第7話 ヴァンデル、やって来る
◇◇◇◇
次の日。
騎士団の屯所を飛び出し、馬で移動中もラウルに引き継ぎを言いながら、なんとか時間通りに王宮内にある自分の屋敷に飛び込んだ。
次兄が婿入り先に戻ったので、その警備でバタバタした。
こんなややこしいときに、なんでヴァンデルは来るかな、と舌打ちする。
廊下を足早に歩くと、執事長が手を差し出してくる。おれはノールックで乗馬用手袋を手渡し、マントを取る。ぽいぽい、と背後に投げるが、執事長は落とすことなくキャッチした。
「ヴァンデルは?」
おれが尋ねると、執事長はかしこまった。
「客間に。お時間通りにいらっしゃいました」
珍しい、とついそんなことを口にする。
ヴァンデルとは軍の幼年学校からの腐れ縁だが、時間通りにやってきたことなど稀だ。
「たくさんのお祝いの品をお持ちです。ぼっちゃまからお礼を」
「わかった。シトエン嬢は?」
「すでに準備を整えておられますが、まずはぼっちゃまがお会いになり、その後入室される方がよいか、と」
「そうだな」
おれは頷く。
とにかく、先にいろいろ釘を刺しておかねば。何を言いだすかわからん男だ。
「お待たせいたしました、ヴァンデル様。おぼっちゃまのご帰館にございます」
客間に近づくと、執事長は近くにいた執事に荷物のすべてを押し付け、おれの前に回り込む。
素早くノックをし、息切れなど感じさせない声でお訪いを告げた。
「おお、待ちかねたぞ。親友」
室内からそんな声が聞こえるから、顔が歪んだ。
「なーにが、親友だ、くそったれ」
執事長が扉を開け、おれが中に入るや否や、ソファに座っていたヴァンデルは立ち上がる。
演技がかったしぐさで両腕を広げると、「ほれほれ」と抱擁を迫る。
いやだ。
無視を決め込んで、やつの向かいの席に座ろうとしたら、いきなり横から抱き着いてきやがった。
「離れろ、うっとおしい」
ごん、と、おとがいに掌底を食らわすが、「はっはっは。照れ屋だな」と言いながら腹に頬ずりされた。きしょっ。ヴァンデルを振り払い、距離を取るためにも、さっさと向かいのソファに座ることにする。
「まさかお前がぼくより先に結婚するとはな。いやあ、人生とはわからんもんだ」
ヴァンデルはくすり、と笑う。
相変わらず、ひょろ長いやつだった。
背はおれより低いが、それでも高身長の部類だ。
細身の身体に、切れ長の瞳。右目の下にある泣きほくろがちょっとあだっぽい男で、黒を好んで着るこの男についたあだ名は、『吸血伯爵』。
辺境伯領を領地にし、普段は境界を警戒警備しているだろうに、肌は青白く、人目を引く美貌を持っているにも関わらず、苛烈な戦闘スタイルは、まるで血を好むようだ、ということで。
学生時代にはすでに、下級生から『吸血伯爵」と、そんな風に呼ばれていた。
「お前は結婚する気がないんだろうよ」
よりどりみどりのくせに、なんのかんのと難癖をつけて見合いを断りまくっている。女性たちが気の毒でならない。少しは断られるほうの身にもなってみろ、というものだ。
「ああ、あれは祝いの品だ。なにがいいかわからんので、適当に見繕ってみた」
ヴァンデルは座り、細く長い指で部屋の一角を指さす。
視線を移動させてたまげた。
壁が見えないぐらいに、いろんな箱が詰まれている上に、なんの外骨格かわからないものが、どーんと天井からつられている。
「あれはなんだ」
「くじらだ」
「お前の地方では、婚姻の祝いにくじらの骨を贈るのか」
「聞いたことはないが、お前のところにはあるんじゃないのか」
相変わらず、口の減らない男だ。
じろり、と睨みつけると、ヴァンデルは黒い髪をかき上げ、小首を傾げた。
「なんだ。仕事中だったか」
おれの軍服を指さすから、当然だと頷く。
「婚約式の関係で次兄が戻ってきていたんだ。いま、国境まで近衛兵と騎士団を移動させている」
「ミハエラ殿はご息災か」
「おかげさまで。舅殿が数年後に引退されるだろうから……。今は、王太子である嫁さんと一緒に引き継ぎに追われているらしい」
