第13話
――起きた?
目の前に居た絵鈴唯は相変わらず真顔で手には湯たんぽを持っていました。
これは珍しいことではなく、絵鈴唯はたびたび気を遣うことになってるため、冬場、よくこうやって湯たんぽとともに来てくれました。
模型といえば湯たんぽ……
ぼくにはそんな感じもします。
「そんなとこで寝ないでくれたら助かるな」
「うん。そうする……」
ぼんやりしていた身体は冷えていて、絵鈴唯が一瞬腕に触れると確かに温度差を感じます。
「はい、湯たんぽ」
その湯たんぽは電子レンジで加熱してあり、
『湯和』と書いてあります。誰の名前なのか、製品名なのか。
ほかほかしたそれを腕で抱えながら、なんとなく泣きたくなりました。
「朝御飯、できてる」
長い髪をひらりと揺らして絵鈴唯は先に戻り始めます。
ぼくがあとを追って歩いていると絵鈴唯は言いました。
「結論から言うと、風邪だったよ」
のんびりとした口調でした。
「絵鈴唯が?」
ぼくが聞くと、絵鈴唯は唇を尖らせて少し不満そうになりながら言います。
「そりゃ……僕もひいてたけど。シイナの知っている、おじいさんの家族と電話で話した。
会いに行く手間もかからないんだし、最初からすればよかったんだけど、事件の直後はさすがにいろいろ忙しいだろうし」
すたすたと先に歩きつつも、ある程度ぼくをまってくれているようです。だったら立ち止まればいいのに……
「それで、風邪ってのは」
「今、あの家は空き家で、風邪以前だ。ただ、おじいさんは、かつて風邪をこじらせて入院したことがあったんだよ。
そのときに、耳の生えた天使に世話になったらしいんだ。
その話、何度もするんだと」
……。
なんだそいつ。
ぼくは背中に嫌な汗をかいた気がしました。
頭のなかに、きゃるる~ん、と効果音が流れます。
先生っ!!
幽霊は居ませんでしたッ!
だが、しかしであります!!
なんらかの不可思議生命体との接触に~我々はッ!
「子どもが空からひらりと降りてきて、耳をひょこひょこ揺らしながら『大丈夫ですか?』
だからな。
まあ、家族はみんなご冗談を、と笑うみたいだな」
「へ、へぇ~……とんだ萌えキャラじゃないか」
「実にその通りだね」
絵鈴唯は、真顔でぼくに言いました。
じとっとにらむと、楽しそうに微笑みます。
だから、ぼくは言いました。
「別に。ぼくが萌えるのかはわからないけど、変なのは事実で、変わらない。変わらないことをいちいち落ち込むのは無意味だし、バカだろ」
危ないときや夜中くらいしか出てこないから、学校に居るあいだは誤魔化せましたが、もし夜中にクラスメイトに会って耳を切り離せなんて言われても、ぼくはそんなに落ち込まないでしょう。
「死ねば良い」
◆◆
朝ご飯を食べながら、なんとなく、ぼーっとしていました。
絵鈴唯はごく普通に箸を進めていて、シイナちゃんはまだどこか眠そうです。
「美味しい?」
聞かれて、うん、と頷くのがやっとです。
おじいさんが世話になったと言われたけれど、ぼくにそんな覚えはまるでありませんでした。
それから……気持ち悪いことを思い出しました。
今日は疲れている気がする。絵鈴唯が心配そうにぼくを見ましたが、この気持ちをどうすべきかはわかりませんでした。
「昔……男にトラウマがある、という子に話しかけられたな」
人間にトラウマがあるならそんなに馴れ馴れしくないと思った。拒否しても理解があるものだろう。
「無理矢理ついてきてトラウマと同じことしてた」
「ぼくが 来るな、 と言ったら世界一傷ついたような顔になって笑ったよ。他人を嫌いだという気持ちが理解出来ないものなんだな。
自分は嫌いなくせに、他人には酷く言われたら傷つくなんて、都合が良すぎる……あ、ジャムとって」
「はい」
向かいの席からジャムを渡してくれる絵鈴唯はそんなぼくをきょとんと眺めていました。
「ま、僕らは確かに他人が嫌い同士、気が合うのかもな」
あはははは、と楽しそうに笑いました。
他人が嫌い同士、嫌いになる気持ちも理解しているから、信頼関係がありました。
自分だって嫌いになるんだから、相手が嫌うのも当たり前です。
それを傷ついて、責めると性格が悪いと思うし、身勝手だとぼくは思う。
――何を言われたって、どうせみんないつか死ぬのに
――確かに好きです! って言われると思うのがおかしいよ。
誰にでも恐怖や嫌悪はある。
なに、自分だけ傷ついてるのかと問いたいね。
――笑顔を強制させる、悪質なところだよね。
――私の前では毎日怯えずに怒らずに悪口も無しでお願いしますって?
