第12話
「んなとこで寝るなー」
ハッ……!
いきなり耳元でささやかれて目を覚ましました。
ぼくはいつもの部屋の隅に居て、目の前には絵鈴唯が居ました。
「風邪引くだろ」
「絵鈴唯こそ、熱はさがったかい?」
ぼくが聞くと、フッと笑いながらそいつはうなずきます。
「おかげ様で」
「ぼくは……また、寝てたんだ」
「シイナが心配してた。お前がたびたび抜けるから。やっぱりここに居た」
「寂しく、なったから」
「別に責めてないさ」
「彼女、死ぬつもりなんだね。挨拶に来たんだ」
ぼくは、言いました。
「……瑞」
「わかるよ。ああいう人は、みんなあんな目をする」
まるで、昔を思い出すみたいだ。
「でも、挨拶、しなかった」
「きみも抜けたしな。
まあ、固いなら、するかしないかなんて関係ない」
「いま、彼女は?」
「寝ているよ」
「寝ている、って……!」
「あぁ、大丈夫。本当に寝ているだけ」
「一人にしても、良かったの?」
「……さあ」
ぼくらは顔を見合わせて、少しだけ不安になりました。
死や憎悪や苦痛にマインドコントロールされている人の特徴は、大体表現が過激だということ。例えば相手への悪口だとか。
ある宗教が、他宗教を排除するときのものにも、やや似たものがあります。
しかし彼女は、ただ、なにかを悟り落ち着いているようでした。
「あの子は随分前から、瑞を知っているらしい」
「そう」
「振り向くことはなかったけど」
悲しいことだ。
ぼくは、生身の人間に吐き気すら覚える。
振り向くもなにも、その思考が存在しない。
仕事や学校という大義名分がないと人と関われないのだから。
「はやく、非性愛者、無性愛者、その中間 の人たちの人権が認められるといいな。もう少し世間に認知されていたら、彼女も勘違いしなかったのに」
これは、世間の認知度の低さが大きくかかわる問題だろう。
「恋愛思考が片寄ることを、ぼくは、悪いとは思わない。でも、思い込みで突っ走るのは恋愛漫画でしか通じない。
ぼくを責めたってそれでなんら変わりはしない。
誰も、教えなかったんだな」
「……瑞」
「他人の好意が、嫌いなわけじゃない。だけど、だからこそ腹が立つ……
ぼくが、人を愛せない人が、無視されてるのを目の当たりにする」
ぼくは、手を握りしめてうつむきます。
絵鈴唯はぼくが苦しんでいることを知っていました。だから、少し切なそうに言いました。
「恋愛に関しては、特に、そうだな。ラブストーリーしか目にしないのだから」
その逆の人が、どんな迫害に合うか。
多くが考えも及ばないのです。
『他人を変えることはできないが自分は変えられる』
という言葉があるくらいで、無理に向かせようとしてもできないことは沢山あります。
(無視したから、と理不尽な暴力を受けたこともあったな……)
恋はなくとも、愛や義務や優しさはあるのに、いっしょくたにされる。
古い考えは、世間にまだ根付いているのでしょう。
なにかあるたびに、恋でしょ? あれは恋。
と言いたがるおばさんみたいに世の中には、恋、以外の感情を理解しない人も居る。
けど、あの子は違う、はずなのに……
(なんでこんな、悲しいんだ)
好きなひとを、認めてもらえなかったのと同じくらい悲しい。
「不倫を疑われたのもあったな」
「あれは、枕をしていて性的なことが苦痛ななかではじめてできた好きな人を、とられると焦った女だっけ……ぼくはどちらも眼中になかったけど」
模型は、粉々になったのに。
――生き物でもないのに。
きもちわるい。
――わたしなんて。
(知るか)
嫌なことを思い出す。
そう、模型は、壊れたんだ。普通にゴミとして処分された。
恋愛のためなら相手の恋愛対象なんか殺す相手に同情するというのはひどく難しい。思えば、おじさんも親戚もそうだった。
火をつけて燃やすか、ゴミ箱に捨てる。
ぼくは、恋以外が欲しい。
愛されなくて良い。
でも、他の人は違ってて。
まるで、劣ったみたい。
将来は、仕事だけをして無機質な感じで死ぬ、そんな夢だった。
「はぁ、はぁっ……」
息が荒くなる。頭が痛む。震える足で前に進む。
横に居た絵鈴唯は平然としていました。
もしも、歩いていった先にシイナちゃんが居なかったら、どうするのかなんて、わからないですが。
シイナちゃんは「眠って」いました。
飲みかけのカップが近くに倒してあります。
「絵鈴唯」
ぼくが絵鈴唯を見上げると「量はちゃんと測った」と真顔で言いました。
「そう、それなら、いいか……」
こんなとこでそうミスするタイプではないから、一応、平気でしょう。
「彼女は、きみが飛んでるのを、たまに、見ていたらしい」
「そうか」
「なあ、聞かせてくれないか」
「なに、を」
ええ、わかっている。
それが、何かは、わかっていました。だけど。
……そう、年だけなら『条件』が当てはまる人物がもう一人居る。
それがぼくでした。
