モブ、主人公が居そうな学校へお邪魔する

 その後なんとなく私とエマには謎の連帯感というか、絆みたいなものも生まれ、暇な時になんとなくラインをしたり、また暇な時になんとなく話題のタピオカ屋に二人並んだりと、まるで普通の女子高生のように過ごしていた。いやまあおおよそ私たちは普通の女子高生なので正しく暮らしていたとも言えるのだろうか。

 運良く私とエマは、とても気が合った。

 タピオカ屋に一時間並ぶ間も話すことは尽きないし、エマの半身浴に付き合いがてら通話しても苦でない。まるで長い付き合いかのような、程よい距離感で会話が出来た。

 そのせいか不思議なことがあったことなんて、嘘みたいに忘れていた。少なくとも私は。


 ある日、たまたまエマのピアノレッスンが先生の体調不良で休みになった、と連絡を受け、私は選択科目の七限をサボって、今日は六限終わりの同じクラスの友人である夢の帰宅ルートにかする、エマの学校付近に遊びに行くことにした。


「ひかるがこっち方面来るの新鮮だ〜、なんならウチで合唱コンの合宿した以来?」

 夢とは去年も同じクラスで、そして去年合唱コンクールで夢は伴奏を担当した。その伴奏、ピアノを練習するのに、誰かに歌って欲しいと頼まれ、一度家にお邪魔したことがあったのだった。夢は伴奏程度のピアノなら楽々弾けるけれど、弾きながら歌えと言われるとそれはとても無理、らしい。曰く「両手両足で出力してるから口からは出力出来ないの」だそうだ。

「また夢んち行きたいな〜モフちゃん、何だっけ? 犬種」

「チワックス」

「そだ。モフちゃんめっちゃ可愛かったから会いに行きたい〜」

「モフもうめっちゃでっかいよ、なんかね、ひかるがうち来た時はぬいぐるみみたいだったのに、最近お腹出して伸びてる時なんかお金持ちの家の敷物みたいだよ」

 と言って写真を見せてもらったモフちゃんはなるほど、剥製の敷物みたいな、迫力のあるサイズ感だった。

「やばい、誰だこいつ」

「モフだよ〜」


 そんなくだらない、緩い会話をしているとあっという間にエマの学校の最寄りに着いていた。


「じゃあね、夢、寝過ごさないでよ!」

「ひかるじゃあるまいし、そんなヘマはしません、じゃね!」


 プシューっと音を立てて扉が閉まる。

 夢は扉が閉まっても、まだ小さく手を振ってくれていた。こういうところが可愛くて好きだ。電車で寝過ごすところも抜けてて良いと思う。


 さて。

 電車を見送り始めて降り立つ駅を見渡すと、周りは白女の制服だらけだった。まばらに混じるマダム。中流公立の制服は私だけだ。なんてこった。

 どうしようかな、と携帯を持った途端に、携帯が振動し、ライン通話『Emma』の文字が浮かぶ。エマのラインの名前だ。アルファベットにしても様になるんだから、全く、羨ましい。

 画面をタップしながら通話を取り、「もしもし〜」と言う。

『あ、ひかる、ついた?』

「着いた着いた」

『電話出るってことはそうだと思ったよ、ひかる、電車の中で電話出れなそう』

 必ずしもそんなことは無いけど……時と場合によっては出ちゃうけど、と言う話をすると長くなりそうなのでスルーし、私はこのアウェー感から早く救い出してくれ、と懇願した。

『そんなにかね、男子やら男性やらが極端に少ないから変な感じするだけじゃない? うん、でね、悪いんだけど学校まで来てくれない?』

「はい?」

 なぜ自分で納得して話を進めた。私は納得していないぞ。

『白女方面って看板の方進めば直ぐに見えるから、改札出て左手ね。それこそ秒だから』

「いやいやいや今アウェーって言ったじゃん?なんで敵陣に挑みに行かなきゃ行けないの?大体私普通に桜森の制服着てきてるし」

『うち別に他校生入っちゃいけなくないよ、ホールで講演会とかやってるし、図書館は身分証あれば基本開放だから。そのためにアホほど中に警備員居るのよ』

 アホほど警備員居るの怖すぎる。流石お嬢様校だ。でも図書館開放されているくらいならば、学校に近付けば存外違和感なく入れるのではないだろうか。そもそもエマの口ぶり的に、拒否権なさそうだし。

