第3話 見合い連敗男ですよ?

「さすが、王太子妃として教育された令嬢です。あの佇まい、そして落ち着き払った態度。わたくし、感服いたしました」


 母上は目を細め、動く白繭を見やる。

 白繭は、ちょっと短くなった。どうやら膝を折って礼をしたらしい。


 ただ。

 その後ろで。

 アリオス王太子の腕に囲われたメイルは面白くないらしい。


 盛大に眉根を寄せて白繭を睨みつけている。

 自分を差し置いて、褒められたのが嫌なんだろうなぁ。


 ぎっとりと口紅を塗った唇が動く。


 わたしのほうがかわいいのに。

 そんなことを言っていた。


「失礼ですが、貴嬢。ティドロス語は?」


 母上が言語を変える。ティドロス語だ。

 今まで、来訪国に合わせて、カラバン公用語を使っていたのだ。


「まだまだ未熟ではございますが、生活に困らない程度には」

 白繭が答える。


 謙遜だ。なかなかに発音がいい。さすが王太子妃として育てられているだけはある。


 その背後で、きょとんとしたメイルが、「おふたりは、なんて言っているの?」とアリオス王太子に話しかけ、「メイルは知らなくていいよ」と言われて、ちゅ、とデコにキスされていた。


 ああ、おもえばこれを見に来たんだっけ、おれ。


 いや、しかし……。

 あのメイルと言う娘。

 外国語に疎いのか。


 これは前途多難だ、とおれは口をへの字に曲げる。


 この大陸にはいくつか王家があり、それぞれ独立したり覇権を争っている。交渉ごとに言葉は絶対に不可欠だ。


 長兄の嫁ちゃんである王太子妃は、おれより年下だが語学は堪能。メイルと同じ天真爛漫に見えるが、才女だ。


 婿に行った次兄だって、数か国語は操るし、かつ、書ける。

 次兄の嫁さんは長女だが、あちらは第一子が王位を継承するから、良い王配になるに違いない。


 まあ。

『お前は、三男だから』

 と、生まれた直後から騎士団に放り込まれ、武芸ばっかり磨いてきたおれだって、主要な国の言葉は、生活に困らない程度に話せる。じゃないと、捕虜を尋問できん。


 もちろん、通訳を挟んでもいいが、その通訳が果たしてどこまで信頼がおけるのか、という問題が出て来る。


「不躾で申し訳ないですが、こちらの令嬢を愚息むすこの伴侶としてお迎えするわけにはいきませんか、バリモア卿」


 母上がバリモア卿に尋ねるにあたり、会場が一斉にざわめいた。


 いや、そりゃそうだって。気持ちはわかる。

 婚約破棄の途端、次の婚約だもんなぁ。


「王太子妃として育てられたご息女を……、王子とは言え三男では格が下がるというものですが」


「いえ、妃殿下。もったいないお言葉でございます」

 きっぱりとバリモア卿が答えた。


「バリモア卿!」

「お待ちを! しばしお待ちを!」


 ルミナス王家の重臣たちが押しとどめるが、まったくそちらを見ていない。あーあ……。大丈夫かね、これ。


「ただ、わたくしはタニア王の臣下。ルミナス王家と娘の婚姻も、タニア王の意に沿ってのこと。まずは、タニア王の意向を伺い、のちほど正式にティドロス王家にお返事を差し上げてもよろしいでしょうか」


 バリモア卿が淡々と答える。


「もちろんです、バリモア卿」

 母上は鷹揚に微笑んだ。


「色よい返事をお待ちしておりますよ」

 バリモア卿は深々と一礼したのち、ほう、とひとつ息を吐いた。


「父親としては、ルミナス王家よりも、一番に娘の名誉のため立ち上がってくださった王子に娘を預けたい気持ちはあります」


 あ。おれか。


 視線が集中する。なんか、居心地悪く肩を縮めたら、母上に睨まれた。しゃっきりしろ、ということだろう。だが、なんか義憤に駆られた自分が、アリオス王太子に変わらず青臭く思えて恥ずかしい。


「お気持ち、察しますわ」

 母上が、うんうんと頷いた。


「令嬢に対してなんという扱いなのか。ここで何かを言わなければ、うちの息子と言えど殴りつけるところでした」


 やべえ、おれ、殴られるところだった。


「ということで。ぜひ、タニア王には前向きにご検討を、とお伝えください」

 母上はにこり、と笑う。


 バリモア卿は「承りました」と再度頭を下げると、ノイエ王の重臣たちを押しのけ、赤絨毯に進む。


 白繭が動き、バリモア卿の差し出す肘をとった。

 ふたりして、扉に向かって歩く姿を見て、なんとなく、言わなきゃ、と焦った。


「あの、失礼ながらバリモア卿」


 声をかけると、バリモア卿が脚を止め、ゆっくりと振り返る。

 白繭も首を傾げるようにしてこちらを見たようだ。


「おれは、その……。このとおりの容姿です。王太子である兄や、他国の王配となる次兄とは似ていません。なので」


 これだけははっきり伝えないと、と背筋を伸ばす。


「ご令嬢に無理強いだけはなさらないでください。お断りのお返事をいただいたところで、このサリュ・エル・ティドロス。痛くもかゆくもございません」


 母上が隣でくすりと笑った。


「まったく、あなたは。またお見合い連敗記録を更新するつもりなの?」

「ほら、この通りなので」


 肩を竦めておどけてみせると、ようやくバリモア卿の口端に笑みのようなものが浮かんだから、ほっとする。


「ご令嬢の意見を、ぜひ優先させてください」

「王子の威名いみょうは我が国でもとどろいておりますよ」


「見合い連敗男ですか」

 愕然と目を見開くと、今度ははっきりとバリモア卿は笑い声を立てた。


「とんでもない。そのような極秘情報は初耳です。あれですよ。『ティドロスの冬熊』」


 そっちか。

 落胆したところを、女の笑い声が聞こえてきて、更に凹む。


 てっきり、白繭に笑われたのかと思ったのに。


 メイルだ。


「あの王子、冬熊ですって。本当にそうね」


 笑っていただいて何よりだよ。

 横目で見ると、さすがにアリオス王太子が立てた人差し指で「しい」と言っている。まあなあ。おれ、王子だからな?


「一度、お話をしたいと思っていたところです。今日は娘のために、ありがとうございました」


 バリモア卿は再度深く礼をすると、同じく礼をしたらしく、一瞬短くなった白繭を連れて聖堂を出て行った。


 これが。

 おれと、シトエン・バリモアの初対面だった。


☨☨☨☨


 その後、白繭令嬢と再会したのは、ティドロス王国の王宮内で、だ。

 互いに婚約者同士、として。


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