たんぺんのさん

『生霊ーいきりょうー』

 重大発表、と黒い背景に白い太字で書かれただけのサムネイルを視聴者がクリックすると、2Dモデルのピンクのロングストレートの髪をした、橙の着物姿の華奢な女の子が伏目がちに佇んでいた。大きな黄色の簪が、彼女が俯くたびにゆらゆらと動いている。


「デビューしたばっかりで、皆さんには本当に申し訳なくて、謝ることしかできません。ずっと、身体の調子が悪くて……」


:大丈夫?また元気な姿で会おうね?

:最近の生きがいだったんだけど……

:体不調じゃ仕方ない

:ろんど様ぁあああああ!

:俺新聞の明日の一面やわ


 気鋭のバーチャルアイドル事務所『がねい社』の新人バーチャル配信者『愛唄ろんど』のライブ配信は同時接続数6400人。彼女のチャンネル登録者数は、デビューしてまだ一か月も経っていないというのに、もうすぐ15万人に届こうというところである。


 そんな彼女が、体不調を理由に活動を休む、と言う。いまはその発表のライブ配信中だ。


「本当に、こんなだらしない私のことを、リスナーの皆さんが……、それでも応援してくれるって言ってくれてることが…………、ホントに、感謝しかありません。みなさんの期待に応えられなくて……、ホント、申し訳ありません」


 声に涙がまざる。下を向いてばかりで、涙一つ流さないアバターだが、確かにその悲しみ、悔しさは、視ている者に伝わっている。


:そんなに思いつめないで

:泣くなよ。俺らも泣けてくるじゃないか

:ろんど様ぁああああ!

:二度と会えないわけじゃない

:待ってるから!ずっと、待ってるからね!!

:泣いてる

:早く病院行きなさい

:才能あるんだから焦っちゃダメ。

:ちゃんと報告できてエライ

:達者だよな。人生で、こんなにちゃんと謝れたことねーよ


 バーチャル配信者がコメントを追っている仕草というのは、アバターの微細な動きで見る者が見れば分かる。

 その仕草があって、寂し気にすっと微笑んでから、彼女は前を向いた。


「ごめんなさい。少しの間、私のことを待っててくれると嬉しいです。……それまで、他のがねい社の先輩たちのことも、よろしくお願いします。また必ず元気になって配信しますっ。では、バイバイろんど~……」


 彼女のいつもの終わりの挨拶。いつもより悲しげで、儚げなその声に、その挨拶を返すコメントは加速し、いつまでも止まらなかった。



■■



 講義のない夏休み中のハルアキだったが、今日も今日とて、使われなくなった大学内の学舎。ガラクタ置き場の一階の隅に到着していた。

 今年の夏は連日最高気温を更新し、湿度も高く最悪である。しかし、この学舎はエアコンがかろうじて点くスペースがあり、そこは怪談考察系配信コンビ『ホラーバスターズ』の活動場所となっている。それにしたって今日は暑すぎる。まだ午前中なのに、額に汗が浮かんでしまう。


 こちらを向いているヤクモを発見し、ハルアキはどきりとしてしまった。胸元のボタンを外して青色のうちわをパタパタさせ座っている。


「ああ、今日もお疲れ様。ちょうど良かった」


 そんなことお構いなしに、彼女はハルアキを見つけてそんなことを言う。白いブラウスに浮かぶ模様を視界に収める前に、ハルアキは視線を外しておいた。


「お疲れ様です。なにがちょうど良かったんです?」


 今日の配信の話だろうか。それとも大学の講義の話だろうか。それ以外とは考えづらい。ヤクモとハルアキに限って、浮いた話や二人きりの食事の話などは、いまだかつて一切ない。


「これから客が来る」


 ほらね、とも思ったが、ハルアキには少しばかり予想外だった。ここに客を呼ぶことはあっても、客が自らこの場所に来ることは極端に珍しい。

 パソコンの前。ヤクモが座るゲーミングチェアの後ろに、テーブルとソファはあるものの、それが使用されることはほとんどない。


「お客さん……、ですか?」


「そうだが?なにか問題でもあるのか?」


 首をかしげるヤクモ。後頭部から伸びる編んだ黒髪ポニーがゆらゆら揺れた。


「い、いいえ。でも、ちょっと……、珍しいな、と思いまして」


 目を細めたヤクモの視線に臆しつつも、ハルアキは視線を逸らしながらそう言った。

 ヤクモの口角が上がる。


「この前の大物配信者の悪霊騒動に我々が関わったことを、どこかで耳にしたらしい」


「ああ……、あれですか」


 先日、二人は大物配信者に憑りついた悪霊を退治しようと試みた。結果があまり面白いものではなかったので、まだ配信でも口にはしていないのだが、どこか、もしくはかろうじて一命をとりとめた大物配信者本人から漏れたのであろう。


