養獣譚 融合の巻
古都瀬しゅう
第1話 こぶしの中の相棒
僕が生まれたばかりの時、こぶしの中にゴニョゴニョと動く気味の悪い生き物がいて、母さんは悲鳴を上げて窓の外に投げ捨てた。次の朝、こぶしの中に再びそいつがいた。色は白く目玉が二つ付いていた。それでまた悲鳴を上げて暖炉の中に投げ入れたけど、次の日には、またこぶしの中にいる。つまみ出しては踏みつぶしたり焼いたり埋めたりしても無駄だった。何度でもこぶしの中に生き返った。
赤子の僕が握りしめていた手を開くようになると、その生き物は傍らで勝手に僕をあやすようになり、結局、両親はそいつを僕から奪うのを諦めた。
だから僕は両親から気味悪がられて育った。
僕はベシー、七歳。相棒の名はティト。僕がつけた名前だ。両親は「それ」とか、「そいつ」と声をひそめて言う。
ティトは今、三歳の妹と同じくらいの大きさだ。虫、鳥、ねずみ…生き物なら何でも食べて大きくなる。何を食べさせるかは僕次第。食べさせた時に形が変わり、どう変えるかも僕次第。でも思い通りにするのは難しい。どうもコツがあるみたいだ。
長く雪に埋もれた冬が終わり、村が見下ろせる牧草地で、僕はティトと羊の見張り番をしていた。両親が僕に与えた、気味悪い僕と相棒を遠くにやっておける都合のいい仕事だ。
「ピュイ」
ティトが耳をつんと立てて村に続く道に顔を向け、僕に教えてくれたのは、太い腕を振り回し、必死の形相で走ってくる鍛冶屋のおじさんの姿だった。
「おおーい、ベシー!助けてくれー、井戸に…ライナが落ちて…」
僕は駆け出し、ティトが四本足で後ろに従った。おじさんの息子ライナは、確かまだ二歳くらい。早く助け出さないと死んでしまう。
「どこの井戸ですか!?」
「き、北の、井戸だ…」
息が切れているおじさんを残し、牧草地から集落へ、そして北の井戸へと懸命に走った。ティトはぴたりと後ろをついてくる。そうさせているのは僕だけど、自分の手足のように無意識に操っている。
井戸の周りの人だかりが僕を見て少し後じさった。
「妖魔使いのベシーだ」
「あの妖魔、また大きくなったみたい」
「気味悪いが、こういう時は頼むしかない」
ひそひそ声が聞こえる。みんなはティトを妖魔って呼ぶ。
「少し前まで泣き声がしていたんだが…」
絶望的な言葉も聞こえた。井戸は子供なら入れても、大人では肩がつかえてしまう大きさだ。僕はティトをつるべの先の水汲み桶に入れた。
「桶を下まで降ろして。それから僕を支えていてください」
「頼むわ、ベシー、ライナを助けて」
鍛冶屋のおばさんが後ろから僕を抱きしめ、僕は目を閉じ、井戸の中に下りていくティトに心を移した。自分の体からは力が抜けて、おばさんに抱えられているのがわかるだけになる。ゴロゴロとつるべを落とす音が井戸の細い空間に反響し、ティトに同化した僕の目には、ごつごつとした井戸の壁、見上げると丸い井戸の口からの光、見下ろすと水面に浮かぶ茶色い子供の頭が映った。
水面まで辿りつき、桶の中から子供の襟首をくわえた。でも、このまま引き上げられたらティトも子供も桶から落ちてしまう。ティトたる僕は桶から出て、そのかわり子供を頭から桶に押し込んだ。桶と井戸の壁で体をささえ、子供の腕をくわえなおして桶をつるす紐にからませた。
「いいです。桶を上げてください」
つかの間、自分に戻って言い、すぐにティトと同化しなおした。沈みかけていたティトを岩壁に爪をかけて這い上がらせ、水面に顔を出す。ぐったりした子供を入れた桶が上がっていくのが見えて、ティトたる僕の上に桶に残った水がばしゃばしゃと降ってきた。
「ああ!ライナ!」
井戸の上から鍛冶屋のおばさんの声が響いた。
「わっ!」
と、同時に僕は地面に叩きつけられて、その衝撃で強制的に自分の体に戻されていた。おばさんがベシーたる僕の体を放り出したのだ。ティトと心のつながりが切れ、自分の体の痛みから立ち直った時には遅かった。同化しようとティトの存在をたぐりよせた時、一瞬だけ暗い水の中に沈んでいくティトの目に映る光景がよぎったものの、ティトの存在は僕から、ふつりと消えてしまった。
「ティト!ティト!」
起き上がって井戸の底に叫んでも、遠くに見える水面はゆらりとも動かない。
深すぎた。遠すぎたんだ。相棒は僕と離れすぎると消えてしまうんだ。知っていたのに…
となりでは引き上げられた子供が息を吹き返さないので、鍛冶屋のおじさんとおばさんが泣き叫んでいて、誰も僕を気遣わない。
僕は気味の悪い生き物をあやつる、時々便利な気味の悪い子供。
ティト…ごめん。
僕は泣きながら家路についた。
次の朝、僕はこぶしの中の新しい、小さな生き物とともに目覚めた。
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