たんぺんのに

『耳なし芳一』

「おつかれさまです」


 いつもの古びたガラクタ置き場の古学舎の隅に向かって、配信同好会の下っ端であるハルアキは、先輩のヤクモに向かって挨拶した。


「ああ……、うん」


 おかしい、とハルアキはすぐに察する。日頃から彼女は、いつでも挨拶がしっかりできる者でなければならないよ、と口酸っぱくハルアキに諭してくれる。そんな彼女が、こちらに目も向けずに、このようなぞんざいな態度で言葉を返すはずがない。


 パソコンの前でヤクモはゲーミングチェアに座っている。その背中。半袖の白いブラウスの背に一本伸びた、彼女の編まれたポニーテールを引っ張ってみたい衝動に、ハルアキは駆られる。


「どうしたんです?」


 その衝動を我慢して、それだけハルアキは呟くように言った。

 その言葉でヤクモのイスが回転する。


「……すまない。考えごとをしていたんだ。奥多摩課長って、ハルアキ氏は知ってるかい?」


「そりゃもちろん知ってますよ。有名な動画配信者ですからね」


 知らないはずがない。現在のネット動画配信者の、先駆けにして頂点のような存在だ。チャンネル登録者数は一千万人。サブチャンネルも含めれば、その数は千五百万人にも達する。いまやテレビや雑誌でも見ない日はない、日本での配信ドリームを叶えた男の一人だ。


「その奥多摩課長氏から、チャットアプリで相談が来ているんだよ」


「……………………」


 ハルアキは絶句してしまう。まず数秒、ヤクモが何を言っているのか理解できなかった。やっと思考回路が驚愕を乗り越えてからも、殿上人が我々のような駆け出し配信者に、なぜ連絡なんかするのか分からなかった。おそらく、ヤクモが騙されている可能性があるのだが、彼女に限ってそんなことはない、とも断言できる。


 取り乱すのもしゃくなので、


「どんな相談なんですか?」


 とハルアキは平静を装ってみる。


「ああ、それは…………、いや、やめておこう。何というか、良い結果にならないような気がするんだ。どうやら、引退したバーチャル配信者と連絡を取っているらしいんだがね」


 会話が進めば、興奮は冷めると思ったのだが、ただただ信憑性が増していくだけで、ハルアキはすぐにでも叫び出したいくらいだった。


「その、バーチャル配信者っていうのは?」


「たいらんと、というらしいんだが、ハルアキ氏は知っているか?」


 すごい名前が出てきた。ひと昔前、バーチャル配信者が初めて世に出だした時に、いちばん登録者数を伸ばした人物だ。テンガロンハットを被った可愛い女の子が、ボイスチェンジャーも使わずにおじさんの声でしゃべる、というのがウケていた。トークをさせれば軽快、歌わせれば至高、ゲーム実況をさせれば神、と称えられた伝説の人で、当時、バーチャル三銃士と呼ばれる代表格に数えられていた配信者だ。


「知ってますよ。だいぶ前に引退したバーチャル配信者です。今でも復活が望まれてる人ですね」


 心臓が高鳴っている。キャラじゃなくてもいいから、ヤクモが、うっそぴょーん、とでも言って満面の笑みでドッキリを報告してくれるのを待っている自分がいる。絶対にありえないが。

 興奮がどんどん熱を帯びていくのを、確かにハルアキは自身の内に感じていた。


「そうなのか。すまないな。私はそういうのに疎くて」


 ヤクモが頭を掻く。


「いや、四年も五年も前のことですからね。仕方がないですよ」


「私には分かっているんだよ」


 相手の大物ぶりがですか?と聞き返しそうになったが、それこそヤクモはそんなことを言うようなキャラではない。


「な、なにがですか?」


 ヤクモの片眼に鋭さが増した。


「メールでも分かるくらい、奥多摩課長氏は尊大な態度だったよ。ネタを提供してやる、とか、コラボすれば登録者も伸びる、という感じでね。そもそも、我々とコラボするにしたって、彼にメリットがないことは明白だろう?」