「あの、すみませ……」

「はあぁあっ!ぁあーっ!」

「きゃっ、すみませんっ!」


 背後から突然、声を掛けられて、ハルアキは飛び上がってびっくりした。背後の人物を確認していたであろうヤクモが、コロコロと嗤う。


「ハルアキ氏、相変わらずビビりは直ってないのか?」


「あ、あー……、びっくりした」


 振り返ると、スーツ姿のおしゃれなサングラスの女性が申し訳なさそうな表情で縮こまっている。


「すみません。そんなつもりはなかったんですが……」


 軽く頭を下げた黒髪ショートの真面目そうなその女性に、胸をおさえながらハルアキは口を開いた。


「いや、こちらこそすみません。や、ヤクモ先輩、この方がお客さんですか?」


 振り向いて尋ねる。


「メールのやり取りだったのでわからない。……が、おそらくそうだろう。どうぞ、お掛けになって」


 真剣な面持ちに戻って、女性を見上げる。ソファに向かって、ヤクモは手を差し伸べていた。


「は……、はい」


 指示通りに女性は腰掛けた。ハルアキはちょっと逡巡して、ヤクモの隣のゲーミングチェアへと向かう。


「さて、私がヤクモです。そっちは相棒のハルアキ氏」


「ども」


 と、頭を下げてから、ハルアキは自身のゲーミングチェアへと腰を降ろした。


「あの……、私は『がねい社』でアイドルのマネジメントをしています、加賀谷という者です」


 すぐさま、ハルアキは身体をのけ反らせるほど驚くこととなった。バーチャル配信者のことは、時間があればリサーチしたり推したりしている彼である。まさか昨日、コメントまでした推してる箱のマネージャーが、ここに来るとは思わない。


「がねい社!?あの、今どんどん所属配信者がチャンネル登録者数を伸ばしてる!?」


「あ、ええ。おそらくその『がねい社』です」


 ハルアキのオーバーにも思えるリアクションに、加賀谷はサングラスを触りながら即答した。わざわざこんな地方大学まで足を運んだというのだろうか。いや、そういえば、設立して日が浅い会社だから、都会ではなく地方に事務所がある、みたいな話を聞いたことがある。あんがい近くに事務所があるのかもしれない。

 そう思うと、ハルアキの胸は否応にも高鳴った。


「どうした、ハルアキ氏?もしや、君もなにか思うところがあるのか?」


「…………?」


 逆にヤクモに何か思うところがあるのだろうか、とハルアキは微かに首をかしげた。ヤクモはそういった俗世のことについては、控えめに言っても詳しくはない。


「いや、事務所に入れてくれないかと思いまして……」


 ふっ、とヤクモが微笑った。


「では、加賀谷さん。隣のは無視して、ご相談を聞かせてもらいましょう」



■■



 『がねい社』の提供するバーチャル配信者には、以下のような設定がある。


 所属するライバーは金井女子高校バーチャル科の一年生として入学する。登録者数や実績などから進学していき、チャンネル登録者数が百万人を突破すると、成人式を迎えてアイドルとして活動することができる、というものだ。

 会社のこの企画はまだ始まったばかりのため、成人を迎えたライバーは存在しない。所属するライバーは全員、アイドル予備軍、という設定である。


 先月、二期生としてデビューしたばかりの一年生の一人『愛唄ろんど』が、昨日から体調不良を理由に活動を休むこととなった。


 休止の理由として、体調不良、というのは珍しいものではない。


 不定期で長時間にも及ぶ配信活動を、長期間に渡って続ける配信者たちにとって、健康管理というのは難易度の高い注文である。身体的だけでなく、精神的に不調をきたすことも多い。


 炎上してしまい、ほとぼりが冷めるまで休む場合にも、理由付けのため体調不良が選ばれることもある。これは世間的にもあまり良い手段であるとは思われていない。火消しは迅速で的確な対応が求められることが多い。対応を避けて逃げた、と思われ信用を失えば、今後の活動に大きく関わってくる。


