第10話 誰がそのような!

◇◇◇◇


 これは、失敗したなぁ、と、夜会がはじまって十分もしないうちにため息が出そうになった。


 場所は、テオドール伯爵の屋敷だ。


 ヴァンデルが婚約祝いを持って来て、『ぼくの領地に来てくれ』と言ったあの日から、すでに二十日が経っていた。


 おれとしては、当初やつに言った通り、五日あれば引継ぎ自体は出来たんだが、シトエン嬢を連れての移動経路や連絡、父上の許可と王太子への説明等を行っていたら、こんなに日にちが経ってしまった。


 なにしろ、ヴァンデルの元に行く理由がいまいち、おれにもシトエン嬢にもよくわからない。


 王太子からは、『なんのための外出だ。なにしに行くんだ』と問われたかが、答えようがない。


 ヴァンデルからは『とにかく来てくれ』しか言われていないのだから。


 ただ、ヴァンデルと、その父君であるシーン伯爵からは、父上にしっかりと説明を行っていたらしい。

 機密事項にあたるらしく、渋っていた王太子も、父上から直に説明され、納得したようだ。


 そんなこんなで、予定よりもだいぶん出発が遅くなることを詫びる手紙を出すと、ヴァンデルからは、『仕方ない。三男とはいえ王子が王都を離れるんだからな』と返事が来たので、少しほっとした。向こうだって無理を言っている、とは分かってくれている。


 で。


 移動だが、おれ一人なら、どうとでもなるが、シトエン嬢を連れての旅となると、これがまたややこしい。


 王家が季節ごとに使う別荘を転々としようと思っていたら、各領主たちが『ぜひとも我が屋敷に』と言いだし、結局、経路として通過する領主の屋敷にお邪魔することになった。


 たぶん、シトエン嬢を見たいのだろう。

 国王の三男が、どんな嫁を貰ったのか。

 普段、王都から遠ざかっている領主たちにとっては、格好のネタだ。


『宿泊する屋敷で顔見世を兼ねる様です。大丈夫ですか?』

 シトエン嬢には断りをいれたが、彼女はふたつ返事で、諾、と答えてくれた。


 だけどまあ。

 おれとしては、領主一族と夕飯を共にするぐらいだろうと思っていた。


 なので、移動の馬車の中で、シトエン嬢に、宿泊する領主の名前、家族の構成、領の特徴などをかいつまんで説明し、彼女はそれを暗記して対応することになったのだけど。


 まさか。

 初日の屋敷で、こんなに盛大に歓迎してくれるとは。


「いやあ、王子が滞在なさると伝えると、ぜひご拝謁したいということで」


 テオドール伯爵は、大きな腹を揺すりながら笑っている。おれも、お追従並に笑みを浮かべ、手元のグラスを傾ける。


 だいぶん濃い蒸留酒だ。なんでもこの地の銘酒らしい。お世辞抜きに、鼻に抜ける樽の香りがいい。次兄あたりが好きそうな酒だった。


 おれは一口またすすり、会場内を見回す。


 屋敷一階をぶちぬくホールの中央辺りに衝立や装飾花を配置して、男性側と女性側に分けられていた。


 おれの周囲には、ホストのテオドール伯爵と、その父君。それから娘婿だの、遠方のなんちゃらだのが取り囲み、さっき挨拶が終わったところだ。さすがに高齢の貴族たちは、その後、よたよたと椅子席に移動してパイプをくゆらせている。


 壁際には、まだ十代前半らしい貴族の子弟たちが、そわそわしながらこちらを見ている。目が合うと、覚えたてみたいな礼を見せてくれるから、ものっすごくほほえましい。声をかけたくてウズウズしているらしいが、親御さんたちから止められているのか、時折、近寄ってきては、おつきの者に引き戻されている。それもまた可愛い。