 そりゃごもっとも、と自分のことながらハルアキは思う。ハルアキとヤクモのチャンネル登録者数を足しても、奥多摩課長には千分の一も届かない。


「恥ずかしながら、その通りですね」


「なにも恥ずかしいことはない。登録者や再生数は、日々の努力の積み重ねなのだから」


 ヤクモが微笑む。


「そうですね」


 とだけ、ハルアキは答えた。正直、これから自分のチャンネル登録者が増える未来が想像できなかったことは黙っておいた。


「話を戻そう。どうして、課長氏が連絡をとってきたか?」


「どうしてでしょう?」


「すでに憑りつかれているのだろうと思っている。そして、たいらんと氏はすでに亡くなっている可能性が高い。悪霊となって、課長氏に憑りついているんだ。そんな中で、課長氏は我々に、助けを求めているのではないだろうか?」


 ずいぶんと論理が飛躍したものだ、と思う。いや、そもそも悪霊の話をしている時点で論理もへったくれもないのだが。


「そ、それが分かった上で、ヤクモ先輩はその依頼を断ろうとしてるんですか?」


 急にヤクモがハルアキから視線を外した。


「ああ。なんというか……、手遅れくさいんだよ」


「ちょ、ちょっと俺にも、メール見せてもらっていいですか?」


「あ、ああ。もちろんだ。……これだよ」


 ヤクモがパソコンのマウスを操作する。アプリの画面がディスプレイに広がった。


 奥多摩課長のアカウント名には、本人を示すマークが、確かに付いていた。


「ちょっと、すいません」


 それを目の当たりにし、ハルアキは外へ駆け出した。全力で廊下を走り抜け、玄関を通り過ぎ、外の雑草が生えたままになっている小径こみちに出る。


「ま、マジかよぉおおーーーーっ!」


 その声は八百メートル先の学生食堂まで響いたという。



■■



 怪談考察系配信コンビ『ホラーバスターズ』の一人であるハルアキには、配信上の設定というものが存在している。悪霊や心霊現象、怪奇現象の原因が視える、というものだ。


 配信上は設定、とされているそれは、紛れもない彼の能力のひとつだった。


「あ……」


 彼は人生で何度か、悪霊に憑りつかれた人間というものを見たことがあった。もちろん、悪霊そのものも視たことがあるのだが、憑りつかれた人間というのはその大多数が、眼球の白目の部分が灰色に濁っている。


 悪霊が奥多摩課長の背中にでも居ようものなら、リアクションは一文字では済まなかっただろう。


 そしてそのハルアキの反応で、ヤクモの予想は確信へと変わったようだった。


「遅くなってごめんね、お二人さん。初めまして。奥多摩課長です」


 茶髪。こけた頬。どこか生気を失ったような顔色、そして灰色の眼をした、日本一の配信者が、ワインレッドのワイシャツに黒いスラックスという格好で二人の目の前に現れた。


 二人は立ち上がって、挨拶を返す。


 完成したばかりでよく配信動画でも紹介されている、奥多摩課長の豪邸に招待されるものと二人は思っていたが、指定されたのは全室個室の高級イタリアン店だった。好きなものを頼んで待っていてほしい、と指示があった。東京までの旅費を含め、すべて奥多摩課長の奢りだ。

 彼の知り合いの配信者のお店、とは聞いている。店内は静かで、とても良い雰囲気ではある。

 だが、二人にとってはここで食事するのが場違いな気がして、全然その良さを楽しめないでいた。


 ハルアキのリアクションを見てから、ヤクモはいつも持っている黒いトートバッグから、小さな四角いガラス瓶を取り出した。

 コトリ、と音を立てて、それはテーブルに置かれる。


「なにそれ?……東北のお土産?」


 二人の向かいの席に座りながら、奥多摩課長はヤクモに聞いた。二人も腰を降ろす。


「おいおい分かります。さて、本題に入りましょう。まずは、相手に出会ったきっかけを話していただきたい」


 奥多摩課長の質問には答えず、身を乗り出さんばかりの勢いでヤクモは彼を見据えた。


「まあまあ、そんなに焦らなくても……」


「言っても信じないでしょうが、課長氏はすでに悪霊に憑りつかれている可能性があります。我々は、そういった問題には一日の長がありますので、ご助力になれれば、と思っているのです」


