第14話
懐かしい話。
夏休みのビルの屋上はほとんど誰も来ない場所。
ぼくらは数日、たまにそこで会い、そしてたまには校舎の屋上でも過ごしました。
飛び降りるのもいいけれど、上を見て青い空が、どこまでも広がる様子を見ているだけでも迫力のある場所。
『その日』は校舎の屋上でした。
「暑いな、さすがに」
「わざわざ暑い日に、暑い場所に行くんだもんな……」
言えてる、と絵鈴唯が笑い、ぼくも笑いました。
「なあ、たまには、教室に来ないの」
レポートの傍らで聞くと、制服の白いシャツからネクタイを緩めながら、絵鈴唯は困った顔。
「……うーん」
「みんな会いたがってるよ」
酷く嫌われるというタイプでもなく、見た目も相まってか、絵鈴唯はなんというか……居るんだか居ないんだか神出鬼沈な立ち位置でした。
ミステリアスで良い、というどうとらえていいかわからない評価があるくらいに。
「だったら、『だから』かな……」
絵鈴唯は、複雑そうに笑います。
どこか泣きそうに。
そう。
『だから』だったのだと。ぼくはそれから知ることになりました。
◇
ぼくが洗い物を済ませている間、シイナちゃんは、椅子に座ったままぼんやりとしていました。
そういえば、とあの航空写真を思い出します。
絵鈴唯は図書館まで一人で出向いたのでしょうか……。
昔というと、昔は日本でも『犬税』が普通にあったそうです。
今はあまり聞かないですね。
『家族の一員』『同じ生き物』と考えているのなら、いいんじゃないかとぼくは思います。
まぁ、どうせ飼わないからかもしれませんが。
ぼくにとっては、余裕がないとどのみち他の生物なんて飼わないのが人間だと、思うし。それにしても
「『この辺り』に、もう『子ども』は居ない、か」
そこだけを考えてみれば不思議なことですが……
「まあ、進学とかでみんな島から出ていくからなぁ」
人口が少ないこともあって、仕方のない話でもあります。
そして、それから。
誘拐事件。
ちらりと絵鈴唯を見やると、絵鈴唯はぼくの洗った皿を拭いて棚に戻しながら、きょと、とこちらを見ました。
あの事件は、『子どもが居ない』を語る上で忘れてはならないものです。
ただでさえ少ない人口の島の子どもまでもが、一気に居なくなったのですから。
此処はある意味
《子どもが居ないことに神経質になる大人》に囲まれた街でもあります。
澤越さんたちにはぼくたちが《幸せそう》に見えたのでしょう。
「なあ、絵鈴唯、少し付き合ってくれないか」
ぼくが蛇口を捻りながら言うと絵鈴唯はわかった、とだけ答えました。そういえば数時間、あまりシイナちゃんと話をしていません。
なんだか少し申し訳なくもありました。
「すぐ戻るから」
と何回か言うと、私も子どもじゃないんですよと彼女は苦笑しました。
少し廊下に出て、二人で奥にある部屋に行きました。
「シイナちゃんが誘拐みたいなことを、されていた可能性はあると思うか」
着くなり、ぼくは単刀直入に切り出します。
「なぜ」
まっすぐな目が、ぼくを見上げます。
「なんとなく」
絵鈴唯は頬に手を当てて考え込むしぐさをしました。
「それより、気になるのは不動産だ」
「『え、旅行かなんかじゃない?』とへらへら笑ったらしいけれど、空き家だと知っていたのなら、何か隠していそうじゃないかな」
「それは……」
確かに、あの人が通話口の向こうで笑っていたことも気がかりです。
まさか、昔の情報と間違えていないでしょうし。
「僕が思うに、強制退去させる人たちと不動産は手を組んでいるね。何かカモが来た時だけ売るのかもしれない」
絵鈴唯は目を伏せながらどこかあきれたように言います。長い睫毛が頬に影を落とし、より絵鈴唯を可愛らしく見せていました。
「カモ……か」
シイナちゃんも、あのおじいさんもカモだった? 両親が入院などで居なくなってしまっているシイナちゃんの顔を、思い出します。
「データとしては、二人では微妙なところ、かな」
絵鈴唯が、んーっと背伸びをしてからこちらを向きます。
「ただ、大きな事件ってのは、一人じゃそう起こせない。誘拐事件となにか繋がるかも、なっ」
「カモだけに?」
「カモミール」
「I dont know what you mean」
「That really sucks!」
「……、普通に話そう」
「そうしよう」
部屋……今明かりが唯一ついた部屋、台所に戻ると、シイナちゃんが悲しそうな目をしていました。
「あ、お帰りなさい」
椅子に座り、おとなしくしていたみたいでした。
「ただいま」
「あの、私……」
彼女は何か言いづらそうにしていました。
「うん?」
ぼくがじっと見ていると悲しそうに言います。
「私、あなたが好きです」
ぼくは、何を返せばいいかわからず胸が締め付けられて、
(まるで責められている……)
そんな錯覚をしながら薄く微笑んで呟きました。
「ありがとう。でも、ぼくにとっては他人は、大体にたようなもんなんだ」
酷いことをしています。そんなことはわかるけど、それが、なんでしょう?
