第21話 幸せ
「朱羽ちゃん!」
「鷹也」
「あはっ、今日もテンション低いね!」
「それで良いって言ったのは鷹也じゃない」
2人が付き合いだして1年が過ぎようとしていた。
朱羽子と鷹也は、最初は今まで通り、喫茶店で顔を合わせるだけだった。
それから、少しずつ外でも会うようになった。
朱羽子は、あれほど絶対呼ばせなかった、朱羽子の『朱』の字に赤い血が走るから、と、頑としてして呼ばせなかった下の名で、
「鷹也に『朱羽ちゃん』て呼んで良い?」
と言われ、想い出しては消える過去とこれからをどう生きるか…。
そう、自分の心と闘い、躊躇いはあったが、過去に囚われて生きるより、ここにいる、最高に輝いている恋人がいてくれる…、それは…過去は罪悪感を連れて、歩き出そう。
と、『朱羽ちゃん』を許した。
それは、鷹也が朱羽子の名前を呼ぶことで、何だか自分が許される気がしたからだ。
朱羽子は鷹也が『朱羽ちゃん』と呼んだあと、いつもボーっとする。
「朱羽ちゃん?」
「ん?」
「またボーっとしてる。どうしたの?」
「何でもないよ」
「本当?」
「うん」
こんな会話は珍しくない。
しかし、朱羽子には大きな変化があった。
鷹也の前でだけだけれど、よく笑うようになったのだ。
それは、鷹也がデートの度、鷹也の写したを持ってきてくれるからだ。
鷹也の写真はやっぱり、空ばっかりで、でも同じような写真は一枚もなかった。
どれも空は、顔があって、心が見えて、笑ったり、怒ったり、悲しそうだったり…。
そんな鷹也の写真を見るのが朱羽子の楽しみだったのだ。
相変わらず、見上げる空は、今でも灰色だったけれど…、何故か、鷹也の空は青く、澄み切っていた。
「私の心も…こんな空だったら、良かったのにな…」
朱羽子は、おもむろに、時々そう、呟く。
「ん?」
「鷹也、言ったじゃない?鷹也の写真が奇麗だと思えるなら、私の心も奇麗だって。私は今だって本当かな?って思うから…」
「朱羽ちゃん、俺は朱羽ちゃんの過去に何があったかは知らない。なんで、朱羽ちゃんの空が灰色に見えるのかもわからない」
(やっぱり…鷹也に過去を…過去を話せるはずがない。そんな事も何にも解ってないんだよね…)
「朱羽ちゃんの事、何もわかってない、って思ったでしょ?」
「え…」
「やっぱり。ほら!俺、ちゃんと朱羽ちゃんの事解ってるでしょ?」
「ふふ…」
「大丈夫。俺がいつか朱羽ちゃんに本物の青い空を見せてあげる。きっと…必ず!」
*
朱羽子はこの1年、怖いくらい幸せだった。
『幸せ』と初めてめぐり逢えた気がした。
幸せだけじゃない。
『愛』と言うものの存在が、本当にあったんだ…と実感した。
生まれた時、母はいなかった。
物心ついた時にはもう父から暴力を振るわれていた。
愛されている感覚がまるで解らなかった。
もちろん、橙史の日記で橙史が緑子を愛していた事は解った。
朱羽子を愛そうとしていた事も、胸に抜けない棘が刺さった。
けれど、こうして、笑顔で他人とまた会話を出来る、しかも、それが恋人だという事を朱羽子には、信じて良いのかどうかすらわからないほど、…幸せ…だったのだ。
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