 ヤクモは譲る姿勢も見せず、淡々と告げた。奥多摩課長の表情は変わらない。


「まあ、そういうのって信じてないわけじゃないけどね。でもさ、彼がそういうもんだとは、俺は思ってないわけでさ……」


 二人から視線をそらす。

 ヤクモが小さくため息を吐いた。


「課長氏がどう思っているかは、私は興味がありません。彼とどうやって知り合ったのか。知り合ってからどう過ごしたのか、教えていただけませんか?」


 そんなにはっきり言わなくても、とハルアキがフォローを入れる。ヤクモはそのフォローの意味も理解できていないような表情を返した。


「うーん。そもそも前提として、俺はたいらんとさんの大ファンだったわけなのね?俺の方が配信歴は長いけどさ、彼の企画力とか、エンターティナーとしての姿勢とかは、学ぶものが多かったわけ」


 真剣な表情で話す奥多摩課長。ふと寂しそうな表情で微笑んだ。


「それが二年ちょっと前に、誰にも相談せずに急にぱったり配信しなくなっちゃってさ。あれは悲しかったなぁ…………。ずっと会いたかったんだよね。彼とコラボとか、雑談とか、一緒にゲームとかしてみたかったなって、ずーっと思ってたの」


 真正面の二人を見つめたまま、彼は言葉を続ける。


「それが、一か月くらい前かな。俺のチャットアプリに匿名でメールがあってさ。動画付きで。開いたら、たいらんとさんその人が、俺に向かって話してくれるわけ。……マジで興奮したよ!」


 奥多摩課長の顔は歓喜の気持ちを隠さない。ぱあ、と音が聞こえそうなくらいだった。

 隣でヤクモが否定するように首をかしげたのを、ハルアキは見逃さなかった。


「そっから、ちょくちょく連絡くれるようになって。ボイスチャットで会話したり、夜中に二人でゲームしたりしてさ。これからの配信界隈のこととか、ゲーム実況のコツとか、配信のネタになりそうなこととか、すっごい有意義な時間を過ごさしてもらってて、それで、今に至るって感じかなー」


 満足そうに話し終える奥多摩課長。何も言わなくなってしまったヤクモの代わりに、ハルアキが口を開く。


「あの……、相手に実際に会ったことはないんですね?」


「そりゃあね。まだその段階じゃないかな。でも、いつかは会えると思ってるよ?そもそもさ、やっぱ俺も配信者だからね。伝説のバーチャル配信者とのオフコラボ動画なんて、再生数稼げないわけがないだろうし。相手もきっと、そのつもりでいてくれてると思うよ?」


「でも、相手は悪りょッ…………」


 叫ぶように声を発したハルアキを、ヤクモは手で制した。二人の目が合う。ヤクモが首を横に振った。

 ハルアキは前に出た姿勢を戻しながら思い出す。


 ヤクモが言っていた、手遅れ、という言葉を。


「課長氏。今日も貴方は帰ってから、たいらんと氏に連絡を取るのでしょう。いや、おそらくいつからか、向こうから連絡が来るようになりましたね?」


「あ、ああ。そうだけど?」


「もし、私の話を少しでも耳に残して下さるのならば、この瓶に入った水を、たいらんと氏と会う前に、全身に振りかけて下さい。知り合いに作ってもらった、お経の力が込められた水です。そうすれば……、貴方の命が、助かるかもしれません」


