35 一時帰国

 もうすぐアングラレス王国の建国祭が行われる。

 わたしは王子の婚約者として式典の参加が義務付けられているので、一時帰国することになった。


 そして、今年の建国祭は節目の年なのもあって、隣国ローラントの王太子であるレイモンド・ローラント王子も来賓としてやって来ることになったのだ。


 アンドレイ様の提案だ。二国間の友好を願って、記念すべき年に是非参加して欲しい……ですって。

 彼はわたしが王太子を籠絡したと思い込んでいるようだった。


 報告書にはレイから提供してもらったローラント軍のフェイク情報を添えて送った。

 手紙にははっきりと籠絡したとは書かなかったけど、「王太子殿下から直々に教えてもらった」と伝えておいたので、彼は籠絡に成功して王太子とわたしがねんごろになったと錯覚することだろう。


 スカイヨン伯爵から教えてもらったのだ。後々、証拠として挙げられないように、第三者から見てあやふやで分かりづらいような内容にするように、と。事情を知っている受け取った本人にしか意味を理解されないように……慎重に筆を進めた。



「あちらが仕掛けてくるのは建国祭だな」と、レイが呆れた様子で笑っていた。


 優美な死骸の調査によると、どうもアンドレイ様とナージャ子爵の懐事情があまり宜しくないらしい。先日のローラント王国での違法競売の摘発が影響しているようだ。

 加えて、最近は公務や執務を臣下に押し付けているようで、大臣たちから「侯爵令嬢を呼び戻したほうが良いのではないか」と進言されていた。

 だから、早くわたしを排除してシモーヌ子爵令嬢との新しい体制に移行したいみたいだ。



 ……わたしは、国の中枢から「王子の婚約者に相応しくない」なんて言われていなかった。完全に、アンドレイ様の捏造だそうだ。

 レイからそれを聞いたときは、ほっとしたと言うか、なんだか肩の力が抜けたような安堵感で不思議な感覚だった。


 アンドレイ様の婚約者としてこれからも居続けることが出来るから嬉しいのではない。

 わたしが、これまで王子の婚約者であれと努力してきたことが、周囲に認められていたことが誇らしかったのだ。

 自分がやってきたことは間違いではなかった。少なくとも、王子の婚約者に相応しいと思われている事実に胸が一杯になった。


 同時に、アンドレイ様に対して完全に心が離れてしまった。それはもうあっさりと。

 悲しみなんてこれっぽっちもなくて、逆に気持ちが楽になって清々しい気持ちだわ。


 彼はわたしを必要としていないし、わたしも彼を必要としていない。

 それに気付いただけで充分だ。




 あれからレイとは、これまでと同じような友人関係を続けていた。

 彼は王太子でわたしは隣国の王子の婚約者。二人の間に特別な感情なんて許されないのだ。

 でも、確実に分かったことがある。


 わたしは……レイが好き。


 …………だけど、今はそれ以上のことは怖くて考えられないわ。

 だからこの気持ちはそっと胸の奥に閉まっておこうと思う。





 わたしはレイたちに先んじて早めに帰国をすることにした。アンドレイ様からは「王太子と一緒に向かえばどうだ?」と言われたけど、自分にはやるべきことがある。


 王子と子爵令嬢を逆に嵌めるのだ。


 レイからは「辛かったら僕たちのほうで全部済まそうか?」と言ってくれたけど、わたしは首を縦には振らなかった。

 これは自分自身の問題だと思ったから。わたしの人生の別れ道を他人任せなんて出来ないと考えたのだ。


 それに、他国の人間よりアングラレス王国人のわたしのほうが向こうでは動きやすいと思うので、工作の仕事をやらせてもらうことになった。今こそスカイヨン伯爵から教わった間諜の技術を発揮するときだわ。






 馬車はもうすぐアングラレス王国に辿り着く。ヴェルもそれを感じたのか、ピィピィと楽しそうに鳴いていた。


「オディール・ジャニーヌ ハ カワイイマジメ ソレダケガトリエサ」


「ふふっ、ありがとう。――あっ、でもアングラレスに着いたら変なことを喋らないようにね? コウシャクレイジョウ ソレダケガトリエ、よ?」


「ピャー!」



 もう「侯爵令嬢、それだけが取り柄」なんて気にしない。この子からそう言われても笑い飛ばせるようになったわ。

 わたしには、認めてくれる人たちが沢山いるから。それが自分の原動力だ。



 出発の前日、ヴェルの足首には一通の手紙が結び付けられてあった。

「健闘を祈る」――名前もなく、たった一言だけど、それが誰からかすぐに分かった。

 わたしはこの手紙をお守りのように大事に懐にしまって、自身を鼓舞するために何度も読み返していた。


 大丈夫、わたしにはレイがついている。

 そう思うと勇気が湧いてくる気がした。






◆ ◆ ◆






「なぁ、やっぱりダイヤモンドが一番いいよな?」


「仕事をやってくれないかな」


「オディールにはルビーのほうが似合うだろうか。赤が好きだって言っているしな」


「仕事をやってくれないかな」


「う~ん……だが赤は僕の瞳の色だから、自意識過剰なんて思われないだろうか」


「だから仕事をやれっつてんだろっ!!」


 ドンッ――と、フランソワがレイモンドの執務机を強く叩いた。

 広々とした机の左右には今日も書類が堆く積み上がっている。その高さは午前中から殆ど変わっていなかった。


 レイモンドは目を丸くして、


「なに怒ってるんだ? 僕は今、指輪の石について考えていて忙しいんだが」 


「そんなことは休憩時間にやれっ! アングラレスに行くまでに終わらせなきゃいけない仕事が山ほどあるんだよ! さっさと取りかかれよ!」


「指輪のほうが大事だろう」彼は大真面目に言い放つ。「僕の人生の一大イベントだ」


 フランソワは頑固な主にうんざりして、深くため息をついた。


「分かったよ。じゃあ、ダイヤモンドにしろ。二人が初めて出会ったのはダイヤモンド鉱山だから思い出の品になるだろう」


「そうか……だよな!」と、レイモンドの顔がパッと晴れた。「よし、早速世界一素晴らしいダイヤモンドの手配を――」


「先に仕事を終わらせてからだっ!!」



 レイモンドがオディールへの気持ちに気付いてから、彼はこれまで抑えていた感情を爆発させるように彼女に夢中になっていた。

 頭の中には常にオディールがいて、今の彼の生きる糧と言っても過言ではなかった。


 フランソワは令嬢嫌いから一歩進んだ主君のことを嬉しく思いながらも、「コイツ、面倒くせぇな……」と、辟易していた。女性は恋をすると美しくなると言うが、男が恋をすると……愚者になるようだ。

 これから起きる一騒動を考えると、彼の心労は計り知れなかった。

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