37 アンドレイ様との再会
昨日は両親に啖呵を切ったけど、今日は大人しくこれまで通りのアンドレイ様好みのドレスを身に纏った。
もちろん彼を油断させるためだ。
彼から見て「いつものオディール」でなければならない。これは十二分に気を付けるようにとレイからも釘を刺されている。もし勘付かれたら計画はそこでお終いだからだ。
だから今日のためにパステルカラーの可憐な雰囲気のドレスを用意していた。
せめて少しでも自分に似合うように、色は比較的わたしに似合う薄紫で、レースやリボンも控え目の服にした。これだったら少しはまだ良く見えるでしょう。
お母様は昨日の件が尾を引いているようで、今朝はわざわざ部屋まで支度の様子を見にやって来た。
でも、わたしが可愛いパステルカラーのドレスを準備していたら「あら、いいじゃない。もう昨日みたいな我儘を言っちゃ駄目よ」って、満足して帰って行ったわ。
◆
馬車から王宮が見えてきた。ここへ来るとアンドレイ様にお会い出来るのが嬉しくて、いつも胸が踊っていた。
でも今は違う感情を心に抱えている。それは怒りとか悲しみとかじゃなくて、ただの「無」。好きの反対は無関心だって、言い得て妙だわ。わたしは自分に出来ることを粛々と行うだけだ。
「ご機嫌よう、アンドレイ様」
「ご苦労だったな、オディール。まぁ座れ」
王子の執務室でわたしたちは久々に対面した。
久し振りに見る彼の姿は……特に印象はなかった。「あぁ、目の前の彼が例の犯罪を行ったのね」と言ったところかしら。
金色の髪に碧い瞳の美しい顔も、過度に装飾された悪趣味な服装もナルシズムの塊のように感じて、なんだか拍子抜けだった。なんでこんな人のことを慕っていたのだろう、と疑問に思うくらい。
美術品で彩られた見慣れた風景を懐かしく眺める。でも、今日は景色が違って見えた。スカイヨン伯爵から施された間諜教育のおかげだろうか。さり気なく部屋を観察して異物を探し出す。僅かでも彼の弱みを握れるように注意深く探るのだ。
「久し振りにお会いできて嬉しいですわ」と、わたしはニッコリと笑ってみせる。
「そうか。元気そうでなによりだ」
「えぇ、とっても。アンドレイ様もお変わりないようで」
「まぁな」
そのとき、書棚の向こうから微かに衣擦れの音がした。そっと耳を済ませる。
……人の気配がするわ。これは十中八九ナージャ子爵令嬢ね。
呆れ返って乾いた笑いが出そうになるのを、気付かれないようにそっと呑み込んだ。きっと、これまでもこうやって二人の会話を盗み聞きしていたのでしょうね。令嬢らしからぬ悪趣味なこと。
それにずっと気付かなかったわたしも愚かだけれどね……。
彼女から盗み聞きされても別に困らないし、わたしは彼と話を再開する。
さぁ、気を取り直して、いつものアンドレイ様に従順なオディールを演じるとしますか。
「アンドレイ様のお顔を拝見できて、長旅の疲れも吹き飛びましたわ」
「計画は順調なようだな」
わたしは黙ってゆっくりと首を縦に振る。
「王太子はちゃんと籠絡できたのだろうな」
「わたしはアンドレイ様の婚約者です。そんな恐ろしいこと、この口からは申し上げられませんわ」
思わせ振りに微笑みながら曖昧模糊に答えた。後々こちらが不利にならないように、明言は避けるように気を付けなければいけない。
しかし、彼はこれを肯定だと捉えたようで、ニヤリと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「よくやった。鉱山と軍隊に関する情報も大いに役立った」
「ですが、アンドレイ様の一番の目的はまだ……」と、わたしは困り顔をしてみせる。
「この調子だとそれも時間の問題だな。引き続き任務に励むように」
「承知しましたわ。これからも一生懸命隣国との外交を努めて参ります」
アンドレイ様は満足そうに頷いて、
「王太子は式典の前日に来るんだったな?」
「えぇ、その予定です。王宮のゴルコンダの間を用意してくださって、ありがとうございます。あんな最高級のお部屋を手配してくださるなんて、恐れ入りますわ」
「当然だ。将来のローラント王国の君主だ、国賓待遇の最上級のもてなしをしなければな」
「実はその件で、改めてアンドレイ様にお願いがあるのですが」
「なんだ? 俺に出来ることなら手伝おう。言ってみろ」
わたしは一拍置いてアンドレイ様の顔をそっと見やる。今日彼に会いに来た最大の目的は、形式上の挨拶ではなくこのお願いだった。
ここからが正念場だと思うと、背中にピリリと緊張が走った。
「……では、遠慮なく。実はアンドレイ様の委任状をいただきたいのです」
「委任状?」と、彼は目を少し見開く。
「えぇ、そうですわ。王太子殿下の歓待は今後の両国関係にも響きます。ですので、わたしも精一杯のことを行いたいのです。ただ、当日まであまり時間がありませんので、急遽必要を迫られた事態にわたしの権限では間に合わないことが起こるかもしれません」
「それで、俺の委任状か」
「えぇ。お願いできますでしょうか?」と、わたしは子犬のようにうるうると彼の瞳を見つめた。
アンドレイ様は犯罪者であれ正真正銘の王子殿下だ。彼は侯爵令嬢のわたしより遥かに権力を持っている。
わたしが二重も三重も苦労して許可を取らなければならないことも、王子の一言ですんなり通るのだ。
権力とは便利なものね。だからこそ、わたしたち高貴な人間は正しく使わないといけないんだわ。
「分かった」彼は頷く。「そんなことなら喜んで協力しよう」
「本当ですか? ありがとうございます」と、わたしは微笑んだ。
アンドレイ様はおもむろに立ち上がって、執務机に向かった。さらさらとペンを走らせて、最後に王子の印璽を押して完成だ。
「ほら」と、彼は走り書きをした紙切れでも掴むように雑にわたしに手渡した。彼は自身の身分や権力について、どこまで真摯に考えているのかしら。こんなに大事なものを安々と……。
「ありがとうございます、アンドレイ様。とっても助かりますわ」
「必要があれば、経費は王家に回せ」
「まぁっ、ありがとう存じます。では、早速準備に取り掛かりますわね」
わたしは軽い足取りで王子の執務室を辞去した。彼もわざとらしい爽やかな笑顔で見送ってくれる。
邪魔者は早く退散するとしましょう。これからナージャ子爵令嬢との楽しい逢瀬が始まるのよね。きっと二人でわたしについて面白おかしく話しているのでしょうね。
……ま、もうどうでもいいことだわ。
有り難い王子の委任状は手に入った。
あとは、これを利用して王太子殿下の歓待の準備を進めるだけね。王子の断罪ショーという最高の見世物を。
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