「わかった行くよ、その図書館に行けば良いの?」

『いや、ミカド会室来て』

「何ミカドって帝? 帝国? 何その怖い部屋」

『年齢の三才に、図工の図。怖くないから、地図校門入ってすぐのとこにあると思うけど、警備員無駄にいるから聞いた方が早い! じゃ!』

 プツッと言う音と共に、本当に急に切られた。そして恐らく、エマが唐突に電話を切るときは、都合の悪い時だ。

 怖いのでスマホで『三才図会』と調べると、『さんさいずえ』と言う読みの項目のウィキペディアが出てきて、何やら中国の書物らしく、しかもめちゃくちゃ長かった。内容を把握するのは秒で諦める。

 取り敢えず警備員警備員、と心の中で唱えながら学校へと繋がるであろう道を歩くと、学校より先に警備員がいた。いやあまじか、と警備員のいる更に先にまた警備員。そうしてヘンゼルとグレーテルよろしく、警備員を辿ると学校が見えてきた。朝生活指導の先生が立っているくらいで、基本ノーガード故、私が入学する三週間前、近所のおじいちゃんが運転していた軽自動車が開けっ放しだった校門に突っ込んで、奥の桜並木をなぎ倒したらしいうちの公立高校とは大違いである。          

 ちなみに私の学校は桜の森とかいて『おうもり』と読む高校なのだが、おかげさまで校舎周りには桜の木は一本もない。


 ここの学校にはいっぱい木がある。春にはどんな花をつけるのかな。羨ましいなあ、なんて思いながら、歩くと、合間にまた警備員が居た。あ、そう言えば地図があるって言っていたけれど、木を見て上ばかり向いていたからすっかり見落としてしまった。仕方ない、警備員さんに聞くか。


「すいません」

「どうされました?」

品の良いおじさまだ。若い人ではないのは、女子校だから万が一がないためかだろうか。

「あの、ミカド会室? に行きたいんですけども、詳しい道順は警備員さんに聞いてって言われたもので……」

「ミカド会室ですか、えーっと、この右手奥の階段、見えますか?」

「はい」

「そちらを一番上、三階まで上がっていただいて、その廊下を突き当たりまで行くとございますよ」

「わかりました、ありがとうございます」

 そう言って私は会釈し、右奥へと向かう。

 心なしか、何故ミカド室に? という色が見えた気がするので、やっぱミカド室は特別な部屋なのだろうか。でももし特別な部屋なら部外者をサラッと通してはくれなそうな気もするし、大丈夫だよね。

 大丈夫大丈夫、と自分を無理矢理誤魔化し、励まし、私は階段を上っていく。

 階段の右側はガラス張りで、少し怖いけれど敷地内が一望出来る。草木が多く、自然豊かで綺麗だ。そして恐らく警備員と思われる人が多く見えた。何なら生徒と思しき人より圧倒的に多い。放課後とは言え、不思議な光景だ。ニュースで見た、サミット前の映像を思い出し、何となくエマが総理大臣のように警備員に囲まれる絵が浮かび、くすりとしてしまう。そんなくだらないことを考えていたら、あっという間に階段は終わりを告げ、恐らく三階に着いていた。

 右手は窓、左手にはなんの表示も掲示もない──空き教室の類いだろうか──が幾つか。そして突き当たりに、学校には似つかわしくない重厚な、飾り細工までしてある茶色の扉が二枚あった。


「いやいやこれ絶対敷居めちゃくちゃ高い部屋じゃん」


 思わず呟いてしまうくらいの、迫力。

 恐る恐る近付くと、頭上に『三才図会室』の文字。嫌だ入りたくない。つーかこんな硬そうな扉、ノックしても聞こえなさそうだし、或いは指が折れそうなんだけど。

 助けて!とばかりにエマにラインをするが無反応。ちくしょう。


 意を決してコンコン、とノックをすると、木の中は空洞なのか、意外に大きく響き、ドキッとする。


「どうぞ」

 

