第3話


「で、家まで連れてきたんですから、ちょっとは教えてくれません?」


 俺はベットに寝転がり、天井を見上げながら押入れの方へと尋ねる。彼女は、どうやら押入れの中を気に入った様で、襖を全開にしてその中で寛いでいた。


「そうだね、約束だもんね。でもどう説明したものかな〜」


 空から降ってきた事情を説明するのは、どうやら難しいらしく、彼女は頭に手を置きながら唸っている。バタバタと動かす、彼女のすらっとした白い足が視界の端に映る。


「……私、風に愛されてるの」


 悩み抜いた末に出たであろう言葉は、説明というにはあまりにも、おざなりであった。

 頭の上には、疑問符がぐるぐると回っている。

 俺は敢えて何も言わずに、話の続きを促す。


「……」


 しかし、返ってくるのは部屋の隅に鎮座している、扇風機の羽音のみ。彼女は満足気な表情をしている。


「えっ、まさかそれだけ?」


「いや、だって。これ以上説明のしようが無いんだもん」


 そう言って彼女は頬を膨らませ、こちらに身を乗り出してくる。会った時から思ってたが、この女、かなりあざとい。しかも、多分これは天然でやってる、これがまた厄介だ。


「もん、じゃないですよ。何か他にあるでしょ、何かこう……ほら!」


 言葉が出てこない。それもそうだ、だって人が空から降ってくる事情説明の分かりやすい具体例など、誰が示せるのだろうか。


「君だって言えてないじゃん。分かった、分かった、明日実際に見せてあげるから」


 まるで俺が我儘を言っていて、それを嗜める様に彼女は手をひらひらと揺らした。全くもって遺憾である。


「実際に見せるって、一体何を……あっ」


 そう言って振り返った時には、既に彼女は寝息をたて、夢の中へと旅立っていた。俺は大きなため息を一つ付き、起き上がらせていた体を、再びベットへ預けた。


 自由すぎるだろ、全く。


 窓の外からは田舎特有のジーッ、ジーッと言った何かの鳴き声が聞こえてくる。さぁっと部屋に入ってきた風は心地よく、俺を眠りへと誘う。


 夢と現の境界線を行ったり来たりしながら、俺は彼女の言葉を咀嚼する。


 風に愛されてる、か……


 その言葉が指す意味はまるで分からない、でもそれを言った彼女の顔は……どこか悲しげに見えた気がした。



 目を覚ます。


 まだうつら、うつらする頭を持ち上げながら、俺は近くにある時計の針を見る。針が示すのはアラームの設定時間の10分前である、6時50分。

 寝直すほどの時間もなく、なんだか損をした気分だ。

 早起きは三文の徳とは言うが、育ち盛りの俺にとっては、10分の睡眠の方が三文より優っていると思う。そもそも、三文ってどれぐらいの価値なんだよ。


 そんなどうでもいい事を、回らない頭で考えながら、もぞもぞと動き始める。


「ふぁ〜あ、ねっむ」


 昨日は結局中々寝付けなかった、色々と刺激的な体験をして興奮していたのもあるが、何より冷静に考えて同室に女の子が居ると言う事実が、眠りを妨げた。


 オンナ、おんな……あっそうだ。カゼヒメさんはどこに?


 俺は部屋を見渡すも彼女の姿はどこにもなかった。押し入れは、何事もなかったかのように閉ざされている。


「夢、だったのか?」


 俺は昨日の出来事を思い返す、流石にあれが全部夢だったというのはあり得ない。壁にかけた制服が、少し泥に汚れているのがその証拠だ。俺は確かに彼女を受け止めるために、斜面を滑り降りた。


 やはり、秘密を話すのが嫌になって何処かに行ってしまったのだろうか。話す事自体は向こうから提案されたのだし、嫌がってるようには見えなかったが。


 いくら考えても答えは出てこない。


「ユースケ、いつまで寝てるの! 遅刻するよ!

 お母さんもう仕事に行くからね」


 階段の下から母親の声が響いて来て、俺を思考の海から引き戻す。どれだけ非日常な体験をしようが、学生であるからには、1日が始まれば学校に行かなければならない訳で。


 俺はしぶしぶ、いつも通りの身支度を済ませていく。顔を洗い、歯を磨く。そして、ご飯に納豆、味噌汁を食す、俺の決められたルーティンだ。


 制服に身を包み、自転車で坂を下る。帰りはいつも大変だが、行きはよいよいである。自転車のタイヤがシャーと音を立て、軽快に風を切る。

 またこうして、いつもの日常が始まって行く。


 それでもあの時の光景がずっと脳裏をちらつき、何かを探すように窓の外を眺めて、1日を過ごしてしまった。気がつけば、あっという間に授業は終わり、パラパラと生徒たちが帰り始めている。


