第11話 わざと、って言いたいのか?

「ルミナスの宮廷が、現在躍起になっているとか」


 ぼそり、と誰かが呟く。シトエン嬢から視線を移動させると、その呟きに数人が同調した。


「新しい王太子妃は、世情に疎く、国内の社交界では問題ないが、外交の席には出せない、と」


「ああ、あれだろう。タニアの駐在員の件」

「駐在員?」


 おれが尋ねると、幾人かが顔を顰めながら頷いた。


「シトエン嬢との婚約破棄の件で、タニア王がいたくお怒りになり、現在ルミナスへの鉱物資源が輸出停止になっておられるのは、王子もご存じでしょう?」


「ああ。おかげで、わざわざ外国からタニアの資源を買い付けているんだったかな」

 おれが言うと、皆がうなずく。


「その件で、新しい王太子妃……、えーっと、メイル王太子妃か。その方が、タニア王国の駐在員のところにいきなり押しかけ、『宝石を売ってください』と直談判したらしいのです」


 呆気にとられた。


「その理由がまた……。自分の結婚式のときに使用する宝石の数が少なくなるから、だそうで……」


 会話の輪から失笑が漏れた。悪いジョークかよ。


「いままでは、その……。シトエン嬢が悪役を引き受けていたから今の王太子妃の人気が高かったのでしょうが……」


「からくりが露見した今となっては……」


 貴族たちは互いに肩を竦め合い、グラスの中の酒をすすった。


「隣国の王太子は見る目が無いんですね」


 ラウルがおれにだけ、こっそり声をかける。おれは鼻を鳴らした。

 あんなにシトエン嬢を傷つけたのだ。

 少しぐらい、痛い目をみるがいい。


「おや?」


 むかむかしていたら、ラウルが小さく声を発する。おれにだけ聞こえるように音量を調整したのだろう。周囲の貴族たちは気づいていない。


 おれも視線だけ動かしてラウルを見る。

 やつは瞳をシトエン嬢に向けていた。


 つられるようにおれも視線を追う。


 そこには、シトエン嬢が細長いグラスを持って首を傾げている。少し困ったような表情だ。


 あれ。

 グラスなんて持っていたか? 目を離したすきに、ウェイターからなにかもらったのだろうか。


 すかさず壁際から侍女のイートンが駆け寄るのが見えた。


 シトエン嬢がさりげなく会話の輪から離れ、イートンに何か言い、イートンも盛大に眉をしかめているようだ。


「ラウル、行ってこい」


 おれが言い終わるより先にラウルが動き出した。

 異変に気付いたのは警備の騎士たちも同じだが、ラウルやおれの指示を待っているらしい。


 おれが軽く首を横に振ると、待機を続けている。


 ラウルはシトエン嬢とイートンに近づき、何事か話しかけた。

 イートンが肩を怒らせて訴え、シトエン嬢は侍女をなだめている。


 ラウルが頷き、シトエン嬢からグラスを受け取ると、彼女は、ほっとしたように、だけどどこか申し訳なさそうにラウルに頭を下げた。ラウルが慌ててそれを押しとどめる。


 シトエン嬢はイートンに促され、また会話の輪に静かに戻った。

 貴婦人たちも、なにかあったのだろうか、と不思議そうな顔をしたが、さりげなくシトエン嬢を会話に入れてくれたようだ。


「どうした」

 おれも貴族たちの輪から離れ、戻ってきたラウルに声をかける。


「それが、これ」


 ラウルがおれにグラスを差し出してくる。

 さっき、シトエン嬢が持っていたやつだ。


 色合い的にオレンジの果汁を炭酸で割ったものらしい。ゴミでも入っていたのだろうか。


「ちょっと、匂い、いいですか?」

 ぐい、と鼻先に押し付けるから、ぎょっとした。


「まさか腐ってんのか?」

「そうじゃなくて」


 ラウルから受け取り、恐る恐る鼻を近づける。

 やはり、オレンジ果汁らしい。柑橘独特のさわやかな香りが鼻をくすぐる。


「ん?」


 だが、眉根が寄る。

 これ、それだけじゃない。

 行儀が悪いな、とおもいつつ、さらにグラスに鼻を近づける。


「これ、桃が入っていないか?」


 つい言葉が険しくなった。

 微かだが、独特のあの甘い匂いを感じる。


「ですよね」


 ラウルも瞳に怒りをにじませる。

 宿泊にあたり、各領地の領主へ通達を出したのだ。


 シトエン嬢は、桃とリンゴが食べられない。食事や菓子には絶対用いないように、と。


 幼いころから食べると喉の内側や顔が腫れあがり、熱が出て大変なのだそうだ。

 それは年々ひどくなっており、今では果汁にふれるだけで具合が悪くなるとか。


 なので、食事内容には絶対に入れてくれるな、と連絡をした。

 実際、今日のディナーにもデザートにも一切それは使われていない。


 それなのに。

 なぜ、ここで桃が出て来る?


「……このグラスはどうしてシトエン嬢に?」

「シトエン嬢がおっしゃるには、執事が近づき『どうぞ、姫』と声をかけられたので、てっきりオレンジ果汁だとおもって受け取ったのだそうです。なんでも、その前にオレンジが欲しい、と所望されたそうで」


 実際見た目はそうだ。透かし見ても、橙色の液体に、割った炭酸の細かい気泡しか見えない。


「ところが鼻先に近づけて匂いに気づいたらしく……。どうしたものか、と思案していた、と」


「誰かと間違えたのか?」


 こういうソフトカクテルだといわれれば、ありそうだ。


「でも、姫、と呼びかけたわけですよ? この会場内に他にそんな敬称の女性はいないでしょう」


 ラウルの声が低くなる。訓練された警備犬のようにちりちりとした警戒感を発していた。


「わざと、って言いたいのか?」

 おれが尋ねると、素直に「はい」と答えるから、苦笑いが漏れた。


「まだ、事を荒立てるには早い。もう少し様子を見よう」


 ラウルは不満そうに口をへの字に曲げる。おれは肩を竦めてみせた。


「シトエン嬢にこのグラスを渡した執事を探せ。事情を聞こう。話はそこからだ。シトエン嬢のお披露目みたいなこの場で物騒なことはしたくないし、誤解させることも気まずい」


 ようやくラウルは納得したらしい。

 壁際の騎士数人に指文字を送り、出入り口の方に進む。


「どうかなさいましたか?」

 伯爵に問われ、おれは愛想笑いを浮かべた。


「いいえ。すいません、部下とちょっと」

 そう言いながら、会話に戻った。

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