 稀に、結婚や妊娠を隠すため、というものもあるが、これは都市伝説の域を出ないことにしておこう。


 そんな中で、加賀谷が話すことには『愛唄ろんど』の“体調不良”は怪奇現象が原因だという。


「つまり、夜な夜な悪霊に襲われる、と?」


 加賀谷の話を聞いて、ヤクモは確認のために尋ねた。加賀谷が困ったような、難しい顔をしながら答える。


「彼女が話すには、そういうことらしいんです。夜な夜な、とは言いましたが、夜に限ったことではないそうで、日中でも部屋で誰かの気配を感じたり、恨みを唱えるような声が聞こえたりして、とても怖い思いをしているそうなんです」


「昨日の活動休止報告の配信に、そんな裏があったなんて……」


 リアルタイムで視聴していたというハルアキが、呟くように独りごちている。ヤクモはやはり、彼を無視することに決めた。


「声や音だけなのかな?」


「いえ。彼女が言うには、怨霊が馬乗りになって首を絞めたりもするそうです」


 ヤクモの片目に光が宿る。


「それは……、興味深い。で、あれば彼女は、その怨霊の顔も見てしまったということでは?」


「……………………」


 その質問に、加賀谷の表情が固まった。それをヤクモは見逃さない。


「あの配信をリアタイで見れた俺って、実はけっこうツイてるのかも……」


 ハルアキはまだ独り言を続けている。


「もう偽るのはやめましょう。……貴女は確実に見たはずだ。金縛りの恐怖の中、動かない貴女の身体に馬乗りになって、その細い首を力任せに両手で絞める女の、恐ろしいぎょうそ…………」


「やめてっ!」

「え?」


 加賀谷の取り乱した制止の声と、ハルアキのすっとぼけた一文字は、ほぼ同時に廊下に響いた。


「ヤクモ先輩、それって……」


「ハルアキ氏、おかえり。そうだよ。おそらく彼女が、活動休止中の『愛唄ろんど』その人だ」


 相棒への種明かしに、気分が良さそうなヤクモ。しかし、当の相棒はというと、


「……………………」


 ノーリアクションだった。


「な、なんで分かったんですか?私が『愛唄ろんど』だって」


 その質問に口を開いたのは、押し黙ってしまったハルアキだった。


「いや、ろんどちゃん。もう少し、身バレを防ぐ方法でやらなきゃダメだよ。あのね?この人には凡人の嘘なんて通用しないから。どこで聞いて、俺たちに頼ろうとしたのか知らないけれど、メールでも良かったんじゃない?ヤクモ先輩、この件って、おそらく生霊ですよね?そんなに難しい案件じゃない。ろんどちゃん、もうちょっと、自分がバーチャル配信者の中身だってこと、隠そうとする努力をすべきだったんじゃないかな?」


「ど、どうしたハルアキ氏。ちょっと怖いぞ?」


 思わずヤクモが口を挟む。ハルアキはヤクモを一瞥した。


「ヤクモ先輩。バーチャル配信者っていうのは、いや、特に中身を公表していないバーチャル配信者っていうのは、身バレっていうのはタブーなんですよ」


「身バレ、というのは、正体が世間に明らかになってしまうこと、という認識でいいのかい?」


「ええ、その通りです。僕の考えではありますけどね、ネットでは信仰の自由というものが存在していて、何を信じるのも自由なんです。バーチャル配信者の中身なんて存在しない、という考え方も少なからずあります。どうしても中で声を出している子の顔が知りたいんだ、という人もいるでしょう。信憑性のない間違った記事を信じたり、悪評を全てフェイクだと断じたり、設定に疑問を抱く者、配信者の作った世界観に陶酔する者、さまざまいるんです。それは、すべて間違いで、すべてが真実なんですよ。サンタクロースを信じる子どもの感覚とでも言いましょうか。そういう人たちに、アバターの中身の顔はこんな人です、なんて、顔をばらしたら、ファンはどう思うでしょうか?」


