Streaming(HORROR)stories
東北本線
たんぺんのいち
『鉄輪―かなわ―』
■■
「――――ッ!――――――ッ!」
慟哭が響いている。
どこまでも甲高く。
荒れ狂い。
悲壮で。
聞く者は誰もいなかったが、もし耳にしたら卒倒してしまいそうになっただろう。
声にならない声。
音にならない音だった。
そんな中で確かに。
熱帯夜の湿気を伝って。
釘を打ち抜く金属音がこだましていた。
カァンッ。
カァンッと。
ぬかるんだ泥が、彼女の一動作のたびに跳ねる。
いや。
見る人がいれば、それはもう『彼女』とは認識できなかっただろう。
この世のものとは思えぬその容姿。
頭には、溶けてそのまま固まっただけにも見える金属の冠を抱いている。
しかし。
その冠よりも目を引いたであろう、長い黒髪。
逆立ち。
まるで数本生えた角のよう。
華奢な腕が降りぬかれるたび、不安を増長させる律動で金属音が夜闇を切り裂く。
カァンッ。
カァンッ。
ほとばしる汗。
涙。
心拍のたび唸る血流。
全身を朱く身に包み。
一心不乱に。狂気に身を焦がして。
神木に鉄槌を振り下ろす。
咆哮は踊り続け。
視点は定まらず。
ただその一念のみに。
研ぎ澄まし。鋭く。針のように。
打ち据える。
打ち据える。
打ち据える。
その度に。
思いは増し増して。
不意に。
自身の醜悪な姿すら可笑しく思えて。
彼女は誰にともなく振り向いて。
血走って涙に崩れた瞳が。
蘭々とした視線が。
虚空に向かう。
口角がゆっくりと。
ニタリと上がり。
月光。犬歯。口端の血液。
思い出したかのように表情を戻し。
勢いのまま振り返ると。
打ち据える。
打ち据える。
打ち据える。
誤って自分の手を
もはや、何も感じない。
人形を逸れて神木に鉄槌を打っても。
無論、なにも感じない。
何度も。
何度も。
何度も。
何をしているのかさえ分からなくなったとしても。
すでに彼女は、何も感じることができなくなっていて。
一念。
一槌。
それは深々と大きな釘を沈み込ませた。
途端に。
糸が切れたように女は泥へとへたり込む。
慟哭は、いつまでも止まないのだった。
■■
「――君?」
陸前大学一回生でバーチャル配信者の、ハンドルネーム『ハルアキ』は商店街の雑踏のなか立ち止まり、振り返る。
声の主を捉えた彼はそのまま、その場に立ちすくんでしまった。
ハルアキの眼でなければ、彼女はただマスクとサングラスで顔を隠した、茶髪の華奢な女の子に見えただろう。
しかし、彼は昔から常々、人間以外のものが見えてしまう体質であった。
だから、相手が全身を霧状の黒い粉のようなものに覆われた、2メートルほどの人型の物体に見えていた。
もちろん、見覚えがない。
「忘れちゃった?……佐藤明日香だよ?覚えてない?」
近寄ってくる黒い物体から、そんな声が聞こえる。ぞっとしないわけがない。
一つ下の近所だった幼馴染の名前だ。もちろん覚えている。高校を中退して都会に出て、芸能事務所に入ったという話を誰かから聞いていた。たしか、
「……思い出した?久しぶりだねぇー」
取り乱してはいけない。普通でいたいなら。こういう場合の対応は、身に染みて学んできている。
「……ああ、明日香ちゃんかっ!久しぶりだなぁ!……こっちに帰ってきてたのか?」
相手の表情の変化は、見えなくても分かった。
「うんっ。仕事で長い休みができちゃって。そっちはちゃんと大学行ってるの?」
平静を保ち、ハルアキはわざとらしくならないよう口角を上げる。
「実家の母親みたいなこと言うなよ。苦学生してる。たまにサボったりはするけど」
「ホントにたまにぃい?」
これだけの『悪い何か』に覆われていても、彼女は元気そうに会話できている。
ハルアキはどうすべきか迷っていた。彼女は小中高と一緒に過ごしていた幼馴染だ。見て見ぬ振りもしたくはない。
「た、たまにだよ。ちゃんと出席しないと単位もらえないからな」
何と言ったものか、と彼は思案する。
「――君のことだから、出席とかも友達に頼んでズルしてんじゃないのぉ?」
悪いものが憑いているから、一緒に来てほしい。
