第15話





少し、懐かしい話。






学生のときの僕は大抵、美術準備室か保健室に居る。


一人で。


ほとんど、誰とも会わずに放課後まで居る。


そして、なにか作っているのだ。




「すごいね」




 彼は、ときどきそのどちらかに顔を出して、僕に対し真面目な顔ですごいねと言いそれでいて笑顔を向けた。


他人を認めることが出来るのは才能だ。




「こんなの作って……なにに使うか知らないけど」




 目の前の少年は、僕が作った確かに用途のわからない彫刻や絵を見ながら、目をきらきらさせていた。




「別に、楽しかっただけだよ」


 僕は、その彼の楽しそうな横顔を眺めている時間が何より好きだった。同時に胸の奥が、ちくりと痛くなる。




「こんなに熱心なら、コンクールとかに出せばいいのに」




何気ないそんな一言に、苦笑いして告げた。




「無理、なんだ」




「自信がない?」




僕は首を横に振る。




「言われたんだ。


『今自分がやろうとしていたことをやった』と。


そういうプライドの保ちかたをする人から目をつけられている」




『何度もあったから僕は予言者かもしれないな』と笑うと、彼は眉を寄せて僕を見つめた。




「誰かが上を行ったり、そういうのなんて当たり前の世界じゃないのか?」




彼は真っ直ぐに聞いてくる。視線が痛い。




――その日は美術準備室に居て、僕は美術部が来るまでの間の午前にここで彫刻を作っていた。




そこは薄暗くて、カーテンの間からわずかに日の光が入るくらいだった。分厚い長机に作品を置き、四角い木の椅子座り、丁寧にやすりがけをしている合間に彼に答える。





「それが、許せないという人間も居るさ。


 だからちょっとなにかを見て妬むと、今まさに自分がやろうとしていたもののようにとらえて、プライドを落ち着かせている。実際は違う場所を見ていてもね」


僕だって、今まさに息を続けようとしているし、まさに作ろうとしたし、今まさに、生きていようとしているのに、


何一つ許されないどころではなかった。




「他人で出来ていると言われたようなものだよ。僕の一挙一動は、他人がまさにしようとしたことらしい。


そんなの誰だってそうだろうに、僕だけ許されない」




彼は、なんだかいらだたしげに僕を見つめた。




「許されないって、なんだよ」




「僕の自我は全て、他人がしようとしたから駄目なものだというんだ。


小さい頃も手足を縛られて閉じ込められたことがあったよ。知りもしない作家が、僕が考えを奪ったと思い込んで、一挙一動をするなと言ったんだ」


「その作家は小さい頃出した展覧会で僕が居た地域を知ったみたい。そこから闇の探偵を雇って調べた情報から、付け回した」


 そいつは周りが留守なときに突然勝手に部屋に乗り込んできた。


日記だとか部屋に置いてある書物だとかを隈無く物色し、僕を探りたがった。


作家だって人だし、嫉妬だってあるとは思うが、あれはなかなかにすごい行動力だと思った。




「詳しく知りもしないのに、彼は僕に『俺になるな』と言ったんだ」




手足を縛って庭の車に押し込まれて……


気づいたら眠っていて、その次の日に、どうにかして部屋に戻ると作っていたものを盗まれていたことに気がついた。




「ひどい……」




彼はなぜか泣いていた。なぜ泣く。




「『俺がやろうとしていた』なら、なぜ僕のところに来るんだか」





 僕はハッ、と見下したように笑ってみたが、彼はなんだか泣きそうに僕を見るだけだった。




「まあ、だから『そういう輩』が居るから無理なんだよ。みんなにも『心配』されるだろう? 」




創れないなら死んだ方が良いのにねと、僕はまた笑った。




「だから『評価』してくれるのは実は君だけだったりして!」




彼の悲しい顔を見ていたくなくて明るく言うと、わかりやすいくらいに、ぱっと顔をあげた。




「本当?」




「うん。僕にはなんの価値もないんだよ。


誰も僕を救えないし報われることなんかないんだろうね」




「ぼくと一緒だ」




彼は穏やかに笑った。


僕は目を丸くした。


彼がつけてきていた帽子を、外してみてと言われて僕はゆっくりはずした。


「ぼくたちは、救われないね」






「あぁ、救われない」





僕らは笑った。


二人で、ただ笑った。


彼は休み時間が終わるとすぐ教室に戻る。


しかし放課後には保健室で会話をした。





 一度あることは、何度だって起きうる。


その作家たちみたいに、綺麗事で喜べるほど、僕たちは子どもじゃないからこそ、よく知っていること。


今50、60と歳を重ねる彼らとは、きっと違う生き物だからそのことを知らないんだと、今なら思えるし僕も、いずれはそうなるだろう。







 その日の夜はとても強い風が吹いていた。


星だけはきれいな夜。


だから僕は庭に出て『シュン』と名付けて数日可愛がっていた猫を殺していた。




野良猫だったけど、なかなか元気な猫だったなと思う。


どういう手順だったかはよく思い出せないけれど、眼球を抉りだして、しばらく手にのせたシュンはなかなか美人だった。


「今日は、良い天気だね」


真夜中。




 僕は、誰にともなく呟いていた。




片想いが叶った後の虚無感は、どうしようもないくらいに悲しい。


別に解体するほどの興味も無かったので、僕はすぐに土に埋めた。


酸で溶かして排水溝に流す……という危ない人がやる手段もあるけれど、そんな劇薬は持ってないし、作るような気分もなかったので、普通に。




「シュン、死んじゃったぁ」




 小さい頃、毛皮と内蔵と管と、循環する液体があれば作れると思った。たとえば、この猫みたいに生きたものを。


すぐに間違いには気がついたから、殺したいくらい可愛かったシュンが、目を開けないって知ってる。


