第二章

第51話 砦の陥落

 成人男性を優に超える縦にも横にも大きく分厚い巨躯を包むのは、黒金の暴力的な印象を抱かせるフルプレートだ。背中の深紅のマントは豪奢で、まるで持ち主の位の高さを示しているようだ。ヘルムを被っていない頭部には、鈍い三角形の広いピンクの耳。そして、なにより特徴的なのは、その鼻だ。まるで捲り上げたかのように鼻の穴を曝す大きく丸い鼻は、豚の鼻のようだ。オーク。それもまさしく王の威容を誇るオークキングは、ゆっくりと真ん中から左右に分かたれる。その瞳は、もはやなにも映してはいない。まさしく死んだ目だ。


 左右に分かたれ、白い煙となって消えるオークキングの向こうに見えるのは、小柄な金髪の可憐な少女だ。この目で見ていたのに、本当にこの少女がオークキングを一刀の下に両断したのか疑問に感じてしまうほど、少女の体は華奢だった。その細くしなやかな体を覆うのは、革を金属で補強した武骨ながらも女性らしさを感じさせる鎧だ。剣を真上に振り抜いた姿で残身を残している少女の様子は、まるで優れた美術品のように美しい。


 剣の少女、ルイーゼが剣を下ろすと同時に、僕は呼吸を止めてルイーゼに見惚れていたことに気が付いて、静かに息を吐き出した。ここはレベル4ダンジョン『オーク砦』のボス部屋だ。石造りの堅牢そうな部屋の中には深紅の絨毯が敷かれ、壁には大きな旗や剣が飾られており、部屋の主の格の高さ、武骨な気風を感じさせた。部屋の主、ボスであるオークキングが“キング”と呼ばれる所以だろう。


 その王たる威容を誇ったオークキングを打倒したのがルイーゼだ。すごいな、ルイーゼは。レベル4ダンジョンのボスを一撃だなんて、完全に勇者の力を自分のものにしたと言ってもいいのではないだろうか?


 勇者の力は、誰でも使いこなせるものではないことを、僕は身をもって知っている。勇者の力は、人の身で使うにはあまりにも過ぎた力だ。心の弱い僕みたいなヤツは、力を持つ優越感に呑まれて傲慢な乱暴者になり果てる。大きすぎる力は、身体への負荷も大きい。僕には分からなかったけど、おそらく正しい力の使い方があるんだと思う。たぶん、これも1つのセンスなんだろうね。僕には無かったみたいだけど、ルイーゼたちにはそのセンスがあるみたいだ。あるいは、これも僕自身が勇者になる適性が無いことの表れなのかもしれない。


「ルイーゼ、お疲れ様です。見事な太刀筋でした」

「おつおつー! ルイルイつっよーい!」

「おつ、かれ……さま」

「お疲れ様。どうしたの? 剣ばっかり見て?」


 いつもの黒いドレスに身を包んだイザベルの言葉通り、ルイーゼは神妙な面持ちで自身の持つ剣を見つめていた。どうしたんだろう?


「うーん……。ダメかも……」


 ダメ? 何がダメなんだろう?


 疑問に首を傾げる僕たちの前で、ルイーゼは右手でコンコンッとノックするように剣の中程を叩いた。すると、ピシッというひびが入ったような音の後に、ガラスが割れるような甲高い音を響かせて剣が真っ二つに折れてしまった。


「なんか途中から手応えがおかしかったのよねー……。これはもうダメね……はぁ……」


 ルイーゼがため息1つ吐き、ガックリと肩を落とす。いつも元気で明るいルイーゼの珍しい姿だ。悲しそうなルイーゼを見ていると、なんだか僕まで悲しくなる。なんでもしてあげたくなる。


「武器がなくなちゃったわ。どうしようかしら? リリーみたいに拳でいく?」


 しかし、次の瞬間にはシュッシュッと拳を放ってファイティングポーズを取ってみせるルイーゼ。これは……あんまり傷付いてないっぽい……のかな?


「ルイ、こう…!」

「え? こう?」


 そんなルイーゼに指導をするのは、白地に青のラインが入った修道服を着たシスター姿のリリーだ。意外なことかもしれないが、このパーティで一番の武闘派は彼女かもしれない。パーティの中でも一際小柄なリリーだが、そんな彼女の攻撃方法は、なんとまさかの徒手空拳だ。こんなに小っちゃくてかわいい生き物が、パンチやキックの肉弾戦で巨体のオークを一撃で屠るのは、もはや出来の悪いコメディのようですらあった。


 ルイーゼは素手でも戦うつもりみたいだけど、やっぱり武器があった方が良いだろう。僕は腰に吊るしていた2本の剣の内1本をルイーゼへと差し出す。


「ルイーゼ、よかったらこれ使ってよ」

「え? これクルトのでしょ? クルトはどうするのよ?」


 僕? レベル4ダンジョンにもなると、僕なんかが剣を持っていても、太刀打ちできないほどモンスターが強くなる。僕が剣を持っていてもなんの意味も無い。飾りみたいなものだ。それなら、ルイーゼが使ってもらった方がよっぽど有意義だろう。それに……。


「僕はまだ持ってるから大丈夫」


 僕はマジックバッグから新たに剣を1本取り出して見せた。その様子を見ていた長身イケメンが、感心したように大きく頷くのが視界の端に見えた。ラインハルトだ。

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