呪いと一緒に暮らす方法1
サイアーズで一泊したあと、シャノンはウィルフレッドに連れられて、王都へと向かうことになった。
サイアーズから王都までは馬車で約半日ほどの距離だ。
こんな乗り物で移動するなら疲れるはずもないだろうに、ウィルフレッドは時々シャノンに対して疲れていないか、のどは渇かないかとたずねてくる。
昨日は完全に子供扱いだったが、誤解が解けても人に世話をやいてしまう性格は変わらないのだと彼女は理解した。
サイアーズと王都は大きな街道で結ばれている。港町から入ってくる様々な輸入品が街道を通って王都へ運ばれるのだ。だからきちんと道が整備されていて馬車の揺れも最小限におさえられている。この旅は、シャノンにとっては今までにない快適なものだった。
農村地帯をしばらく馬車で走ると、小高い丘の上に建つ王宮を中心とした王都の全貌が見える。王都の建物はくすんだオレンジ色の屋根と縦の線が強調された柱が特徴だ。ほとんどの道がまっすぐに整備され、大通り沿いの建物は間口や高さが法律で定められているので統一感がある。
旅をしている間、大きな街に何度か立ち寄ったシャノンだが、王都の大きさと整然とした美しさに驚く。
今朝までいたサイアーズは王都に次ぐ都市だが、そちらは王都ほど区画整理がされていない。裏通りに入ると、入り組んだ細い道が多いのだ。サイアーズの迷宮のような街を探索するのは楽しいことだが、定規を使って描いたような王都の街並みは圧巻だ。
サイアーズ側から王都に入ってすぐ、広い王都の中の南側にハーティア王立学園という名家の子息のための学び舎がある。王宮はさらにそこから一時間ほど北へ向かった場所にあるのだが、ウィルフレッドの屋敷があるのは南側の地区だ。
この地区は全寮制の王立学園だけではなく、教職員の住居もある。学園の周辺には学生や教職員向けの商店が立ち並び、王都の中心部とは比べ物にならないが必要な物は一とおり買える程度には賑わっている。学園を中心とした一つの街になっているのだ。
シャノンたちを乗せた馬車は彼女の服を用意するために衣料品を扱う店で止まる。
店の中ですぐに持って帰れる既製服の中からサイズの合う物を、ウィルフレッドが勝手に見繕う。この店は学園関係者向けの店で、学園に通っている生徒は名家の者ばかりだ。当然シャノンのような農村地帯から来た庶民に合う物など売っていない。解呪の依頼料として、身分や年齢の割には多額の金銭を持っているシャノンだが、こんな所で買い物をしていたら二ヶ月もたずに財布が空になってしまうだろう。
シャノンは店員が離れた隙にウィルフレッドにこそこそと告げる。
「レイ先生。このお店は高すぎます! もう少し庶民向けのお店にしてくれませんか?」
「衣食住は保障するといったはずだ。貴様が気にする必要はない」
「で、でも! もし、先生のお屋敷でお世話になるのなら、きちんと働くつもりですので、それにふさわしい服にしてください!」
「わざわざ仕事がしたいのか? まぁいい……貴様は知らないかもしれないが、王都では使用人でもこのような服を着ている。むしろ、屋敷の人間にみすぼらしい格好をさせるのは主人として失格だな」
ウィルフレッドがそれ以上の意見は聞かないとでも言いたげにシャノンをにらみ、結局ワンピースなどの普段着を五着、靴を二足ほど勝手に選ぶ。いつの間に店員に指示したのかシャノンにはわからないが、夜着や下着類一式が入っているという包みまで用意され、買い物が終わった。
購入した服のうち、秋らしいベージュのチェック柄のワンピースを着たまま、シャノンは再び馬車に乗りウィルフレッドの屋敷へ向かう。ウィルフレッドが用意したワンピースは丸襟に焦げ茶色の細いリボンがついた可愛らしい雰囲気の服だ。
「さぁ、着いたぞ」
王立学園の広い敷地の裏手に回ると、学園の敷地に食い込む形で二階建ての屋敷が建っている。学園との境には塀があるが、よく見ると小さな扉が設けられていて、そこから出入りができる仕組みになっていた。まさに職員のための屋敷なのだとわかる。
屋敷の庭は同じ高さで綺麗に刈り込まれた芝生と、長方形の花壇があり、花壇には薬草類が規則正しく植えられている。屋敷の主人の性格がよく表れている庭を見ながら、ウィルフレッドに案内され、シャノンは建物の中へ入る。
木製の大きな玄関扉には薔薇のステンドグラスがはめ込まれていて、玄関ホールを明るく照らし、大理石の床に鮮やかな影を落とす。玄関ホールは二階まで吹き抜けになっていて解放感のある造りだ。
シャノンはウィルフレッドの案内で、一階にあるリビングルームに通される。同行した軍人二人のうち、ドミニクはウィルフレッドのそばに控え、彼の部下であるもう一人の軍人は建物の外で待機する。
ウィルフレッドの屋敷は一階にリビングルームのほか、ダイニングルームや厨房、使用人用の作業場、浴室や応接室などがある。二階には私室があり、
「あれまぁ、ウィルフレッド様。お帰りなさいませ」
ソファに座ってしばらくすると、のんびりした足取りで白髪の老婆が現れる。小柄で痩せ気味のその老婆は白エプロンをつけていて、この屋敷の使用人であることがわかる。
口調もおっとりしているが、足取りもかなりのんびりしているこの女性は、セルマという名で古くからウィルフレッドの家に仕えている者だ。
「セルマ、話が長くなりそうだからとりあえず座るといい」
「はぁ、そうですか。すみませんねぇ……よっこらしょい!」
