5-3 ケンシロウは渡さない
だが、そんなケンシロウの腕をオカダはしっかりとつかんだのだった。
「何するんだよ!?」
叫ぶケンシロウにオカダはグイッと顔を近付けた。
「君は知らないようだね。彼はね、うちの大学の中では落ちこぼれなんだ。大学院生になったはいいが、研究業績が一向に上がらない。だから、彼の両親はαであることから、彼は自分が生粋のαであることを唯一の誇りとしている。そこにしか縋るものがないんだ」
アキトの胸が再びチクリと痛んだ。オカダの発言に嘘はない。まさにその通りだったからだ。
オカダは続けた。
「でもね、彼は正直、αとしは優秀ではない。いわば、出来損ないのαだ。そんな彼との未来など、明るいと思うかい? いくらαとはいえ、その優秀さはピンキリなんだ。どうせ付き合うなら、もっと将来性のあるαと付き合った方がいいとは思わないかい?」
「出来損ないのα」。
普段はそんな本音など、決して口には出さないオカダであるが、薄々そう思われているだろうことはアキトもわかっていた。
だが、実際にそう口に出して言われているのを訊くと胸が苦しくなる。
「私なら彼よりも君にもっといい生活をさせてあげられる。番を解消したって、今では発情抑制剤もいいものがたくさん出ている。それに、私なら君をもっと気持ちよくしてあげられる。彼が番であったことなんて、すぐに忘れさせてあげるよ」
オカダは優し気にケンシロウに語り掛けた。
「いえ、遠慮しておきます」
ケンシロウはそんなオカダの誘いをキッパリと断り、その場を立ち去ろうとした。
だが、オカダはケンシロウを逃がしはしなかった。
「いいじゃないか。そんなに急ぎの用事でもないんだろ? 付き合ってくれたら、コレ、弾んであげるから」
ケンシロウに金を払ってでも、やつを自分のものにしたいらしい。
アキトの心臓がドキリとした。
アキトは確かにケンシロウの番として失格かもしれない。
ケンシロウがこれほどまで自分を信頼してくれているのに、その想いに応えるどころか逃げてばかりいた。
オカダの言に異を唱えることなど出来ない。
だが、このままケンシロウをオカダに獲られてもいいのか?
黙って指を咥えたまま、ケンシロウがオカダのモノになるのを見ていていいのか?
オカダは適当にケンシロウを遊び相手にし、最終的にはゴミのように切り捨てるだろう。
そういう行為を繰り返して来たことを、オカダのそばでずっと院生をして来たアキトにはわかる。
だめだ。ここでケンシロウをオカダのものにしては。
アキトはこういう場面でも普段であれば「理性的であれ」と自分に言い訊かせ、感情的な行為を慎もうとするものだった。
だが、考えるよりも先に足が二人に向かって踏み出されていた。
アキトはオカダの前に立ちふさがった。
「オカダ先生! やめてください。彼、嫌がっているじゃないですか」
オカダはギョッとしたように目を見開いた。
そしてケンシロウとオカダが同時に彼の名を叫んだ。
「アキト!」
「ニカイドウ君!」
オカダは暫くあんぐりと口を開けていたが、その内アキトを嘲笑するかのように「ふっ」と小さく笑った。
「ニカイドウ君、立ち訊きとは趣味が悪い」
「すみません。でも、こいつをオカダ先生に獲られる訳にはいかないんです」
アキトはケンシロウを抱き寄せたまま、オカダを睨み付け続けた。
ここで負けてはダメだ。ケンシロウをこの男にだけは絶対に奪われたくない。
そんなアキトの挑戦的な目にオカダの表情も次第に固くなっていった。
オカダは暫く忌々しそうにアキトとケンシロウを見比べていたが、今度は声を上げて笑い出した。
「あははは! まぁ、そんなに君がこの子のことを大切に思っているのであれば、好きにすればいい。一生この子と添い遂げたいと願うならば、それは素晴らしいことだ」
笑ってはいるが、目の奥は冷たく鋭い眼光がアキトを睨み付けているのがわかる。
オカダのその様子にアキトは背筋が寒くなったが、ここで負ける訳にはいかない。
彼はずっとオカダを睨み続けた。
「今の世の中ではαとΩが番を作り、結婚するなど普通のことだ。例え、ニカイドウ君がこのΩの子と二丁目で番を成立させた関係だとしても、それをとやかく言うのは間違っているからね」
オカダはアキトが何処でどうケンシロウと番を成立させたのか、大体の察しがついたらしかった。
オカダはわざと「二丁目で」という部分を強調して言った。
その言葉とは裏腹に、世間的に白い目で見られがちな二丁目で番を成立させたアキトへの軽蔑と嘲笑の念を抑え切れないといった様子だ。
これ以上、話しても無駄だ。
「失礼します」
アキトはオカダに一礼するとその場を後にした。
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