第4話 これのどこが不細工なのだ?
◇◇◇◇
副官のラウルから、耳にタコができるほど繰り返し聞いた手順通り、おれは自分の婚約者である白繭令嬢の元に歩み寄った。
王宮内にある聖堂の壇上には本来司祭がいるんだが、今日は誰もいない。
ただ、頭上に設けられたステンドグラスから色とりどりの光が差し込み、白繭令嬢のヴェールを鮮やかに染めていた。
気づかれない程度に壁際を見やる。
いくつか椅子が用意されていて、おれの両親であるティドロス王と、王妃。それから兄である王太子。その隣の席には、バリモア卿がいらっしゃった。
タニア王国国王から正式に婚姻の申し出があったのが、ひと月前。
てっきり断られると思っていたから、仰天した。
そこからは怒涛の準備だ。
言ってはなんだが、あちらのお嬢さん、嫁入り準備はすべて整っているわけだから、あとはこちらが用意をするだけ。
だけど。
つい眉根が寄って、顔が歪む。
本当に、このおれでいいのかねぇ、と。
そんなことを考えていたら、こほん、と背後で咳ばらいをされた。
赤い絨毯の上をのんびり歩きながら視線だけ動かすと、副官のラウルが睨みつけている。よそ見をせず、早く進めと言いたいらしい。
今年三十になるかならないかの
おれとは乳兄弟にあたり、騎士団では副官を引き受けてくれている。
目元の涼やかな彼は女性にもなかなかもてるのだが、『団長を差し置いて自分が結婚など考えられません』と、いつも口にしていた。
そのたびに、『おれを待っていたら、じじいになるぞ』と冷やかしていたのだが、昨日の晩、一緒に酒を飲んでいたら、『これで心置きなく嫁がもらえます』といきなり泣き出したのを思い出して、つい口元が緩んだ。
なんだかんだと、ラウルも嫁が欲しかったらしい。
これは悪いことをした、と苦笑いしたものだ。
『王子がモテないのは、やる気がないのと、服と髪がダサいから』
ラウルはいつも顔をしかめて言うが、おれとしては、服は着られればいいし、身なりは清潔であればいいと思っている。
まあ、このまま嫁の来てがなければ、それはそれでいいか、と去年の夏、王太子の子であり、おれの甥っ子を腕に抱いた時に思った。
もう、この子でいいや、と。
勝手に愛情注ごう。父性をこの子につぎ込むんだ、と。
ところが、降ってわいてきたこの婚姻話。
『いいか、絶対に粗相はするな』
婚約式を三日後に控えたある日。
王太子と、婿入り先から慌てて帰国してきた次兄から圧をかけられた。
『思いもよらない掘り出し物だ。カラバンの王太子がアホでよかった』
王太子と次兄が、非常に邪悪な笑みを浮かべていた。まったく、こんな腹黒い男どもを、どうして女たちは、もてはやすのだろう、と不思議だ。
そんなおれをよそに、王太子は仕立て屋を呼び、次兄はラウルに『とにかく男前に仕上げるのだ。素材は悪くないはず』と指示を出した。
結果。
おれは極上の軍服に、最近はやりだという髪型を施され、丁寧にひげを剃られて今、この場に立っている。
『どんな娘なんですか。結局、おれ、姿かたちを見ていないんですが』
まあ、母上が決めた婚姻であるし、父上もご納得されており、なにより王太子である兄が乗り気だから、拒否権はないのだが、気になって聞いてみる。
姿かたちどころか、名前しかしらない。
『年は二十歳。元婚約者であるアリオス王太子は、シトエン嬢の容姿が気に入らず、二年前に嫁入り修行も兼ねてカラバン連合王国に入ったものの、その距離が縮まらなかったらしい。なので、あまりお前も期待はするなよ』
王太子がはっきりと言う。
まあ、むこうもおれの容姿を期待していないからお互い様だろう。
『だがな。なんでも、彼女には竜紋があるとか。すごいだろう』
次兄は少々興奮気味におれに説明した。
聞いたことはある。
タニア王国は、別名『竜の国』だ。
創国に竜が深くかかわっている。その一族は今も身体にうろこの
つまり、うろこの刺青が身体にあるのは、王家の人間だけ、ということになる。
なので、この刺青を持つ者を娶るとか、配下として迎え入れるというのは、とてつもなく栄誉なことなのだ。
ただ。
一方で、刺青を入れることを、「野蛮な風習だ」とか、うろこ模様を「とかげ人間」と陰で嗤う奴らがいることも確かだ。新興国であればあるほど、その傾向は強い。歴史を知らないし、他国の文化を尊重しよう、理解しようという寛容さがない。
おれは、白繭令嬢のすぐ側で足を止めた。
頭からつま先まですっぽりとヴェールで覆われているため、容姿などわかりようがないが、随分と小柄だ。
だいたい、おれの胸の真ん中あたりに頭がある。
これは、腰をだいぶん屈めないと、キスできないな。
ふたりの兄とラウルからは、ヴェールを取って女の額にキスをしろ、と言われている。
例の〝でこチュー〟だ。
まさかあの時の白繭令嬢に、おれがすることになろうとは。
ふと、白繭令嬢が身じろぎした。
どうやらおれと向かい合ったらしい。
繭のようにヴェールが覆っているせいで、どっちが前でどっちが後ろなんだか。
ちらり、と列席者に視線を走らせる。
王太子を見ると、『やれ』と顎で指示された。
背後を歩いていたラウルは、おれの退路を断つように立っている。いや、別に逃げないけどな。
こつ、と。
足音がしたから、女の背後を見ると、侍女らしき女が進み出て来た。
ああ、この女にヴェールを渡せばいいわけね。
視線が合うと、侍女は両掌を上にして差し出してきたので、解釈としてはあっているのだろう。
おれは、むんずとヴェールを握ると、えいや、とばかりに
さらり、と。
繊細なレース織の布は蜘蛛の糸よりも軽やかに宙を揺れる。
そこから現れた女を見たおれは、ぎょっとして息を呑んだ。
湧泉よりも透明度の高い銀髪。
ステンドグラスの色を浴び、白磁のようにさえ見えるきめの細かい肌。
整った目鼻立ちに、純白のドレスを瘦身に包んだ娘。
……これの。
これの。
ど、どこが……っ。
唖然と目前の娘を見つめる。
どこが、不細工なのだ、と。
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