第27話 心の内を吐き出したい

◇◇◇◇

 

 シーン伯爵領から王都に戻ると、慌ただしい日々に一気に飲み込まれた。


 結婚の準備や挨拶、その間の警備の配置などを猛烈な勢いでこなしていると、数か月なんてあっという間に過ぎて。


 もう、披露宴とパレードが明日に迫っていた。


 今日こそは、今日こそは、と思いながら、ずっと言えずにいたことがある。


 おれ自身、かなり忙しかったのは確かだ。

 簡素化された結婚式とはいえ、形式と言うものがある。


 三歩進んで礼をしろ、だの、誓いの署名はここだ、とか。


 覚えることは山ほどあるし、披露宴に来ることができない客がわんさかやってきて、「おめでとう」「ありがとう」をやらねばならん。


 それはシトエン嬢もそうだ。

 あっちはあっちで、ドレス合わせがある。


 よく考えれば、ヴァンデルのところに旅行になんか行く暇は本当はなかったのだと思わされた。


 今日は忙しいから、明日にしよう。

 明日はシトエン嬢が忙しいから、ヒマを見つけて話しかけよう。

 ああ、もう彼女は寝てしまったみたいだから、また今度。


 そんなことを繰り返していたら。


 彼女に伝えたい言葉が、胸の中でくすぶり、発酵してぶすぶすと嫌な臭いを放ち始めていた。


 すっきりしたい。吐き出したい。

 でも、それ以上に恐ろしかった。


 ただ一言、シトエン嬢に尋ねればいいだけなのに。


『アツヒトって誰』って。


 そして、おれの想いを伝えればいいだけなのに。

 それなのに、それができない。


 そして、ぶすぶすと腐って嫌な気分になっている。


 ひょっとしたら、アツヒトというのは、彼女が可愛がっていた犬かもしれない。

 なにも人だとは限らないだろう。おれに似た、大型犬だったのかもしれない。


 そんな風に心を慰めたり、「いやでも、その犬の飼い主がいい男で、実はそいつに惚れていたのかもしれない」と勝手に妄想して、やっぱり凹んだ。


 だけど。

 もともと、こうやって悩み続けているのはあんまり性に合わない。


 せめて、結婚式前には片づけたい。

 おれは意を決し、寝室の扉をノックした。


「はい」


 それなのに、心のどこかで寝てますように、とか願っていた。

 だから室内から聞こえてくる鈴のような声に、心臓が早鐘を打つ。


「お、おれ、です」

 情けないことに若干震えた。


「あ……、どうぞ」 


 ぱたぱた、と、なにか片付けている音がする。

 やっぱり、明日の準備か何かがあったろうか、と後悔しながらも、それでもゆっくりと扉を開く。


「忙しかった?」


 タニア語で話しかける。

 彼女はもう、寝衣で。


 おれはまだ、シャツとトラウザーズ姿だ。


 ただ、眠るつもりはまだなかったのかもしれない。文机の上には便箋とインク壺が乗っていた。


「ううん。故郷に手紙を書いていただけ」

 シトエン嬢が微笑む。


 ふたりだけの。

 特に、夜の会話は今では自然にタニア語で過ごしていた。いまでは、シトエン嬢も砕けた様子でおれと話をしてくれるようになっていたし、それがおれ的にも心地よかった。


「イートンにお茶か何かを……」

 ベルを掴もうとするから、おれは慌てて首を横に振った。


「すぐ済むんだ。ちょっと、話をしたくて」

 後ろ手に扉を閉める。


「では、ソファに」


 シトエン嬢が手で座るように勧めるが、座ったら座ったで違う話を切り出してしまいそうで、おれはやっぱり首を横に振る。


「あの……、黙っていようか、とか。尋ねない方がいいかな、とも思ったんだけど。なんか、結婚前にはっきり言っておきたくって」


 おれが口を開くと、それまで柔和だったシトエン嬢の顔が強張った。


「どう……、したの?」

「ヴァンデルの屋敷に行って……。その帰り。シトエン、体調を崩したじゃないか」


「ええ」

 おずおずとシトエン嬢が頷く。


 おれに合わせて彼女も立ちっぱなしだ。

 それが申し訳ない。


 だけど。

 だけど、だけど、だけど。

 とにかく、心のうちのこれを吐き出すだけだから。


 伝えるだけだから、とおれは必死になった。


「薬でぼんやりしているとき、シトエン、おれに言ったんだ」

「……なにを」


 彼女の声が固い。


「アツヒト、って」

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