものに取り入れたい形や能力があれば、体の一部にすることができる。ただし、一匹食べるごとに、ひとつだけ。リスの敏捷さ。狼の暗闇でも良く見える目、羊のあたたかな毛皮、ヤギの固い頭。熊の鋭い爪。そして食べさせるほど大きくなる。今は熊の三倍ほどだ。立ち上がれば家の屋根をゆうゆう見下ろせる。やっかいだった羊を狙う狼も、今はアルがひと吠えするだけで追い払える。


「今日も暑そうだね、アル」

 牧草地に立つ大木の横に座らせたアルに話し掛けた。今年の夏はとても暑くて、羊たちもアルの影に陣取っては、暑さをしのいでいる。

「ウォ」

 アルがふっと体を起こし、遠くの山の頂を凝視した。真っ青な空を巨大な鳥が飛んでくる。いや、鳥じゃない。翼の先に小さな手が見える。コウモリのように。でも首が長い。馬のように。体は青い。魚のように。足は曲がっている。トカゲのように。 僕は瞬時にそれが、こぶしから生まれ、いろいろなものを取り込んで育った生き物だとわかった。

 いたのだ!僕以外にも、こぶしに相棒を宿す人間が!

 それはどんどん近づいてきて、翼で巻き起った風が羊を何頭もなぎ倒し、目の前に着地すると大地が震え、大きな爪を持つ足で土がえぐれて、わだちができた。普通の人間なら悲鳴をあげて逃げていたろう。でも僕は生まれて初めての仲間との遭遇に、飛び上がりながら両手を大きく振った。

 翼をたたんだ生き物の背中から、真っ黒な長い髪を後ろで結び、浅黒い顔をした若い男が顔を出し、ぎょろりとした大きな目で僕をじろじろ見た。

「こんなところで“ケモノ生み”に遭うとはね」

「ケモノ生み…って僕のことですか」

「そう。手からケモノを生んで操る人間のことだ」

「僕はベシー。この相棒…ケモノはアルです」

「俺はカート」

 カートはケモノの片翼かたよくを開かせると、その上を滑って地に降り立った。見たことのない光沢のいい服を着て、腰には曲がった剣を刺している。

「あなたのケモノの名前は何ですか」

「名前?名前なんか無い。こいつは俺だ。俺の体の一部」

 たしかに。アルも僕の一部と言えばそのとおりだ。

「とにかく良かった。このあたりは山が険しくて降りる場所が無かったんだ。飲むものある?」

 カートはためらいなくアルの作る日陰に腰を下ろし、アルの体によりかかった。僕は水の入った素焼きの水筒を渡してあげた。

「ケモノ生み…って、たくさんいるのですか」

「いや。いない。ひとり現れただけで大騒ぎになる。強い王がいる国なら、ぶっ殺されたり、幽閉されたり。ここの王様はどうだい?」

「だれが王様かも知りません」

「へえ…権力者が意に介さない辺境か。おまえは運がいい。よそ者が村に来た時には、そのケモノは隠しておけよ」

 辺境…そう言われれば僕の村は四方を山に囲まれ、村人たちはめったに村を出ないし、冬は雪に閉ざされ、夏には数人の旅人が通り過ぎるだけだ。

「でもアルは死なないし、強いから、捕まえられないし」

「何言ってんだ。狙われるのはおまえだよ。おまえを捕まえれば、ケモノを操らせてすごい戦力になるんだから」

「戦力?」

「今あちこちで国同士が争っているんだよ」

「カートさんは、どの国から来たのですか」

「遠い国。暑くて、人がたくさんいる。ケモノ生みだってんで、いろいろ期待されて、嫌気がさして逃げてきた。翼はいいよ。国にしばられず自由自在さ。ああ、でも、おまえのケモノはかなり重そうだ。もう翼をつけても飛べないな」

「そのケモノは飛べるように育てたのですね」

「俺が乗って飛べるように育てるのは大変だったよ。何度も失敗して育てなおした」

「わざと消して?」

「ああ。簡単だろ、遠くに離せばいいんだから」

「でも、可哀そう…」

「ああ、おまえは名前をつけて可愛がってるんだったな。自分の指に名前をつけるようなもんだろうに。酔狂なこった。じゃ、会えてよかった、若いケモノ生み君。ところで羊を一匹もらえないかな。こいつに食わせたいんだ」

「だめです!僕の家族のものですから」

「ただとは言わない。この世界の地図と引き換えだ。空から見た俺にしか作れない地図だぜ。きっと役に立つ」

「世界の地図ですか…」

 なによりその地図が欲しくて、最近毛つやの良くない老羊を差し出した。カートのケモノは大口をあけて、羊を丸呑みにした。その間、カートは目をつむり、羊がケモノの中に取り込まれるのを注意深く感じていた。僕もアルに何かを食べさせた時、同じように、欲しい能力や形が取り出せないか注意深く探索する。

 次の瞬間、カートのケモノの背中、彼が座っていたあたりに羊の毛のタテガミがふわっと盛り上がった。翼も少しだけ大きくなった。

「座り心地がよくなったかな」

「座りやすくくぼみをつけるといいですよ。僕もアルの肩をそうしています」

「若いのによく研究してるな。アルが良く育っているわけだ」

「はい!」

 褒められたことが嬉しくて、うきうきした。

「じゃあ、邪魔したな」

 カートはケモノの翼の先についた鉤爪につかまると、ひゅうっと舞い上がるようにケモノの背に持ち上げられた。

「えっ!?」

 ケモノが翼を広げて舞い上がろうとし、僕はアルをケモノの足に突進させ、つかみかからせた。

「ぎゃ!何するんだ!」

「地図をくれる約束でしょ!」

「ははは。覚えていたか。まあ、待て。アルをどけてくれよ」

「地図をくれるまで放させません」

「本当は羊一頭の価値じゃないんだがな」

 カートはケモノの背に括り付けた大きな革袋から、なめし皮を一枚取り出し、炭で何かを書きつけると、僕に投げてよこした。なめし皮は棒のようにまるまって僕の足元に落ちた。

「今、印をつけたところが、この村がある場所だ」

「この何も書いていないところは何ですか?」

「それは海」

「海?」

「全部説明していたら、夜になっちまう。約束は果たしたんだ。もう放してくれ」

 アルを離すとカートのケモノが舞い上がった。すさまじい風が巻き起こり、僕は飛ばされまいと地図をだきしめ、その上をアルが覆って、僕を守った。

「あと、ひとつ、忠告してやる。ああ、俺もお人よしだなあ。あの東の山の氷に気を付けろ。じゃあな!」

 カートとケモノは南の山へ向かって飛び去った。南の山からは驚かされた鳥の群れが飛び上がり、そして再び山に吸い込まれていった。

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