第29話 最終的にシトエン嬢がおれに惚れればいい

「だって、そいつもう、シトエンの前に現れたりできないわけだろう? 好きだって言ったり、抱きしめたりできないわけだ。馬に乗って旅行とか」


「そう……、ね」

 シトエン嬢が頷く。


「だったらさ、おれ、がぜん有利。おれには無限に時間がある」

 ふふん、と胸を張った。


「この際、きっかけなんてなんだっていい。これからのおれの時間を全部使って、シトエンをおれに惚れさせるから」


 はっきりと彼女に告げる。


 そう。

 言いたかったのはこれだった。


 だけど。

 これを言うためには、まずアツヒトが何者かを確定させる必要があったわけで。


 それをまず聞く、という苦痛がおれにはもう……、とにかく嫌で。


 そこをすっ飛ばして「おれに惚れてくれ」と言ってもよかったんだけど、それじゃあ、なんだか卑怯だし、問題を先送りしただけで、結局回り回ってなんか悪いことが起こりそうな気がしたんだ。


 だから、痛みは伴ったわけだし、「そうか、やっぱりおれじゃなくてアツヒトが好きなんだなぁ」と結婚式前になんでおれ、フラれてんだよ、とがっかり来たけど。

 

 今日から仕切り直しだ。

 要するに、最終的にシトエン嬢がおれに惚れれば問題ないんだから。


「違うの、サリュ王子」

「ん?」


 それなのに。

 シトエン嬢が、ぶんぶんと首を横に振るから、目を剥いた。え、なに。


 なにが違うんだ。


「……おれ、そんなに勝ち目ない?」


 おそるおそる尋ねる。


 死んだ奴、かなりの強敵か。カンゴシというのは聞いたことがない称号だが、それは王子に勝るのか。皇帝的ななにかかなんだろうか。


「わ、わたし……」


 たたた、とシトエン嬢がおれの目の前に駆け寄る。

 転びそうなほど前のめりだったから、慌てておれは手を差し伸べるけど、彼女は転ばなかった。


 その代わり。

 がっしりと、おれの両手を握った。


「わたし、大好きなの」

「……アツヒトが」


 なんでおれは何度も確認作業をせねばならんのだ。

 だけど、シトエン嬢は首を高速で横に振った。ああ、そんなに振ったら目が回るでしょうが。


「サリュ王子が!」


 大声で言い放たれ、おれは動きを止めた。

 ついでに呼吸も止まっていたのかもしれない。


「サリュ王子!?」


 気づけば、片膝を床について、げほがほ、やっていた。

 シトエン嬢が両膝をついて、おれの背を撫でてくれているから、「あ、ありがとう」と礼を言って、ぜいぜい息を吸い込む。


「似てるなって思ったのは確かだし、アツヒトとおんなじで優しいなあ、って思ってたけど……。でも、話したり、生活したりしたら、違うところがいっぱいあって……」


 シトエン嬢はおれの背を撫でながら続ける。


「ほら。ガラス細工のイヤリング。あれを選んでくれたでしょう?」

「……ああ、あの。青いやつ」


 咳をしすぎて喉がいがらっぽい。空咳を繰り返すおれの背を、シトエン嬢はずっと優しくさすってくれる。


「アツヒトなら、選ばなかった」

「……え?」


 きょとんと彼女を見る。シトエン嬢は、紫色の瞳を柔和に細めて、嬉しそうに微笑んでいた。


「アツヒト、やさしいというかなんというか……。ああいうときは、いっつも『どっちも似合うよ。どっちも素敵だよ』って言うのよ」


 ……くそう。なんていい返事なんだ……。おれもそう言やよかった。


「だけど、サリュ王子は、迷いに迷って『青』って選んでくれて……。ああ、このひとは似ているだけで、全然違う。だけど大好きだ、って思ったの」


 いつの間にか腕を回して、おれに抱き着いていた。


「サリュ王子が、好きなの」

 震える声が鼓膜を撫でる。


「おれは……、シトエンが大好きだ」


 両膝立ちになり、シトエン嬢の身体を抱きしめる。

 細くてしなやかな腰をぎゅっと引き付けると、彼女からは石鹸とバラの香油の匂いがした。


「よかった。わたしを大好きでいてくれて」


 シトエン嬢がおれの首筋に唇を押し当てるから。


 なんか、くらり、と酔ったような感覚に全身が支配されそうだ。


 気づけば、彼女を床に押し倒していた。


 ごつん、と後頭部が床にあたらないように。

 片手を添えて、そっと優しく。


 彼女は抵抗しない。

 おれは、仰向けに寝転がる彼女を上から覗き込んだ。


 とても、綺麗な娘だ。

 銀色の髪。すみれ色の瞳。真っ白な肌。


 吸い込まれるように、顔を近づける。

 そのまま、唇を重ねた。


 むように何度も押し付けると、柔らかく甘い味がする。ああ、蜂蜜だ、と気づいた。ひょっとしたら、なにかそんな菓子を彼女は食べたのかも。


 彼女がおれの背中に腕を回す。ちょっとだけ震えていた。ぎゅ、とシャツをわし掴みにされる。なんだか、しがみつかれたようで、思わず尋ねてしまう。


「こわい?」

 返事の代わりに、彼女は首を横に振る。


 おれは彼女の細い首筋に唇を這わせた。蜂蜜よりもとろけそうな吐息がシトエン嬢の口から流れ出す。もっともっとその声を聞いていたくて。


 寝衣ごしに彼女の胸に触れる。びくりとシトエン嬢が震え、「あ」と小さな声が上がるから、また唇を重ねた。やわらかく、淡い手ごたえの彼女の胸に触れ続けていると。



 きっちり、三回のノックが無情に室内に響いた。



「申し訳ありません。シトエン嬢。坊ちゃんの姿が見えないのですが、まさかこちらにおられますまいな?」


 家令だ……。


 おれは人差し指を立てて唇に押し当てる。組み伏したシトエン嬢もなんだか焦った様子で、こくこくと頷いてくれるのに。


 またもや連続ノックだ。


 こんこんこんこんこんこんこんこんこんこん。


「団長? 団長? 団長? 団長? 団長?」

「坊ちゃん。お間違えのようですのでお伝えしますが、結婚式は明日でございます」


 こんこんこんこんこんこんこんこんこんこん。


「団長、団長、団長、団長。団長。団長。団長」


 こんこんこんこんこんこんこんこんこんこん。


「陛下と王太子殿下よりわたくしは、シトエン嬢の貞操を最後まで守るようにと」

「だーんーちーょーう! だーんーちーょーう! だーんーちーょーう! 」


 あああああああああ!


「うっさいわ!! 出ればいいんだろう、出れば!!!」


 おれは床から跳ね上がり、扉を開く。

 そこには、仁王立ちした家令と副官のラウルがおれを睨みつけていた。


「油断も隙もございませんな」

「見損ないましたよ、団長。ちっ」


「ラウル、お前舌打ちしたな!」

「してません。ちっ」


 そうして、おれは首根っこを掴まれ、自分の寝室に放り込まれた。


 こうして。

 おれの結婚式前夜は終わったのだった。

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