 とエマではない声が聞こえて、いやいやどうぞされちゃって良いの? と思いながらも、今更逃げるわけにも行かないし、私は意を決して重い扉を開けた。

 それはガチャリ、と呆気なく鳴り、扉は誰かが内側から同時に開けてくれたかのように軽々開いた。これも日本の最先端技術、財力が成せる技なのか。それとももしかしてメイドさんでも居る? なんて思っていると、目に飛び込んで来たのは見慣れた後ろ姿。小さい背中に光に透き通る薄い茶色、くるくると巻かれているお人形さんのような髪──エマだ。そして部屋の中にはエマしか居ない。メイドさん居なくて良かった~と思うと同時に、私は違和感を抱く。


「あれ……?」

 振り向いたエマも、理由こそわからないが恐らく私と同じように思っているのだろう、目をまんまるに、ぽかん、という表情をしていた。

「エマ、さっき私がノックした時、どうぞって言った?」

「してない、そしてノックの音すら聞こえていない」

 いやいや、そんな訳ない。あんなに響いていたのに、中に聞こえていないだなんて、そんな訳あるだろうか。しかもこの部屋にはテレビやオーディオ機器の類は無いし、窓の外もしんとしている。

「あのねひかる、なんか最近この部屋、ずっとこうなの」

「こうとは?」

「中に居る人が気付かないうちに、お客さまを招き入れてる人がいるみたいなの」

 エマが見本のようなお嬢様の微笑みで私を見つめてくる。しかし完全に、その後ろにニヤリという擬音が見えている。漫画でいうなら中抜きの太字で。

「幽霊退治なんて出来ないよ私、霊感ないし」

「でも魔力は、ある」

「あ、そゆこと?」

 この前の鳥、ピィちゃんみたいに、仲間にして言う事聞いてもらうってこと?

「でもエマ、私今回は見えてないし、どうしたら良いかわからないよ」

「大丈夫、最悪長期戦も覚悟してるし。でも私とひかるしかいない状況でこうなるってことは、恐らくイタズラではないってわかっただけでも良かった」

 エマは右手でグーサインを出した。まあ、一応来た意味があったみたいで、こちらとしても良かった、である。


 私とエマでピィちゃんを捕まえた数日後から、気付けば音もなくこの部屋に人が入ってくることが増えたらしい。

 複数人で雑談をしているときなら兎も角、一人で誰かが来るのを待っているときや、白熱していない会議中もふと気付けば人がいることがあるらしい。さらに入ってきた方も、いつもぽかんとした顔で立ち尽くしているので話を聞けば、「どうぞという声と共に扉まで開けてもらったのに、扉付近には誰もいないし中の人も自分に気付いていないようで不思議だ」と皆口を揃えて言う。

 しかもこの部屋は古い扉なので鍵が付いていないのだが、最近教頭が一度、外から開けられないと騒ぎを起こしている。ただ、教頭から話を聞いて駆け付けた別の教師が開ければ、それこそ「軽すぎるくらい」すんなり開いたので、教頭に怨みのある幽霊が三才図会室に居ると学内で密かに話題になってしまった。


「タイミングがタイミングだしさ、ピィちゃんみたいな何かがこの部屋にも居るんじゃないかと思って」

「なるほどね。うん、まぁそれはわかるし、私もそうじゃないかなって思うんだけどさ、ただピィちゃんは私にもエマにも姿を見せてくれたじゃない?」

「確かに……。今回はドア開けるの手伝ってくれて、たまに返事してくれるくらいだもんね。捕まえようがないか」

「そゆこと。まず姿を現してもらわないと。人間かもしれないし、動物かもしれないし、もしかしたらそれ以外のものかもしれないし」

 それ以外、と自分で言って少し怖くなる。得体のしれない魔物のような形だったり、宇宙人みたいな可能性だってある。

「でもめっちゃイケメンの可能性もあるし、案外ブルドーザーかもしれない」

「ブルドーザー」

 何故エマがイケメンと無機物を並べるのかさっぱりわからないが(もしかしてブルドーザーは有機物かもしれないけど大枠で考えれば鉄の塊だし、いやそもそもイケメンでも実体がないなら無機物なのか? そういう高度な哲学問題なのだろうか?)、よくよく考えてみれば自らメイドのような仕事を買って出てくれているくらいだ、悪い奴ではないだろう、と思い至った。