「ハルアキ氏?今日の君は、やっぱり怖いぞ」


「そうです!ファンはがっかりしてしまうんですっ」


 拳を握るハルアキを、ヤクモは冷めた目で見ている。ネット中毒患者というのは恐ろしいものだな、と言おうと口を開いたが、なんだか可哀そうなのでそのまま閉じた。


「あの……、な、なんだかすみません」


 謝る加賀谷、もとい『愛唄ろんど』はただただ申し訳なさそうにしている。


「いや、こちらこそ失礼した。ちょっと、なんというか、熱くなってしまっているようだ。水でもぶっかけてやりたいところなんだが、無視することにしよう」


 応じたのはヤクモ。


「や、ヤクモ先輩?」


 握った拳を降ろして、ハルアキが驚いたような声を上げて振り向く。当然、ヤクモはそれを無視した。


「話を戻していいだろうか?……生霊は、誰だったんだい?見たままを言えば、それでおそらく、この問題は解決に向かうんだが?」



■■



 あの状態のハルアキは使えないと断じ、ヤクモは一人で街のオフィス街まで来ていた。繁華街の近くにあるそこは、大学から駅で四つほど離れている。

 地下鉄を降りて、大きな通りを過ぎると、すぐに目的地にたどり着いた。


 バーチャル配信者事務所『がねい社』はビルの一階から三階にある。

 その入口に青いスーツを着た見知った壮年の男が立っていた。


「久しぶり、ヤクモちゃん。今日も可愛いね。ここのバーチャル配信者にならない?」


「お世辞はいらない。何度も断らせるな。それと忠告しておくが、可愛いはハラスメントだ」


 厳しい言葉をヤクモから受けたのは、その昔、日本の動画配信サイト『スマイル動画』で活躍していた『ハスキー』と呼ばれていた動画投稿者だ。酒好きが高じて、ウィスキーやウォッカを畳の上で、ただただツマミと一緒に飲むだけという動画がバズっていた。最終的に内臓をやられ、病院で点滴を打っているという動画を最後に動画投稿を引退したのだが、その後、依存症を克服して友人と現在の会社を作った。


 高校生の時から動画投稿やライブ配信をしていたヤクモの知り合いだ。


「専務取締役とはな。ずいぶんと出世したようで」


 今度はヤクモの世辞に、ハスキーは茶色いネクタイの首を緩めながら恥ずかしそうにニヤけた。


「名ばかりだよ。専務兼副社長だってさ。馬鹿みたいに忙しくて、こないだ三か月続いた禁酒も破っちまった」


 そんな話をしながら、焼けるようなアスファルトから逃げるようにオフィスに入る。ビルの中は冷房がきいていて寒いくらいだった。


「事情を聞いた時は正直、驚いたよ。『海海らぶ』もさっき到着したとこだ」


 歩を進めながら、ヤクモを見ずにハスキーが呟く。


「ダメもとのつもりだったんだがな。その立場で、よく私の話なんかを信じたものだ」


 目も合わせず、歩き続けている二人。殺風景だった廊下に、配信者たちの立ち絵や企業とのコラボ企画の可愛いポスターが並び始める。


 ハスキーが立ち止まり、ポケットから取り出した社員証をカードキーにタッチした。ガチャリ、と扉が開錠される音が響く。


「まあ、そりゃあね。……私もいた方がいいかな?」


「頼む」


 迷いなく、ヤクモは扉をガチャリと開けた。


 『海海らぶ』は一期生、つまり、この会社で一番最初にデビューしたバーチャル配信者で、設定上は金井女子高校三年生。チャンネル登録者数は現在76万人。

 そんな『海海らぶ』の中身が、ヤクモの目の前にいる、どこにでもいそうな茶髪の女の子だった。


「初めまして。唐突だが、なぜそんなに新人の配信者が怖いのか教えてくれないか?」


「……え?」


 『愛唄ろんど』が青い顔をしながら話したことには、夜な夜な自身を襲う悪霊の顔は、同じ事務所の先輩である『海海らぶ』のアバターだったという。

 目を血走らせ、悲しむような、それでいて怒っているような形相で、ベッドに入る自分の首を絞めたり、怨嗟にも思える聞き取れない言葉を呪文のように耳元で囁いてくるのだという。

