第12話 わたしと一緒にソファで寝るか、わたしと一緒にベッドで寝るか

◇◇◇◇


 二時間後、おれとシトエン嬢は寝室で向かい合って立っていた。


「気まずいでしょうが、あの……、おれのことは空気かなにかだと思ってください」

 ぺこりと頭を下げると、シトエン嬢は驚いたように目を見開いた。


「そんな。わたしこそ、お邪魔でしょうが……」


 あちらもぺこりと頭を下げるから、なんとなくおれもまた頭を下げる。

 父上や王太子から『結婚式まで手を出すな』と厳命されているため、おれの屋敷では寝室や居室は別にしているんだが……。


 この移動中は、どうしたもんか、と。


『結婚式までは寝室は別にしているんです』


 そう説明して別室にしてもらってもいいんだが、そうなった場合、また変な噂が立ってもかなわない。 


 今度もあの令嬢、うまくいかなかったみたいよ、と。


 慎み深さをアピールした方がいいのか、それとも愛されている感を出したほうがいいのか、盛大に悩み、かつ、現在、別の問題も浮上している。


 シトエン嬢が狙われているかもしれない、という問題だ。


 つい一時間前、騎士団の中で侃々諤々かんかんがくがくの議論を行った結果。


『団長、寝室別はまずいっす。いろいろ危ないっす』


 一同がそう言ったため、もう、その結論に従うことにした。

 おれの屋敷では「シトエン嬢に手を出さないように」と常に目を光らせているラウルでさえ、その意見に賛同している。

 なにかあったとき、一番に対処できるように、と。


『ティドロスの冬熊』が側にいれば安心だ、ということなんだろうが。


 まあ、一番彼女を襲いそうなのは、おれなんであって、これはこれで危ない気もするが、そこは鉄の理性で本能をねじ込むしかない。


「なので、おれ、その辺で寝るんで」


 枕を一個ひっつかみ、おれはソファを指さした。さすが伯爵家。ゲストルームがかなり広い。ソファはあるわ、暖炉はあるわ、カウンターバーはあるわ、天蓋付きのベッドはあるわ……。どうやらバルコニーまでついているらしい。


「王子をソファでなんて! わたしがソファで寝ます!」


 びしり、とシトエン嬢が挙手をするから噴き出した。


「いや、女の子をそんなところで寝かせたら、王子と言えんでしょう」

「お、女の子って……。もう、そんな年じゃないんですが」


 シトエン嬢が真っ赤になって恐縮しているが。

 いや、二十歳そこそこって、まだ女の子じゃないのか?


「あの、でしたら一緒にこのベッドで寝ましょう」


 シトエン嬢が真剣なまなざしでおれを見るから、おもわずのけぞりそうになった。


「わたしのことは、それこそ空気か何かだと思ってください。端っこの方でじっとしていますから」


 いや、おれがじっとできているかが問題なんだが。


「……いや、おれ、ソファで……」

「では、わたしもソファで寝ます。一緒に。どちらがいいですか」


「は?」

「王子を一人でソファに寝かせるなんてできません。ならば、わたしもソファに寝ます」


「ちょっと理解が出来ないんですが……」

「理解できないなら、選んでください。わたしと一緒にソファに寝るか、ベッドに寝るか」


 迫られた。


「…………………じゃあ、ベッドで」


 いや、おれとしてはソファで寝たかった。


 だって、ベッドより明らかに密着できるじゃないか。いや、密着したとしても、「狭いから仕方ないですね」って言えるじゃないか。言いわけできるじゃないか。くっついてふたりで寝られるじゃないか。一緒にごろごろできるじゃないか。


 だ け ど。


 それで、おれの理性はもつのか!? 手を出さないって言えるのか!? 本当に!?


 いや。

 無 理 だ ね !


 おれはおれのことを一番よく知っている。

 手を出す。

 確実に、手を出す。


 そしてその後、激しく凹むぐらいなら、ベッドの端っこでひたすら我慢している方が断然ましというものだ。


「じゃあ、わたし、あの辺りでじっとしてますから」


 ほっとしたようにシトエン嬢は笑い、よいしょ、とばかりにベッドによじ登った。

 そのまま、四つ這いで、ベッドの上を奥まで移動する。


 その時、寝衣の裾がはだけて、随分と白いふくらはぎが、ちらりと見えた。思わず顔をそらす。まずい。ガン見しそうだ。


 というか、動きがいちいち小動物みたいで可愛い。


 なんかこう……。

 なんかこうさ!! もうちょっと!!