「イケメンにせよブルドーザーにせよ、きっとドアの近くに居るんだよね。見えないだけで」

 私がそう言うと、

「そうね、ドアの開閉を見守ってくれてる感じ?」

 とエマが言う。

「開閉を見守るか……最初メイドさん? って思ってたけど、メイドさんならお茶淹れたりもしそうな気がするんだけど、この部屋ってポットある……な」

 部屋をぐるりと見渡せば、部屋の隅に小さなポットと紙コップ、それからいくつかのマグカップも置いてある。恐らくこの部屋で会議などをするとき、お茶なりコーヒーなりを淹れる習慣があるのだろう。でもそれには関わらず、ただひたすら扉を見張っているとすれば、

「メイドさんっていうより門番さんみたいな感じなのかな」

 私が独り言のように呟くと、「なるほど」とエマも同じようなボリュームで呟く。

 しかしそうだとして、門番さん、どうしたら姿を現してくれるのだろうか。一先ず駄目元で「門番さーん、ちょっと姿見せてくれません?」と声をかけてみるも駄目。姿を映すなら、とエマから言われ鏡を描いてみたけれどこれにも映らず。うーん。

「ねえエマ、普通門番さんって、誰の言うことなら聞いてくれるの?」

 生憎私の学校には門番さんなんて居ない。でも白女には警備員さんが門のところにも居たから、エマなら指揮系統もわかるかもしれない。

「うーん、うちの門番さん? っていうのかな、門とか扉の係の人は、基本はお母さまの言うことを守ってるよ。でもお母さま結構留守がちだから、林田さん……あー、メイド長さん? みたいな人の言うことを聞いてることが多いかな」

 ん? と私は脳内でエマが言ったことをリフレインさせる。うちの門番さん、お母さま、メイド長……。ちょっと待ってエマんちってどんだけお金持ちなんだ。家に門の係が居るのもメイド長が居るのも、何より前もちょっと思ったけど母親をさま付けで呼ぶのも、何もかもが異次元である。ただそんなことは今関係ないし、この話を突っ込むのはかなり不躾だろうということはわかっていたので、私は必死に聞きたいことたちを飲み込む。

「えーとえーと、エマの家では門番さんはお母さんか、その代理のメイド長さんの言うことを聞く、と」

「うん。あ、そっか、つまりここの門番さんも、一番偉い人、その人が居なければ、その人から代理で指示を任された人の言うことを聞くってことか!」

 なるほど! とエマは大きく頷く。私は今のところ全くなんにも力になれていないが、どうやらエマには打開策が見えたようで、「よし!」とスマホを取り出し、スピーカーにして誰かに電話をかけだした。


 コール音わずか三回程度で、スマホのスピーカーから『もしもし』と見知らぬ声が聞こえてくる。

「沢木先輩、冴羽です」

『んーどうした?』

「実はちょっと扉関係のあれで、霊感……じゃないんですけど、まあそういうの強い子連れてきたんですけど、外部の子なんで、今日、鍵とか、私が管理しちゃっても大丈夫ですか?」

『なるほどなるほど、いいよ~。今の時期どうせ私くらいしか来ないだろうけど、一応弥生には伝えとくから』

「ありがとうございます。織ちゃんも今日は来ないって言ってたし、一井先輩と詠ちゃんは今日部活の日ですもんね」

『そ。だから安心してそのお友達にお願いしてー。私も高等部から白澤だからわかるけど、なんかここの生徒って外部の子からしたらちょっと緊張する部分あるもんね。あ、茶箪笥の中にマドレーヌ入ってるから良かったらお出ししてあげて』

「やった! ありがとうございます」

『じゃあよろしく、頼んだよ』

「はあい、失礼します」


 それからエマは、きちんと相手が電話を切るのを聞いてからスマホの画面を閉じた。


「門番さん、これで今日のこの三才図会室の責任者は私で、扉を任されたのも私になりました。なので私の言うことを聞いて、一先ず姿を見せてくださいます?」

 エマが扉に向かってそう言うと、扉は眩しく光り、それからコツン、と小さく何かが床に落ちた音がした。

 私は何が何だか薄ぼんやりとしかわからないまま、でもなんにせよ今は見守ることしか出来ないし、とエマの動きに注視していた。だって今ここの主はエマで、門番はエマの言うことしか聞く気はないのだ。私には何かあったらエマを助けるが、逆にエマに何かあるまでは、陰で見守るしかない。

