新規録音 #004

『私は今、この一時間の記憶制限に感謝している。同時に、巧妙に隠された恐ろしい機能について知ることになった。


 人を殺した。倉庫に入ったとき、扉の影で動くものが視界に映った。一時間前の録音の記憶から、自身の生存を第一に行動した結果だ。

 いくらでも殺人を正当化する論理が浮かんでくる。酷い気分だ。罪悪感と、眼球を潰した手触りと、頭蓋を叩き割った感触が消えない。なによりありがたくて、恐ろしいのは、待ってさえいれば忘れてしまうということだ。

 殺人の恐怖や罪悪感を忘れてしまう。この手に張り付いた、生命を奪った実感を失くしてしまう。

 録音された声では伝えることができない情報だ。殺人という事実を記録に残しても、所詮は私であって私でない記憶に過ぎない。後悔や吐き気や身体の震えは伝わらない。

 記憶の消去は、殺人経験で植え付けられる負の感情を消去することもできる。必要に迫られれば、ためらいなく殺人を行えるように、殺人の実感を打ち消すのだ。これも主宰者の意図した機能だろうか。


 私が殺した被験者の男は、紙とペンで自分の記憶を残していた。ノートを破いてメッセージを書いた紙片を量産し、これを他の被験者に発見させる算段だったのだろう。記憶が消えた状態で読めば効果は大きい。

 メッセージの内容は、主宰者の与えた唯一の生き残りという条件を誤解させるもので、被験者を一か所に集めさせようとするものだった。被験者同士で協力させるつもりだったのか、一網打尽にするつもりだったのか。


 記憶制限のもうひとつの側面だ。リセットされてしまうが故に、手元にある指示に従わざるを得ない。右も左もわからない被験者が疑いを抱くのは難しい。相手の記録媒体を奪うなり、破壊なりしたうえで、メッセージを読ませることができれば、被験者の誘導は可能かもしれない。


 記憶が消えても、彼の死と私の罪を無にしないためにも、ここで得た経験は記録として残し、活かさねばならない』

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