ウィルフレッドはソファに座ろうとするセルマの手を取り、ゆっくりと座らせる。シャノンからすれば、セルマは使用人というより、彼の祖母のような扱いに見えた。
「で、この者はシャノンという名で、事情があってしばらくここで暮らす。その間、セルマの仕事を手伝わせるつもりだから、指導してやってほしい」
「あれまぁ! 左様ですか。めずらしいことですねぇ……。私もそろそろ引退したいところですからねぇ。よろしくお願いしますよ、シャノンさん」
「この家の使用人はセルマ一人で、このとおりのんびりとしているし、高齢だからな。貴様が手伝っても終わらない仕事は私がするから心配するな」
「よろしくお願いします。セルマさん」
「はいはい、シャノンさんだったわねぇ。よろしくお願いしますねぇ」
本当にゆっくりとした動作のセルマが庭の芝を整えているとは到底考えられないし、そもそも屋敷の
セルマがお茶をいれてくると言って、のんびりとした動作で厨房のほうへ向かう。シャノンも手伝おうとしたが、まだ話の途中だとウィルフレッドに止められてしまう。
「セルマは夫に先立たれ、身内もいない。もう高齢だから無理をさせないように。……茶をいれる程度が彼女の仕事だと思っていろ」
「あの、では今までどなたがお掃除や洗濯を?」
「もちろん私に決まっているだろう。魔術を使えば大した負担ではない」
「そうなんですか、すごいですね……」
シャノンはあらためて部屋の中を見回す。窓ガラスは内側も外側もピカピカに磨かれている。大理石の床には塵一つ落ちていない。シャンデリアや照明は脚立を使わないと掃除ができない部分だから、見えない部分は埃がたまっているのが普通だが、それすらない。
ウィルフレッドにとって使用人は必要な存在ではないのだ。セルマをそばに置いているのは彼女に行き場がないからなのだとシャノンは理解する。
「何もすることがなければ、屋敷のことをしてくれたら私としても助かる。だが、ここでは無理をする必要はないし自由に過ごしてかまわない」
ウィルフレッドはまどろっこしい言い方をいっさいしない人間だ。本当にここでは自由に過ごしていいのだとシャノンに言っているのだ。
彼はとても優しい人間だとシャノンは思う。きっとこの屋敷の中でならウィルフレッドに守られて心穏やかに残りの二ヶ月間を過ごせるのだろう。
けれども、誰からも必要とされない人間が孤独であることを彼は知らないのだ。シャノンはウィルフレッドのことを優しくて残酷な人だと思った。
「今後のことだが、私は夕方までいろいろとやらねばならぬことがあって外出する。貴様は二階の空き部屋を整理して、二人分の食事を準備しておけ」
「二人分?」
「セルマは通いで来てもらっているし毎日来るわけではない。と言っても住んでいるのは向かいの建物だが……。いつも日が沈む前には帰るから夕方以降はいない」
屋敷の中には空き部屋があるのに、セルマがわざわざ向かいの建物に住んでいるのはウィルフレッドの体質のせいだ。シャノンもそのことは感づいていて、本当に屋敷で生活していいのか疑問に思う。
「レイ先生、私は先生の負担になってしまうのではないですか? 私がいてきちんと眠れますか?」
「いや、特に負担ではない。昨日も話したが、今後はその呪いを人に移さないための魔術をかける。それが貴様の負担になることはあっても逆はない」
きっぱり言い切るウィルフレッドのことをシャノンはじっと見つめる。彼がそこまでして手助けをしてくれる理由が彼女にはわからないのだ。
「さて、私は出かけるから念のため結界を。すまないが、セルマもいることだし保護者が目を離すときの義務だと思って受け入れろ」
ウィルフレッドがシャノンの正面に立ち、彼女の頭上に手を掲げる。シャノンは目の前が一瞬淡く光るのを感じた。昨晩、
「貴様の頭の大きさに合わせて球体の結界を張った。視界が悪くなるから今回は透明だ。くれぐれも壁にぶつからないように注意しろ、地味に痛いぞ。それから屋敷の外には出るな。昨日私が言ったことを忘れないように」
「はい。気をつけます!」
「……では、いってくる。いくぞ、ドミニク」
「それでは、シャノンさん。またお会いしましょう」
ウィルフレッドとドミニクが屋敷のリビングルームから去ろうとしたとき、お茶を乗せたカートを転がしながらセルマが戻ってくる。ウィルフレッドはセルマにお茶が無駄になったことを詫びてから屋敷をあとにした。
「あらまぁ、もったいないわ。一緒にいただきましょうねぇ」
「はい、セルマさん。いただきます」
シャノンはセルマと一緒にお茶をいただくことにした。シャノンの住んでいたチェルトンにはあまりこういった嗜好品は売っていなかった。お茶と言えば山で採れる草を家庭で煎じたもので、お茶の葉を発酵させて作るという赤茶色の液体――――紅茶には
カツンと唇に触れる前にカップが何かに当たる。
(えっ!?)
まさかと思って一旦カップを置いたシャノンは、顔の周囲を自分の手でぺたぺたと触ってみる。首の付近に締めつけるような違和感はないのに、顔や頭に触ることができない。どういった仕組みになっているのかは不明だが、この結界は空気以外の物を全く通さない仕組みのようだ。
これではウィルフレッドが帰ってくるまで、食事どころか飲み物すら摂取できない。シャノンはもういなくなってしまった国で一番の魔術師のことを、初めて憎いと思ったのだ。
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