 エマは私の方を一瞥した後、床に落ちた何かの元へと近付く。私も後ろからそれを覗けば、そこには白い石を彫ったような……多分、チェスの駒みたいなものがあった。

「門番さんじゃなくて、ナイトだったか」

 とエマが言うので、どうやらナイトの駒らしい。私はチェスのルールはよく知らないが、確かチェスはキングを守る、戦争みたいなモチーフなんだっけ? とあやふやな記憶を呼び起こす。ナイトって攻めるものじゃないの? と思いながらも、でも攻撃は最大の防御っていうからまた逆も然りだろうし、キングを守り抜くのが第一目標だからこれで正解か。よかったよかった。

 

「ま、一件落着ってことで。ありがとうね。マドレーヌあるらしいから、一緒に食べよ」

 そういったエマは、独り言のように「しかしまたなんでチェス……」なんて言いながらその駒を拾い上げようとする。しかしすると突然、また眩しい光に私たちは包まれた。

「え……全然落着してないじゃん」

 と私は思わず呟く。

「そうね……むしろ悪化してるかもしれない。人が出入りするたびこんなに光ったら目がいくつあっても足りない気がする」

「確かに。私今、目がチカチカし過ぎてて、あんまりエマのこと見えてないもん」

「しっかしえー……なんでなの、ナイトさん大人しく拾われてくれないかなぁ」

 大人しく拾われるねぇ……と考え、そんなのナイト側からすれば投降に等しいわけで、する訳ないか、と思い至る。あ、でもエマはいわば味方のキングなわけだから投降じゃないのか……あ。

「ねえエマ、チェスってルールよく知らないんだけど、キングは味方のナイトを取れるの?」

「あ……取れない、味方がいるマスには行けないの……なるほどそういうことか。誰か敵にナイトを取ってもらわないといけないのか」

「多分ね」

「でもとすると敵って誰なの? そもそも今私がキングってこと以外、誰がどの駒かもわからないのに」

「色々考えはあるけど、でも手っ取り早いのはあの件の教頭じゃないかな。なんせ一度追い返されてるんだから」

 うわぁ、とエマは頭を抱える。

「私教頭苦手なんだよね。でもチェスは将棋と違って一度取られた駒はもう使えなくなるから、一回だけ教頭に取ってもらえば大丈夫だもんね。うん、ちょっと職員室行ってくる」

 エマはそう言うと、ナイトをぐるりと避けて扉の外へと消えていった。


 ところでこの学校、一体職員室はどこにあるんだろう。別棟なんじゃないかという気がするし、そうだとしたらしばらくナイトさんと二人きりかぁ、とちょっとばかし憂鬱になる。

 っていうかそもそもエマは、教頭になんと説明するつもりなのか。ナイト拾おうとすると、めっちゃ光るんです~なんて正直に言うわけにもいかないだろうし……。


 ◆


 中途半端な集中力でスマホのパズルゲームを三ステージほどクリアしたあたりで、急に扉が開く。私は慌てて髪を手櫛で梳かし瞬時の判断で耳からイヤリングを引っ張り取る。

 入ってきた教頭に挨拶すべきか悩むも、エマと話し込んでいるので、そっと自分史上最上級の品の良い笑顔で会釈をする。頬が攣りそうだが、微笑みを絶やさないまま首をかしげ二人のやり取りを見守る。ああやばい、首も取れるこれ。

 何やら教頭は高らかに笑ったあと、いとも簡単にナイトを拾い上げ、そしてエマに差し出した。

「わあ、流石ですわ教頭先生。ありがとうございます」

 エマの喋り方が中世の上流階級だ。これがこの学校のスタンダードなのか、と私は緩めかけていた頬に再び喝を入れ、私はプリンセス私はプリンセス、自分に言い聞かせた。


 そんなことをしているうちに、「それでは」と教頭先生が退室しようとしたので、私は慌てて立ち上がりお辞儀をした。エマの笑い声と、扉が閉まる音を見送り、ふう、と一息ついてから下げた頭を元に戻す。

エマの方に目をやれば、左手でピースサイン、右手にはしっかりとナイトが握られていた。

「エマ、教頭になんて言ってナイト取ってもらったの?」

「他校の友人に手伝ってもらって、何か扉に引っかかっていたものが取れたんですけど、変な彫刻みたいな物なんだか触るのも不気味だし怖くって……、って頭悪そうな声で言ってきた」

