第5話 可愛いが大渋滞
「……すいません、ちょっと」
おれは片手でヴェールを握りしめ、片手で顔を覆いながら呻いた。
「ちょっと、ティドロス王家側、集合してもらっていいですか」
おれと向かい合えば、猛獣さえ及び腰になる、と言われているのに。
『ティドロスの冬熊』と呼ばれるおれの口からは、とんでもなく情けない声が出た。
慌てたように王太子が立ち上がり、父王は真っ青になって硬直しているが、いや、ちょっと混乱している。
「な、何事ですかっ、団長」
素早くラウルが腕をひっつかんで顔を寄せて来る。
「どうした、サリュっ」
そこに首を突っ込み、小声で王太子が叱責するが、おれは逆にそのふたりの首を引っ捕らえ、白繭令嬢から背を向けた。さらに声を潜めて言い放つ。
「どこが不細工なんだっ」
「………想像できないぐらい綺麗だな」
「いやぁ、人形みたいですね」
王太子とラウルが頷くから、首にかけた腕に力を込める。
「く、苦しいっ」
「やめて、団長っ」
「どうすんだっ! あんな綺麗な娘、どうすんだっ」
ごいごいと首に回した腕を小刻みに揺すりながら、おれは凄む。
「このおれだぞ!? どうすんだよっ」
「いいじゃないか、綺麗な娘さんで。……って、いうか、おい。ラウルが死ぬぞ」
「ぐ、ぐふうううう……」
奇妙なうめき声を発して膝から床にラウルが崩れ落ちかける。
「あの。お気に、さわりましたでしょうか?」
鈴が転がるような声に、おれは反射的に振り返った。
同時に、片腕ずつ抱えていた王太子とラウルも、強引に向きを変えさせられ、ふたりは同時に「ぐふう」とうなる。
祭壇の前。
ただひとり、ステンドグラスの光を浴びてたつ娘は。
紫色の瞳をまっすぐにおれに向け、桃色の唇を開いた。
「この容姿が、お気にさわりましたか?」
ふたたび問われ、おれは茫然と彼女を見つめる。
その表情に。
瞳に。
髪一筋一筋に。
悲しみが滲んで揺れていたからだ。
「違う!」
気づけば怒鳴っていた。
王太子とラウルを投げ捨て、拳を握って直立する。
「可愛すぎてどうしようと
おれの声は聖堂で反響を幾度も繰り返し、やがて小さくなった。
小さくなって消えるまで。
誰も、言葉を発しなかったのだが。
ぷ、と。
最初に噴き出したのは母上だった。
「やだもう、この子ったら。何言ってんだか」
「いや、バリモア卿。申し訳ない。なにしろうちの三男は辺境で走り回っているやつなので。愛らしい女性にまったく免疫がないらしい」
父上がバリモア卿に頭を下げているが、その発言内容が非常に誤解を招く。
まるで
おれは任務を遂行しているというのに、この言われよう。
「いや、もう……。ほっとしました。感無量です」
だけど、バリモア卿は三か月前に見た時とはまるで違うほど、柔和に微笑まれた。なんだかうっすらと目に涙まで浮かべている。
ああ、やっぱりあんなにたくさんの人の前で自分の娘が拒否されるのを見るのはつらかったんだろう。
あのアリオス王太子。あいつはほんと、罪深い奴だ。
父親でさえそうなのだ。
当事者はどれほど傷ついたか。
そう思って、白繭令嬢を見る。
いや。
今はもう、ヴェールを外しているから、白繭ではない。
シトエン嬢だ。
おれを見る彼女は。
つるんとしたゆでたまごみたいな頬を桃色に染めて、立っていた。
すみれ色の瞳が濡れたように潤んでいて、同じ色の石で作った耳飾りがかすかに揺れている。震えているらしい。
侍女は、というと。
こちらはもう、シトエン嬢の足元でくずおれて泣いている。よかったですね、姫様、というようなことを言っているが、もう、えらいこっちゃである。
「深呼吸しろ、サリュ」
いつの間にか立ち直った、王太子が命じた。
「令嬢の元に行き、深呼吸して、いち、に、さん、で、でこにチューだ」
2歳の甥っ子に礼儀を教えるみたいに、説明してくれた。
「勢いあまって、頭突きしてはいけませんよ。しゃがまないと、高さがあいませんから、エアでこチューになりますよ」
早口でラウルが付け足した。おれを何だと思っている。
でこチューぐらい、おまえ、朝飯前だ。まかせろ。