 かと言って、二人が仲が悪いのかというとそうではなくて、事務所で会えば何度も楽しく会話をしていたし、ライブ配信でゲーム企画のコラボを二人でしたこともある。


「らぶ先輩が、どうして私に危害を加えるのか、本当に分からないんです」


 『愛唄ろんど』は、最後にそう言っていた。


「は、ハスキーさん。今日は配信ストレス関係のカウンセリングだって、聞いて来たんですけど?」


 助けを求めるように、困った表情で『海海らぶ』はハスキーに顔を向けた。


「え?……あ、うん。そうだよ?」


 ハスキーはドアの前で立ったまま、そんな返事をして、よく分からない笑顔を返す。


 会議室に使用されているであろう部屋は学校の教室くらいのスペースで、そこに、長テーブルが並べられている。座っている『海海らぶ』の前に、ヤクモは腰掛けた。


「『愛唄ろんど』について聞かせてほしい。彼女をどう思っている?」


「は、ハスキーさん。こ、この人は?」


 ヤクモの質問に答えず、再度、彼女はハスキーに尋ねた。


「か、カウンセラーさんだよ?」


 ハスキーはしっかりと嘘を吐いた。それがちょっと可笑しくて、ヤクモの口角が少し上がる。


「そういうことなので、私の質問に正直に答えてほしい。『愛唄ろんど』のなにが怖いんだ?」


 表情を戻し、真剣な眼差しを相手に向ける。


 納得したのか観念したのか、ゆっくりと、その視線に応じながら、『海海らぶ』は口を開いた。


「…………才能」


 言った瞬間に、彼女はヤクモの視線から逃げるように目を伏せる。


「私は……、私が思う私は、どこにでもいる普通の女の子なんです。この会社でいちばん最初にデビューしたから、今は箱の中でいちばんチャンネル登録が多いけれど、きっと、すぐに後輩たちに抜かされちゃう。デビューしたての頃だったら、きっと何も思わなかったと思います。前に進むだけでしたから。でも今は、先に配信者として活動してきた立場とか、プライドとか、そういうのがどうしてもあるんです。きっと私に才能があったら、そんなことは思わないんでしょう。それもイヤなんです。自分がイヤでイヤで仕方がないんです。きっと、なんの才能もない私は、いつか立つ瀬がなくなって、ずっと自分が嫌いなままで、誰にも理解されることもなく、消えていってしまうんだろうなって。そんなことばかり考えてしまうんです」


 ハスキーが息を呑む音が部屋に響く。ヤクモは黙って彼女の言葉を促した。


「私、ろんどちゃんの配信を初めて観たときに、こんなに他人に愛されるキャラクターが存在するんだろうかと思ったんです。二人でコラボ配信した時だって、私、すっかり彼女に魅せられちゃって。もう、心の底から羨ましくなっちゃって。自分にはないモノを全部持ってるんですよ?でも、彼女は敵じゃないの。他社のライバーさんだったら、どんなに良かったか。同じ事務所の、才能あふれる後輩なんですよ?それが、完全に私の上位互換なんです。私、どうしたらいいか分からなくなっちゃって」


 声が震えている。なにかを決心したかのように、彼女は微笑んだ。


「でも、もういいんです。こういうふうに聞かれるってことは、ろんどちゃんにも私の気持ちが伝わっちゃってたし、事務所も問題視してるってことなんでしょう?」


 寂しい笑顔だった。その表情を真に受けることもなく、ヤクモは振り返る。


「ハスキー、そうなのか?」


 振られたハスキーは驚いた表情をして、自分を指さした。


「え?ここで私?……いや、全然」


 手を振っている。


「だそうだ」


「え?じゃあ、なんで……?」


 相手の疑問に、ヤクモは微笑みを返す。


「カウンセリングだからな。吐き出してすっきりしてもらえればそれでいい」


 こほん、とドアの前に立つハスキーが、ひとつ、咳ばらいをした。


「あのね、らぶちゃん。月並みかもしれないけれど、どんなに才能あふれる後輩が来たって、君のファンは君の魅力をちゃんと理解していると思うよ?君は自分のことを、普通の女の子って言ったけど、私はそれも君の才能のひとつだと思ってる。才能のある人には才能のある視点、普通の人には普通の人の視点ってのがあるからね。君はもっと、そういう普通の感覚で配信をしていけばいい。それは、絶対にファンのみんなに共感してもらえるよ。…………なんたって、酒飲んで酔っ払うだけの動画がバズる時代なんだからね」


 なにもかも疲れてしまったというような『海海らぶ』の乾いた瞳が、潤みだした。


 どうやらもう大丈夫そうだな、とヤクモはそのまま立ち上がり、


「よし、ハスキー。あとは任せる」


 と、犬にでも言うようにそれだけ言って、「マジで?」と驚くハスキーの横を通り過ぎ、会議室を出るのだった。

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