「うわなんかごめん……失ったもの大きすぎない?」

「いや、それでも得たものの方が大きいから安心して」

 しっかし……、とエマが続ける。

「このナイト、このままだとまた新しいゲームが始まったらまた門番しかねないでしょ?下手したら攻撃しないとも限らないし」

 そこで私は、一人でいる間ぼうっと考えていたことを伝える。

「やっぱ名前かな、って思うんだ。名前ってか、記名?署名?」

 エマはピンと来ていないようで、私が続きを話し出すのを待っているようだった。

「つい最近まで何もなかったのに急にナイトが働きだしたのって、多分誰かがゲームを始めたからだと思うんだ。だからこのナイトをエマの物にして、エマ以外がゲームを始められないようにすれば、一先ずは安全かなって。まあ根本的解決にはなってないから、もっと良い案が思いつくまでの繋ぎみたいな感じだけどね」

「確かに取りあえずはそれが一番良いかもね。でも私はあのペン使えなくって署名できないから、ひかるが『ひかるからエマに贈る』みたいな感じで書いてくれないかな」

「あーそっか、わかったよ。それって英語で書いたほうが良いよね? 見本書いて」

 はいはい、とエマは手近にあったメモパッドにすらすらと英文を書く。『From Hikaru for Emma』と書かれたそれは、存外簡単な文章だが、故に私が書いたら中学生の英語のワークになること間違いなしだった。

「エマ、これやっぱり書けない?」

「書けないよ!私が何回あのペンで文字書こうとしたと思ってんのよ」

「そうだよね」

 と私は観念し、つたない筆跡でアルファベットを並べた。


 ナイトだし、いざという時はエマを守ってね、と心の中でお願いしながらその文章を書ききると、ピィちゃんの時のようにまた文字は光り、刻印された。

「はい、エマ。しばらくの間頼んだよ」

「うん。むしろ巻き込んでごめんね、だし。私もなんか良い案がないか考えてみる」

「うん」

 と私も頷いて、それから窓の外を見れば、空はもうすっかり濃い色で、夜がすぐそこまで来ていた。

「今日はもう帰ろう」と言ったのはどっちだったか。

 二人で並んで歩く白女から駅まではほんの一瞬の道程なんだけれども、世界からここだけ隔離されていて、私たち二人ぼっちなんじゃないかというくらい静かだった。遠くの方で薄く光る星が、夜を呼んでいる。

 ここでこうして二人一緒に居ることも、奇跡みたいなもんだもんな。そんな風に出会ってから今日までのことを考えていると、やっぱりあっという間だ。駅に着いてしまったのだった。


「あ、そいえば」

 と駅のホームで電車を待ちながらエマが言う。

「イオ、この前の従兄弟ね、近々日本に引っ越しさせられるんだって」

 従兄弟さん、確かイギリスに十年住んでいるって言っていたっけ。

「でもしょうがないよ。学生時代のこの時期に引っ越しは嫌かもしれないけど、でも結婚したら一生だもん」

「そうかもしれないけど、私は日本でこのまま白澤に通い続けられて、イオだけ自分の希望じゃなく変わらなきゃいけなくなるんだよ」

 エマだって従兄弟さんのことが嫌いなわけじゃない、本当は好きだからこそこんなに悩むんだろう。イオさんだってエマのこと、嫌いなわけじゃなさそうだったし、むしろ無理に婚約者なんかにさせられなければ恋に落ちた可能性だってなきにしもあらずだと思うのに。でも事情もわからないのに大人が悪い、とも言えない。だってその大人はエマやイオさんの両親だったりするんだろうし。

 だからやっぱり、私には「しょうがない」と言うほかないのだ。


「しょうがないよ」

 口に出してはみたけれど、本当にそうだろうか。しょうがない、どうしようもないんだろうか。私がやったお節介って、本当に合っていたんだろうか。そんな風に思っているとエマに肩を叩かれる。

「ひかる、電車来た」

「あ、うん」


 願わくば、イオさんにも私とエマみたいな奇跡が訪れますように。後出来ればこの前喧嘩を売ってしまったようなものなので、なんとか日本にいる間会わずに済みますように。そう思いながら私はエマから伸ばされた手を取って、もうだいぶ混んでいる電車に乗り込んだ。

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