 テーブルの上に置かれた瓶を、そのまま奥多摩課長の方へ押し出した。


「こ、怖いこと言うね?」


 明らかな狼狽を隠せない奥多摩課長。それにも構わず、ヤクモは続ける。


「判断は課長氏に任せます。少しでも怖いと思うなら、全身にまんべんなくかけてください。……貴方は日本の財産です。おいそれと失われていい命ではありません」


 ゆっくりと、手が伸びる。


「あ、ありがとう……、ございます?」


 お礼を言うのが正しいのか分からない、というような感謝を述べて、奥多摩課長は瓶をワイシャツのポケットに入れるのだった。



■■



 あのあと、すぐに夕食会は解散となった。二人が帰ってから、自分の食事を済ませて、奥多摩課長は自分の家である新築の豪邸に戻ってきている。


 風呂も着替えもせずに、二階にある広い配信部屋に、焦ったような音をたてて入る。


 流れるように、いや、憑りつかれたようにパソコンを点けて、高級メーカーのヘッドセットを取り付け、いつでも座り心地の良いオレンジのゲーミングチェアに座る。

 配信で触れられることはないが、三か月に一回はこのイスが買い替えられ、色が変わっていることは、ファンの間では有名な話だ。


 もうひとつ、有名な話がある。


 奥多摩課長はカチャカチャと音を立てて、自身のスラックスのベルトを外し始めた。


 オフの時間の奥多摩課長は裸族、という噂だ。その噂は真実で、彼は自宅でのプライベートや趣味の時間は、ほぼ裸で過ごすことにしている。


 彼が赤のワイシャツを脱いだ時に、床からコロン、と音が鳴った。


 五かける十センチくらいの、透明な縦長の瓶だ。コロンや香水のボトルに似ている。キャップを外すと天辺は噴霧器のようになっていて、その部分を押すと、プシュ、と音をててて水が霧状に広がった。


「めんどくせー…………」


 言いつつも、彼は脱ぎ終わった全裸の自身の身体に、頭から足の先まで、シュッシュ、と水を掛ける。


「なにやってんだろ、俺……」


 ゲーミングチェアに座って、ボイスチャットアプリを起動すると、自身のアイコンの丸い枠が、オンラインを表す赤色に変わった。


 すぐさま着信音が鳴る。耳元で最大音量の音が聞こえて、身体が一瞬跳ね上がった。

 慌てて、パソコンの音量を操作する。


「いっつもパソコンの前にいるタイプの人なのかな、たいらんとさんは」


 胸をなでおろし、自嘲するようにそんなツッコミを入れて『たいらんとさん』と表示されたの名前をクリックする。同時に画面が切り替わり、たいらんとの二次元アバターが現れた。今日も黒いテンガロンハットを被った、青色のキャミソールを着た女の子だ。


「こんばんは、たいらんとさん。いまちょうど帰ってきたとこだったんですよ。お待たせしちゃいましたかね?」


 有名配信者のほとんどが使用している高性能高画質カメラが、奥多摩課長のパソコンにも取り付けられている。言って微笑う奥多摩課長のアップになった顔を、そのカメラが捉えていた。

 三つあるディスプレイのひとつに、奥多摩課長の姿が表示されていた。半分がたいらんとの全身アバター。半分が奥多摩課長の大きな顔だ。


「……………………」


 返事がない。いつもハイテンションで挨拶してくれて、そのテンションのまま最後まで奥多摩課長を楽しませてくれる彼である。


 マイクがオフのままだったのかな、と心配になって奥多摩課長は機器をチェックする。ミキサーもパソコンの設定もいつも通りだった。


「……た、たいらんとさん?」


「おかしい。声しか聞こえない」


 ノイズが混ざった。


 声とも言えない声が。


 悲痛な声が。


 喉から絞り出したような。


 この世の物とは思えない声が。


 たしかに。


 奥多摩課長の耳元で聞こえた。


 変だな、と奥多摩課長は思う。自分のヘッドホンには、ノイズキャンセル機能が付いている。ノイズ、なんてものは、最近めっきり聞いてなかった。


「どこだよ?……なあ?どこにいるんだよ?奥多摩くん…………」


 2Dアバターの手が虚空を掻きむしるかのように、手を彷徨さまよわせている。


 その顔の表情。


 眼に光は失われ。


 頬はこけて。


 鮮やかだった色は失われ。


 血の涙を流している。


 耳鳴りが奥多摩課長を襲う。


 心拍数が上がり。


 背筋には悪寒が止まず。


 そして、目を見開いたまま。


 ピクリとも動くことができなくなっていた。


「奥多摩くん…………、奥多マくん…………、オク多マくん…………、オクタマくん……………………っ?」


 ノイズが増す。たいらんとの呼び声が大きくなる。


 押しつぶされそうな恐怖。絶対的な死の予感。後悔。


 身体は動かないのに、おそろしい速度で思考は加速していく。

 まるで走馬灯のよう。


「……………………」


 ふと、前触れもなく。


 すべての音が急に止んだ。


 恐怖の終焉を、奥多摩課長は悟った。


 身体を動かそうと、全身に力を込めた、その時だった。


「それしかミえないから、そのミミだけもらっていくね?」


 それが、彼がこの世で聞いた最後の音だった。


 そういや、ヘッドホンを付けたまま霧吹きしちゃったな、と。


 思い出しながら、彼は激しい耳の痛みに意識を手放した。

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