第2話

 あれから俺たちは場所を移した。今はさほど離れてない場所にあった、古ぼけたバス停のベンチに二人で腰を掛けている。

 錆で所々が赤黒く変色しており読みにくい時刻表には、空白ばかりでほんの僅かな数字しか書かまれていない。


 一つしかない小さなベンチに並んで座ると、必然的に距離が近くなりドギマギとしてしまうのは、思春期なのだから仕方がないだろう。


 俺はベンチからお尻が半分はみ出しながら座った。必然的に足に力が入り、全身が強張る。


 「それで……結局カゼヒメ、さんだっけ? 貴方は一体何者なんだ?」


 俺は当然持つであろう疑問を、彼女へと投げかけた。


「何者かー、やっぱそれ聞いちゃう?」


「うん」


「うーん」


 悩んでるのだろうか、彼女は体を左右に揺らし全身でそれを伝えてくる。時々俺の肩に彼女の髪が擦り、その度に体が少し縮こまる。


「じゃあ、家出少女という事でここは一つ」


 自身の言葉をまるで我が意を得たり、と肯定する様に自信満々に立ち上がる。俺はそれを聞いて、反射的に叫んでしまった。


「いや、そうじゃなくて! なんで空から人が降ってくるんだよ!」


 俺が聞きたいのは、彼女の素性とか名前とかじゃなくて(気になると言えば気になるが)、人が空から降ってきたカラクリを知りたいんだ。


「やっぱそこだよね〜。……知りたい?私の秘密」


「……知りたい」


それを聞いた彼女はニヤリとした表情を浮かべ、こちらに勢いよく振り向いた。


「じゃあさ! 教えてあげるから、ちょっとの間私を匿ってよ!」


 この時の、俺の顔は相当の間抜け面だっただろう、一瞬何を言ってるのか意味が分からず、ポカンと口を開けてしまう。


「匿う?匿うって何から?……何処に?」


「何処って君の家に決まってるじゃん」


 まるで俺の方がこの状況を理解していないかのように、彼女はやれやれと首をすくめた。


「俺の家?無理無理、絶対無理!」


「そこをなんとか! お願い!」


 彼女は俺の手をグイッと両手で包み込む様に掴んで、目を潤ませながら見上げてくる。

 反則だろ……、そんな仕草をされて落ちない男はいない。特に男子中学生なんて、ちょろいんだから。


「……った」


「えっ?なんて」


「分かったって、いいよウチに来いよ!」


 やってしまった……


 俺は言ってから後悔する、無理だろ。一人暮らしとかならまだしも、中学生の俺はまだまだ実家暮らし。共働きとは言えども、家には家族がいるのに、どう説明すれば良いんだよ。