いけないのは、世界の方だ。
「仕方が、ないじゃ、ないですか……」
「ええ、仕方が、無いんです」
彼女はにこやかに笑います。
「せめて、聞いてほしくて」
「なにを」
「私のことを」
彼女は涙をためた目でぼくを見つめて言いました。
「私を、おばさんが、探しています。
彼女は、金目当てです。親戚はみんながめつくて汚いやつらなんですよ。
だから、だから、私は居なくなりたい。
家族もあんな風にされて私は、世話になんかなりたくない親戚の下に居るしかなくて……」
ひっく、と彼女が小さく嗚咽を漏らし始めて、ぼくはどうもできないまま、それを眺めていました。
「あの人たち私のこと嫌がってたんですよ。
私だって、親戚の世話にならず家に一人で居ることが出来る。最初はそのはずでした。それなのにその親戚と付き合いがあった人が、おばさんに、両親の遺産のことを、吹き込んだんです」
え、もしかして、シイナちゃんってすごいとこの子?
ぼくは何だか冷や汗をかきました。
「いえ、そんな大層なものではありません。少しだけある保険金を、
《その彼》は、沢山という風に誇張しておばさんに話していたようで。
信じたおばさんは、ある日いきなり、私のもとに笑顔で来るようになりました」
「なぜそんなことを?」
「家に居ると毎日、保険屋の人となにやら電話していました。私の両親の見舞いにも頻繁に来るようになって」
「元気になってね、は言わないのに具合はどうか、をやたらと聞いてたかな」
横から声がして、ふと見ると絵鈴唯がそこに居ました。
絵鈴唯は病院に通っていたので、親戚を見たことがあるのでしょう。
「なるほど、まさか、あの親戚とやらが、きみが警戒していた人とは知らなかった。
何か早く思い出せていればよかったんだが」
「絵鈴唯っ……」
シイナちゃんは、やってきた絵鈴唯にしがみつきました。
「絵鈴唯、瑞が、好きだって言いました」
「そうか」
絵鈴唯はそれだけ言うと、彼女の小さな背を撫でます。彼女は暫く泣いていました。
「きみも、泣けなくて、大変だね」
あははは、と彼が笑い、ぼくに目を合わせました。ぼくは拗ねた気分になります。
「……だって」
「慰めてやろうか」
笑顔のまま言われて、チッ、と舌打ちしたくなりながらぼくは改めて絵鈴唯を見ました。「この子の親戚は、自分が引き取る、と強引に名乗り出たらしいよ。
けれど、先ほどの話もあったように、急に目の色を変えたくらいの関わりだ。シイナちゃんも信用出来なかっただろうね。それに、親が居なくなるとは決まってないのに、失礼なものだ。
吹き込んだ人ってのはあの老人ホームにいる誰かと関わりがあると思っても遠くないかな」
絵鈴唯が苦笑いを浮かべながら言います。シイナちゃんはこちらに背を向けたままでした。
ぼくはなんだか親戚にたいして嫌な感じがしました。
「家を出されて、さらに、親戚が来て、それってまるで」
「何か、わからないけど、思惑があるのかもね、例えば、二度と近所に住まなくするためだとか、本当に家族ごと葬る気だとか」
シイナちゃんの親戚までもが彼女の一家を乗っ取る気なのだろうか。
――そこまでの理由は、いったい何処に?
保険金の噂だけで、勝手にそんなことになるものなのでしょうか。
「おじいさんが追い出された理由の方も病院の人は知っていたみたいだよ。ただ、言えないってさ」
絵鈴唯が言います。
ぼくが出掛けた間に電話かなにかで聞いてきたのでしょうか。
――まぁ、確かにそういう理由を持つ人を毎年病院に送れば、それだけ噂になるでしょうけれど。
「はっきり聞けなかった。
地元だからね。みんなして外傷を黙っているのかもしれない。
――ところで当時、シイナちゃんは『助かった』よね?」
まさか……
ぼくはシイナちゃんの背中を見ました。
「えぇ、確実に口封じするために、私をおびき寄せるんだと思います」
彼女はなにかを受け入れているように静かに呟きました。
「そして『本当の報酬』はきっと、そのあとに手に入る」
ぼくは、少し心臓をドキドキさせながらも平静になって質問してみました。
「無理しなくていいんだけど、その……怖い人が来た日に。
何が見えたか、言えるかい?」
「それは……」
シイナちゃんは、それは、まで言って絵鈴唯にまたしがみつきます。
ごちゃついてきて、頭のなかで整理してみます。えっと……かつて彼女だけがなんらかの理由で助かり、
そしてあの日、帽子をかぶってぼくを探していた。
間にあるのは二年間という月日。
風邪を引いた見舞いに行きたい と少女はぼくを見つけたのだ。
それから、空き家。
なかには不法滞在者が居て、おじいさんは夜中に、そこに来ていた。
玩具がある。
ぼくはおじいさんに知られているようだが、ぼくに覚えはない。
よって何らかの別の存在であるかもしれない。
ああ、おじいさんは風邪だったときに世話になったのか。
シイナちゃんはそれを知っててぼくに話しかけてきた?
だとしたらやはり偶然ではないということに?
うーん……?
「あぁ、もう少しで、全部片付きそうなんだけれど」
ぼくが唸ると、絵鈴唯は淡々と呟きます。
「外に出たら、居るかもね、おばさま軍団が」
あたりの気温は冷たくて、
窓の外ではどこか雨の気配がし始めていて……また梅雨が来たかのようでした。
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