第3話 婚約破棄してください!
お茶会の日、案内されたのは王宮内の庭園だった。静かで外から切り離された、美しい空間。庭園の中央には鳥かごみたいな形状の建物が一つ。白いテーブルと椅子が置かれている。アドルフ殿下はまだ来ていない。
一人で静かな庭園を眺めていると、頭の奥がぼうっとしてくる。こんな庭園で読書してみたいな。一冊くらい持ってくればよかった。
ぼうっと待っていたら、騎士さんとメイドさん二人を連れたアドルフ殿下が現れた。私はさっと立ち上がっておじぎをする。
「アドルフ殿下、このたびはお招きいただきありがとうございます」
「こちらこそ、誘いに応じてくれてありがとう。顔を上げてくれるかな」
「はい……」
ゆっくり顔を上げると、心の準備をしたはずなのに、アドルフ殿下のやわらかな笑みが目に飛び込んできて、心臓が暴れだした。
キラキラと光を反射する金髪は眩しいし、空よりも濃く青く澄んだ瞳はこれまで見たどんな宝石よりきれいに見えた。色白の肌の上で、頬がほんのり色づいている。殿下の笑みがただただ優しくて、私の頬が熱を帯びた。
こんな笑い方をする人だったっけ……?
遠目で見てきた彼は、いつも穏やかな笑みを浮かべてはいたけれど、こんなにやわらかく優しく笑う表情なんて見たことがない。
「贈ったドレスを着てくれたんだね」
「あっ、はい」
「その色にしてよかった。やっぱり君の薄桃色の髪にはアザーブルーがよく似合う」
「これ、まさか殿下が選んでくださったんですか?」
「そりゃあ、婚約者へのプレゼントだもの。よく似合ってるよ。とてもきれいだ」
「あ、ありがとうございます……」
アドルフ殿下の声に耳をくすぐられた気がして、恥ずかしさについ顔を伏せた。私みたいな弱小男爵家の娘を口説いてくる貴族男性なんていなかったし、こんなふうに甘い言葉をかけられることに慣れていない。
殿下はなんでこんな――はッ!
私を惚れさせて黙らせようってこと? なんという策士。なんという役者。危なかった。普通にドキドキしちゃった。ばっと顔を上げると、アドルフ殿下はきょとんとしている。
「そろそろ座ろうか」
「はい」
殿下のペースに飲まれちゃだめだ。気合を入れ直そう。騎士さんは建物の柱を背にじっと立っている。
「アドルフ殿下にお願いがございます。どうか私との婚約を破棄していただけないでしょうか」
「理由を聞いてもいいかな」
「婚約なんてしていただかなくても、私、例の本のことなんて喋りません。固く誓います」
「……そう。そういえば、大事なことを確認していなかったね。君には、想い人はいるのかな?」
どうしてそんなことを聞かれるんだろう。わからないけど、いないと答えたら押し流されそうな気がして、両手を強く握った。
「います!」
「へえ、誰だろう」
アドルフ殿下は相変わらず微笑んでいる。でも空気が凍った気がする。メイドさんたちはお茶を入れ終わるやいなや、そそくさと退出していった。適当に名前を挙げられるほど仲のいい男性なんて私にはいない。そもそも嘘は得意じゃない。
「名前はわからないんですけど。まだ六歳くらいの頃に、あの図書館でよく一緒に本を読んでいた栗色の髪の男の子のことが今でも好きなんです」
この気持ちを恋と呼んでいいのか自信がないけれど、言い切っておこう。
結婚相手をそろそろ探そうとお父様が言ったとき、どうしてもあの子がいいと思った。十年くらい前によく王立図書館に来ていた男の子。
一冊読み終えて、ふっと顔を上げたときによく目があった。その時に男の子が見せてくれた笑顔や、男の子が本を読んでいるときの真剣な表情が今でも忘れられない。なぜ彼が急に来なくなってしまったのかも、どこの誰だったのかもわからないけれど。
「へえ、そうなんだ」
アドルフ殿下はにこやかに笑んでお茶を口にする。空気は穏やかに戻ったけれど、会話はそこで終わってしまった。
あれっ、流された?
「婚約破棄は」
「しないよ」
今の質問なんだった?
流すだけならなんで聞いたの!?
「男爵家の娘なんて不釣り合いだと思うんです。王様も王妃様もご納得されていないのでは」
第一王子の婚約者は公爵家のどこかから選ぶのが通例なのに。殿下はにこりと笑った。
「僕の婚約者選びについては、母は昔から僕の味方だから問題ないよ。父は反対していたけれど、例の本を父に渡して、君に見られてしまった話をしたんだよね」
自分の親に手持ちのエロ本を見せたの!?
しかもあんな特殊なやつ!?
アドルフ殿下の心臓には毛でも生えてんのかな!?
「その上で『一番穏便に口を閉じていただく方法は、共犯者になってもらうことだと思うんですよ』とお伝えしたら、やっと首を縦に振ってもらえたよ」
共犯者ってなに? 私にあのエロ本みたいな特殊プレイをやれってこと!?
口元がひくつくのを抑えられない。どうして殿下はそんな話を、笑顔を崩すことなく言えるんだろう。やだ涙浮いてきた。視線をうろうろさせていたら、
「ふっ、……ははっ!」
アドルフ殿下が突然笑い始めた。今までの上品な笑みはどこへやら。大口を開けてお腹を押さえ、いたずら好きの少年みたいな顔で笑っている。
こんな笑い方もするんだ。さっき話をしたせいか、思い出の男の子の笑顔とダブって見える。あの男の子と殿下は髪色が全然違うのに。
「えっと……」
困っていたら、ずっと黙って端に立っていた騎士さんがアドルフ殿下に顔を向けた。
「殿下、そろそろ誤解を解かれては……」
「こら。今日は僕がいいって言うまで黙ってる約束だよ、ルウ」
殿下が椅子の背に手をかけて騎士さんを見る。なんだか気安い雰囲気だ。
「そういう約束でしたが、このままではカタリーナ嬢の中の殿下のイメージがどんどん悪くなっていく気がします」
「もとはといえば誰のせいだと思ってるのさ」
「返す言葉もございません。ですが、発端は俺でもそのあとは殿下の悪ふざけです」
「言うね。……まあ、僕も浮かれている自覚はあるよ」
二人の話についていけない。
誤解って何だ? あのエロ本は確かに存在していたよ?
「そうだね、カタリーナも『なにがなんだかわからない』って顔をしているし」
「えっ!」
思ったことがそのまま顔に出てるってこと? そういえば昔から「本当に嘘が下手な子ね」と言われてはきたけど……。
「うん、君の百面相はいつも面白いよ」
とはアドルフ殿下。
「そこまでわかりやすいと、喋れなくても難なく生活できそうですね」
とは騎士さん。
「それは困るな。声は聞きたい」
「仮定の話ですよ」
何の話だよ。
半目になって二人を眺めていたら、「ごめんごめん」と言ってアドルフ殿下が立ち上がった。
「ゆっくりティータイムを楽しみたいところだけど、まずは君の疑問に答えようか。少し付き合ってくれるかい?」
殿下が近づいてきたので、私も椅子から降りる。差し出された手に自分の指を乗せようとした途端、殿下の腕がさっと動いて手を握られた。
ぐい、と手を引かれる。バランスを崩したら、殿下に抱きとめられた。
「!?」
不意打ちされて顔が熱を帯びる。心臓がうるさい。アドルフ殿下を見上げたら、茶目っ気たっぷりにウインクをされた。
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