あちらは女性の王太子だ。
初めてお会いした時は、きりりとした凛々しさに見惚れるほどだった。
次兄のミハエラが割と女顔だから、男女逆転の対人形のようだと思った覚えがある。
「しかし、婚約式の後に仕事だなんて……。さぞかし、
ヴァンデルが長い脚を組み、意味ありげに笑うから、むっつりとした顔を作って見せた。
「王都での結婚披露パレードが終わるまで手を出すな、と言われている。それまでは清い関係だ」
「おお。なんと気の毒に」
にやにや笑うから殴ってやろうかと腰を浮かしかけた時だ。
「カラバン連合王国は、えらいことになっているらしいな」
ソファの背もたれに上半身を預けただらしない格好で、ヴァンデルが不意に言う。
「えらいこと?」
目をまたたかせた。
そういえば、自分の婚約式のことでバタバタしていて、あの国のことを忘れていた。
「タニア王がルミナス王国に対して、カンカンにお怒りらしい」
「そりゃそうだろ。あれはひどかったぞ」
今思い出しても嫌な気持ちになる。
「
「なんと」
もちろん、鉱山資源が採れるのはタニア王国だけではない。外国に資源を求めてもいいのだろうが、こっちを停止されたから、こっちでお願い、とはすぐにいかない。
石炭に鉄鋼。各種鉱石。
それらは、連合王国という結束の中で融通しあっていたはずだ。
「ルミナス王国のノイエ王はひたすら謝り、アリオス王太子は現在
「まあ、閉じ込められているだけだろう。身体拘束まではされていまい?」
おれが尋ねると、ヴァンデルは返事の代わりに笑った。
「あの王、こと、息子のことになると目が曇る。その緩い蟄居も、あと数日で解けるそうだ。他の三国も、処置の甘さに苛立っていてな。ノイエ王廃位の決議が出るやもしれんぞ」
そうなると、また選挙がはじまり、新たな選挙王が立つ。
それを機に、五国がまた結束すればいいのだろうが。
「で? その
ふう、と深い息を吐き、ヴァンデルはまただらしなくソファにもたれる。
前々から肌が白いと思っていたが、なんだか今日は一段と青白い。
「お前、どこか悪いのか?」
思わず尋ねると、にやりと笑われた。
「うれしいね。色男に心配されると噛みつきたくなる」
「女だけにしとけ」
心配して損した。ぷい、と横を向いた時だ。
「失礼します、シトエン嬢をお連れいたしました」
ノック音のあと、執事長の声が聞こえた。
「おお。ようやくご対面か」
ヴァンデルがにやりと笑い、わざとらしくクラバットの結び目を整え、立ち上がる。
いや、立ち上がった、のだが。
ふ、と。
明らかに黒目が反転しかけて、後ろに上半身をのけぞらせた。
うお、なんだ、こいつ。
気づけばおれはソファから跳ね上がり、テーブルを超えてヴァンデルを抱きかかえていた。
「おい。大丈夫か」
抱えたまま、揺する。
細身とはいえ、さすが武人だ。腰と背中に腕を回したものの、結構な重量がある。意識を取り戻して姿勢を正してもらわねば、もろともに倒れそうだ。
「いや、悪い悪い。一番に祝いをしてやろうと、馬を走らせたのが悪かったかな」
相変わらず顔は青く、額から脂汗が滲んでいる。だが、顔を近づけると、瞳には力が戻ってきた。ちゃんと視線が合う。
ヴァンデルは小さく息を漏らし、自分を支えるおれの腕をぽんぽんと軽く叩いた。
「もう大丈夫だ。すまん」
「本当か?」
「ああ。それに、これ以上、お前とふたり、密室で抱き合っていると奥方がよからぬ妄想をするだろう?」
にやり、とまた意地悪く笑うから、咄嗟に振り返る。
扉口には、執事長を背後に従え、目を真ん丸にしたシトエン嬢が立っていて、絶望する。
今のこの状況を客観視するならば。
男同士、抱き合って、顔を寄せ合い、口づけする前に見える。
「ち が う ん で す 。シ ト エ ン 嬢」
ぎぎぎぎぎぎ、と軋み音を鳴らしながら、おれは彼女に話しかける。
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