「やったー! 言ってみるもんだね」


 小躍りしそうな勢いで喜ぶ彼女を傍目に、俺はこれからの事を考えて肩をガッくしと落とした。



 空には既に夜の帳が下りており、点滅を繰り返す街灯には小さな羽虫が集っている。人も車も通らない車道の真ん中を、俺たちは二人で並んで歩いていた。


 カタカタと俺が押す自転車の車輪の音だけが響き渡り、俺たちの間に気まずい雰囲気が広がる。それを破ったのは、少し申し訳そうな彼女の声であった。


「本当に大丈夫だった? 勢いで頼んじゃったけど、やっぱり迷惑だよね……」


 先ほどの威勢の良さは何処はやら、随分と弱々しい様子でこちらの顔を覗き込んでくる。


「男に二言はない、ってかっこつけたい所だけど、正直戸惑ってるのが本当かな」


「だよね」


「でも、いくら夏とは言え女の子を一人外に放っておくほど、俺は薄情じゃ無いよ。それに、貴方の秘密も気になるし……」


「何それ、……充分かっこいいじゃん」


 彼女は街頭に照らされて青白く光る頬をほんのりと赤くさせて、そっぽを向いてしまった。


 それを見て、自分も何だか恥ずかしい事を言った様な気がしてきて、顔が火照るのを感じた。


 そこから暫く、俺たちは互いに何だか気恥ずかしくて、話す事なく歩き続けた。でも先程よりも沈黙が苦じゃなかったのは、気のせいではないだろう。



 気がつけばもう、自宅の前だ。

 しまった、どうするのか何も考えていない。俺は取り敢えず、家の前で待つ様に彼女に言い聞かせ、玄関を開けて家に入っていく。

 特段特徴のない一戸建の家だ、3人で暮らす広さにしては、2階もあり広い気もするが、田舎の山奥という事を考慮すればこんな物だろう。


 入ってすぐ側にある横開きの扉を開けて、母親に帰宅を知らせる。


「ただいま」


「おかえりー! 随分遅かったね、何かあったの」


「まあちょっと色々ね……」


 キッチンにいるのだろう、玉すだれの奥からは聞き慣れた母親が、いつもの様に大きな声を上げて俺を迎え入れる。

 帰宅が遅くなった事を形式的にに尋ねてくるが、それほど興味が無いのか深く掘り下げることは無かった。


「すぐご飯にするから、早く手を洗って着替えてきな」


「あー、えっと……ちょっとやる事あるから、先に食べといて!」


「えー」


 俺はそう言うと、居間の前を通り越し、階段をそそくさと上がり、自身の部屋へと逃げる様に駆け込んだ。


 床には読みかけの漫画が山積みにされており、靴下の片割れや、脱ぎっぱなしのTシャツが床に投げ捨てられていた。俺は手早くそれらを片付ける。

 仕上げにこの部屋唯一の特徴とも呼べる、額縁に入った1000ピースのジグソウパズルを真っ直ぐに正し、部屋を見渡す。


 この間僅か、10分程度。このぐらいで掃除が終わるなら、普段からすれば良いのだけど、それはそれ、これはこれだ。


 ひとまず人を呼び込めるだけの、清潔さを取り戻した部屋に満足すると、俺は窓を開けてグイッと身を乗り出す。


 外では、玄関から少し離れた所にある電柱の影に、カゼヒメさんが行儀良く立っている。姿勢を正し、手を後ろに回して立つその姿は、やはり清楚と言う言葉が似合っていた。


 夜道を照らす街頭が、彼女の肌に当たり青白く光っている。ふと気を抜けば、そのまま何処かへ消えてしまいそうな錯覚を引き起こす。


 俺は急いで靴下を脱ぐと、そのまま窓のへりに足をかけた。レール部分の金属が持つひんやりとした冷たさが、足全体に伝わって気持ちがいい。


 下を見れば一階と二階を区分する様に下屋が緩やかに伸びており、窓のすぐ側に蜘蛛の巣だらけの室外機が置かれている。


 俺は慎重にその下屋の部分に、踏み出した。滑らない様に、何より音を立てない様にゆっくりと、一歩一歩を踏みしめた。


 屋根を歩くと言う、なんとも言えない非日常感に少し胸が高鳴る。


 端の方まで歩けば、家を囲う様に置かれているブロック塀まで手が届きそうな場所まで近づくことが出来た。俺は大きく足を伸ばして、その壁に飛び移った。


 彼女はまだ気づいていない、俺はそのまま、するすると壁の上を伝って行き、彼女の目の前に飛び降りる。


「——いっ!」


 壁の高さは二メートル程で対して高くはないが、それでも素足のためジーンと頭の先まで痺れる様な感覚が広がった。


「わっ、びっくりした。何処から出てきてるの」


「そこの窓からですよ、気づきませんでした?」


 俺はそう言って開けっぱなしの窓を指差す。彼女の顔は唖然としていて、どこか呆れている様だ。


「結構やんちゃ坊主なんだ」


「別に、今回が初めてですよ」


「またまた、こうやっていつも女の子を部屋に連れ込んでるんでしょ」


 ニヤニヤと俺を揶揄う様な彼女の顔に少し腹が立ち、その発言に返事はしなかった。


「……行きますよ。登れますか、壁」


「舐めるな、こちとら家出中の不良少女ですよ」


 そう言うと彼女は、まるで跳び箱を飛ぶかの容量で軽々と壁の上に登ってしまった。その際、ふわりと舞い上がったスカートに目が行ってしまったのは、不可抗力だ。


「ほら早く!」


 彼女は楽しそうに、こちらに手を伸ばしてくる。俺はそれを無視して、自身の力で壁をよじ登る。どうやらそれがお気に召さなかったのか、彼女は少し頬を膨らませ、ムッとする。


 しかし、そんなものは見なかった事にして、スルスルと同じルートを辿って行き、簡単に俺の部屋の窓まで到達した。


「お邪魔しまーす」


 彼女は我先にと、部屋の中に入ってしまう。俺は窓の外から、彼女に警告する。


「ちょっと、静かにお願いしますよ。親にバレたら大変なんですから」


「はーい、ほら君も早く入りなよ」


 そう言って今度こそはと、再びこちらに向かって手を差し出した。今度は無視するなよと、こちらに向けられた目が語っている。


 無視して、不機嫌になられるのも面倒か。


 俺は戸惑いながらも、その細い手を取り窓のへりに足をかけたその時——


「おりゃ」


 次の瞬間、彼女はヘンテコな掛け声をあげながら俺を思いっきり引っ張った。俺は予想外の行動に思い切り体制を崩しながら、部屋に雪崩れ込む。


「うぉお」


 ドスンと、鈍い音が部屋全体に広がる。彼女はあちゃーと、申し訳なさそうな顔をこちらに向けていた。


「ちょっとユースケ、何騒いでんの!」


 まずい、下から母親の怒鳴り声が響き、ギシギシと階段を登る音が聞こえてくる。


 俺は急いで、押し入れの襖を開けると、中にあった布団を無理やり引っ張り出し、人一人分のスペースを確保した。


「この中でじっとしてて下さい!」


 俺は有無を言わさず、彼女を押し入れの中へと押し込んだ。それと同時に、母親がノックもせずに部屋の扉を開け放った。


「あんた飯も食わずに何やってんの? こんな夜にバタバタ騒がしい」


「ちょっと……、えーと、そう! 今度文化祭でダンスの発表する事になったから練習してたんだ。慣れないもんだから、こけちゃった」


 俺は必死に言い訳を考えて、思いついた事をそのまま口に出した。


「ふーん、学校行事を楽しむのもいいけど。あんたも中3なんだから、勉強の一つや二つしなさいよ」


「わ、分かってるよ」


「まあいいや、母さんは明日も早いからもう寝るよ、くれぐれも騒がしくしないように」


「はい!」


 まさに蛇に睨まれた蛙、古今東西、母親に勝てる息子は居ないのである。言いたいことを言い切り、満足したのか、母は扉を開けたまま下に降りていった。


「ふぅー、助かった」


 俺は額から滲み出た冷や汗を拭い、長いため息を吐いた。部屋の扉を閉め直して、彼女に声をかける。


「もう出てきていいですよ、危機はさりました」


「暑っつい! はぁあー、生き返る」


 夏の押し入れの中はまさに蒸し風呂、汗をダラダラと流した彼女は、押し入れから飛び出て来ると、大きく深呼吸をした。


「「一時はどうなるかと思った……」」


 セリフがハモった。


 お互いに汗まみれの顔を同時に見合わせる、それが何だか可笑しくて、暫くの間自然と声を殺しながら笑ってしまった。

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