第8話 そのドレスお似合いですね
シトエン嬢の後ろでは、執事長が冷ややかに「なにをやってんだか」という顔でおれをみていた。救いがあるとすれば、シトエン嬢は愛想笑いをかろうじて浮かべていることだろうか。
「古くからぼっちゃまを存じ上げておりますが、ヴァンデル様とはなんでもありませんので、ご安心ください」
執事長が小声でそんなことを言っている。
よりによってなんでこいつと誤解されねばならんのだ。
「ええ、そうですよ、可愛らしいお嬢さん。ぼくと彼とは、いわゆるご学友というやつです」
よっこらしょ、と足に力を入れて立ち直したのか、ヴァンデルを支えていた腕が軽くなる。
ほっとしていたら、あいつめ。
あろうことか、リップ音を鳴らしておれのほっぺたにキスしやがった。
「この程度の関係ですから」
ははははは、と笑うから、「うがあああああ」と怒鳴って殴りつけてやる。さっきまで卒倒しそうな気配だったのに、あいつはひらりと躱してシトエン嬢の前に進み出た。
「友人の心に矢を刺した女神。あなたにご挨拶する栄誉を与えていただけますか?」
恭しく一礼している。
また、きざったらしいことを……。だけど、こいつ様になるんだよなぁ、こういうのが。
そんな風に苦々しく思ていたのだけど。
シトエン嬢は、それこそ慈愛に満ちた笑みで頷く。人が出来ている。
おまけに、今日のドレスが超かわいい。朝食の席で見たあの服も可愛かったけど、これもまた似合うじゃないか。
なにあれ。なんで次から次へとおれの好みをついてくるの。誰か指揮官がいるだろうか。おれ攻略用の。
そうやって、ただただ、見惚れていたのだけど。
アリオス王太子のところでは、ほぼ幽閉状態だった、と聞いたのを思い出した。
社交の場や、王太子が外出先に連れ出すのもあのメイルとかいう女だったとか。
きっと、タニア王やバリモア卿は、シトエン嬢にたくさんの服やドレスを持たせたにちがいない。
どこに行っても恥ずかしくないように。
また同じ服を着ている、と言われないように。
背後にはタニアという一国を背負っているのだ、と彼女自身も気負ってルミナス王国に入ったであろうに。
きっといま、彼女が着ている服の大半は、ルミナスの誰の目にも触れなかったに違いない。
着る機会も、見る人もなかった。
似合っているね、可愛いね、素敵だよ。
そんな声掛けなど誰もしなかったことだろう。
そんなことに気づいて、もやもやしていたら、シトエン嬢が、するりと右手をヴァンデルに差し出した。ヴァンデルがその手を取る。おもわず、はたきおとしてやりたい衝動にかられた。
「シーン伯爵領で父の手伝いをしています、ヴァンデルと申します。どうぞ、よしなに」
シトエン嬢の右手甲に口づけた。
それがまた。
本当に絵になるから腹立だしい。
「シトエンと申します。こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」
桃色の唇がほころぶ。
ああ、もったいない。あの笑顔はおれだけが見ていたいのに、こんな男に見せてしまった。
「なるほど、これは友人も一発であなたの手に落ちるわけだ」
にやにや笑うヴァンデルを殴ってやりたい。
「滅相もない。恋に落ちたのは、わたしの方です」
シトエン嬢が恥じらいながら言うので、まじまじと彼女を見てしまう。
真っ赤になった耳とか、上気したような頬を見る限り、どうも本音らしい。
なんかちょっと嬉しいな、と思う反面、え。おれですけど、大丈夫ですか、と問い直したい気にもなる。
「あの男の価値がわかるなど、お目が高い」
ヴァンデルはシトエンの手を取ってエスコートし、ソファに座らせる。
「お茶を」
おれは執事長に声をかけた。
執事長は、やれやれ茶番は終わったか、とばかりに一礼をし、退室した。
シトエン嬢の隣におれが座り、向かいにはヴァンデルが座る。
「あれ、あいつにもらったんです」
耳元に口を寄せて言うと、くすぐったそうに肩を竦めた後、おれが親指でさす方を見る。
「まあ。あの骨、くじらですか? いるかですか?」
良く知っている、と目を丸くした。
「見たことあるんですか、くじらやいるかを」
タニア王国は山岳地方だ。海は遠い。海産物は他の連合王国から輸入するのだと思っていた。
「いえ……、あの。……その……、骨格標本を。家庭教師から」
シトエン嬢は、焦ってそんな説明をする。
「ああ、なるほど。流行っていましたからね。骨格標本」
地質学が十数年前に流行したことがあった。
巨大爬虫類の骨が出てきたり、いったいどんな姿なのかわからない大型獣の骨が古い地層から現れ、一大骨格標本ブームが巻き起こったのだ。
豪商宅や王宮内においても、いろんな骨格標本がモビールのように天井からぶら下がっていた。
「気に入ってくださってなによりですよ」
ヴァンデルが笑う。
「まさか、あの箱の中全部骨じゃないだろうな」
おれが皮肉を言うが、ヴァンデルはけろりとしたものだ。
「毛皮や枯れ草もあったとおもうぞ」
いや、もっと無難なものを持って来いよ、お前。
「そのドレス、お似合いですね」
ヴァンデルが膝の上に頬杖をつき、身を乗り出すようにしてシトエン嬢に微笑んだ。
「ありがとうございます」
礼を言うシトエン嬢を見て、しまった、と顔をしかめた。
いや、これ。おれが最初に言うべきじゃなかったのか。
案の定、「してやったり」とばかりにヴァンデルが片頬をゆがめた。くそ。
歯噛みしていたら、ちらり、とシトエン嬢が紫色の瞳でおれを上目遣いに見る。
い、言わねば!! なにか、言わねば!!
「あ、朝の服も素敵でしたが、こちらもいいですね! こう……、あの。あれだ。とても、初夏らしい! 花っぽいというか、ちっちゃいほら、あの実がなるやつあるじゃないですか。赤い。あの花の色に似ていますよね! シトエン嬢、肌がきれいから、良く似合っているというか、映えるというか。あれだ、うん。季節を取り込んだ、というか。先取り? いや違うな。えーっと」
なんとか必死に台詞を吐きだす。
もう、途中からちんぷんかんぷんになってきて、ヴァンデルはうつむいて震えていた。こいつ、嗤っていやがるな。
だけど。
シトエン嬢はおれを見上げて、にっこりと微笑んでくれた。
アメジストみたいな瞳とか、触れたら消えちゃうんじゃないかっておもうほど繊細な銀色の髪とか、つやりとした白い肌とか。
そんなんがもう、視覚情報として、どわーっと入ってきた後。
シトエン嬢が微笑んでいる、と、はっきりと知覚した。
おれだけに。
もう、こんな幸せなことがあるだろうか。
「うれしいです。ありがとうございます。着て、よかった」
そんなことを言い、ちょっとはにかんでから、ドレスのシフォン部分を、指でちょいちょい、っと直す。なんかそれも、「こっちの方がよく見えるかな」って工夫している感じで、めちゃくちゃ可愛い。いい。ほんと、いい。
そう感じて、気づく。
ああ、そうか。
思っているだけじゃダメなんだ。
こうやって、口に出して伝えないと。
そして、それはおれだけじゃなく、他の人からも伝えてもらわないと。
言ってもらえる機会を作らないと。
どんな言葉でもいいし、うまくいえなくてもいいから、気持ちはちゃんと伝えないといけないんだ、とか。
……それを。
気づかせたのが、この男だというのが、ちょっとむかつくんだが。
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