第19話 少し…後

「岩滑さん?」

「…」

朱羽子は無言で、顔色がどんどん蒼くなっていった。

「なんで…そんな事聞くんですか?」

「な…何でもない…」


そう言うと、朱羽子は、鷹也の座っていたカウンターから、何かから追われているように、急いで逃げた。

そして、奥のプライベートルームに駆け込んだ。


「…ふ…」


言葉にならない悲しみと、期待していた自分の馬鹿さ加減に、朱羽子は、その場に崩れ落ちた。


そして、声を殺して、泣いた。


(馬鹿、私の馬鹿…私の馬鹿馬鹿馬鹿!!!)


その場に取り残された鷹也は、一体何が起きたのか分からず、頭をポリポリ掻いた。

「どうしたんだい?」

その様子を遠くから見ていたマスターが、鷹也に話しかけた。

「あ、いや…俺、なんかまずい事でも言ったかな?て…」

「朱羽子ちゃんと何か話したのかい?」

「え、えぇ。人殺しを思うかって聞かれて…」

「そうか…。それで青野木君はなんて言ったんだい?」

「え、まぁ。そんなの人じゃない…、みたいな…だってそうじゃないですか。他人殺すなんて、人のすることじゃないですか」



マスターは少し切ない顔をして、

「朱羽子ちゃんの過去に、何か関係あるのかも知れないな…」

「岩滑さんの…過去?」


いつになく神妙な面持ちで、マスターは語った。


「君は朱羽子ちゃんが好きなんだよね?」

「え!?なんで分ったんですか!?」

「そりゃ見てれば解るよ」

もう喫茶店に初めて来た人さえ、解ってしまいそうな鷹也の熱視線は半端じゃなかった。

マスターがこれからしようとしてる、話の内容には余り似つかわしくない反応だ。

「そう…だったんですね…」

顔を真っ赤にして、下を向いた鷹也に、マスターは続けた。




「だからね、鷹也君。君に朱羽子ちゃんの過去を一緒に背負う覚悟はあるかい?」

「岩滑さんの…過去を、一緒に背負う…?」

「そう。人は誰しも間違いや失敗をする。君は朱羽子ちゃんにそう言ったよね?それは本当にいい言葉だった。だからこそ、朱羽子ちゃんが何か間違いや失敗をしていたら、それがもう取り返しのつかない事だったとしても、受け止め止めてあげる覚悟が覚悟が必要なんだ。君…青野木鷹也が本当に岩滑朱羽子を好きだったらとしたらね」

「岩滑さんの過去って…なんなんですか?」

「さぁ。僕もそれは知らないけどね。でもきっと彼女の笑顔を奪ったのは、彼女の過去の間違いや失敗にあると思うんだ。どんな失敗か、大きいのか、小さいのか、それすら僕にも解らない。こんなにも歳を重ねているのにね」


「…」


鷹也は、いつものふざけた素振りを一切取らず、只々、考えていた。



いまいちピンと来ない。

あんなおとなしそうで、鷹也の写真を欲しいと言ってくれた朱羽子に、自分の胸を、ドキドキさせて、奇麗で、あの…透き通った瞳…に、どれほどの過去があるのか、どんな間違いがあったのか、どんな失敗があったのか、それはマスターの予想通り、一朝一夕で朱羽子の過去を全部知ることなど不可能なんだ。


キィ…。

プライベートルームのドアが開く音がした。

「やぁ、朱羽子ちゃん。もう大丈夫かい?」

優しい笑顔で、朱羽子に問いかけた。

「あ…はい。すみませんでした…。仕事中に」

「良いさ。ちょうどお客様が引いたとこだったしね。もしあれなら、もう少し休んでても平気だよ」

「いえ、もう、大丈夫です」

「そうか…良かった」

「はい。テーブル…片づけてきます」

そう言って、鷹也から離れようとした時、

ガタンッッ!!

と大きな音がして、鷹也が…鷹也が…鷹也が―…、



コケた。



カウンターの椅子が回転するだけで、下は固定されている事をすっかり忘れ、急に立ち上がろうとしたのだ。


「いって――――――――――!!肘打った――――――――――!!!!」


その場でじたばたする鷹也。

その光景に、朱羽子は思わず、


「ふ…」

「…!」


鷹也はもちろん、マスターも驚いた。


朱羽子が笑ったのだ。

少し口角が上がっただけだが…。


その笑みが消えないうちに!と、鷹也が…、


「朱羽子さん!!俺と付き合ってください!あなたのすべてを一緒に背負います!だから!俺と付き合ってください!!」



今度は、朱羽子だけでなく、またもやマスターも、さっきよりもずっと、びっくりした。


そんなギャラリーの目もはばからず、

「ひとめ惚れだったんです!頑張ります!朱羽子さんの空が青く澄み切って見えるようになるまで、なった先もずっと!俺と、付き合ってください!!」


その言葉に、朱羽子の顔から、笑みと、驚きの表情が消えた。



「ひとめ惚れで?じゃあ…どうせ顔だけでしょう!?中身なんて知りもしないくせに!私のすべてを背負う?そんな事、無理に決まってるじゃない!!ふざけないで!!!」

「ふざけてるつもりなんてありません!!」

捲し立てた朱羽子に、押し黙ると思いきや、鷹也は言い返した。

その反応に、朱羽子は少し後ずさった。



次の叫びに、朱羽子は、凝固する。






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