おそらく警戒される。変な新興宗教団体の勧誘みたいだ。怪しい壺を買わされるやつ。
「おめーと一緒にすんなっ」
唇を尖らせてから、微笑んでおく。相手の表情が読めない。それが、ハルアキの不安を煽る。警戒されれば、彼女を救うチャンスは二度と訪れないだろう。
だけど、どうしたらいい。
とりあえず、喫茶店にでも誘ってみようか。
「ごめんゴメン。でも、いいなぁ。大学生かぁ。ちょっと羨ましい」
「…………」
思考が中断する。なにやら会話が、渡りに船な展開になっている気がする。
恐怖感を与え続ける黒闇に向かって、ハルアキは乾いた喉から声を振り絞った。
「なあ。今日これから時間ある?もし良かったら、うちの大学、見に来ないか?」
■■
陸前大学の南にある教育学部心理学科の研究棟は、八年前に心理学科が廃科となってから、建物全体が他学科の使わない資料やガラクタが集まる倉庫のようになっていた。
「で、ここに連れてきたというわけかい?」
「そうなんです」
その一階。埃くさい玄関を入って左。所々タイルの剥がれた廊下の、最奥にあるスペース。
そこに勝手に場所を借りて、机やイスはもちろん、パソコンやマイク、オーディオミキサー機器を設置したのは『配信同好会』の二人だ。
「分かっているのか?今日は夕方から二人で最近のホラー映画の寸評配信をする予定じゃないか。いまは準備で忙しい時間だよなー、邪魔しちゃ悪いよなー、とか、考えなかったのかい?」
パソコンを操作したまま問い詰める彼女のアカウント名は『ヤクモ』で、陸前大学の二回生。配信同好会の部長だ。黒縁眼鏡の奥から、ブラウンの瞳が片方、後輩とその幼馴染を見据えている。
「それは……、あの……、すみません」
ハルアキが謝る。ヤクモはそっぽを向いて、デュアルモニターの動画編集画面へと目を戻した。
配信同好会には別名があり、それは二人が動画サイトで配信を行う際のコンビ名になっている。
『ホラーバスターズ』。『ホラバス』とも略される。
「有益、なんだろうね?」
ヤクモが座ったまま、こちらも見ずに尋ねた。
「今回はそういう問題ではないんですが……、おそらくは」
エンターキーを強く押す音が聞こえて、ヤクモがイスを回転させた。後ろで編んだ黒髪のポニーテールがふわりと浮く。小汚いテーブルの前のソファに座る、ハルアキと明日香を見下ろす形になる。
なにやら微笑んでいた。
「久しぶりな気がするね。ハルアキ氏、なにが見えた?」
「こちらの彼女なんですが……」
「ちょ、ちょ……っ、ちょっと待ってくださいっ!」
二人の話を遮ったのは明日香だった。
「二人とも、なんの話をしてるの?っていうか、――君、この女の人だれ?」
遅いくらいである。
ハルアキに連れられ、行ってみたかった大学に着いた時点では、彼女のテンションは最高潮だった。それが、ハルアキに案内されるがまま、古びた四階建ての学舎に到着したあたりから、表情は曇り始めた。いまは混乱の極致といったところである。
ただの幼馴染をどこまで信用しているのか知らないが、彼女はいまや大物バーチャル配信者のはずだ。不用意な行動にも思える。
ただの世間知らずの女の子なのかもしれない。ハルアキは途中からそんなことを考えながら歩いていた。
「明日香ちゃん。この人は、サークルの先輩で二回生のヤクモ先輩。先輩、彼女は俺の幼馴染で、有名バーチャル配信者の明日香ちゃんです」
「え?――君、私が配信者だって知ってたの?」
明日香のリアクションをハルアキは無視した。
「彼女の全身を、悪いナニカが覆ってるんです。なんとかしようと思ったんですけど、不用意な行動は避けたいと思って……、先輩に相談してからの方がいいかなと思いまして」
学生二人は気にせず、会話を続けている。明日香は取り付く島もない。
「色は?」
「どす黒い、濃い霧状のものですね。彼女の背の高さよりずっと高いです」
ヤクモが背もたれに体重を預けると、軽い音が鳴った。彼女は顎に指をあてる。
「ふむ。霧の、いちばん濃い部分。もしくは、いちばん印象が悪い部分はどこだい?」
「ええっと……」
