26話 モネが持参したもの
「失礼いたします」
鈴が転がるような声であいさつをし、先に入ってきたのはモネだ。それに続いたのはロゼ。
モネもロゼも足先まですっぽり覆うようなローブを着ていた。
「まぁ、王子もいらっしゃったとは。どうも」
フードを下し、モネが嫣然と笑う。今晩は長髪をおろしているらしい。長く豊かな髪が顎下を隠している。その背後にぴたりと寄り添うロゼは無言だ。
「誰の許可を得てここに?」
ラウルがきつい声を飛ばす。
「え? あ……、あの。すみません。お連れしてはいけませんでした? 声をかけられて……。国を離れる前にお嬢様にご挨拶をしたいとおっしゃったものですから」
イートンが慌てている。
「最初はシトエン様の御用達でも狙っているのかと思いましたが、さっきお話したらそんなことはまったくなく……。傷を治療していただいたこと、本当に感謝しているとのことでしたから」
あわあわと俺やラウルに説明し始める。
「その前にどうして団員に声をかけなかった? たったひとりの侍女に声をかけるより団員の方が多かっただろう?」
ラウルが警戒を解かない。佩刀の柄を握ったままだ。
「たまたまお見かけしただけです。いやですわ、そのように怖い顔をなさらないで」
ふふふふと笑う。
きっとこの場でなければ、俺もラウルもこの後「色っぽい女だな」「でも目力すごいっすよね。団長が言う通り、メギツネというよりユキヒョウですよ、あれ」と笑いあったと思う。
だが。
その笑みには凄惨さがあり、肌を粟立たせるほどの迫力があった。
「それ以上シトエンに近づくな」
俺も佩刀に手を伸ばして警告をする。
「そんなに警戒なさらなくても。ああいやだ、可笑しい。ではロゼは下がらせましょう。ロゼ、外で待っておいで」
モネは背後にいるロゼに声をかける。そのあと周囲を見回し、長くしなやかな指で額を拭った。
「なんだか空気が澱みますわね、暑い。シトエンさま、どこか幕をお開けしましょうか」
「動くなと言っている」
テント幕に触れようとしたので声音を飛ばした。モネは肩を竦め、イートンに微笑みかける。
「ではイートン様。幕を……」
「動くな、イートン」
ラウルが制止し、イートンはオロオロとあっちを見たりこっちを見たりしていた。
「お別れのご挨拶に?」
シトエンがゆっくりと尋ねた。
その声はこの場のピンとした空気には不似合いなほどに柔らかく、穏やかだ。
「ええ。長らくのお別れに参りました」
モネは優雅に膝を折って頭を下げる。その後ろではロゼが俯いて棒立ちだ。
「まあ、ロゼ……。きっと涙を堪えているのでしょう。さ、ロゼ。挨拶が済んだのだからあなたは下がっていなさい。王子と騎士さまがひどく警戒なさっているから」
モネはロゼに手を伸ばし、そっとその肩を後ろに押した。
ロゼの身体が揺れる。
だが、その手はモネのローブを握ったままだ。
「どうでしょうか、モネさん。このままわたしと一緒にティドロス王国に来ませんか? 実は昨日、王子ともその話をしていたのです」
シトエンは静かに呼びかける。
モネはきれいな笑みを浮かべたまま、シトエンを見た。
「なんともありがたいお話でございます。一度持ち帰って検討いたしましょう」
「誰と、検討なさるのですか」
シトエンの言葉に、モネはわずかに首を傾げた。
「誰と、とは?」
「あなたに命じる誰かがいらっしゃるような気がするのです。その方と縁は切れないのですか?」
シトエンは身を乗り出す。
「その方と縁を切り、私と縁を結び直しましょう」
「いつぞやかもそのようにおっしゃっていただきましたが……」
くすりとモネは笑った。
「世の中には切っても切れない腐れ縁というものがございます。シトエン様」
目を細め、ほんの少し。
ほんの少しつらそうな顔をした。
「シトエン様には、本当に感謝しています。このようなお優しい王侯貴族がこの世にいるのだと私は初めて知りました。だけど……」
モネは顔を伏せるようにして背後を見る。
「ロゼ、下がりなさい」
「いやだ」
そのロゼの声に俺とラウルは顔を向けた。
嗚咽交じりだったからだ。
「いやだ、離れない。いやだもん」
フードをかぶったまま必死で首を振り、ロゼはモネのローブを離さない。
「ロゼ。いい子ね。そんなわがまま言わないで」
モネは俺たちに背を向けると、ロゼに向かい合ってその両肩を掴んだ。
そして後ろに押す。
「さ。出て行きなさい」
「いやだ! サリュ王子! お姉ちゃんを助けて!」
フードを掴んで下し、ロゼは泣き顔のまま俺に悲鳴を上げた。
「お姉ちゃんを止めさせて!」
反射的に脚が前に出ていた。
モネがロゼを突き飛ばすように見えたからだ。
理由なんかわからない。
だが、ロゼをテントの外に出してはいけない気がした。
だから、モネがロゼをテントから押し出す前に両手を伸ばし、ロゼを抱え込む。
そのままモネと向かい合って睨みつけた。
「大事な妹に対して乱暴なことをするなよ」
「その大事な妹から手を離してくださいな。奥様の御前で、はしたない」
冷ややかに睨まれる。
ラウルが静かにシトエンの側に移動するのが見えた。とりあえず安全確保。
「ロゼ、ここから早く出なさい。サリュ王子とテントを出るのよ」
モネが説くように告げる。
俺はロゼを胸の前で抱えたまま、モネを見た。
そして、気づく。
首元に降ろしたフードがたわんでいるが。
はっきりと右顎下に痣がある。殴られた痕が。
あの温泉に忍び込んだあいつ。
俺は同じところを殴りつけた。
「……なんだ。黒ずくめはお前か?」
どうりで線が細いわけだ。俺は腕の中でぴーぴー泣くロゼに、「こらっ」と叱りつけた。
「ってことは、俺にナイフ投げたのはお前かっ。人に向かってナイフを投げるとは。どんな教育受けたんだっ。痛かったんだぞ、謝れっ。ってかシトエンに手を出すとはどういうことだ!」
「いくらでも謝る! いくらでも謝るから……っ。お姉ちゃんを止めてっ」
ボロボロ流す涙を両手で拭いながら、ロゼは俺の腹に顔を押し付けた。
「お姉ちゃん、もうやめて! この人たち、いいひとだよ」
俺の腕の中でロゼが泣く。
「そうね、いいひとね。それはお姉ちゃんもわかってる」
ふう、とあきらめたように。脱力したように笑った。つるんと潤んだような瞳を俺に向け、ふふ、と微笑んだ。
「だけど、申し訳ない。あなたの大事な人は私がもらう。代わりにと言ってはなんだけど、私の大事な妹をあげるわ」
言うなり、ローブを脱いだ。
「……ちょっと勘弁してくれ」
「まじっすか……」
俺とラウルは同時に呻いた。
男装をしているモネ。
それ自体は別にいい。どんな格好をしていようが俺は問題ないし、なんならうちの団員に混じっても遜色ないぐらいの身長と体つきをしていたのだが……。
問題は、胴体部分にくくりつけたクッションみたいな麻袋だ。
「お前それ……。火薬じゃねぇよな」
目の前がくらくらしてきた。
麻袋は腹の前だけ。麻糸でぐるぐるにくくりつけられているが……。このテントひとつなんて軽く飛ぶぞ。
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