死ね。
どうでもいい会話でした。盛り上がるのに、なんでこんなに盛り上がるのかと妙な切なさもある。
外では、ぱらぱらと雨が降っています。
「ぼくが嫌いだと言ったら嫌うか?」
「別に。爆笑するだけ」
パンケーキにシロップを大量にかけながら、絵鈴唯は本当におかしそうにしていました。
シイナちゃんは、ゆっくりとカフェオレを飲んでいましたが、少しして口を開きました。
「ごちそうさま……」
「あら、食べないの?」
絵鈴唯が聞くと、彼女は少し迷ったように要らないと言い、それから頭をさげました。
「あの。泊めていただいてありがとうございました」
「帰り道はわかる?」
「はい」
「おばさん、の家はどの方面かな?」
「会ったとき、調べていた方面」
「ここからは遠いな……」
ピンポン、と音がなった。ぼくは壁につけてあるインターホンを見ました。
居たのは、近所の澤越さん。
少し横幅のある体型と、パーマのかかった髪型。派手な服装をしている。
「なにかご用ですか」
澤越さんは、すがすがしいくらいのわざとらしい笑顔で笑いつつ
「あんたたちの子?」
と突然聞いてきました。よくみたら他にも山木さんや馬谷さんが見えます。
「あの、なにが」
「はぁ? 聞こえなーい」
……。聞こえないぼくが悪いのでしょう。
けれどなんだかなです。
「すみません、あの」
「あんたたち、子どもが欲しいかもしれないけど連れ去るのは犯罪よ」
そういえば、シイナちゃんがここに来た際に、外がひそひそと子どもの話をしていた気がします。
「えっ、あの」
あんたたち、
たちって……
玄関のすぐ向かいにある部屋は、電気がついておらず少し寒いです。
はやくおわらせて朝御飯に戻りたいな。
助けを求めて振り向くと、いつのまにか絵鈴唯がやってきていて、そしておかしそうに笑いました。
「僕とデキてることになってるな」
「……笑うな」
絵鈴唯はボタンを押して
「別に子どもを連れ去ったりしませんよ」
と笑いをこらえた声で言います。地声がさほど低くないのもあり、本当に少女に見える瞬間もあるほどでした。「そちらにシイナちゃんの知り合いが居るのですか?」
「……そうよ。居ないって、騒いでたんだから。あんたたちはまだ若いんだから、こんな――」
「行くか?」
振り向くといつの間にか、(というか流れ的に気にならざるを得ないでしょう)シイナちゃんもそばまで来て居ました。
戸惑った顔で、絵鈴唯を見上げます。
「戻ったら、戻るのだけは、嫌……」
「少し知り合いなだけだから、安心してください」
絵鈴唯は、インターホンの向こうに話しかけました。
私が話す、と言ってシイナちゃんが通話を変わりました。
「平気です。すぐ帰るので。絵鈴唯さんはお母さんたちの知り合いで……はい。そう、病院で、よく話してて、だから、彼らも知ってますし、聞いたらわかりますから。
あの。おばさんの知り合いでしたら、よろしくお伝えください」
そして電源を切り、戻りましょうと言われ、ぼくらは朝食に戻りました。
「……今の状況なら、ここに居た方が安全じゃないかな? 嫌なんだろ、戻るの」
絵鈴唯がやはり笑いをこらえながら言います。
「はい……」
シイナちゃんは迷っているような、悲痛な顔をしました。迷惑はかけられないけれど出掛けて目的を達成できるわけでもなくて、だけど、ここに居るのもつらい、そんなふうな。
彼女は、昨日も無理矢理死なないようにさせられている。
意思に反することばかりで、苦しいでしょう。
ぼくは亡くなったおじいさんを脳裏に浮かべてみました。この前絵鈴唯の横たわる姿と同時に見たときのような興奮は再びは覚えられなくて、ただ焦燥のようなものがあります。
「このあたりは子どもがいない。ただでさえ妬まれているのかもね」
震えながら呟く絵鈴唯の頬をつねります。
「笑いすぎでしょ」
「むしろ治療中と言えばいいのでは?」
「死ね」
「ま、それは僕がそっちか、嫌だな」
なにが、なのかは誰も言いませんが、みんな席につき、ぼくはとりあえず二杯目のコーヒーを飲むために立ち上がりました。
「……やってらんない」
「絵鈴唯はなぜ、可愛らしい格好をしてるのですか」
シイナちゃんに聞かれて、絵鈴唯は飲みかけたコーヒーを吹き出しそうになりつつ飲み、ごほごほむせました。
「あーあー、大丈夫か」
ぼくが背中をさすると困った顔をします。
「……へいき」
「すみません」
シイナちゃんがしょんぼりします。
「似合うからかな」
絵鈴唯がそんな建前を堂々と言うのをぼんやり、眺めていました。
「……」
まあ、ぼくも合わせておくか。
◇◇
『ぼくたち』が失われた理由は明確で、狩られ続けたからだそうです。
例えば、なにかを覚えているということは、なにかを忘れている状態なのに。
目の前しか見えない、欲に目がくらむ『彼ら』は『忘れている状態』を蔑ろにして、『覚えている』人を狩り続けているような印象があります。
状態、であるものは、状態でしかなくて本質ではありません。
素手で氷を常温に持ち出して、溶かしてしまった後で、また氷を持ち出すおろかな生き物。
そうやって、その氷がなぜ氷だったのかという永遠に解けることのない謎にしがみついている。不毛な生き物。
誰かが、その環境から強引に手にするからこそ永久に失われるものを、ミステリーなんてまとめて言い訳にすがるのが、ぼくたちなのかもしれないと、ぼくはときどき考えます。
なにが言いたいかって?
何一つもわからないものを、無理矢理手にしたって、溶けて消えてしまうから、そう、『彼ら』がぼくたちを狩ってもあまりにも無駄ということ。
『彼ら』は、何度も条件を無視して氷をとり、手のひらで無くす生き物だ。何も分からない、永久に理解できない存在。
だから――――
絵鈴唯は笑って言いました。
「この身体が医者に解剖されようと、そいつは何も得られないのに、馬鹿なものだよ」
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