36 久し振りのジャニーヌ家

「……こんなに暗いお屋敷だったかしらね」と、わたしは思わず苦笑いをした。



 わたしとヴェルを乗せた馬車はついにアングラレス王国に到着して、今はジャニーヌ侯爵家の玄関ホールに足を踏み入れたところだ。


「おかえりなさいませ、オディールお嬢様」と、使用人たちがずらりと並んで出迎えてくれる。


「ありがとう。ただいま帰ったわ」


 ホールは大きなシャンデリアに照らされて赤いカーペットが広がり、壁は白地に金色の装飾でキラキラと光が反射して豪壮な雰囲気だったけど、なんだか陰鬱な印象を受けた。

 こんな気分のなるのは、自分の気持ちの変化を表しているからかしら? 古めかしい屋敷自体が過去のわたしを投影しているようで、物悲しい空気を感じるわ。


「あの……お嬢様」


 久し振りの我が家の様子を見ていると、侍女長が困惑した様子で恐る恐る声を掛けてきた。


「どうしたの?」


「いえ……その……なんだか雰囲気がお変わりになったようですね……」と、彼女はわたしの全身を遠慮がちに見つめる。


 今日のわたしのドレスは、ヴェルの鮮やかなエメラルドグリーンをくすませたような、濃い青緑の落ち着いた色を基調にしたシンプルなデザインだ。パニエも控え目にして、装飾もタックを多く寄せたスカートが特徴的なくらい。


「あら? それって褒め言葉? ローラントの方たちがわたしに似合う装いをアドバイスしてくださったのよ」


「そうだったのですね。……とってもお似合いです」と、彼女が言うと周りのメイドたちもうんうんと頷いていた。


 わたしは覚えず引きつった笑顔を見せた。褒められるのは嬉しいけど、少し複雑な気分だ。

 やっぱり皆、これまでのわたしのドレスは似合っていないと思っていたのね……。彼女たちに進言してもらえないくらいに、わたしは意固地になっていたのかしら?

 ちょっと、今後の使用人たちとの関わりについても考え直さないといけないようね……反省だわ。




 屋敷に戻ったらまずは両親への挨拶だ。長旅で疲れているので本音はすぐにベッドに倒れ込みたいけど、執事に促されて渋々お父様の執務室へ向かった。


 扉の前で一呼吸をしてノックをする。


 これまでは、扉の向こうへ進むのが物凄く億劫だった。

 お父様からは王子の婚約者に適切な言動を取っているか常に監視されていて、お母様からも殿下に相応しい令嬢であれといつも小言を言われていたわ。


 それもこれも全て出来ない自分が悪いのだと思っていたけど、もう自身を卑下するのは止めようと思う。

「君はもっと堂々としていていいんだ」って、レイが教えてくれたから。




「オディール、ただいま戻りました」と、わたしは両親にカーテシーをした。


 両親は一瞬だけ目を見張ってから、


「向こうではジャニーヌ侯爵令嬢として恥ずかしくない行動を取っていたのだろうな」


「あなたはアンドレイ殿下の婚約者なのですよ。きちんと自覚を持った振る舞いを心掛けていたのでしょうね?」


 ……やっぱり。この人たちは、いつもこれしか言わないのね。予想通り過ぎて笑っちゃうわ。


「お父様、お母様、問題ありませんわ。あちらではジャニーヌ家の名誉を傷付けるような行為は一切行っておりませんので」


「そのドレスはなんです?」と、お母様は眉をひそめる。


「ローラント王国の方たちが、わたしに似合うドレスを選んでくださったのです。素敵でしょう?」


 このドレスはガブリエラさんとアンナと一緒にブティックに行ったときに二人に絶対似合うと太鼓判を押された品だ。わたし自身も落ち着いた雰囲気と、なによりヴェルとお揃いなところが気に入っている。


「……殿下の好みのドレスではないわ」


「だったら、なんなのです?」わたしは険しい表情になる。「ドレスはレディーの鎧です。わたしは、自身を一番魅力的に見えるものを身に着けたいのです」


「まぁっ! なんですか、母に向かってその口の利き方は。あなたは殿下の婚約――」


「もういい」お父様は軽く手を挙げてお母様を制止する。「帰国の報告に直ぐにアンドレイ殿下に挨拶をしに行きなさい」


「あぁ、それですが」わたしはふっと口角を上げる。「殿下には使いを送って明日伺うと申し上げましたわ」


「「オディール!」」


 両親は同時に声を上げてわたしを非難する素振りを見せた。

 予想通りの反応だ。ま、そうなるわよね。これまでアンドレイ様を最優先にしてきたわたしが様変わりしたんですもの。しかも、両親的には悪い方向へ。


「……長旅で疲れているのです」


「それくらい、我慢なさい」


「立場を弁えろ」


「本当にあなたは、身分しか取り柄がないんだから。厳しく育ててきたのに、なぜ淑女の基本も身に付かないのかしら?」


「隣国に行って、気が緩んでいるのではないのか。侯爵令嬢というお前の唯一の誇りも忘れたのか」


「殿下にはこのような旅で疲弊した姿ではなく、きちんと身繕いした万全の態勢で伺いたいのです! ――では、失礼します!」



 わたしは両親の次の言葉も聞かずに強引に辞去した。

 パタリと扉を閉めて、ほっと軽く息を吐き胸に手を当てる。心臓がバクバクと大きく波打っていた。気持ちが高揚して全身が熱を帯びる。

 

 ……初めて、両親に意見を言って反抗したわ。


 もう彼らの操り人形にはならないって決意していたけれど、実際に行動を起こすとなるとまだちょっと緊張する。

 でも、これで小さな一歩は踏み出せた。ほんの僅かなことかもしれないけど、それは勇気となってわたしの中へ入って行った。



 明日はいよいよアンドレイ様と対峙する。そのことを考えると、自然と身体が引き締まった。

 わたしにとって、初めての抵抗。そして、決別の前の最後の抵抗。

 もう、絶対に負けないわ。

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