10-2 山村の民宿

 ケンシロウはすやすやと気持ちよさそうに眠るアキトの姿を眺めながら考えた。


 アキトの父サダオに詰め寄られた時は、うっかり手放してしまいそうになったアキトの温かくて大きな手。

 でもどんなに逃げようとも、二人を分かつことの出来ないのが運命の番の呪縛だ。

 今回はその運命の番の呪縛というものに助けられたといってもいい。あのままアキトとの関係が切れてしまっていたら、ケンシロウはまともに今後の人生を送ることなど出来なかっただろう。


 だが、運命の番の呪縛に頼ってばかりではいけない。

 アキトを自分の大切な一生のパートナーとして、何があっても怯まない心の強さを身に付けなければ。


 それに、これでアキトは実家との縁が切れてしまう。大学院生であるアキトにはまとまった収入源はない。

 ここはケンシロウがアキトを経済的にも支えてやらなくてはならない。

 バイトのシフトも増やして貰おうかな。それとも、もっと時給のいいバイトでも探そうか。


 ケンシロウはいろいろ想いを巡らせながら、パソコンを開いて求人情報に目を通していた。

 その時、ケンシロウの目にある求人情報が飛び込んで来たのだった。

 それは龍山荘たつやまそうという長野の山村にある一件の民宿だった。

 求人は二人分出ている。試用期間を経て正社員として雇用して貰えるらしい。それに、泊まり込みだから家賃もいらない。


 龍山荘のホームページを見てみると、山間の自然豊かな場所に佇む古民家を改修した味わい深い民宿だった。

 こんな場所でのんびりとアキトと暮らすことが出来たらどんなに幸せな日々を送ることが出来るだろう。

 ケンシロウの胸が思わず高鳴る。


 その時、いつの間に起きていたのか、アキトがケンシロウを後ろからギュッと抱き締めた。

「ケンシロウ、好き」

 アキトはすっかり甘えん坊になっている。

「何見ているんだ?」

 ケンシロウを抱き枕のように抱えながら、パソコンの画面をアキトは覗き込んだ。

「求人サイト? 何でそんなもの見てるんだよ」

「だって、オレにはアキトっていう大切な恋人が出来た訳だし、いつまでもバイトで食いつないでいく訳にもいかないじゃんか? ちゃんとした仕事がしたくて」

「恋人かぁ。そうだな。俺とケンシロウはこれからもずっと一緒だもんな」

 アキトは嬉しそうにケンシロウに頬を擦り付けた。

「でも、俺もこれからはちゃんと働かないとだな。ケンシロウに頼ってばかりじゃいられないし。ちょっとその求人サイト、俺にも見せてくれよ」

 求職活動を始めたケンシロウを見てアキトも思うところがあったらしい。


 アキトはケンシロウの横に座って龍山荘の求人情報に目を通した。

「へぇ。龍山荘かぁ。場所は長野? めっちゃ遠いじゃん。でも、二人分の求人が出ているんだな。ここで雇って貰えたら俺とお前で一緒に働けたりして」

 どうやらアキトは龍山荘で働くことに興味が出て来たらしい。

「あはは。無理だよね、こんな所で働くの。アキトには大学院もあるしさ」

 ケンシロウは笑って誤魔化そうとしたが、アキトの目は真剣だった。

「俺、ここで働いてもいいぞ」

 アキトはそうポツリと呟いた。

「え? でも、大学院は?」

 驚くケンシロウにアキトはそれまで彼に語ることのなかった本音を打ち明けた。

「俺はもう、研究者に対する執着はそこまでないんだ。それよりも、俺は俺らしい人生を歩みたい。都会を離れて田舎暮らしをするのもいいと思う。エリートにならなきゃいけないってずっとプレッシャーを感じて来たけど、そんなαとしてのしがらみから俺は自由になりたいんだ」


 ケンシロウはそんなアキトの心が何となくわかる気がした。

 ケンシロウ自身、幼少期はαの両親の元に生まれ、αとしてエリートになるよう期待されて育てられて来た。

 だが、その時のケンシロウは幼いながらも両親のかける期待をその小さな身に一手に引き受け、今にも潰れてしまいそうな程のプレッシャーに苛まれていた。

 両親を喜ばせるために勉強を頑張っていい成績を取り、少年サッカークラブでキャプテンも務めた。

 結局それら全てはケンシロウがΩであると判明した時点で何の意味もなさなくなったのだが。

 Ωとわかってから両親の過度な期待は突如としてなくなった。

 それからはΩとして何とかこの社会で生き延びるために必死で生きて来たが、αとして生きなければならないという重圧がない分、ある意味精神的には楽だったのは確かだ。


 そんなことを考えていると、アキトが少し心配そうにケンシロウの顔を覗き込んだ。

「でも、お前はいいのか?」

「何が?」

「だって、ここで俺たちが働くってことは、このアパートも引き払わなきゃいけない。そうすれば、ケンシロウは今までみたいに気軽にエツコママにも会えなくなるだろ?」

 ケンシロウはアキトに指摘されてはっとした。

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