ハルアキが隣の明日香に眼を向けた。彼は見えないのでそうしているつもりはないが、明日香の目尻が少し垂れた、困惑と焦燥、少しの怒りがこもった双眸と、一瞬、視線が交錯した。
「胸ですね。もしかして先輩、もう分かったんですか?」
すぐさま視線は戻されたのだが。
思い悩むような真剣な表情を、ヤクモは二人に向けている。
「姿が明らかでない悪い物、と言ったら、呪いだろうね。明日香嬢、なにか心当たりはあるかい?」
「待ってってばっ!なんなのこれ?どういうことっ!?」
やっと明日香のストレスは叫びにも似た言葉になって発散された。
勢いよく立ち上がる彼女に、なんの反応も示さず、いや、それどころかその言葉を遮るようにヤクモが口を開く。
「ハルアキ氏、彼女に分かりやすく説明して」
すぐさま座ったままのハルアキが、明日香を見上げる。
「……あのね、明日香ちゃん。俺と先輩は、心霊現象や妖怪といったホラーな問題を解決して、それを動画サイトの配信で話したりするサークル活動をしてるんだ。なんでかっていうと、俺は昔からそういうものが見えるし、先輩はそっち関係の知識が豊富なんだよ。で、さっき久しぶりに会った一コ下の幼馴染が、思いっきり悪い物に憑りつかれているものだから、先輩を頼ってここまで来たんだ。……黙っててゴメン」
明日香は膝の力が抜けたようにソファに座り込んだ。久しぶりに会った幼馴染に見知らぬ場所に連れて来られ、わけのわからない会話を聞かされた時点が、混乱の最高潮だと思っていた。しかし、そうではなかったようだ。
自分に、悪い物が憑いている?信じられるはずがない。
新手の詐欺。噂の霊感商法というやつだろうか。
「もしかして私、このあと御札とか買わされる?」
「いや、俺は明日香ちゃんを助けたいだけ。あと、先輩は動画の再生数を稼ぎたいだけ」
どうやら金銭の要求はないらしい。本気で言ってるのだろうか。
「もういいかな、明日香嬢?夜中に胸の痛みで目が覚めることはないかい?」
パソコンの前からそんな質問が飛んでくる。
焦り防御姿勢をとるように、彼女は右手を胸にやった。
「……あ、ありますけど、なんで知ってるの?」
眉間に皺が寄り、ヤクモの口がへの字になった。片手が自然に頭を抱えている。
「それは、本当に良くないな。おそらく『丑の刻参り』だろう」
「先輩、それってすごい有名な奴じゃないですか。俺でも知ってますよ?」
私でも知っている、と明日香は思ったが、それ以上に、こちらの不安をよそに少しテンションが上がったような彼の声に、ちょっとイラっとした。
「うん、そうだね。ネットで調べれば、方法はいくらでも載ってるヤツだ」
応じる形で、ヤクモが答える。
そして、ため息をひとつ。
「メジャーかつ、とても厄介な呪いだよ」
■■
深夜過ぎ。
ヤクモの住まいである6畳半のボロアパートに、三人は集合していた。
女っ気のない、畳の匂いがする殺風景な部屋。人数分のジュースと百均のビニール袋が置かれたちゃぶ台と、部屋の隅にパソコンがあるだけ。
「きっかけは、あの炎上沙汰だったのだろう?」
この二人はどこまで知っているのだろうか。明日香は思う。
自分が芸能事務所『ソルフェ』のバーチャル配信者『荒吐メイ』だということは、すでに知れているようだ。
手に握っているスマホの中には、明日香がバーチャル配信のアバターになれるアプリが入っている。
「あまり……、言いたくない、です」
「いや、無理に聞こうというわけではない」
「俺もあんまり知りたくないですね」
二人が同時に否定する。明日香はちょっと面食らってしまった。
きっかけは、事務所の先輩との食事だった。紅白にも出た若い有名歌手の先輩が、急に食事に誘ってくれたのだ。
フレンチのフルコースを食べている最中に、明日香もよくライブ配信している、流行りのFPSゲームの話になって、二人でゲームしよう、という流れになった。そうして相手の家で、二人でゲームをして。
本当にそれだけだったのに、しっかりと相手の家に入るところを週刊誌に撮られてしまって、すごい勢いで炎上してしまった。
浅はかだったと思う。
でも、本当になにもしていないのに。
