第2話 おれの嫁、ですか

 ぎょっとしたようにこっちを見ているが、おれのような男に容姿のことを言うならともかく、女子どもに言うことじゃない。


 しかも、高位の者が、歯向かえない下の者に対して。


 そんな怒りを覚えたのは、おれだけじゃなかったらしい。

 騎士道精神に基づき、幾人かの参列者が椅子から立ち上がる。


 アリオス王太子も失言だと気づいたのだろう。参列者から顔を背け、口を尖らせる。


 それなのに、こいつ、謝らないんだよなぁ。


 子どもかよ。

 同じ年頃の男として情けない。 


「………え。どうして……。あなたが……」


 ふと、聞きなれない声が聞こえた。

 ん? と顔を向ける。


 どうやら、白いヴェールの中身がしゃべったらしい。

 こちらを向いたのかもしれない。ヴェールの裾が揺れた。


「アツヒト」


 意味の分からない言葉を呟くから、おれは小首を傾げる。何語だろう。


「とにかく!」

 アリオス王太子は咳ばらいをすると、改めて聖堂内を見回した。


 片腕にはメイルを抱き、満面の笑みを浮かべている。

 いや、おれたちまだ、訂正と謝罪をもらっていませんけど。


「婚約は破棄だ!」

「このれ者が!」


 落雷のような怒声が室内に響いた。


 うおおおい! びっくりした!


 それはおれだけじゃなかったらしい。


 立ち上がって抗議した騎士のひとりなんて、儀礼剣の柄を握ったぐらいだ。

 アリオス王太子も肩を震わせ、メイルは小さな悲鳴を上げて彼に抱き着いている。


「バリモア卿、息子の無礼を平に容赦いただきたいっ」


 ノイエ王だ。

 白い顎髭を震わせながら、重臣たちと一緒に椅子に座ったままの男性に頭を下げている。


 バリモア卿ということは、シトエン嬢の縁者なんだろう。


 おれの席からは横顔しか見えないが、まあ、父親ぐらいの年齢だ。

 肉は薄く、頭髪は後退しているけれど精悍な顔立ちの壮年の男だった。


 だけど。

 なんというか、淡々としている。


 普通、自分の娘が目の前で婚約破棄されたのなら怒り狂うか、「どうなってんだ」とノイエ王につかみかかるだろうに。


 バリモア卿は前だけ見据えて黙っている。


 情が薄いのか、と思ったのだけど。

 顎がぴんと張っていたり、腕が細かく震えているところを見ると、怒りをただただ、堪えているのだと知れて、何とも言えない気持ちだ。


 娘のシトエン嬢と言い、バリモア卿といい。 

 直情型のルミナス王家とは大違いだ。


「謝っていただかなくて結構です、ノイエ王」


 ゆうに数分は沈黙し、そしてその間、ノイエ王はずっと頭を下げ続けていたのだけど。

 不意にバリモア卿はそう言って立ち上がった。


愚女むすめは連れ帰りましょう。シトエン」

 するり、とバリモア卿が腕を伸ばす。


 やはり、服越しにもしっかりとした筋肉がわかる腕だ。節度ある生活とたゆまない鍛錬をしていることがうかがえて、あのあほ王太子より断然好感が持てる。


「帰ろう、タニア王国に」


 ああ、この御仁。五王国のひとつ、タニアの王家に連なるのか。


 国内の三分の一が山間らしいが、鉱山資源の豊富な国だ。

 山で牧畜をする者も多く、健脚で強靭な心肺機能を持つ者が多いという。

 バリモア卿の体躯を見て、納得した。


「お待ちください!」

「バリモア卿、平に! 平にご容赦を!」


 赤い絨毯が敷かれている通路に踏み出そうとするバリモア卿を、ノイエ王と重臣が押しとどめている。


 通路を見ると。

 白繭が、もぞりと動いた。


 どうやらバリモア卿の元に自分から行こうとしているらしい。

 アリオス王太子の元を、白繭が離れるのを見るや否や。


 ほんと、イヤな気持ちになるんだけど。


 あのアリオス王太子とメイルとかいう女は喜色満面に笑ったんだよなぁ。

 いや、お前らわかってるか。この状況。

 お前らのせいで、いろんなところが謝ったり怒ったり嗤ったり企んだりしてるぜ、おい。


「失礼ながら、よろしいでしょうか、ノイエ王。バリモア卿」

 声を張ったのは母上だ。


 びっくりして横を見ると、おれに向かって手を出している。


 あ、エスコートね。はいはい。

 差し出された手に、自分の手を添えると、優雅な姿で母上は立ち上がる。

 そのまま膝を軽く曲げて挨拶した。


「これは……、ティドロス王妃。まったく、とんだところを」

 ノイエ王が額から滝のように汗を流しまくって、返礼をする。


「バリモア卿におかれましては、昨年の……、そう、カラバン連合王国の夜会以来かしら」


 薄く開いた扇で口元を隠したまま、母上は話しかける。バリモア卿は右こぶしを左胸に押し当てる敬礼を取ってから、重々しく口を開いた。


「わたくしのような者にまでお声掛けいただき、光栄至極。妃殿下におかれましては、ごきげんうるわしく。なによりでございます」


 ほらあ。普通はこうなんだって。

 王族としゃべるんだぜ?


 おまえらが、おかしいんだって。


 じろり、とアリオス王太子とメイルを見るが、こっちは、ふたりで見つめあって、きゃっきゃうふふの最中だ。


 ため息が出る。

 視線を動かしたら、白繭は困ったように動きを止め、バリモア卿と母上を交互に見ていた。


「ところで、ノイエ王。この婚約は破棄ということでよろしいのかしら」


 はっきり言っちゃったよ、うちの母上……。


「いやいやいや! とんでもござらん!」

 ノイエ王は慌てるが、バリモア卿が大きく咳ばらいを一つした。


「破棄で結構。このまま愚女を連れてタニア王国に戻ります」


 バリモア卿の声も表情も頑なだ。

 さすがに列席から声が漏れる。

 まずいぞ、という雰囲気が大半だ。


「どうでしょうか、バリモア卿。わたくし、現在 愚息むすこの嫁を探しておりましてね。陛下からは、この件に関しては一任されておりますの」


 不穏な意見が、母上の発言でぴしゃりと止んだ。

 おれはおれで、別の意味で絶句する。


 は。

 おれの嫁、ですか。

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