 そう言えば、進路調査の紙はあれで良かったのだろうか。まあ何も言ってこないのだから、問題なかったのだろう。


 帰るか。何だか、この平凡な1日が物凄くつまらないものに感じて、嫌気がさす。


「おい! ユウ、お前今日どないしたんや。朝からずっとぼーっとしてからに」


「ケイか、別に……寝不足なだけだ」


 いつもと違い、つい突慳貪に対応してしまった。


「わかるで〜、ユウもお年頃やもんな、うん」


 ケイは、何かを悟ったかのように深く頷く。


「何がわかるで〜だ、お前も同じ歳だろうが」


「ズバリ! ユウ、お前好きな子でも出来たんやろ」


 名探偵にでもなったつもりだろうか、帰ろうとする俺の前に仁王立ちで立ち塞がり、グイッと指を差してくる。


「なわけあるか。漫画だよ、漫画」


 嘘だ、いやまあ漫画みたいな体験をしたのだから、あながち嘘でも無いのか。


「なんやつまらん、浮いた話の一つないんかい」


「仮にあったとしても、ケイには話さねぇよ」


 俺は肩に捕まって、絡んでくるケイを無視しながら、なんとか自転車置き場まで辿り着いた。


「お前、どこまで付いてくる気だよ。部活はどうした」


「あー、それやったら明日大会あるから、朝練だけやって放課後は休みや。怪我したらあかんしな」


 ほーん、大会前となると限界まで追い詰めるものだと思ってたが、そうでも無いらしい。

 久々に一緒に帰るか、そんな事を考えてると、校門の周辺がどうも騒がしい様な気がする。何だか皆ソワソワしてるような。


「おい、あの女の人誰かの彼女かな」


「お前話しかけてこいよぉ」


 耳を傾ければ、そのような内容がちらほら、なんだ、アイドルでもやって来たのか?


「おーい! こっちだよ」


 校門に差し掛かろうとした時、聞き覚えのある声がその方向から聞こえて来た。

 マジか、まさかなぁ。何だか嫌な予感がして、俺はケイを振り払って学校に戻ろうとする。


「じゃあなケイ! 忘れ物したから俺帰るわ!」


「なんでや、一緒に帰ろうや。待っとくから、取りに行ってきいや」


 そうなるよなー、でも違うんだよ。お前と帰るのが嫌なんじゃ無い、お前と校門の前を通るのが嫌なんだ。


「おーい! 早く! 何やってるのユウスケ君!」


 馬鹿野郎、名前を呼ぶな。俺は聞かなかったことにして、そっぽを向く。


「おい、ユウお前呼ばれてないか? なんやお前あの美人さんと知り合いなんか!」


「……知らねえ、ユウスケなんてよくある名前だろ」


「いつまで待たせるの! 神守中3年のニシミヤ ユウスケ君!」


 知らない人に名前を教えちゃいけないって教えは、間違ってなかったようだ。なんで、フルネームで名乗っちゃったんだろ。

 俺は観念して、ゆっくりと彼女の元へ進んで行く。


「ユウ……お前に先を越されるとはな、思いもせんかったわ……」


「おい! 勘違いするな、別にケイが思ってるような関係じゃねえよ」


「友達? 仲良いね、それにしても随分待たせてくれたじゃない」


 ああ、騒がれるのも納得だ。昨日とは違いカゼヒメさんの姿は制服ではなく、シンプルなワンピース姿。飾り気のない服が、彼女の白い肌を際立たせ、何とも大人っぽい魅力を醸し出している。


「待たせるも何も、来るなんて知りませんよ。それに、何ですかさっきのあれ」


「えー結構外暑かったし、その仕返し?」


 おい、見た目に騙されるな男ども。この女、勝手に人のことを待って仕返しをする様な、ヤバイ奴だぞ。


「で、何しに来たんですか」


「何って昨日約束したじゃない」


 ヤクソク、ああ約束か、確か何者か教えてもらうとか、なんとか。


「知りたいんでしょ、私のひ、み、つ!」


 そう言って立てた人差し指を口に当てる姿に、ハッと目が惹かれてしまう。


「……ユウが、ユウが大人の階段登ってしまった……。しかも、ワシより早く……」


 ケイは、頭を抱えその場で丸まってしまう。ブツブツと呟く様子は、不審者そのものだ。周りも視線をこちらに向け、ざわざわと騒ぎ始めた。


「めんどくせぇ、ほら!取り敢えずここから離れましょう」


 俺は冷や汗をかきながら、彼女にそう告げる。


「えー私疲れたー、そこ乗せてって」


 彼女が指を差すのは俺が押す自転車の荷台。

 くっ、背に腹は変えられないか。俺は自転車にまたがり、彼女に乗るように促す。


「やったー! 一度やってみたかったんだよね」


 彼女はそう言うと、勢いよく自転車に乗り白い腕を俺の腰に回した。


 もうこうなればヤケだ。


「……どこまで行きますか、お嬢さん」


 俺はキザったらしく、後ろに座る彼女に話しかける。


「いいねぇ、じゃあ取り敢えず昨日の場所までレッツゴー」

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