6-9 第二の母

 冗談じゃない。サダオとサチの社会的名誉のために、ケンシロウを捨てるだなんて。

 アキトの心は二人の話を訊くと余計に固くなった。

 何があってもケンシロウと別れたりなどしない。もし親子の縁を切るというのなら切ればいい。


 アキトも学会誌の論文の掲載が叶えば、これを足掛かりに更に業績を重ねていくことも出来るだろう。

 冷え切ったオカダとの関係ももう一度取り戻して、就職先の面倒を見て貰おう。そのためにオカダに媚び諂うことなど、やすいことだ。


 より強くなったケンシロウへの想いを胸に、翌日も彼の病室を訪れると、そこには先客がいた。

 ケンシロウを見舞いに来るような知り合いがいたことにアキトは驚いた。彼はずっと一人で新宿二丁目で生きて来たと思っていたのだが。


 だが、その先客の顔を見たアキトは思わず息を吞んだ。

 それは、ケンシロウと初めて出会ったあの日、バーMonster Boyにいたあのママだったからだ。

「あ、あなたは!」

「まぁ、あんた!」

 二人はほぼ同時に叫んだ。


「え? どういうこと? アキトとエツコママ、知り合いだったの?」

 ケンシロウも驚いて目を丸くしている。

「あ、いや。知り合いという程でもないんだけど……」

「一度わたしのお店に飲みに来てくれたお客さんなのよ。ね?」

 ママはアキトにそう言って流し目をした。


 正直、あの時のアキトはΩへの軽蔑の念にまみれており、随分無礼を働いた苦い思い出のある相手だ。

 アキトは気まずくなり、ただ頷くことしか出来なかった。

 すると、ママがアキトに握手を求めて来た。

「わたしは新宿二丁目でバーを経営しているエツコよ」

「えっと、俺は、俺は……」


「オレの運命の番のアキト!」

 自己紹介もまともに出来ず、口の中でもごもごしていると、そんなアキトを見かねたのかケンシロウが口を出した。

「あ、はい。俺、こいつの運命の番になったニカイドウ・アキトです」

 ドギマギしながらアキトはエツコと握手を交わした。そんなぎこちない様子のアキトを見て、エツコはクスリと笑った。


 何とも気まずい。それもこれも、あの時、無礼を働いた自分が全て悪いのだ。


「この前は本当にすみませんでした。俺、よく二丁目のこととかΩのことを知ろうともしないで……」

 頭を下げようとするアキトをエツコは止めた。

「ああ、もういいのよ。αのお家に生まれたんでしょ? そりゃ、そういう考えにもなるわよ」

 あの時とは打って変わって優しいエツコにアキトは少しホッとした。


 そんなアキトの様子を見て、エツコは再びクスリと笑った。

「本当だ。ケンちゃんの言う通り、この子、随分と変わったのね。でも、最初にお店に来た時から、何処となく純朴そうな雰囲気は感じていたのよ。嘘をつけないタイプっていうか、素直な子なんだろうなと思って」

「でしょでしょ? アキトってさ、最初は偏屈で突っ張っていて取っつきにくい感じだったけど、本当はとってもいいやつなんだ」

 ケンシロウがニコニコしながらそう言った。


「あの、エツコさんとケンシロウはどういう関係で……?」

 やけに仲の良さそうな二人の関係をアキトはおずおず尋ねた。

「わたしたち? そうねぇ。わたしはケンちゃんにとって第二の母ってところかしら?」

「第二の母ですか……」

 よくわからないといった表情のアキトにケンシロウが説明をした。

「エツコママはね、オレが二丁目で働き始めた頃からの付き合いなんだ。オレが売り専として仕事を始めた時、ストーカーになった客に追いかけられたことがあってね。そんな時にオレを助けてくれたのがエツコママだったんだよ」

「す、ストーカー!?」

 頓狂な声を上げるアキトをケンシロウとエツコは笑った。

「そんなこともあったわね。なんせ、あんたはその面構えでしょ? 小悪魔なのよ」

「それ、オレのこと褒めてる? 悪意があるよ、エツコママ」


 二人で笑い合う姿を見たアキトは、まるでこの二人が本当の親子のように見えた。

 いや、多くの本当の親子よりも深い関係だろう。

 アキトは父サダオとも母サチとも、これ程まで楽しく会話をした記憶はない。

 いつも親子の間には言いようのない緊張感が漂い、二人の前でこんな風に馬鹿笑いをするなど一度も経験がなかったのだ。


 羨ましいな。


 そんな感情をアキトはこの二人に覚えたのだった。

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