 シトエン嬢は大丈夫だろうか、とおれは会場を見回すふりをして、彼女の姿を探した。


 どうやらあちらも、ホステスであるテオドール伯爵夫人を中心に会話をしているようだ。


 シトエン嬢の語学力はたいしたものだから心配はしていないが、問題は名前と階級の把握だ。うまくやれているといいのだけど、と、なんとなく親みたいな心配をした。


 警備のため、引き連れてきた団員たちが会場の内外にいてくれている。なにかあれば報告はくれるだろうが……。


 あとで、ラウルをさりげなく彼女のところに差し向けよう。


「いやしかし、王子」


 はいはい、とおれは会話の輪に顔を向け、にこりとほほ笑んで見せる。

 こちらに向かって鷹揚に笑っているのは、壮年の男性だ。伯爵の従兄弟だったか。


「王子が、カラバン連合王国の婚約式で、シトエン嬢をかっさらったと聞いた時は、さすが『ティドロスの冬熊』と、頷きました」


 口に含んだ蒸留酒を噴き出すかとおもった。反射的に飲み込むと、盛大にむせかえる。


「大丈夫ですか」「王子」


 慌てて背を撫でられるが、手で制して、執事にグラスを返す。口元をハンカチで拭いながら、「はあ?!」と言いたいのをなんとか堪えた。


「なにやら、事実とだいぶん異なる噂が流れているようですが」


 いや、『ティドロスの冬熊』はあってるんだけどね。


「おや、そうなんですか」


 輪にいる全員の男が驚くから、こっちが仰天する。いったいどんな噂がちまたに流れているんだ。


「いやその……。王妃の護衛で参加はしましたが……。そこで、シトエン嬢に対して大変失礼な場を目撃したものですから……。騎士として、シトエン嬢に代わり謝罪を要求したまでで……」


 かいつまんで説明すると、ははあ、と皆が声を上げた。


「まあ、それがご縁で……。王妃がシトエン嬢を大変お気に召し、このような運びに」


「なんと、噂というのはいい加減なものですなあ」

「こうやって真相をうかがってみれば、全然違っておりました」


 誰もが顔を見合わせてそう言い、笑う。まあ、この程度の噂なら可愛いもんだ。


「噂と言えば、シトエン嬢も、噂と全く違いますな」

 テオドール伯爵が、むふう、と鼻から息を抜く。大きな腹が、もったりと揺れた。


「噂?」

 おれは首を傾げて見せる。


 シトエン嬢とは、あのアリオス王太子との婚約式で見かけたのが初めてだ。

 それ以前に、なにか噂が飛び交っていたのか。あいにくと、社交界には疎いので知らなかった。


「アリオス王太子と婚約をしていた時のことですが、タニア王国出身であり、竜紋りゅうもんを持っていることを鼻にかけていた、とか」


「社交界に出て来ないのは、あちらの王家を莫迦ばかにしているからだ、とも聞きました」


 テオドール伯爵とその従兄弟が頷きあいながら、おれに話す。その横で、領内の高位貴族たちが言いにくそうに口を開いた。


「その……。お言葉にも不自由されているご様子、と言われていました。外国語がまったくできないために、社交界に出てこられないのだろう、と」


「金遣いもあらい、とか、使用人をいじめる、とか。それはそれはひどいもので……」


「誰がそのような!」


 思わず大声が出てしまった。びくり、と周囲の貴族たちが肩を震わせる。ラウルが背後で「王子」と小さく呼びかけてくれて、慌てて取り繕った。


「失礼。つい……」

 だが、おれの無礼に貴族たちは恐縮で応じてくれた。


「こちらこそ、申し訳ありません」

「もちろん、シトエン嬢にご挨拶をし、そのひととなりに触れて、たちの悪い噂だということは存じ上げています」


 はあ、とテオドール伯爵が代表するかのようにため息をついた。


「どうせ、シトエン嬢との縁をのぞまぬアリオス王太子が広めた悪評でしょう。実際、シトエン嬢はあのように外国語に堪能ですし、ご自分の出自を鼻にかけるそぶりもない」


 誰に促されたわけでもないのに、なんとなく、みんなが会場にいるシトエン嬢を見た。


 彼女は今、年の近い令嬢の話を熱心に聞き、なにか話しかけた。途端に、やわらかな笑い声が彼女たちを包み、近くにいる使用人たちさえも口元をほころばせている。


 もちろん、あの場で使われているのは、ティドロス語だろう。

 シトエン嬢の母語ではない。

 そして、彼女と初めて会ったあの場では、流暢なカラバン共通語を話していた。


 才媛だ。

 美しくもあり、気さくさも兼ね備えている。


 単純に、アリオス王太子がシトエン嬢のことを気に入らず、社交界に連れて出歩かなかったために、妙な噂が立って、尾ひれをつけたのだろう。


 ふと思った。

 彼女はもう、どれぐらい母国語を話していないのだろう、と。


 ルミナス王家に馴染むよう、2年前から国を離れたと聞いている。そして、その後おれのところに嫁に来た。


 都合三年。

 彼女は外国に住み、外国の言葉を話し、外国の衣服を身に着けている。


 その経緯を考え、おれはなんともいえない気持ちになった。


 あの白いヴェール。

 おれには白繭に見えた。


 だとするならば。 


 彼女は、生まれ落ちた自分とは違う者になるために、あれをかぶり、努力しているのだろうか。


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