隣国で婚約破棄された娘を嫁にもらったのだが、可愛すぎてどうしよう

武州青嵐(さくら青嵐)

第1章

第1話 お前のように醜いものを妻に迎えることなど到底できない!

 眼前で繰り広げられる糾弾を、おれはいたたまれない気持ちで眺めていた。

 ここまで問い詰められるほどのことを、あの娘がしたのだろうか。


 気づけば吐息が漏れていた。


 隣国カラバン連合王国のひとつ、ルミナス王国王太子アリオスが指弾しているのは、彼の正式な婚約者になろうとしている娘シトエン・バリモアだった。


 婚約に先立ち、二年ほどルミナス王国で生活している、と聞いていたから、婚約者同士互いに顔は知っているのだろうが。


 習わしに則り、シトエン嬢は頭からつま先まで白いヴェールで覆われている。


 おれたち参列者からは、容姿は想像もできない。

 聖堂に入場してきたとき、一瞬、動く白繭かとおもったぐらいだ。


『今からアリオス王太子がそのヴェールを取り、額に口づけるのよ』

 隣に座る母上がこっそり教えてくださる。

 婚約式はそれで終わりらしい。


 おれも、それから、ティドロス王国の王妃である母上も、ようするに、その他人の〝でこちゅー〟を見るためだけに婚約式に招待され、馬車に揺られながら七日。ようやく昨日、カラバン連合王国の王都リーズにやって来たところだった。


 本来であれば、この婚約式の後、お約束の王家を交えた懇親会に参加し、淑女たちが「あら、お宅の息子さん、まだ独身?」「そうなのよ、誰か良い人がいたら紹介してね」とやり取りをし、女っ気のまったくないおれは、ほぼほぼ公開処刑の目に遭う。


 25歳になって未婚の上に、婚約者もいないなんて、なにか原因があるのではないか、と。


 ねぇよ。

 たんに、モテないんだよ。


 いや、そもそもこんな隣国の婚約式に参加って、普通は国王とか王太子が母上をエスコートして参加するじゃないか。


 なんでおれが、と思ったら。

 あれだ。

 見合いの算段だ。


 淑女たちの前におれを引き出し、『うちの息子、どう?』と母上はやりたいわけだ。


 だけどなぁ……。

 いや、母上には悪いよ? こんなにさ『この息子、いい子なんだけど。どうして見合いを断られるのかしら。みんな、見る目がないわぁ』とか言ってくれるけどさ。


 ……うん。


 王太子である長兄とか、他国に婿入りした次兄なんかは、母上に似て中性的な美形というか……。こう、つるん、とした貴公子なんだが。


 おれは父上に似た。


 いや、光栄なことだよ。陛下に似てるんだからな。母上もほっとしたとおっしゃっていた。すぐに「いったい、誰の子なんだか」と言われるらしいから。


 だけど。

 陛下似イコール流行の顔か、というとそうじゃない。


 なんていうのか、こう。

 もろ、おとこっぽいんだよなぁ、おれの顔。


 身長だっておれより背が高い奴、騎士団にもほぼいないし。 

 太ってはいないけど、鍛えれば鍛えるほど、太く広い筋肉が腕や背中、太ももなんかについて、もう、ほら、ぜんぜん、公爵とかのイメージじゃないわけ。


 おまけに、毎年冬は辺境警備に騎士団引き連れて行くからさ。

 盗賊だの反乱分子だのを蹴散らしていたら。


 ついたあだなは『ティドロスの冬熊』。


 いや、そりゃさ!

 辺境警備中は、ひげ剃るのもさぼってたよ! だって宮廷じゃないもん。男ばっかで、夜は焚火を囲むんだもん! ひげ、いいじゃん!