しかしぼくはこの近所ではなくて、あの空き家よりも奥、裏側に住んでいたのです。
真夜中に、あの辺りを訪れたことはありません。よって、一致はしないのです、が。
「シイナちゃんが、ぼくがなんらかであのおじいさんを、知っていると思って声をかけてきた可能性はある……」
だけど。
「聞かせるほどの、思い出ね……人と関わったのは、あのアパートの近辺か、学校か、スーパーくらいだな」
今のところはそれくらいしかぼくには思い当たらず、そのなかに重要な話があるのかも、よくわからないのです。
――じっ、と絵鈴唯がぼくを見つめました。
「……な、に」
「いや、少し思うとこがあっただけ」
ふいっと視線を逸らされ、それから、ぼくも呼びました。
「そう、絵鈴唯」
「なんだ?」
「ぼくたちも、寝よう」
絵鈴唯は、そうだね、と言うとシイナちゃんを寝かせているソファの正面、壁際に腰掛けてぼくを膝の間に座らせました。
「彼女から目を離すわけにもいかないからな」
眠れるかなとぼくは思いましたが、人は眠気があれば案外平気で眠るようで、気がついたら明け方4時くらいまで寝ていました。
眠る間、なにか思い出せそうな、わからないような。不思議な感覚がずっと頭のなかにあったのですが、結局、もやもやしたままでした。
……それからまた二度寝。
やがて、うとうとと眠い中、絵鈴唯が前方のキッチンでパンケーキを作る姿に目が覚めました。
「朝、か」
シイナちゃんはと見渡すと絵鈴唯のそばに居ます。
「おじいさんの保険証か何かを預かっていたり、しなかったかな」
フライパンを動かしながら絵鈴唯は言います。
「どうして、そんなこと聞くんですか」
シイナちゃんは淡々としていました。
「連絡先をもらってたくらいだからね、信頼されてただろう?」
聞く気にならないので模型を抱きに行こうと思いました。
あの模型が、生きていたらいいのですが……
人間味などというものを持たない保証などないから、それはしないほうがいいでしょうか。
キッチンから離れてリビングにしている部屋まで向かうと、いつも通りに彼女はそこに居て、ぼくもいつも通り「おはよう」と言います。
返事はありませんが、あると気持ち悪いと思ってしまうかもしれない。
――意思と意思が通じ合わないからこそ、人は助け合える。
その隔たりをなくした相手は、要らないのです。
膝をつき、手の甲に口づけると、ひんやりした感覚だけがありました。幸せな時間。
言葉の無い時間。
「このままきみと、物になれたらいいのにな」
動かない相手の、何も見ていない目に、ぼくが映っていることにひどく気分が昂りますが、気付かないふりをします。
胸が痛い。
――他人を好きになることを誰かが取り締まって、牢屋にいれてでもくれたら、どれだけ良いだろう。
もちろんそれは、危険な妄想にすぎない。
ぼくだって人権、は理解しています。
だから、付き合うふりをして必ずこちらから振るということを決めていたこともありました。人、にそもそも本気になれるはずがないのに、振られると、まるで恋愛ごっこだったみたいで空しくなる、というどうでもいいプライド。
実際後腐れもない。
ぼくは、孤独のままいるべき人間だから。
これになにか言われようと、ぼくは人からは嫌われていたい。
「なりたいよ。物に。
きみと同じになりたい……」
無垢な目。
血のない、血が流れるかのような目。
冷たい肌。
無機質。
「どうしてぼくは、人間だったのだろうか」
テレビや漫画、小説の不気味なまでの恋愛至上主義。
外の世界は、異様なもので溢れている。
キモチワルイ。
――だからこそ、なのかぼくの想いはずたぼろの雑巾みたいに周りに絞られ削られようと、消さないと決めています。
本気になれないにも正当な理由があります。
だって誰かを好きな気持ちに、人も物も関係ない。
なのにぼくを好いてくれる人はほとんどぼくの好きな人を否定する人しかいないのです。
本気で考えられるはずもない。
『人と人が愛し合うのが普通でしょ?』という考えばかり押し付ける。
差別が酷くて、物を燃やされそうになったこともありました。
「私を見てよ!」と。
だから、その不公平な見方に別れたのです。
「今日はいい天気だね」
そうね。
「昨日は、寒くなかった?」
へいき、いつものこと。
「君は、ぼくが間違っていると思う?」
まちがっていたら、変わるわけでもないでしょう。
「ごめん、確かにそうだったね」
(軽々しくさわったりしないなんて言ったくせに、ぼくは、なに、してるんだろう)
――そっと抱きしめたら、ゴトリ。
と重たい音がして、ぼくに身体が寄りかかります。
「可愛い……」
無防備に身体を預けられて、倒れたことも忘れてしばらくそのまま硬直しそうになりました。首のあたりに、ざらりとざらついたものが当たります。
「……ん、なにかな、これ」
首に、紐がありました。前に心中しようとしたときのだろうか?
