28話 夜襲

「左側臥位にします。サリュ王子、向こうに回って背中を叩いてください」


 シトエンが水差しを地面に置き、モネの身体を横向きにする。俺はその背中側に回り、言われた通りに、どんと叩いた。


 ごぼ、と再度モネの口から嘔吐物が漏れ出る。だけど、さっきみたいな量じゃない。少量だ。


「イートン! わたしの革鞄!」


 シトエンは指示を出し、その間にモネの瞼を開いて眼球の状態を確認している。


「ヒ素かもしれません。イートン!」


 だが、イートンは腰を抜かしていて、這うようにしか動けない。ラウルが舌打ちして革鞄をつかみ取り、シトエンに渡した。


「辛いでしょうが、手伝ってください」

 シトエンがロゼに決然とした口調で言う。ロゼは泣きながら頷いた。


「サリュ王子も」

「ああ。どうすればいい」

「胃洗浄を行います。水が足りるといいのですが……っ」


 ちらりとシトエンは水差しを見て眉を寄せたが、モネを横向けにしたまま革鞄から漏斗を取り出した。その先にゴムのチューブを取りつける。瓶を取り出し、そのゴムチューブの先に塗っている。何かと思えばオリーブオイルっぽい。


「サリュ王子、ロゼちゃん。モネさんを押さえていてくださいね。上からこう、がばっと」


 身振りで示すので、俺もロゼもモネの上に覆いかぶさる。

 シトエンは青ざめたモネの口をこじ開け、ゴムチューブの先端を口から喉につっこみ始めた。


「ま……まさか」

 俺は狼狽えるが、シトエンは漏斗の中に水差しの水を注ぎこみ始める。


「まじかよ……っ」


 途端にモネの身体が跳ねるから慌てて押さえる。シトエンはモネの首と顔を固定し、慎重に水を注いだ。漏斗に取り付けられたゴムチューブを通って、水がモネの胃に入る。ご……拷問でこういうのあるって、聞いたことある……。


「………っ」


 量を見計らい、シトエンがゴムチューブを抜く。

 途端にモネが嘔吐した。明らかにさっきより粘度が薄いし、嘔吐量が大量だ。


「王子、背中を」

「おう」


 どんどん、と叩くとモネは激しく咳き込む。顔を真っ赤にしているが、意識が大分戻ってきたのかもしれない。薄く瞼が開いた。


「ごめんなさいね、モネさん。苦しいけど……。一緒にティドロス王国に行きましょうね」


 シトエンは励ますと、またゴムチューブをモネの口に突っ込む。反射的に逃れようとしたところを俺が押さえつける。もうロゼは無理だ。蒼白になって震えていて使い物にならない。


 シトエンはちらりとラウルに視線を向ける。ラウルはロゼの頭や肩を撫でてやっていた。


「もう少しですよ」


 漏斗に水差しから水を注ぐ。モネが暴れるがとにかく押さえつけた。

 結局、ふたつあった水差しの水を全量モネの胃に注ぎ、吐き出させることを続ける。


「……当面のところこれでなんとか……。あとは対症療法と本人の体力の問題ですね……」


 シトエンが心配げに呟くが……。

 モネはもう完全に意識を取り戻していた。荒い息をついてはいるが、それは強制嘔吐を繰り返させられたからであって、心臓や肺がどうの、という感じではない。


「……このテントの幕を開けさせ、ロゼが出たら、仲間が火矢を私の身体に打ち込む予定でした。そして、爆発を起こさせる……」


 切れ切れにモネは言ったあと、激しく咳き込んだ。まだ喉になにかが絡むらしい。


「ゆっくりしてろ」


 俺が声をかけるが、モネは横たわったまま首を横に振る。口を開いたが、そのあとを継いだのはロゼだ。


「もしなにもかも失敗して……。あたしもテントを出ず、爆発も起こらなかったら……。失敗したとみなして、仲間が夜襲をかける手筈になっているの。その混乱に乗じてあたしは逃げることになっていた」


「……ってことは、もうすぐ夜襲がかけられるってことか?」

 俺が尋ねると、ロゼは大きく頷いた。


「だから逃げて。あたしがここに残る。あたしがいる限りは、仲間も手出ししないはず……。仲間には、『気づかれて逃げられた』って言うから。だから、お姉ちゃんを一緒に連れて行って、王子」