いや、そういうことになる期待は、正直していなかったわけではないけれど。
すぐに事務所に呼び出されて、自分だけ、ほとぼりが冷めるまで活動休止になった。
「痛ぁっ!」
急に隣に座るヤクモの手が伸びたと思ったら、頭頂部に鋭い痛みを感じた。
ヤクモの手には、明日香の髪の毛が一本、握られている。
「ああ、すまない。これを、この人形に、こう、巻き付けて……、と」
百均で買った、有名な女児人形のパチモンみたいなそれの腰に、くるくると巻き付けて結んでいる。
「できた。この人形が呪いを肩代わりしてくれる。当面の間は、君が死ぬことはないだろう」
ちゃぶ台に人形が置かれる。
ハルアキがその人形を見つめたまま口を開いた。
「先輩、やっぱりこの呪いって、呪われた相手は死んじゃうんですか?」
「当たり前だろう?儀式的な呪いが、中途半端な気持ちで相手に届くと思うのかい?」
即答だった。他人事のように感じていた明日香は、その一言で背筋に悪寒を覚える。
部屋の電球が一瞬、明滅した。
ミシリ、と音が鳴る。
「あ。こりゃマズい兆候だ」
パキ、と響いた。
それは、ちゃぶ台の上の人形から発せられた音だった。
買ったばかりの人形が、胸のあたりから割れてしまっていた。
途端に、急激な胸の痛みに明日香は襲われる。まるで内臓が破れてしまったかのような、耐えがたい痛み。
うずくまり、叫び出したい衝動を我慢する。いや、急に朦朧となった意識の中で、それが我慢できていたのか自信はなかった。
瞬間、部屋の電気がすべて消えた。
明日香の手の中のスマホだけが、光を発している。
「先輩っ!」
「どうかしてる。こんな強い呪いになる恨みなんて……」
ぎゅっと明日香は目を閉じた。
その闇の中で、取り乱した二人の声が聞こえる。世界がぐるぐる回っているような、気持ちの悪い感覚。
「すまん、ハルアキ氏。なんとかしたいのだが、もう方法が思いつかないっ」
「くそっ!」
幼馴染の悪態を聞いて、明日香は意識を手放した。
■■
「というわけで、そんな失態を私が犯してしまったわけだよ」
「先輩、マジであの時は焦りましたよ」
:女の子はどうなったの?
:ちょっと怖い、ぐらいのレベルだな
:うしのこくまいり
:ヤクモ先生、呪われちゃったの?死ぬの?
:だいたいハルアキのせい
いつもの古校舎で、二人はパソコンを前にライブ配信を行っている。同時接続人数は874人。ゆっくりとコメントが流れている。
「その子がどうなったか?ちゃんと生きているに決まってるだろう」
何を言っているんだ、とでも言わんばかりにヤクモが普段通りの口調でマイクに声を乗せる。
「先輩。ちゃんとそのあとも説明して下さいよ。……俺の大活躍を」
得意気なハルアキが、ヤクモは気に食わない。
「愚かだな、ハルアキ氏。君が闇雲に呪いを手で掴んで、スマホのアバターを身代わりにしたって言って、誰が信じるっていうんだ?そんなふざけたオチで、誰が納得するっていうんだ?」
:それは……、その通り
:手で掴んだ?マジで?
:爆発オチなんてサイテー!
:人形の代わりにスマホのアバターに呪いを移したって、コト!?
「そういう言い方するから、誰も信じないんでしょうが。……ひどいな、まったく」
コメントで分が悪いことを悟ったのか、ハルアキの声はすでに勝負を諦めている。
そんな静けさに、ヤクモのどこか優しい声が響いた。
「これで良かったのかい?」
すぐさまハルアキの声が応じた。
「いいんですよ。名前は言えませんが、彼女がバーチャル配信者を引退してから、胸が痛くなることはもうないって言ってましたから。大事なアバターが身代わりになってくれたんでしょう。彼女が元気であれば、俺はそれでいいんです」
:なにその主人公みたいなセリフ
:三文芝居やな
:ちょっと惚れた
:それって、こないだ卒業した子?
ヤクモがコメントを眺めるのをやめる。
ちょっとだけ、彼女が微笑んだように見えた。
「そうか。ならば私は、もう何も言うまいよ」
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