 ……そしたら、こんなあだながつき……。王都に帰還した途端婦女子は悲鳴を上げ……。くさいとまで言われた。


 ああ、もうおれは一生独身でいいや、と思っているのに。

 母上は必死におれの伴侶とやらを探そうとしている。


 断られるたびに、地味に心に堪えるんだよな……。


 だから、このあと繰り広げられる淑女たちの品評会に戦々恐々としていたのに。

 あろうことか、婚約式で王太子アリオスが「婚約破棄」を口にし始めたのだ。


 これは……。

 荒れる。

 おれは確信したね。


 今日の晩は、おれの未来の嫁探しどころじゃない。

 この婚約破棄が一大テーマになる、って。


 最初は、わくわくして展開を見守っていたんだけど。

 だんだん、イヤになってきた。


 原因は、あのアリオス王太子だ。


 とにかく気持ち悪い。

 若干自分自身に酔いしれて震える声が絶妙に気持ち悪い。

 なんか、陶酔してんだよな、自分に。

 うちの長兄だって王太子だけど、こんなに気持ち悪くない。

 むしろおれの自慢だ。国の自慢でもある。


 だけど。

 この国の王太子はこれでいいのか?


 これが普通なんだろうか、と、聖堂を見回してみる。


 列席しているのは、主にカラバン連合王国の公主やその親族たちだ。

 連合王国、という名が示している通り、カラバンは5つの王国から成り立っている。

 選定王が亡くなると、それぞれの王国が代表を選出し、誰が次の選定王になるかを決めるのだ。


 現在の選定王は、ノリス・ジエナ・ルミナス。

 5王家のひとつ、ルミナス王家の筆頭。

 聖堂の赤絨毯の真ん中で小娘相手にしきりに吠えているアリオス王太子の実父だ。


 このノリス王。

 この方が、おれの母、ティドロス王国王妃と遠戚にあたる。

 うちの母上は、友好の証としてティドロスに嫁いできたのだ。

 その縁もあり、王太子の婚約式というめでたい場に招待された。


 そんな列席者は稀みたいだ。

 おれたち親子をのぞけば、カラバン連合王国と無関係なのは、わずか3組ほどだった。

 まあ……、これでルミナス王国の体面は保たれたんじゃないかね。


 知らずに口の端が歪む。

 幸か不幸か、王太子のバカげた行為が他国に漏れることを最小限に防げたんだから。

 帰るときは、かん口令がしかれるんだろうなぁ。


「その上、お前はメイルが話しかけたというのに、何度も無視をしたとのことではないか!」

 アリオス王太子がひと際大きく声を張る。


 うお、びっくりした。

 おれは視線だけ、隣国の王太子に向けた。


 聖堂の中央に、アリオス王太子はいる。


 向かい合うのは、白絹のヴェールを繭のようにまとう婚約者シトエン・バリモア。

 そして、アリオス王太子の背後にいるのは、煌びやかな衣装を身にまとったメイル・ハーティという娘だ。


 アリオス王太子が糾弾を始める前に、列席から連れ出した娘で、服の豪華さが場違いだ。まるでこの娘自身が婚約者に見える。


 おれの近くにいた列席者たちが「メイルだ。ほら、ハーティ男爵家の」「ああ。王太子の恋人か」と、忌々し気に口にしていたところを見ると、公然の愛妾といったところだろう。


 どうりで、と納得した。

 ありゃ、男爵風情が着れるような服じゃない。趣味は別として。


 メイルと言う娘は、アリオス王太子の背後で、身を小さくし、彼の袖口を握って目を伏せている。


 まるで、非難されているシトエン嬢が可哀そうだ、とばかりに時折顔を上げ、アリオス王太子に物申したげに唇を震わせるが、結局はうつむく。


 それは、殊勝な態度と言うより。

 厚顔な女優のように見えた。


 そもそも、気の小さい女であれば、並み居る高位の男どもに睨みつけられ、逃げ出しているはずだ。


 そう。

 参列者は、誰も彼も、王太子とその恋人を睨みつけていた。


 それなのに。

 アリオス王太子は勘違いしている。

 シトエン嬢が非難されている、と。


 まったく、恥ずかしいったらありゃしない。なにを悦にはいっているんだか……。


 アリオス王太子の高揚した姿を見たら、ほんと、気持ち悪い。

 さっきから、参列者の視線を一身に受け、舞台俳優にでもなった気でアリオス王太子は語っている。


 やれメイルを無視した、だの、挨拶をしたのに返事をしなかった、だの大きな顔で言っているが、おれから言わせれば、高位の者が下位の者に声をかけるのであって、下位の者が高位の者に話しかけるなど、もってのほかだ。