「なにを言ってるの、ロゼ」


 ふふ、とモネは笑い、ゆっくりと手を伸ばして妹の手首を取った。


「お姉ちゃんは最強なのよ。お姉ちゃんが残るから、あなたはシトエン妃と一緒にティドロス王国に……」

「いやよ! あたしもここに残る!」


「はいはい。姉妹けんかはもうおしまい」


「いたっ!」

 ロゼとモネの頭を叩き、俺は立ち上がる。


「そんなもん、お前。絶対嘘だぞ。モネが死んだからってロゼが逃げられるものか。組織とはそんなもんだ」


 ちらりとモネを見る。モネは悔し気に視線をそらし、唇を噛んでいる。俺はため息ついてラウルに顔を向けた。


「来るとわかってるんなら、迎え撃つのは簡単だ。ラウル、団員に指示を出せ。緊急配備だ」

「承知」


 そのまま出ようとしたが、ぴたりと足を止める。


「……これ、ぼくが出て行ったらテントに火矢が打ち込まれます? あるいは作戦失敗したとバレて、ぼくが射殺されたりして……」

「扉幕だけ開けて怒鳴ればどうだ? 『敵が来るぞー』って」

「様にならないなぁ」


 振り返り、むっとした顔をしたあと、奴は素早くテントから出て行った。


 ちょっと緊張したけど、そのあと火矢が放たれたり、「やられたあ!」というラウルの声も聞こえないところを見ると大丈夫だったらしい。


「組織のやつらを甘く見るな、王子」

 肘をついて上半身を起こしたモネが声を振り絞る。


「逃げろ。私とロゼが食い止める」

「お前こそ、俺を甘く見るなよ、死にかけのユキヒョウめ」


 俺はにやりと笑う。


「ティドロスの冬熊と呼ばれているが、夏山でも俺は最だ」


 言ってから抜刀し、テントから飛び出す。

 途端に、団員から「敵襲!」と声が上がった。


 びゅんと、空気を切り裂く音を立てて火矢が飛んできて、木の幹につき立つ。

 やべぇ、時間差かよ! 俺がやられるところだった!!


「備えろ!」


 怒鳴ると、すでに臨戦態勢になっている団員たちがバディ同士で索敵にかかる。


「できるだけ派手にやってやれ! タニア国境警備が飛び出してくるぐらいにな!」

「応っ!」


 そこかしこで声が上がる。

 とにかく、タニア王国を呼び込もう。それが最善策だ。


 戦闘が始まっているところに向かおうとしたら、木の上から黒ずくめの野郎が両手に小刀を持って襲ってきた。


「一匹発見!」


 俺は声を上げる。「ずるい、団長!」「ち、そこか!」と団員の声が聞こえるが知らん知らん。こういうのは早い者勝ちだ。


 黒ずくめの野郎は腰を低く構え、大きく一歩踏み込んできた。


 お、このスタイル知っているぞ。

 カフェでシトエンを襲ったやつだ。


 逆刃に持ったナイフで拳を突き出すようにして攻撃してくる。


 基本、拳闘と一緒。

 足技はない。右、左と身体を捌いて躱す。


 次にまた右。

 そこを長剣で上からナイフを叩き落とす。こっちが間合いを詰めたら、左の刃が俺の首を狙う。そこで長剣を手放し、その左手首を掴み、くるりと身体を反転させた。


 足を払い、黒ずくめの野郎を背中に載せて背負い投げ。

 勢いをつけて地面に叩きつけると、そのまま首を上から踏みつけた。


「げふっ」

 勢いよく息を吐いてもがいているところに、更に黒ずくめの男が樹上から現れた。


「団長、伏せて!」


 背後から声がかかるから、男を踏んづけたまましゃがみこむ。

 あろうことか、その俺の背中を踏み台にし、ラウルは新たな黒ずくめの野郎に飛び掛かり、袈裟懸けに倒した。


「お前なぁ!」


 俺が怒鳴りつけてやろうと思ったら、大量の蹄の音が近づいて来る。

 タニア国境警備兵だ。


「おらおら! 逃げるのなら今だぞ!」

 俺は踏みつけていた奴から足を離し、大声で呼ばわった。


「お前らの仲間の女刺客ふたりは、このティドロスの冬熊がいただいた! さんざんいたぶってから屠ってやるからな! 震えながら待っていろ!」


 踏みつけていた黒ずくめの野郎は袈裟懸けに斬られた仲間を抱え、必死に林の暗がりへと逃げていく。


 それはなにもこのふたりだけではなかったようだ。


 いたるところで「逃げるぞ!」「放っておけ!」そんな声が聞こえる。


 うん。うちの団員、優秀だな。

 夏でも役に立っている。


「さあ、野郎ども! 余興は終わりだ! 片付けに入れ!」


 俺の大声に、「えー」「もう終わりかー」と団員たちのつまらなそうな声が聞こえ、ラウルは盛大なため息をついた。





 その後、到着したタニア辺境警備の奴らに「賊に襲われた」と事情を説明。

「うちの領でなんてことだ!」と警備長がいきりたち、賊の探索と警備強化に協力をしてくれた。

 ルミナス王国の国境警備についても働きかけてくれて、早朝、陽が上ると同時に俺たちは動き出すことができた。

 そのころにはモネの状態が安定し、経過観察ということになったので、ロゼと共に顔を隠して、シトエンの馬車に押し込んだ。


 もちろん。

 ティドロスに連れて行くためだ。


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