まだ春くらいの時期で、だけど夜は少し寒かった。


「あはは、あははっ。」





僕の、乾いた笑い声が響く。


 シュンを殺していたら、がささっ、と背後のしげみで音がした。


イタチや狸だろうか。


だったらそいつも殺しておこう。




 『好意』は、シュンからすぐそちらに向いた。


この日は家族が仕事でみんな居なかったから、心配されない。


土で汚れた手を払うと、その幸せを実感しながら、しげみに近づいた。




『顔』が覚えられない僕だけれど……おとなしくさせてからじっくり手にとると観察することができる。




「もし狸だったら、鍋に入れてぐつぐつ煮込もうかな」




『かちかち山』が好きだから、狸が煮込まれるのを想像したら楽しい気持ちになった。


「狸鍋かぁ」


こういう料理もわくわくするな。




 自分の力で作るのは、なんだってとても楽しい。


僕が孤独の中でもさほど我儘になってしまうようなこともないのは『評価』という客観的な目を、自分で成し遂げた形をもってして知っているからだ。




売れているから、とか流行になるから、という目でしか物を見られなかったなら……


流行りだから人気なんだろうと、客観的な目さえ信じることもなかったと思う。




 僕の『我が儘』を『具現化』して作った創作物を《誰かが理解する》ということが、まるで親の代わりのようで、一人の時間が多くとも寂しいということもなく育った気がする。




我が儘を受け入れてくれる人は居たのだから。普段から弱く未熟で思ったように生きられない中で僕の『我が儘』は作品という形で昇華される。好きなように創ることが、僕の唯一泣いていたり笑っていることだ。


 あの作家は、僕の『感情』や『受け入れてくれる相手』を奪うというのだから考えて見れば異様な話だ。




「まぁーいわゆる裏口からのコネで入ってから実力をつけていたらしい人だからなぁ」





一人で呟いて笑ってみる。白い息が夜空に吐き出された。




つまり『努力さえあれば報われる』という《お膳立て》の中で生きてしまった。




 だから努力の本質わからなくてあんな暴挙に出るのだと思う。


力さえあればどうにか出来ると学習したままになっているから。




……頭の中に卑しい顔が浮かんできて慌てて振り払った。


「こんな素人が『俺になるな!』」




意味のわからない言葉だけれど、全部がコネにしか見えない思考の持ち主なら異様な妬みかたもわかる。土台が不安定過ぎて、闇の探偵まで雇ったんだ。




立場が危ないから。



 使えないものを強引に手にしていたのでなければ、中身と地盤をしっかり固めているのであればその自信を持ってして『素人』を襲いにくる暇などないはずなのだけど…… ある意味では哀れだ。


 本当は土台がなければ努力など無意味なのに、


なんて甘えているのだろう?




 僕が作りたいように作るという我が儘、を奪われたら無差別に人を殺してしまうかもしれないし僕は死ぬかもしれない。土台が無い中の努力というのは、そういうことだ。受け皿が無いのだから救われもしない。




「だけど、受け皿しかないのに中身が無いのも無意味なものだな……」





しかしそればかりは、みんな自力で克服する。


あんな手段が許されるわけがない。




「美味しくなると良いな」


 気がついたらしげみから引っ張り出した狸の牙を引き抜きながら、僕はにやけていた。


とりあえず、狸だ。




夜殺したシュンについて考えながら、次の朝に僕はマーリについて考えた。


マーリは狸の名前だ。




「なにしてるの? 絵鈴唯」


始業チャイムが鳴り少しした頃。




 美術準備室に一人で居ると、僕にわざわざ話しかけてくる物好きの声がした。


「瑞、おはよう」




 僕は、彼を声や歩き方、瞳だとか輪郭、髪型の一部だけで見分けている。


 この頃は……ええと、軽度の相貌失認があるというのは彼に伝えていたっけ。いや、別に言わなかったような。


とにかく彼は躊躇いなくそばまで来て聞いた。




「嬉しそうだ。どんないいことがあったんだ?」





「夜、一緒に遊んだ子猫ちゃんとか、片想いについて考えてた」




「そいつは良かったな」


ふわふわした彼の髪を撫でながら、マーリの毛皮について考える。


片想いと殺意は似ていて、どちらも強く感情を突き動かすことが出来る。一日マーリの毛皮について考えていれば時間が経つのも早い。




夜更かししたのでうとうとしていたら、瑞は隣にある椅子に座った。




「今日は午前授業が自習なんだ。絵鈴唯のそばに居るよ」




僕は試みを思い付いた。学校生活において彼と付き合うような感じの設定にしているが、猫の話をしたらどんな反応を示すだろうか。




「ああ、その前に聞いて欲しい」




 僕は、昨日殺したシュンの話をする。


じっくり顔を観察したんだというのを誇らしげに話した。


瑞は特に驚かなかったし平然としていた。


それから……




「生き物に恋ができて、いいなぁ」




そう言って羨ましがった。


「そういえば僕も生き物だけど、瑞は平気なのかい」


 ふと浮かんだ疑問を聞いてみる。




「わからないけど……なんか、落ち着くんだ」




「ふふふ、そうか」




 僕は、少しほっと息を吐いた。


今日は、帰ったらあの狸も沢山可愛がって殺ろう。火であぶろうかな。




なんて思ってたら唇に柔らかい感触が当たった。思わず真顔になる。




「なに」




「驚くかと思った」




僕はくくく、と笑った。なんだかおかしい。


改めてにやりとして言う。


「さて、自習するか。教科書とノートは持ってきたな?」




瑞は唇を尖らせた。




「真面目かよっ」










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