 アリオス王太子の婚約者であるシトエン嬢は、確か5王国に連なる者だったはずだ。

 選挙権を持つ王家の一門。

 しがない男爵家の娘が、顔見知りだからと話しかけていいものではない。場が場なら、仕方なく聞こえなかったふりだってすることだろう。


 また、今はアリオス王太子が「お茶会にひとりだけメイルを呼ばなかった」というが、身分差がありすぎる。王族レベルのお茶会に、どうして男爵の娘が参加できると思ったのだろう。


 無知すぎる。

 いや。

 王太子、という最高級の地位を与えられた彼は、世間というより社交界の序列がわかっていない。


 そして、同じくわかっていないメイルと一緒になって、「いじめられた」「ないがしろにされた」と、わあわあ喚いているに違いない。


 今は、「ダンスのとき、わざとぶつかってきた」と言っているが、それもどうだか。

 その娘、ちゃんとダンス踊れるのか?

 ぶつかっていった、の間違いじゃなくて?


 空気を読めよ。


 おれは、視線を会場に向ける。

 中央の通路を挟み、向かい合うように席は用意されていた。


 そこに座る諸侯たちは、当初こそどよめき、慌て、狼狽していたが。

 今や凍てつくような視線で中央にいる三人を見ている。


 いや、王太子を、だ。


 は、と失笑が漏れた。

 アリオス王太子自身は、その冷えた視線が、まだシトエン嬢に向けられていると思い込んでいる。メイルも。


 だが、この場にいる誰もが、シトエン嬢に同情こそすれ、怒りや蔑視など向けようはずもない。


 なにしろ。

 繭に包まれた彼女は、観衆の前で罵倒されているというのに、アリオス王太子に対し、なんの口答えもしていない。


 じっと、耐えているのかと思ったが、次第に、彼女はあきらめているのだ、とおれは感じた。


 何を言っても無駄だ。

 そんな諦観がヴェールと一緒に彼女を包んでいた。


「サリュ」

 静かな声で名を呼ばれ、目をまたたかせて隣を見る。

 母上が開いた扇で口元を隠し、自分を見ていた。


「なんでしょうか」

「まだ恋人はいないの、あなた」


 突然、なんだ。


「そう、ですね」

 少し口ごもった。


「今は、おりません」


 正直に答えた。実際、二十歳になる直前に失恋し、もうこりごりだと、副官のラウルを相手に泣いた。自分のこの容姿は婦女子を怖がらせることはあっても、愛されることなどないのだ、と。


「わかったわ」


 なにが、わかったんだろう。

 目が合うと、扇で口元を隠し、母上は少女のように微笑んだ。


「だったら、あの令嬢をいただいちゃいましょう」


 この商品、ちょっと包んでくださる、ぐらいの気軽さで母上は言う。


 まてまてまて。

 なにをいただくって?


「は、母……」

 上と続けようとしたおれの語尾を消したのは、盛大に発したアリオス王太子の言葉だ。


「お前のように心根の醜いものを妻に迎えることなど到底できない! ここに婚約を解消する!」


 高らかに宣言し、胸を張っている。


 あちゃー……。やらかしたな。

 しん、と静まり返る聖堂には、呆れたような沈黙と、こんな息子を持ったノリス王への憐憫の情に満ちていた。


「だいたい」

 く、とアリオス王太子は喉の奥で笑いを潰した。


 いや、お前もう黙ってろ。

 誰かおつきの者はいないのか。ぶん殴ってでも退場させた方がいいじゃないのか。


「お前のような容姿の者が、わたしの婚約者など」


 吐き捨てた。


 びくり、と。

 初めて白いヴェールが揺れた様に、おれには見えた。


 さすがにこの発言には、他国の王太子といえど看過できない。


 かちん、ときた。

 公衆の面前で女の容姿をけなすとは、なにごとだ。


「その発言、改められよ」

 気づけば、おれは立ち上がってアリオス王太子に言っていた。

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