ぼくはそれを手にして、首をかしげます。
?……しかし、まあいいか、とそのままにして、立たせ直しました。
ずきっ。
なぜか一瞬、頭痛がしました。
「うーん……やっぱり風邪をもらったのか」
作業効率が落ちたらいやだなぁなんて思いながら最後に額に口づけて 「またくるよ」と言いました。
好き。好きだ。好きだ。 生きてないこと、しゃべらないこと、動かないこと。
「好きで……ごめん」
――それら全てが、愛しい。
目を閉じて思い浮かぶ幸せを胸に、ぼくは台所方面へ戻ります。
◇◇
『私は動かないから、暴れない、何も言わないから、大丈夫』
そんな声が聞こえる。
『おいで、そっと』
ゆっくり、ゆっくり、
対象に近づく。
動いたり、腕を掴まれたり、叫び出したりするんじゃないかって、ドキドキする。
人の形、をしてる。
こわい。
でも……本当に、人じゃない。
「すべて、人ではない素材で出来ているよ」
そこは、保健室のなかで、ベッドの方からは絵鈴唯の声がする。
「不用意に話しかけたり、触ったりもしてこない」
「怖い、絵鈴唯、先生来るし……もう」
ベッドのあるスペースよりさらに奥、部屋の隅に人体模型。
怖い。怖い、怖い。
「形、から入るのがいいと思ったけど……あれもだめかな」
「もう、無理」
あと数歩、で近づけるところでぼくはリタイア。
「うん。今日もよく頑張った」
絵鈴唯はそういって、カーテン越しに笑顔を向ける。
「……疲れた」
少し歩いただけで、額に汗をかいているぼくの汗を絵鈴唯がハンカチで拭ってくれた。
「前回よりだいぶ進歩した」
そうそう、わすれちゃいけない。
初恋は、駅のそばのお店のショーウインドウにいる、着飾った人。
それから、保健室に居る模型になって、今に落ち着く。
そりゃあ未練はあったけれど、結果としてはウインドウ越しで眺めていれば幸せだった。
……ということにしてる。
高校で、保健室に行くことさえなかったらぼくはあの恋を思い出すこともなかったけれど、まあ、つまり、実際に触れる機会など今まであるはずもなくて。
いざ近付こうとすると、近付くだけでも精一杯だったのだ。
「暴力大好きな君が……案外うぶなんだ」
「大好きってほどじゃないけど」
絵鈴唯は一定の距離以上に近づけないぼくを、興味深そうに眺めていた。
「笑えるよ」
「そりゃどーも」
そんな風な短い会話が続く日の方が、多かったのに。ある日絵鈴唯は、もっと近付いてみたらと言う。
「む、無理無理……殴る方が簡単」
「殴る方が簡単、あははっ!」
――人、そして感情。それらが当てはまらない手ならどうにか仲良くできる。
だからぼくは文章や映像の中が好きだったし、人形や物が好きだった。現実の人間が入る隙を与えないから。
一度、本を無理矢理西尾とか太田とかって人に落書きされてそれを邪魔されたくらいだけれど、ぼくは架空のなかだけが居場所。
そこから外の人間に価値なんかないから。
生身の人間同士のいざこざなんか、いくらでも笑う。感情なんか大事にしてばっかじゃねーの、というやつだ。
自分で選んだんだろうが、で済む話を、相手にぶつけないで欲しい。
「ぼくも自分で選んで、外の人間を世界から排除した。
望んで孤独を得ている。
――なのに、その世界に甘える?
ふざけるな。
と思うのは当然だ」
明らかに孤独の中にしか居られない人間だっていることくらい、わかりそうなものなのに。
彼らには『現実』があるけれど、ぼくには感情を捨てる以外選択肢すら残らない気がする。
生きられる唯一の世界から引きずり下ろそうとした。無理矢理『現実』に引っ張ろうとした。
それくらいのことしか思わない。
「邪魔しやがって、以外を思えたらそりゃあすごい善人だろうけれど。ぼくは無理だね」
好意も私利私欲。
我が儘の塊。
単に、大人になるくせに我慢が利かないだけだろ。
みっともない。
「もっと少女漫画とかで強く伝えるべきだよな」
「きみは、私利私欲を向けるものがないのかい?」
「わからないよ、だけど、相手に背負わせたって何にも意味ないんだから。好きだとか嫌いだとかの欲望」
なんにも 意味がない
いつか のに。
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