「ほらほら。婚約者殿を待たせてはいかん。だいたい、このあとまだ行事は続くんだからな」
王太子がぐい、とおれの背を押した。
確かに、確かに。
このあと、シトエン嬢はドレスに着替えてお披露目会場に行き、親戚一同と顔合わせだ。
で、そのまま夕食会。
その後、解散。
彼女は今日の夜から、おれの屋敷で一緒に生活することになる。
本当は結婚式後に住むんだろうが、前回あんな形で婚約破棄になったもんだから、タニア国王が相当警戒をしており、『婚約式後、そのまま一緒に生活せよ』と命じているらしい。
既成事実を作って、今度こそ結婚しろ、ってことなんだろうけど。
若干、可哀そうだと思っている。
いきなり、今日会った男と住むんだからなぁ……。
あれは全面的にアリオス王太子が悪いってのに、全責任はシトエン嬢にあるかのようなこの決定。
ただ、今度はうちの王家が、『結婚披露までは手を出すな』と、おれに釘を刺しまくっている。
まあ、おれは王子とはいえ三男なので、王太子のような一週間も続くような結婚式はしない。
王都で、国民にお披露目を兼ねたパレードをして、母上が懇意にしている各地の教会がなんか鐘とか鳴らしたり、施しをしたりするらしい。
だけど、そのパレードの時に、奥さんのお腹が大きかったり、
ちょっと国民に対していろいろあるだろう、と。
まあ、わからんでもない。
めちゃくちゃいろんなことを噂されたり、
おれなんて男だし、基本的に騎士団で男ばっかりと生活しているから何言われようが構わないが、奥さんになるシトエン嬢は、逆に女ばっかりの社交会やお茶会、奉仕活動なんかに参加するわけで。
……想像するだに、いろいろため息が出そうだ。
なので。
王太子と次兄が言うには、これからの半年は『ひたすら忍耐』の日々なのだそうだ。
おれは赤絨毯の上を歩き、シトエン嬢の元に近づきながら、ちょっと悩む。
好みじゃない女だろうな、って勝手に考えていたもんで。
楽勝楽勝。仲良くお茶飲んだり、メシ喰ってたら半年なんてすぐすぐ、って思ってたけど。
まずいわ、これは。
どんぴしゃじゃん。めちゃくちゃ可愛いじゃないか、おい。
シトエン嬢の目の前で足を止め、見下ろす。
ほんと、毛穴とかある? これ。つるん、としてんだけど、肌。
髪の毛だって、本当に人毛ですか。なんか絹とか天女が羽織る的な繊維でできてんじゃないの。
ずっと見てたら触りたくなる。やばいやばい。
おれは咳ばらいをした。
振り返り、列席者を見る。
王太子もちゃんと着席していた。
「では」
なにが、では、なのかわからんが、とにかくそう声掛けする。
その間に、シトエン嬢の足元で泣きすぎて腰が抜けた侍女をラウルが引きずって退席させた。
おれは改めてシトエン嬢に向かい合う。
「失礼します」
声をかけると、「はい」と、小さな返事があった。
ついで、顎を上げておれを見上げ、目を閉じるもんだから。
やべえよ、おい!
これ、破壊力半端ねぇわ!
無防備が可愛いわ! 可愛いが無防備だわ! 罪だわ!
思わず、唇に引き寄せられたら、ごほん、と背後で咳払いが聞こえる。列席の方に視線だけ向けると、王太子が『デコ!』と言っていた。ちっ。
仕方なくおれはシトエン嬢の両肩を掴む。
なんか、わしっ、と握ってしまったらしい。
その薄さと華奢さに、ぎょっとしたけど、シトエン嬢もびっくりしたらしい。
びくり、と目を閉じたまま震えるもんだから……。
…………めちゃくちゃ、可愛いんですけど。なに、この小動物。うわあ。雪山でよく見る兎みたい。いや、白テンかなぁ。
いや、邪念を捨てろ、おれ!!!!!!!
言われた通り、でこチューだ、でこチュー。唇じゃないぞ。
腰を結構屈め、彼女の額に口づける。
まるで陶器のような滑らかさ。
彼女がつけている、甘めの香油に
「おめでとう」「おめでとうございます」
周囲から拍手と
どうやら、婚約式は終了と
やれやれ。
これから、結婚式の間。
おれ、身が持つんだろうか……。
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