15-4 優しすぎるΩの母
アケミはアキトの姿を認めると、気まずそうに顔を逸らした。
「アケミさん。……て今呼ぶのも変かな。お袋……」
アキトがアケミを「お袋」と呼ぶと、アケミは目を見開いてアキトの方を振り返った。
みるみるうちにその真ん丸の目に涙の膜が張っていく。
「ご、ごめんなさいね。あなたにはずっと隠しておくつもりだったのに……」
アキトはそっとアケミにハンカチを差し出した。
アケミはアキトからハンカチを受け取り、涙を拭った。
「ねぇ、お袋。何でそこまでして俺の両親の言いなりになろうとするんだ? お袋は自分があの人たちから何をされたのかちゃんとわかってるのか? 決して許される話じゃないだろう?」
アキトの声に怒りがこもる。
そんなアキトにアケミは淋しそうに微笑んだ。
「だって、サチさんはわたしにとって大切な人だもの。サチさんを困らせるようなことは出来ないわ」
そうか。サチはアケミにとって運命の番だったのだ。
身体だけでなく、魂のレベルで惹き合うのが運命の番だった。サチを嫌いになれなかったというのも無理はない。
だがやはり理不尽極まりない扱いだとアキトは納得は出来なかった。
そんなアキトの考えを見抜いたのか、アケミは苦笑した。
「わたし以上にあなたやケンシロウ君がサダオさんに怒るから笑ってしまったわ。二人共、本当に優しいのね。ありがとう」
だが、その苦笑いはすぐに引っ込み、その表情に陰が差す。
「だってね、あの頃のサチさんをわたしは見ていられなかったんだもの」
「どういうこと?」
「あなたもわかっているでしょう? サチさんにニカイドウ家での発言権はないって」
そう言われれば、ずっとサチはサダオの顔色を窺って生きて来た気がした。
以前のアキトもそうだったように、サチも家長たるサダオの機嫌を損ねないよう、常に気を遣っているのだ。
「サチさんはね、サダオさんと結婚したのは親同士の取り決めだと言っていたわ。α同士で結婚をして、生粋のαを設ける。それがαの親にとっての願いですものね。サチさんは幼い頃はご両親の、大人になってからはサダオさんの元で翻弄されて来たのよ」
とアケミは語った。
確かにサダオとサチはお見合い結婚だったと訊いているが、αの良家同士の結婚では本人たちの意思など介在しないことが多い。
「生粋のα」の血を絶やさぬよう、それぞれの家は必死に子どもをα同士で結婚させようとするのだ。
サダオが異常なまでにアキトを「生粋のα」として扱おうとしたのも、そう言われてみれば事情が理解出来る。
サダオもこの社会の波に飲まれた結果、あんな冷徹な人間になってしまったのだろうか。
だとすれば、サダオに対して憐れみの念も湧き出して来る。
「サダオさんは、全てにおいてサチさんを管理したがった。伝統あるαの良家では、αの夫が家長となり、家族は全員夫に従うことが当然とされている。もしサチさんがサダオさんに意見でもしようものなら、すぐにでも離婚するとサチさんは脅された。離婚するということは、サチさんの実家の名に傷をつけることになる。サチさんは実家のご両親と夫のサダオさんとの間で板挟みになっていた。そんなサチさんの苦しむ姿を知っていたから、わたしはいくら運命の番だからといって、サチさんを困らせてまで番の解消を拒否することが出来なかったの」
アケミはそう言って小さく嘆息した。
優しすぎる。アケミはあまりにも優しすぎるのだ。
そんな家同士のしがらみに捕われたサチなど、駆け落ちでもすればよかったのに。ちょうどアキトとケンシロウがそうしたように。
だが、それが出来ない所がまた、アケミの優しさと情け深さなのだ。
でも、アケミは今まで十分に人生の辛酸を嘗めて来たはずだ。これ以上苦しむ必要なんてない。
「お袋はどうしたい? 俺とどうなりたい?」
アキトがアケミに問いかける。
アケミは迷ったように目線を宙に浮かせ、少し苦し気に答えた。
「あなたはサチさんと東京に戻った方がいい。わたしといるよりももっといい生活も出来るでしょうし……」
そんなアケミの手をアキトは優しく握った。
「それはお袋の本音じゃないだろう? 俺はわかってるよ、お袋の気持ち。俺は無下にお袋を置いて東京に戻ったりしない」
アキトが静かにそう告げると、アケミは涙を抑え切れず、その場でアキトに抱き着いてむせび泣いた。
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