1.Side アキト ーそれは、夜の街・新宿二丁目で突如として振って来た厄災だったー

1-1 人は理性的であるべきだ

 人は理性的であるべきだ。

 いかなる時も動物的本能に突き動かされることなく、冷静に物事を判断する。

 感覚や感情は理性がコントロールし、人として誇りある姿をいついかなる時も保たなくてはならない。

 それが増してやαアルファの性を生まれ持った人間であるならば。


 これが、今年二十七歳になるニカイドウ・アキトの人生の指針だ。


 アキトはαの両親の元に生まれたαの子どもである。

 この社会において、αの両親から生まれたα性を持つ子どもは「生粋のα」と呼ばれ、人々から一目置かれる社会的階級に属している。

 アキトが生まれ育ったこの社会では、αの両親から誕生する「生粋のα」こそが最も優秀と見做され、社会的地位も高い。


 そもそもα同士の婚姻関係における妊娠率は低い上に、βベータや、更に最悪なことにはΩオメガの子どもが生まれる可能性もあり、「生粋のα」という存在はほんの一握りしか存在しない。

 多くのα同士の夫婦は子どもに恵まれず、そのような場合は婚姻関係の外でΩの性を持つ者とつがいを形成し、子どもを設けようとする者も多い。

 ただαとΩの間に生まれた子どもは、例えαの性を持って生まれて来たとしても、「生粋のα」からは劣った存在として見られているのだ。


 だからこそ、アキトはこれまでの人生、自分が「生粋のα」であることを何よりも誇りとして生きて来た。

 頭脳明晰な「生粋のα」として最高学府として名高い東帝とうてい大学の大学院に進学し、今は研究者を目指して忙しい日々に追われている。


 有能な脳神経外科医として働く父サダオの名に恥じぬよう、また、幼い頃より立派な一人前のαに育て上げようと英才教育を施してくれた母サチを落胆させることのないよう、早く博士論文を提出し、大学のポストを得なければならない。


 彼の理想とする人生は、研究者として独り立ちをすることは勿論、αの妻を人生の伴侶とし、αの子どもを設けることだった。

 Ωの番を見つけることなど考えた試しもない。

 あんな社会の最底辺に属する汚らわしい連中と肌を触れ合わせることなど考えただけでも虫唾が走った。


 だが、哀しいかな。

 αのさがとして、発情期にΩの発するフェロモンの香りには否応なく性欲を著しく刺激され、我を失ってΩに襲い掛かってしまうという習性がある。


 父サダオはこのような動物的ともいえるαの性質を唯一の欠点だと再三アキトに語っていたし、アキト自身もその考えが全てだと思って生きて来た。

 αたるもの、そのような人間の尊厳を忘れた行為に勤しむものではない。

 誇り高き社会をリードする存在として、いついかなる時も理性的に振舞うべきだ。例えΩの発情期に刺激を受けようとも。

 これがサダオから彼の息子アキトに受け継がれた家訓だった。


 そもそも、発情期に誰彼構わずフェロモンの香りを辺りに放ち、αを誘惑して回るような低俗なΩの人間など、「人」としての風上にも置けない存在だ。

 αに生まれた者として、Ωと関係を持つこと自体が恥ずべき行為だ。

 性的欲求は悪戯にΩを相手に発散するものではなく、清廉潔白なαのパートナーとの間で満たすべき神聖な欲求だ。

 αの恋人のいないアキトにとって、性欲など理性で抑え込むべき感覚でしかない。


 それに性に対する欲求を抱くよりも、今は自分の研究業績を上げなければならなかった。

 ただでさえ、学術雑誌に投稿した論文がなかなか採用されないのだ。

 このままでは研究業績が不振で大学のポストを得ることも出来ない。

 「生粋のα」として、研究者になれずに路頭に迷うなど、ありえない。

 アキトは研究室に籠り、急き立てられるかのように、日がな一日専門書や学術論文と格闘して過ごしていた。


 そんなある日のこと。

 アキトの指導教授であるオカダが研究室の扉をノックしたのだった。

「はい。お入りください」

 研究活動に忙しいアキトは本に目を落としたまま返事をする。

 オカダは研究室に入って来ると、脇目も振らず本を読みふけるアキトの肩を労うように軽くポンと叩いた。

「今日も一日研究かい? 頑張っているね」

「はい。今度の学会誌には絶対に論文を採用して貰いたいので、ここで手を抜く訳にはいかないんです」

「真面目だねぇ、ニカイドウ君は。でも、たまには息抜きもした方がいい。どうだい? 今週の金曜日の夜、私の研究室の新入生歓迎会として、新宿二丁目で飲み会を行うことになったのだが。君も少し肩の力を抜くためにも参加してくれないか?」

 オカダのその誘いにアキトの表情が曇った。

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