第17話

くずざくら(私たちは眠たい)

――まだ、昼間。




まだ、くらやみは来ない。




絵鈴唯の靴音が、タイルを鳴らす。




それから、彼はまっすぐぼくを見つめて呟きます。





「僕は……


二人が居た場所に来たときから




ずっと考えていたよ。


思い出してた。


それは間違いではなかったかもしれない。




《あの頃の》誘拐犯は捕まったはずなんだ。僕も、瑞も、知ってるはずだ」




ぼくは、絵鈴唯をじっと見つめます。


ぼくも、絵鈴唯も、知っていた《それ》を改めて見つめ直すように。




「だけどね……瑞が学校に行っているうちにパソコンから確認したら、いくらかの実行犯は刑期が、終わっていた」







思い出さないように、


切り離せるように


さよならしても、




空白は





つきまとう。











「まさか」




ぼくは、まさかなんて、いいながら、本当はどこかで感じていたのかもしれません。




「ああ、要は、『くずざくら』だったということだろう」




 くずざくらだった……あの、くずざくらのときからぼくらは、ほとんど何も変えられなかったというのでしょうか。




「くずざくらは、やっぱりまだ、機能していたんだな」




 これで、おおよそのことへの納得が出来た。


ぼくは、懐かしいような、その痛みを抱えて、目を閉じてみます。


「くずざくら?」




シイナちゃんが不思議そうな顔をしました。




「犯罪集団。正式名はよくわからないな。


ぼくも昔、住んでいたアパートを追い出されたんだけど、そこの大家が、彼らと仲良くしていたんだ」




「なか、よく?」




「金銭をもらって海外からの不法滞在者とかに部屋を貸していた。それで、その滞在者もまた手癖が悪かったから、大変なことになってね……」




「大変なこととは」





 いつのまにか、その少女の小さな瞳には、なにか、希望のようなきらめきが宿っていました。




 絵鈴唯がドアの取っ手を掴みながら言います。


「ごみ問題、騒音、盗難、ときどき暴力」




んな天気予報みたいな


ノリで……




「何回か警察が来てたな」


 絵鈴唯が笑いをこらえるので、ぼくはこのやろうと思いながら言います。


「ま、警察もグルだけどね。そんな風にあちこちに潜んでいるんだよ」




シイナちゃんはピンと来たのかもしかしてと、口にしました。




「不法滞在者、って」


「そうだよ。あの家にも居た」




絵鈴唯が言うと、彼女はなんとも言えない、真顔と泣きそうな顔の中間くらいの目で、そうですよねと呟きました。




「きみには、約束して欲しい」


絵鈴唯は続けて言います。シイナちゃんはじっとなにを言われるのかと見ていて、そして。




「おじいさんのためだとは、言わないこと。




きみが抱えているのは、責任ではないから……




そういうのは、迷惑というんだよ」




 言い過ぎではありませんでした。


少なくとも、ぼくもそう思っている。




「『あのとき出来なかったこと』を、『目の前でして見せる』のは、人を追い詰める行為だよ。


それは贖罪にはならない。ただ……きみは、おじいさんが死ぬトドメをさしにいったんだ。




許して欲しいといい、




許されない行為に及ぼうとしている。




過去は、過去のままなんだよ。


『それを』否定する未来を、今になって描いて余計に追い詰めるのは、どうかやめてあげて欲しい」


「なんで、そんなこと言うんですか!」




シイナちゃんは、はじめて、激昂を見せたようでした。




「私は、ただ……!」




「僕が、誘拐されたことがあるから……かな?」




絵鈴唯は淡々としていました。




「あのときはすまなかった、二度と拐わせないと、沢山の人から言われた。




改めて、なんの希望もない希望を叶えることもできた……けれど、あのとき描かなかった未来を、


馬鹿みたいに再現することは所詮は、過去の劣化コピーだ。




葬られた


『オリジナル』には、どうやったって、敵わないんだよ!!」


絵鈴唯が真面目なことを言うのを……


ぼくは久しぶりに見たような気がしました。




「殺したくなる。殺したくなるだけだ。




やめてほしい……追い詰めるだけなんだ。ただただ、追い詰めるんだよ」





自分にできなかったことを


やろうとするのは




嫉妬を、憎悪を増やす




いじめと変わらない。





そう言いたがる相手が





やることではない






「絵鈴、唯」




目を丸くしたままシイナちゃんは固まっています。




「責任をとるというのは、軽々しい口を閉ざすこと。簡単に愛なんかささやかない。





なぜあのときじゃなかったのか、




とただ憎悪を増やす行為は、お願いだ、慎んで欲しい。





僕だったら、









まっすぐ、少女を見つめ、彼は言います。





「君を殺していた」








なぜあのときじゃなかった。






描くな。




なぜあのときじゃなかった。





描くな。




描くな。




描くな。




描くな。




描くな。


なぜあのときじゃなかった。




なぜあのときじゃなかった。




なぜあのときじゃなかった。




なぜあのときじゃなかった。






出来ないことをするな!




出来ないことを、平気でやるな!





