第16話

「……唯、絵鈴唯っ!」


 呼びかけると、そいつはハッとしたようにぼくを見ました。少し怯えたような顔になり、そして少し泣いています。




「どうしたんだ?」




「なんでも、ない」




 ふらふらと、リビングの方まで歩いていった絵鈴唯が気になって、そっとその手を掴み、ぼくは呼び掛けていました。




「誘拐とか、強制立ち退きとかで……いろいろ、思い出しただけだ」




 絵鈴唯はなんてことないように言ってぼくの手を振り払いましたが、その言葉にはきっといろんな悲しみが凝縮されているのでしょう。




「そうか」




 誘拐事件のあとは、絵鈴唯はよく、なんの希望もない話を沢山書いててこれは僕と一緒だ、と本にして部屋に並べていました。


楽しそうに。


その、なんの希望もない自分と一緒の暗闇を見てやっと笑顔になれるとばかりに。




『なんの希望もない本』を沢山作ったあと、絵鈴唯は満足していてそのなかの数冊を保健室のベッドに持ってきて、よく読んでいました。


ぼくはよくそれを見守っていました。


『なんの希望もない本』に、ほっとした気持ちになるくらいに、絵鈴唯は苦しんでいたし、ぼくも苦しんでいました。





 その頃に学校では作家もしているなんかわからない人の講演会があり、その人が何かの用事で保健室に入ったとき絵鈴唯が作った本を先生が勝手にその人に見せてしまったみたいで……




それから後日、そっくりな内容なのに『なんの希望もない本に希望を持たせた本』が、世間に販売されたのです。




この余計な出来事によって絵鈴唯は精神的にさらに崩壊しました。


『なんの希望もない本』にしかない素晴らしさを根こそぎ覆した本が、街で流行り始めたことで、誘拐事件を、より受け入れられなくなったのでしょう。


馬鹿馬鹿しい希望論が流行り、叫ばれるようになると、まるで犯罪肯定国家の図です。




「瑞は、此処に、いる?」




「うん……いるよ」




 ぺたぺたとぼくの顔を触りながら、そいつは困ったような泣きそうな顔になりました。




「謎は、解けてるんだ。ずっと、前からね」




「うん」




「……だけど。うまく、言えないけど……なんて、いうのか」





 そっと抱きつかれて、ぼくはそのまま立って居ました。絵鈴唯は震えています。




「うん。無理しなくていいよ」




「僕は……僕、は」




伸ばしている長い髪を、丁寧に撫でると彼はより密着しました。


ぼくが消えないようにというくらい、きつくしがみついています。


「……泣かないで」




 わけがあって伸ばしている髪のおかげで、絵鈴唯は、またずいぶん少女らしい雰囲気を際立たせていました。




「よしよし」




「僕は子どもじゃない」




不満そうな声。




「知ってる」




ぼくはそれだけ答えて、その背を撫でました。




「姉が死んだときも、家族は喧嘩していたよ」




絵鈴唯は呟きます。


姉……姉の名前は、


なえさん。





「自分が生きていると、『彼女ら』が出来る条件。それを、思い出してしまう」




 それは、いろいろな本や実際の『ぼくたち』の共通項。それが何を表すのかはわかっていない。ただ、多いというのみなのです。




「二番目以降の子どもであること、


長男や長女がしょうがいを持つ確率が高いこと。


あの画家も、あの数学者も……姉や兄が疾患を抱えていた。


そして、末っ子のみが生きた。僕は、罪深い存在なんだろうか」




「そんなの、ぼくだって、そうだよ」





民話などでもなにかと、生き延びて知恵を絞るのは、末っ子という気がします。


絵鈴唯は生きてしまった。





なえさんは、殺された。







『確かに故意だった』







「だけど、生きなくちゃ。塩基配列が暗号なら、


ぼくたちは生きた暗号資産なんだから」




ぼくが言うと、絵鈴唯は目もとを拭いながら薄く笑いました。




「暗号資産か……うん。そうだね、生きた暗号資産」







 台所に戻ると、ぼくたちはシイナちゃんからおじいさんの連絡先を聞きました。


まずはシイナちゃんが話すといい、部屋で電話をかけると少しして繋がりました。




「もしもし」




――あら、シイちゃん?




彼女がスピーカーモードにしたので、婦人らしき声がよく聞こえます。





――今どこにいるの





「友達の家、です」





――そう。おばちゃんが心配していたよ。


連絡はしたのね?


