10-4 もう一つの実家

 Monster Boyを訪れると、エツコはいつも通り優しい笑顔で二人を迎えてくれた。  

 やっぱりケンシロウはエツコに会うと心の底からほっとする。


 エツコは二人の前におしぼりを置きながら尋ねた。

「あんたたち、明日出発だったわよね?」

「うん」

「準備は出来た? 忘れ物しないように気を付けなさいよ」

 まるで母親のようにエツコはケンシロウに口うるさく注意をする。

 これまでずっとそばで見守って来た自分の息子のような存在であるケンシロウ。

 きっと一人息子が独り立ちをするといった感覚なのだろう。その愛息子の旅立ちが心配で仕方ないようだ。

「わかってる。でも、もし忘れ物したら、エツコママに宅配で送って貰うよ」

「もうっ。都合がいいのね、ケンちゃんは!」

 甘えるケンシロウにエツコが怒ったフリをしてみせる。

 ケンシロウもアキトもその様子を見て笑い声を上げた。


 最後の夜だというのに、エツコは感傷に浸るでもなく、いつも通りケンシロウに接してくれることが嬉しかった。

 変にしんみりされたりすれば、ケンシロウはすぐにでも泣いてしまっていたことだろう。


 楽しく三人でしゃべりながら、他愛もない話に花を咲かせる。

 このMonster Boyはある意味、ケンシロウにとっての実家のような場所だ。何一つ気兼ねすることなく話が出来てくつろげる。

 長野に引っ越しても、たまには帰省する気分でMonster Boyを訪れよう。

 その話をすると、エツコは笑った。

「ここが実家はよかったわね。でも、ちょっと不思議よね。普通は帰省するっていったら、都会から田舎に帰るのが一般的でしょう? だけど、ケンちゃんは田舎から新宿に出て来るのが逆に帰省になるんだから」

「お盆や年末年始の帰省ラッシュと反対方向で移動する訳だから、混雑を避けられて逆にいいんじゃないですかね?」

 アキトが茶々を入れた。

「それは考えつかなかったわ。でも、言われてみれば確かにそうよね」

 エツコは妙に納得している。


 エツコはニコニコしながらケンシロウに言った。

「だったら、余計に淋しがる必要なんてないわよね。だって、また気軽に会いに来てくれるんだし」

 その言葉を訊いた時にケンシロウははっとした。

 エツコの口から「淋しい」という言葉を初めて訊いたからだ。

 やっぱり、普段通りに振舞っていても、本音では淋しかったのだ。

 ケンシロウはすっかりしんみりしてしまった。

 

 それから暫くアキトとエツコが静かに会話を交わしている間、ケンシロウはじっと込み上げる淋しさを堪えながら座っていた。

「すみません。明日は出発が早いので、そろそろ俺たち帰ります」

 どれだけの時間が経過したのか、そう言ってアキトが立ち上がった。

 嫌だ。まだエツコと別れたくない。

 ケンシロウはアキトの袖を引っ張った。

「ケンシロウ?」

 アキトがケンシロウの方を振り返った。


 ケンシロウの視界がみるみる内に涙でかすんでいく。

「嫌だ。まだ帰りたくない。エツコママのそばから離れたくない。長野なんか行きたくないよ!」

「ケンシロウ……」

 アキトは困ったように、子どものように泣きじゃくり始めたケンシロウを前に立ち尽くしていた。

 するとエツコがカウンターから出て来て、ケンシロウをギュッと抱き締めた。

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