死んでしまえ。





 過去へ『本当の意味』で責任をとることは誰にもできません。


たとえ、お話の中でさえも、時間は経つのですから。




そんなものを描く行為が余計に傷を深めて行くことをぼくたちはとおい昔に知りました。




 ぼくたちはよく勘違いします。


「許して欲しい」も、負傷したあとの未来の言葉です。


傷ができる前の過去に向いてはいません。


それを、過去を癒す行為だと何の根拠もなく決めつけてしまいますが、時間軸はしっかりとずれています。





「傷は、傷のままだよ。


ずっとそう。


だから、傷口を他人が見せびらかすのは……ただ傷つけるだけなんだ。






自分自身を生きることが本当の贖罪だ」





「……そう、ですね。




自分に出来ることがあって、


誰かをかえることが、なんて……




所詮は幻想」





シイナちゃんは、目を閉じてふっと小さく笑いました。




「馬鹿です、私は。


平和ボケしていたのだと、思います。





相手の気持ちも、本当の責任が何かも、なにも考えてなかった。




ただの偽善を、責められても仕方ありませんね」




「まあ、まだ君には未来があるよ。50、60代になってもそれに気づかないやつもいるから。


ドイツのことわざにもなかったっけ。大きくなったバカは、治らない……恥もしない。


彼らはその必要性を感じられないんだ」




 絵鈴唯は相変わらず無表情なままですが、語気は荒くなっていませんでした。




「改めて……、約束してくれるかな、偽善で身をかためないこと」





シイナちゃんは頷きます。


ぼくはというと……別のことを考えていました。絵鈴唯が誘拐事件をずっと思い出していたと仮定すると、常に恐怖をぼくよりも纏わせていたのだ、とか。


絵鈴唯は、本当にモグラを殺害する程度で気が紛れたのだろうか? とか。


「なぁ、絵鈴唯」




 彼を、見上げます。


何を言えばいいのかも、わからないけれど。




「……その」




 絵鈴唯はただ、いつも通りの目をしてぼくを見ていました。


弾き出された結論より、もっと、ずっと大事なことを目の前にしているような気がして胸が苦しくなります。


彼が、気が済むならモグラや、マーリくらい好きなだけなぶればいいと思えてしまう。


 でも、そんなものでは、いや、何一つも、本当に満たすものなんてないのかもしれなくて……


 あらゆることが不毛なくらいの、絶望は、それは、言葉に出来ないもの。





『瑞、軽々しく、触るな。


僕も触らない』




『重みを、同列にするな』




 彼が、恥と言うのは、


真の意味で    ということ。


人には抱えてきた重さの結果がある。




その痛みを、容易くロマンチックにするのは、




まるで




「絵鈴唯、絵鈴唯……っ」


傷を負わなければ出来ないようなことを。


人生の重さ。




『あいつらは』




嘲笑って、まるで馬鹿にするかのように……




――――俺になるな!





『お前は、なにを寝ぼけてるんだ?』




僕がお前だと思ったことなんか、ないね。




「ぼくや絵鈴唯には絶対、なれないよ。『彼ら』は……」




「だって、持ってないから。大事にするものを、扱いを恥じるくらいに、尊重出来るような宝物が、彼らには無いんだ、だから――」




「瑞」




 絵鈴唯は、じっとぼくを見て、そしてゆっくりと抱き締めました。




「僕を心配しているのか」


 ぼくは、何も答えられずに腕のなかに居ました。




「また絵鈴唯が拐われたら、って、たまに、怖くなる。夜も、変なのがいるみたいだし。


実行犯は刑期が終わったりしてると聞いたら。




あいつらは、ぼくのことも諦めてないのだろうか?」




ふと、手にした携帯を見て絵鈴唯は舌打ち。




「また切れた。携帯する意味では役に立たない携帯だな」




 つけたときの充電は35パーセント。




87、86、53、55、66、 77、 75、0


というように決まった数字で切れるといいます。案外、ゼロ、レイ、花、春、ごみ、 という風に決めて切る技術でもあるかもしれないよね、とか、よくぼやいていました。




(そんな方法があるのかは知りませんが)




 ぼくらは数分玄関に立ったままでいました。


こんな風に会話で時間を稼いでいるのは、どこか外に出ていきづらいからでしょう。




「モグラ以外にも、居る?」




しばらく黙ってからようやく声を絞り出すと、絵鈴唯は目を丸くして言いました。




「いや? 夜、瑞と、こうしていたから」




そうだった。


ぼくは顔が熱くなりました。


「それは、今言わなくていいだろ!」




「瑞が聞いたんじゃないか。かわいかったな、あのときの」




「うわ……わー! 黙れっ」




シーン、と静寂が訪れると絵鈴唯はちらりとぼくを見ました。


そして小さく笑い、すぐ落ち着きました。




「ふふふ……、さて、どこにしようかな。きみたちみたいに、石を蹴るのは、僕はちょっと恥ずかしい」











ドアを開けるとき、絵鈴唯は、ふと呟きました。ぼくに囁くように。






――『ねえ』




『なに?』




 きみは、殺したモグラや目玉をえぐった猫、


マーリに妬いたといった。




でも、僕は、覚えているよ。




忘れもしない。

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