うちのおじいちゃんが亡くなったけど、あなたは気にしなくていいからね。




「私、何も、できませんでした、やっと訪ねたのに」




――そんなの、別にいいのよ。





「ホームに電話しても居なくて、家にもいなかったみたいで」





――えぇ、私らも驚いたわ。追い出されてたんだってね。もしかしたら空き家に住んでたかもしれないね。




「空き家、には、違う人が住んでましたよ。


もともと家だった場所にも帰れなかったと」





――だったら、どこに?


「それは……」




 シイナちゃんは青ざめました。


電話があるのはリビングと呼ぶあまり物がない広いところで、そこに移動していたのですが……


その動揺した足が、なにかを踏みつけました。




「あ……モグラの残骸だ」




絵鈴唯は真顔ですが、シイナちゃんは、ひいっという顔。




「絵鈴唯。好きになった相手を殺害するのはやめろってあれだけ……」




ぼくはひそひそと囁きます。




「一緒に遊んだだけだよ」


「だーかーら! 遊んだ結果これでしょう?」


「きれいな、前足をしていたんだ。だからちぎってみた」




「ちぎってみちゃだめだってば……」




解体癖はないものの、部分ごとにちぎってしまうのもそれはそれで……




「まあ仕方ない、あとで埋葬しようね」




困った顔になる絵鈴唯は、困ったままで笑います。


「モグラ、かわいかったよ」


うふふふ。と、本当に慈しんでいる様子でした。


「ぼくより可愛い?」




「やきもちかな」




「ちょっと、ね」




 シイナちゃんの足の裏についた汚れを含めて、モグラの残骸を拭き取ると、絵鈴唯は丁寧にビニールに詰めました。




「顔。かお、かお……うふ、うふふ」




そして、どこか遠くを見るように笑っています。




「シイナちゃんは、お前を拒絶したわけじゃない、ちょっとモグラの残骸にびっくりしたんだよ、ちゃんと片付けておかないから」




「僕はね、僕はね、


見えてるよ、ちゃんと、ちゃんとちゃんとあるもん」




 じいっと絵鈴唯を見つめます。


見かけは、いつも通りの彼でした。




「瑞」




シイナちゃんが、なにか怯えたようにぼくにしがみつきましたが、ぼくは「心配ないよ」となるべく優しく言います。




 それから、ゆっくりと絵鈴唯の手を握りました。さっき、モグラの残骸を回収した手。


透き通るように白くて、長い指の、きれいな手でした。




「モグラはそんなに頻繁には土から出てこないと思ったんだけど、そいつ何処にいたの」




「公園のそばの土に居たよ。あの辺りは最近、誰かが土を掘っていたみたいだから」




「そう」




「……怒っている?」




「だから、少し妬いてるだけ」




「……ごめん」




俯いた絵鈴唯の頬を引っ張ります。


みょーん、と伸びました。


「いひゃい」


確かめたことはないけど……脳の、戦いのときに反応する部分と、恋愛のときに反応する部分はだいたい同じだと考えられてもいる。興奮が、そのまま殺害に向くなら、それもまた恋愛のひとつかもしれない。




恋愛をしている絵鈴唯を責めてもあまり意味はないのかもしれない。




たちは悪いけれど。





そう、この恋を責められるのならば、それは恋人や、ちかしい人。




「ぼくは、大抵のことでは、絵鈴唯を嫌いになれない。でも、だからこそね……ぼくじゃ不満?」




絵鈴唯は首を横に振りました。




「ただ、見つけたから」




「殺害も恋愛感情だというのは国が認めないよ……


たとえ、狸やモグラでもね、ロマンのない誰かに見つかると、喚かれるだけだ」





「『彼ら』は、好きな子ほどいじめたいと言うよ」




僕も、殺しただけなのに批難なんて、どの口が言うのだろうね。


そういって悪びれずに、楽しそうに目を輝かせた絵鈴唯。




好きな子はいじめたい。好きだから殺した。


誰でもやること。




 そんな彼の素直さが、ぼくは好きなのです。




「うん。自分勝手だよ、みんな。だから見つかっちゃいけない」




絵鈴唯は、ぼくの手をぎゅっと握り返して言いました。


絵鈴唯は当たり前のように言います。




「安心して、瑞が一番だよ」





ぼくは殺さない癖に








死にたいわけではないけれど……


でも、一番という気がしないのは、ぼくが生かされているから。


死は、ぼくにとっては一番の愛なのでしょう。




「ぼくが死んだときは。とっても、大事にしてね」




 なんだか悔しい気持ちをごまかしたくて、絵鈴唯と手を繋いだまま微笑みました。




「……僕が死んだときは、きみは泣くかい?」




絵鈴唯は問いました。




「わからない」




「わかった」




 それぞれ互いの答えを言い、それから、ぼくらは改めて冷静になるのでした。










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