 もうちょっと男らしく動いてほしい!! でないと、理性が持たない!


「この辺りでいいですか?」


 めちゃくちゃ端っこに、ぺたんと尻をつけてシトエン嬢は座り、おれに向かって小首を傾げる。


 ……うん。適切な範囲であり、かつ、危機的状況を避けられる距離だと思います。

 素晴らしいですね。


「あんまり端っこに行って、落ちないでくださいね」


 おれは苦笑いし、よいしょ、とばかりにベッドの手前に腰掛ける。ぎし、とスプリングが軋んだ。


 そういえばシトエン嬢はあんだけベッドの上で動いたのに、音もしなかった。軽いんだなぁ、と思うと同時に。


 『ベッドの上を動くシトエン嬢』という言葉に、おれは勝手に妄想し、ああもう、おれはなんてダメな奴だ、とひとり落ち込んだ。


「どうしました?」


 声をかけられ、顔を向けると、枕を胸の前で抱え、シトエン嬢が小首を傾げている。なにもう。小鳥みたい。


「大丈夫です、大丈夫です、大丈夫です。あ、そうだ」

 項垂うなだれてばかりもいられない。強引に話題をかえた。


「さっきのドリンクの件ですが」


 ベッドに胡座し、おれはシトエン嬢に話しかけた。

 例の桃が混入した件だ。


「別の令嬢に渡そうと思ったものが間違って運ばれたようで……。平身低頭謝られました」


「そうでしたか。あの……、あまりことを大きくしないでくださいね」


 眉を下げて申し訳なさそうに言うが。

 まあ……。

 真っ赤な嘘なわけで。


 実際、執事は見つかっていない。 


 侍女のイートンがシトエン嬢にグラスを渡した執事を見ており、その外見を頼りにラウルと数人の騎士が探したのだが、いない。


 執事長に確認したが、そのような外見的特徴を持つ執事がまずいない。

 そのあたりで、おれも騎士団も警戒というか危機意識を持った。


 これは、狙われている、と。

 シトエン嬢が。


 理由はわからない。まだこの国に嫁いできて日が浅い。嫌われるほどのなにかをやってもいなければ、そもそも正式なお披露目の場すらない。


『最大限、注意を払え』

 結局、そう命じ、おれ自身が一番身近で彼女を守るしかない。


「お疲れではないですか?」

 シトエン嬢が、紫色の瞳を細める。いきなり黙り込んだから心配させたらしい。


「平気ですよ。シトエン嬢こそ……。あ」

 そこでおれは尻をいざらせ、シトエン嬢に向き直った。彼女はきょとんとおれを見る。


「そうそう。昼間思ったけど、おれとふたりのときは、タニア語で話さないか?」


 タニア語で話しかけると、シトエン嬢の紫色の瞳が真ん丸になる。


「話さないか、と言っておいてあれなんだけど、そちらの敬語や丁寧語はからっきしで。こんなスラングみたいなのしか話せないんだけど」


 頭を掻く。

 盗賊相手に尋問する時にしか使わないから、ろくな外国語の覚え方をしていない。


「いえ……、それは問題ありませんが。どうしてそのようなことを?」

 だけど、彼女はきれいなティドロス語で返してきた。


「いや、ほら。ずっと外国語をしゃべってるじゃないか。たまには母国語が恋しくない?」


 この数年間、彼女は母国にほぼ帰っていない。


 ルミナスでは気を張り、かつ、手厳しい対応の中、外国語での対応を強いられた。

 ここに来ても同じだ。

 もう失敗は出来ない、とばかりに気を張って生活をしているのがおれでもわかる。


「さすがに、公の場ではティドロス語を話してもらわないといけないけど……。おれとふたりのときぐらいさ、タニア語を使おうよ」


 まあ、こんな下手くそだけどさ、と笑う。


 だけど。

 シトエン嬢はなんだか表情をこわばらせたまま、ぎゅっと枕を抱く腕に力を込めるから、困惑した。


「……シトエン?」

 そっと名前を呼んでみる。


 気を悪くしたのだろうか。


 咄嗟にそう考えた。

 おれの思い付きなんて、彼女にとっては慰めにもならなかっただろうか。


 それとも。

 莫迦にされた。

 そう怒っているのだろうか、とひやりとした。


「どうして、そんなに優しくしてくれるんですか」


 シトエン嬢の桃色の唇がタニア語を紡ぐ。ほっとした。怒っているわけではないらしい。


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